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秋の北東北「鉄印帳」の旅(20)陽射しの戻った釜石駅で

早いもので、いすみ鉄道のキハ28 2346号車が現役を退いて1年が経過して。
いまも国吉駅構内に留置されたままだが、このキハの「保存会」の発足が発表されており。実は8月の撮影会の折に、近々動きがあるかも...というような話は伺っており。あの、クレーンでの方転作業も、その流れの中でのことだったようで。

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【2023年8月24日11時44分】 いすみ鉄道線・国吉駅

美しい車体を取り戻し、このキハたちを中心に、国吉駅周辺が“鉄道の町”として整備されていくことを密かに願っている<変態鉄>なのである。
そして、台風による大雨で運休となっていた大多喜以降の区間も、幸い、12月の運転再開が報じられており。そうしたら、再びキハ52 125号車は走り出すのだろうか。

さて、10月の東北の旅。南リアス線の区間を往復して釜石駅に戻ってきたのは14時前。午前中から降り続いた雨も上がり、陽射しも出てきた釜石駅で20分の接続、14時過ぎの宮古ゆきに。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(19)恋し浜駅

三陸鉄道の「鉄印」は、宮古駅。まぁ、非常に大雑把にいえば盛(大船渡市)は岩手県の南東部にあたり、釜石はその北、そして、もっと北に盛岡、そして、その東に宮古。この日、<変態鉄>はわざわざ釜石までやってきて、そこから宮古に向かわずに南下、さらに、折り返して北上して宮古を目指す...という、「鉄印」という“目的”に対して、何ともムダの多いプランを組んだのだった。

でも、釜石線をキハ110系で制覇できたことも、雨の中、短時間ではあったものの盛駅で岩手開発鉄道の貨物列車の姿を見ることができたのも大きな“収穫”だった。

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【2023年10月25日13時26分】 三陸鉄道リアス線・恋し浜駅

その盛駅、再び雨脚が強まりだしたところで、13:00発の第211D列車に乗って釜石へと向かう。
車体全面にイラストが入った36-704号車単行で、再び、南リアス線の旅。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(18)「三陸元気!GoGo号」

やはり、一度、目にすると気になってしまうもので。
黒いホキ車の長編成を紺色のディーゼル機関車が牽く...、車体のフォルムの関係もあるかもしれないが、自分には目の前に居たDD5652号機が、JRのディーゼル機関車の“ボス”的な存在だった、DD51形機よりも一回り大きいような感じがして。
あと、前面窓が“タレ目”がちで、何だか関東鉄道の機関車のような感じも...。

この写真にもチラッと見える5652号機は、すでに廃車となっているのだそうだが、代わりに今年、新潟トランシス製の新しい、これまた紺色のディーゼル機関車を導入しており。「貨物列車」といっても、最近ではコンテナ列車ばかり、そんな中、黒いホキ車をディーゼル機関車が牽いていて。しかも長編成。いつか、この列車も撮りに来たいと思う次第。

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【2023年10月25日12時59分】 岩手開発鉄道・盛駅

そんな盛駅は大船渡市の中心、リアス線は、盛駅を発車するといったん南へ進み、反時計回りに半周して北に進路を変え、綾里、三陸...と釜石へと向かっていく。

三陸鉄道の列車は盛駅を出ると、すぐ盛川の鉄橋を渡るが、その直後、岩手開発鉄道の線路をオーバークロス、まもなくトンネルに入る。
そのトンネルの横に太平洋セメントの工場があって、開発鉄道の列車は、そこへ石灰石を運んでいる。

う〜ん、三陸の街を走る貨物列車...、いつか撮りに来たい。

さぁ、そんなことを言っていても、この日の<変態鉄>、盛にはわずか30分の滞在、13:00発の釜石ゆきに。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(17)盛駅

う〜ん、順当に...というか大関 霧島の優勝で幕を下ろした今年の大相撲。“若手の台頭”と言われつつも、抜け出すのが誰もいない状況というのが、ずっと続いており。2024年はどうなっていくのだろうか。
そして、こちらも...。イクイノックスは圧倒的な速さを見せつけて。

既に、2023年も9割が過ぎており、まもなく12月になって。一気に正月である。毎年のように忙しいのだが、でも、何とかこの時期に撮りに行きたいところもあって。今年は自分の身の回りにもいろいろあったが、カメラを触る回数が異例な水準で少なかった。

あれほど撮りたかった、小湊沿線の銀杏も断念して。
でも、近々、小湊キハは撮りに行く時間を見つけたいと思っている。気になっているポイントもいくつか。

さぁ、引き続き、10月の東北の旅の話題。雨の盛駅に到着すると、目の前を黒いホキ車を連ねた貨物列車が通過して...
そう、この盛駅には三陸鉄道、JRの他、岩手開発鉄道も通っていて。

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【2023年10月25日12時55分】 岩手開発鉄道・盛駅

