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今日の記事更新はお休みいたします

分かってはいたものの...、公休日とはいえ本当に休んでしまったら仕事が間に合わなくなるのが自分を取り巻く環境。
でも、昨日は阪堺電車モ161号車のお披露目撮影会に参加していたのである。

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【2021年9月19日10時58分】 阪堺電軌・大和川検車区

<速報版>にも書いた通り、撮影会の内容は非常に充実しており。このあたり、<鉄>の“心理”を理解した撮影会の進行、ストレスフリーな展開で。その秘密は...

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阪堺電軌モ161号車クラウドファンディング撮影会 <速報版>

朝は何とか起きられたものの、40代半ばになって感じるのは睡眠不足で早朝出発だと午後には自分自身のスイッチが切れてしまうということ。

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【2021年9月19日10時22分】 阪堺電軌・大和川検車区

幸い、撮影会は10時から12時の午前中。
昨日までの台風とは打って変わって、青空が広がり、とはいえ、時折雲が太陽を隠してくれたので逆光側からも撮ることができて。撮影会も大満足だった。

大規模修繕が終わってピカピカになった車体、その内外を満喫することができた。

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はじめて大糸線のキハ52形に乗った日。(1993年3月の写真から)

何だか、大糸線キハ52形の話題を書くと普段の何倍もの閲覧数(PV)を記録するみたい。なぜなのか、まったく分からない。風光明媚な路線としては“全国区”の路線だけに多くの<鉄>の皆さんが素晴らしい写真の数々を残されていて。
そこに<変態鉄>の下手くそな写真が割り込む余地など1ミリたりとも無い筈だが...

でも、調子に乗って酷い写真たちを恥ずかしげも無く...

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【2009年5月2日6時18分】 大糸線・糸魚川駅

当時、「キハ52形」など知るよしもなかった。糸魚川駅で待っていたディーゼルカーは単行。車内はスキー客で超満員。キハ20系ディーゼル動車特有の丸みのある車体形状、まさに“一目惚れ”のような。
このときから、30年近く近づいたり離れたり、なんだかんだでキハ20系を撮り続けている。

スキー客で超満員の車内。座ることもできず、確か運転台後ろの座席が撤去されたスペースで立って過ごした。
キハ52形は、まもなくはじまる大糸線のワンマン化に対応するため転入したものと知るのは、もっと後になってから。
車両はワンマン対応でも、当時はまだ車掌さんが乗務していた。普通列車にもかかわらず、発車直後の車内放送には「アルプスの牧場」のオルゴールが演奏され。
チャイムを鳴らして放送するのは特急・急行だけ...と信じていたガキにとっては、衝撃を受けた瞬間だったのだ。

1993年3月。この朝の富山駅は吹雪いていた記憶が。

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今夜も不安な気持ちを抱えて...

最初の上陸地が福岡県になれば史上初めて...だとか。その前は東シナ海で停滞など異例中の異例な経路をとって、挙げ句の果てには西日本から関東にかけて、列島を横断するという最悪の経路。それなら、仕事に影響が出るように平日に来て欲しいのだが、それが趣味活動に影響が出る週末に来るという最悪のパターン
いま、ある連絡を待ちながら、このブログを書いている金曜日の朝。

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【2020年1月3日14時00分】 阪堺電気軌道上町線・北畠-姫松

3連休とのことだが、そのうちの1日、日帰りの慌ただしい日程ではあれ、ヒコーキで大阪を往復する予定で。
撮影会の日程自体はクラウドファンディング実施時に公表されていたので、書くことに問題ないかと思うのだが...

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この週末、阪堺モ161号車の修繕が完了して、そのお披露目撮影会がこの週末に予定されており。

そう、1年9ヶ月ぶりに阪堺電車を訪問することになっていた。

ということで、撮影会の開催の可否について、17日のお昼に連絡が来ることになっていて...
それが気になってブログを書く気持ちにならなかったのである。

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2005年5月 大糸線にキハを撮りに

一昨日の記事で全線廃止間際の名鉄岐阜線モ570形の姿をご紹介した。自分にとっては初めてともいえる長時間露光による撮影。このころから少しずつMDウォークマンではなく、EOSくんを持っての<鉄>活動が増えてきたような気がする。
もちろん、その背後には国鉄型車両の引退や外国語を含んだ自動放送の導入で「録りたい」と思える車内放送が減ってきたこともあったが...