貨物列車のダイヤを調べてから訪れたかった気もするが、でも、幸い、盛駅構内には留置されている紺色のディーゼル機関車と数量のホキ車の姿があって。岩手開発鉄道の車両をこの目で見るのは初めてのことである。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(16)三陸鉄道 南リアス線

鉄道の路線名というのは複雑で。法令上のものと旅客案内上、一般に定着しているものが全く異なるというケースは数多い。
例えば、山手線は「丸い」訳では無い。“本当の”山手線というのは、品川 〜 池袋 〜 田端の20 kmあまりの路線である。品川 〜 東京は東海道本線、東京 〜 田端は東北本線の一部...という扱いになり。

三陸鉄道も複雑で。長らく「北リアス線」(久慈 〜 宮古)と「南リアス線」(釜石 〜 盛)で中央の宮古・釜石間がJR山田線の一部だった。あの震災までは...

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【2023年10月25日11時30分】 三陸鉄道リアス線・釜石駅

津波で甚大な被害を受け、長期に渡って運休していた山田線の宮古 〜 釜石間が復旧に際して三陸鉄道に移管され。
その、宮古 〜 釜石間が2019年に「三陸鉄道リアス線」となる。

現在は、旅客案内上は全線を...久慈 〜 盛間、163 kmを「リアス線」というのだが、書類上の路線名は「北リアス線」「リアス線」「南リアス線」に分かれており。

...と、いってもJR山田線時代から臨時列車を中心に直通運転は行われており、現在でも完全に運転系統が別れているということもなく...。
ということで、拙ブログでも全線を「リアス線」と称する慣例に従っている。

その「北リアス線」は10年ほど前に完乗しており。そう、まだ接続するJR八戸線がキハ40系だった頃である。
今度は「南リアス線」区間から...

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(15)快速「はまゆり1号」

いつの間にかJRグループからは「(普通)急行列車」という種別は定期列車からは無くなっていたようで。
急行列車は「準急行」「急行」「特別急行」に分かれており、それぞれに準急料金、急行料金、特急料金の設定があった。昭和40年代、準急を100 km以内の列車に限定して、ほかは急行格上げ、残った準急も急行と料金を一本化して事実上、消滅したのだった。

<変態鉄>が生まれたときには国鉄線上に「準急」は無く。
でも、<変態鉄>が全国を彷徨いた学生時代には、特急に押されながらも夜行を中心に急行列車も残っていた。ただ、「急行型」に相応しい車両というのは国鉄末期からごく一部の例外以外は製造されておらず、急行型車両の老朽化については、特急格上げか、快速格下げで対応していた。
2000年代に入る頃には「急行」自体が風前の灯になっていて。

そんな中、JRが急行列車用の車両を新製したというケースが。

90年代、急行列車の中で早くに置き換えられたのが、急行「陸中」号だった。

県都・盛岡と三陸海岸の製鉄の街・釜石を結ぶ列車は、ビジネス利用なども見込める列車として急行として残されていたことは容易に想像できる訳で。

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【2023年10月25日8時28分】 東北本線・盛岡駅

非電化区間の急行といえば、キハ58系なのが当たり前だった時に、JR型のキハ110系に置き換わったのだから...
<変態鉄>としては残念だったのだ。でも、その急行「陸中」号も快速列車に格下げされ。現在は快速「はまゆり」として運転されている。
外観はローカル列車として走るキハ110系そのものであっても、車内は回転リクライニングシートが並んでいて。

快速にはなっても、いまも国鉄時代からの急行列車の姿を色濃く残して走っている列車かもしれない。
盛岡駅 8:40発の「はまゆり1号」で釜石に向かったのだった。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(14)IGRいわて銀河鉄道

いつも書いているが、<変態鉄>も実態はサラリーマン。ちなみに、仕事は鉄道とは全く関係ない。あくまで趣味なのである。
自分がいまの業界に入って間もない頃だったと思うが、先輩社員に言われた話だったかと思う。

「壁に標語とか注意書きとか、たくさん掲示してある職場は、ヤバい(→ 悪い意味で...)ところ」

と。確かにコレは「そうだなぁ」と思う記憶が...。
外部(顧客)からは「熱心な良い人」と見られていた、そこの責任者が、社内では拘りが強すぎて周囲の社員を萎縮させるような感じだったり...
アレコレ、思い出されることがあって。

10月の東北の旅、実は、一番緊張していたのは、盛岡で2泊する予定だった旅館だった。

インバウンドも含めて需要が戻ってきて、でも、人手不足が深刻で...ホテル業界も大変な局面に来ているようで、つまり、宿泊費もコロナ前よりも確実に上がっているのである。そんな中、盛岡駅から徒歩5分のところに2泊で9,000円ほどの旅館が。

コレは「大当たり」か「大外れ」か...
今度のジャパンカップで菜七子ちゃんに全てを賭けるくらい(※ 賭けません)、リスクが大きいパターンである。
せめて、イ※イ※ックスに?? やはり、2泊ならゆったりできるようなホテルにしておくべきだったか...

家族経営の小さな旅館、駅の北口を出て不来方橋を渡ってすぐ。看板がなければ分からないフツーの民家、1階が住居で2階に客室があって。
壁にはアレコレ注意書きが貼ってあって、一瞬、「ダメか??」と思ったが、でも、女将さんも非常に親切な方で部屋もキレイ、快適に過ごせたのだった。

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【2023年10月24日15時11分】 IGRいわて銀河鉄道線・盛岡駅

ということで、盛岡駅に到着して。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(13)秋田新幹線「こまち28号」

国鉄が分割民営化されたのが1987年(昭和62年)、「国鉄を知らない子どもたち」も既にアラフォー世代になっているわけで。
自分はかろうじて“国鉄”を知っている世代だが。それでも、記憶に残っているのは浅草橋駅が放火された...とか「ストばかりして揉めているところ」という、何だか怖いところという印象くらいか。

クリーム色の車体に赤のライン...485系を筆頭に「国鉄特急形」も、伯備線の381系を最後に、まもなく姿を消すことになっており。

「特急列車の旅」というのも...
この日の朝、「つがる1号」に乗ったのが、かなり久しぶりのことだったような。在来線特急で旅することが少なくなっており、さらに“特急列車”と通勤ライナー...有料の着席サービスのある通勤列車というのとの差がなくなってきており、そういう意味では「ミニ新幹線」の在来線区間というのは、ある意味、古き良き特急列車の旅というものを残している存在かもしれない...と、そんなことを思いながら盛岡に向かったのだった。

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【2023年10月24日14時59分】 東北新幹線・盛岡駅

角館駅からは、13:50発の「こまち28号」。本来は全車指定席だが、盛岡 〜 秋田間では座席指定のない特急券(立席特急券)を買っておけば、空いている席を利用して良いことになっており。やはり、自分以外にもそういった利用が多いように感じたのだった。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(12)角館まで

8月の大雨で一部区間が運転見合せになっていた小湊鐵道、新聞報道はあったが、ようやく昨日、公式サイトにも情報が掲載され。
行楽客で賑わう土休日だけ列車を運転し、平日は引き続き運休して工事を行う...というところに、もはや「地域の足」とはいえない、観光路線であるということを改めて認識してしまった、天邪鬼な<変態鉄>である。

それでも、月崎から先の区間、ぜひ乗って撮って...。年内にあと1〜2回、小湊キハを撮りに行きたいと思っている。

さて、引き続き、10月の東北の話題。秋田内陸縦貫鉄道は、鷹巣から角館までの約94 kmの長大路線、ほぼ全区間が山間部を通っており。
北は阿仁合線として60年前に開業、南は角館線として1970年代に開業、そして、長いトンネルを挟む中央部は、3セク転換後、平成に入ってから漸く開業し、全線が繋がったのだった。

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【2023年10月24日11時18分】 秋田内陸縦貫鉄道・阿仁合駅

阿仁合駅まで乗ってきた車両は入庫、ホームには唯一“オリジナルカラー”のAN-8804号車の姿。

さぁ、いよいよ風光明媚な区間に...、でも...

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(11)阿仁合駅

日本列島の形から考えても、国鉄のローカル線というのは、既に幹線のルート上にある2つの駅を、山を越えて結ぶ...というところが大半。
その途中に大きな街があれば、まず、片方の端からそこまでの区間が開通し。
たいていは、両端から着手され、中間部の山を越える区間が最後まで残ってしまいがちで。そう、山越えになるので土木技術の面からも一番の難所、さらに、人・モノの流れというのは、まさに河川の“分水嶺”と一致しているケースが多く。もともと需要の一番小さい区間でもあって。

千葉のローカル線だってそう。内房・外房の街から、房総半島を横断して、内陸部の城下町、大多喜と久留里を結ぶルートになる予定だったのが「木原線」、内房線・“木”更津と外房線・大“原”である。東西両方から線路が敷かれ、大原から大多喜の中心部を経て大多喜町の一番奥にある上総中野まで、木更津から久留里の城下を経て上総亀山まで...、それぞれ、大多喜町と君津市の内陸にあたる一番奥の町外れの駅で止まったまま。
大正から昭和初期にかけて、そこまで来たら、あとの最後の区間は本気では敷設工事をしていなかったような...、具体的な資料も未成線区間の痕跡もあまり残っていないそうで。まぁ、房総の場合は私鉄の小湊鐵道線が開業して、木更津が五井に変わっても“房総横断”は実現したのが珍しいわけだが。

国鉄時代の鉄道敷設法の資料には「※※より※※を経て※※に至る路線」という書き方をされるのだが、中央部が抜けたまま姿を消していったローカル線は数え切れず。

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【2023年10月24日10時08分】 秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線・鷹巣駅

この秋田内陸縦貫鉄道も同じような面があって。
阿仁川と桧木内川に沿って、文字通り、秋田県内陸部を南北に縦断する路線である。沿線は車窓風景が素晴らしく...逆に言えば、人口希薄な山間部に路線が敷かれており。

まずは、その「内陸北線」、旧国鉄阿仁合線の区間から。

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