その名鉄岐阜線の全線廃止は2005年3月、でも、忙しくて最後の1か月は趣味活動どころではなかった。いまなら、ちょっとでも時間を作って無理やりでも駆けつけそうだが...
2005年2月、団体貸切で走った古豪モ510形を追ったのが、岐阜の路面電車の最後の撮影だった。

当時はファイルカメラ。24枚撮りのフィルムを装填して...
だから、「なぜ、コレとコレが同じフィルムに??」と思えるようなものが1本のフィルム(から現像されたネガ)の中に???
と、自分でも不思議に思えるような組み合わせも。

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【2005年5月頃】 大糸線・南小谷-中土(?)

忠節駅で撮った最後のカット、その隣のコマに写っているのは、2005年5月の大型連休に撮った大糸線キハ52形の姿。
この朝の運用に入っていたのは、キハ52 125号車。まさか、それから15年経って房総の地で現役を続けているなど予想だにしなかった。

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思わぬ事態に...

実は今日は出勤前に、記事を書き終えていた。
それと、使う写真も選んでおり。あとは帰宅して、音声データの編集さえできれば、それで記事をアップできると。

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【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

といった時点で、何の話題を書こうとしたのかはバレバレだが。

頑張って仕事を片付けて帰宅したのは22時。

先日、MDのデータを無事、パソコンに移すことには成功したものの、そのデータは「.wav」のファイルで保存される。まぁ、パソコンで扱う音声ファイルとしては至ってフツーのものであり...
でも、ブログに貼るためには「.mp3」という圧縮されたファイル形式にしないといけない。こちらも非常にメジャーなファイル形式だが...

実は...

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夜明けのスカーレット ~ 2005年2月の岐阜の朝 ~

ちょっといろいろあって...、というか、仕事がドタバタ続きで。つまり、ネタ切れなのである。
9月も折り返し点にくるが、カメラをもって外出したのは8月27日が最後で。ということで古いネガを掘り起こして。
10年に及ぶ拙ブログの歴史、実は、昨日の記事も基本的に写真は再掲のものばかりで。昨日の「夜行列車3連発」というのは、拙ブログ開設当初の記事で書いたものだった。
同じ写真を見て記事を書いても、10年経つと思うこと、書くことがかなり違っており。

まぁ、リメイク版ということでお許しいただきたい。

さて、何度か書いてきたが、自分が初めて動いている電車にカメラを向けたのは、つまり、<撮り鉄>の“原点”といえるのが名鉄岐阜市内線だった。
残念ながら、その名鉄岐阜市内線は2005年春に全廃となる。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線・新岐阜駅前電停(当時)

廃線の数年前に、なぜか大幅な体質改善策が...
純然たる市内電車と郊外を走る揖斐線に分かれていたものが、日中も直通運転が基本となり。新型車両が次々に投入されて。

でも、朝晩に限って...だが、最後の最後まで純然たる路面電車型の車両も残って。
それが名鉄岐阜線生え抜きのモ570形だった。1991年に初めて、カメラを向けて以来、何度も見てきた電車。廃止を前にその姿を撮りたくて。

ただ...

いまでこそ、当たり前に撮っている、いわゆる「バルブ撮影」、夜間の長時間露光など挑戦したこともなく。
「どう撮れば良いの??」、とりあえず三脚にカメラを載せて、長時間露光で...
もちろん、世の中、そんなに甘くはない。失敗写真の山を築くだけだった。

でも、その思い出の写真をご紹介したい。いつも以上に酷い写真ばかりだが...

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高岡、夜明け前。<前編>

自分がデジカメを初めて手にしたのは、2007年の夏のこと。そして、それが契機になって自分の鉄道趣味の方向性が「車内放送の録音」というマイナー分野から「鉄道写真の撮影」というメジャーなところへと移っていったのである。
その際、最初に手にしたのは「EOS 5D」だった。初代...である。

フィルムカメラで手軽にスナップするだけだった自分にとって、どう扱ってよいのか...。
試行錯誤しながらも、駅のホームで軽く撮るだけ...から撮影地近くにホテルを確保して撮りに出かけるようになるまでに長くはかからなかった。

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【2010年3月4日23時41分】 東北本線・上野駅

そんな中、北陸本線を走る夜行列車を撮りに通った時期があった。
高岡駅前のホテルに部屋をとって、早朝、駅前で客待ちしているタクシーに。西高岡駅との間にある陸橋がいつもの撮影地だった。
フィルム時代末期(2006~2007年頃)にも何度も通ったが、そのペースがあがるのはデジカメになってからだった。

朝5時ごろ、誰もいない駅前のタクシー乗り場で止まっているタクシーのドアをノックすれば...

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弁当の中の特急列車(さよなら特急白鳥号 特製記念弁当)

昨日の「雷鳥」号は北陸本線の富山電化開業に合わせて、前のオリンピック、1964年(昭和39年)に誕生した、まさに北陸本線の象徴ともいえる特急だった。
そして、自分が知っている時代には、富山駅に日中上下各1本だけ発着していた「日本海縦貫線のヌシ」的な特急列車こそが「白鳥」号だった。
こちらは一足早く、1961年(昭和36年)に大阪-上野・青森間のディーゼル特急としてスタートした。
その後、電化の進捗に合わせ、485系特急型電車に置き換えられ、新潟(上沼垂)が担当していた時代もあったが、末期はJR西日本に移管されて京都の485系が青森まで走っていた。

大阪-青森間を日本海沿いに走る特急列車として、距離にして1,040 km、大阪を朝10時に経って青森に23時前、青森を朝6時に経って大阪に19時、所要13時間というのは名実ともに、間違いなく最長の昼行特急電車だった。
「雷鳥」よりも10年ほど早く、日本海縦貫「白鳥」の終焉は2001年3月。富山-長岡など部分的には利用したことがあったが、さすがに大阪-青森を乗りとおすようなことはなく。
まさに絵にかいたような“葬式鉄”だが、お別れイベントがスタートしていた2001年2月27日に大阪 → 青森、3月1日に青森 → 大阪と乗りとおしたのだった。

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【2018年8月10日10時13分】 石川県小松市土居原町・土居原ボンネット広場

いまや、新幹線開業で「北陸本線」もバラバラに切り刻まれて。全国どこでも走れるような国鉄型の車両も姿はなく。
20年前まで「半日かけて走り続ける列車」があった...といっても、もはや経験したのはオッサンの域に入る世代だけになってきて。

もちろん、そんな長距離列車なら途中で一度か二度、弁当で食事をとることになる。
お別れを前に、「白鳥号」の記念弁当も登場して...

往路、復路とも、もちろんその白鳥号の弁当を...

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2009年10月 北陸本線「雷鳥17号」にて。(車内放送のコレクションから)

これは酷い。それにしても酷いとしか言いようがない。

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【2009年10月26日8時23分】 福井鉄道福武線・市役所前(当時)電停付近

このときの撮影データ、写真を見ながら自分で自分に呆れるばかりだった。

さて、<変態鉄>の車内放送のコレクション、実はいくつか録音日時がハッキリ分かったものがあって。

そのうちの1つ、2009年10月27日の北陸本線の485系特急「雷鳥17号」の金沢駅到着の車内放送をご紹介したいのだが...
いまはなき、越後湯沢ゆき「はくたか」号への乗り換え案内、そして、もちろんベテラン車掌さんによる落ち着いた口調のアナウンス...
車内放送マニアには、とても懐かしく感じられる“古き佳き時代”のサウンド。



“ブーーーンっ”とお腹の底に響いてくるような走行音、一面の水田地帯を走り抜けて...
一昔前の<乗り鉄>旅では当たり前すぎる、国鉄型特急電車の乗り心地。

485系の乗務員室、車内放送マイクの下側には箱形のオルゴールが付いていて。ボタンを押すと「鉄道唱歌」のオルゴールが1コーラス演奏されるようになっていた。
JR化以降、地域ごとの特色を出すことや、そもそもオルゴールの補修用部品の調達面の問題などもあって、国鉄特急型電車のオルゴールも徐々に電子チャイムに交換され。
そんな中、比較的最後まで鉄道唱歌のオルゴールが残っていた京都所の485系も、細末期には、その電子チャイムに交換され。

2009年10月の録音の分では、放送の前後に電子音版の「鉄道唱歌」が流れている。
確か箱形のチャイムには、4個か5個のボタンが付いていて、この「鉄道唱歌」の他には「ラバースコンチェルト」のチャイムも流せるようになっていたような...
自分がマイクを構えたときは、それが、なぜかいつも「鉄道唱歌」で。西日本に広く普及したこの電子チャイム、「鉄道唱歌」しか撮ることができなかった。

撮影データから、この日の前後の撮影データを探してみると、この前日、福井に到着、福井駅前のホテルで1泊して、福井鉄道福武線の200系を撮ったみたい。
その後、この「雷鳥17号」に乗って富山へ。そして、「飛越ゴハチ」を...

でも、その写真、酷いの何の...

こんな酷い写真ばかりで...

と、記事を書く段階になって途方に暮れたのである。それが冒頭の一言。

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