「当たり前の日常」が「貴重な記録」に!?(94年:上野駅・常磐線など) [アナログ写真保管庫]
一眼レフに望遠ズーム...とはいえ廉価版の機材、
これに量販店でまとめ買いしたISO400くらいのネガフィルム、
いま思えば「お子ちゃま装備」だが、当時はイッパシの鉄道カメラマン気取り。
特に予定のない休日ともなれば、カメラを持って撮り歩いた。
いわゆる「ネタ」と呼ばれる臨時など珍しい列車を狙って撮るわけでもなく、
近場で、やって来た列車を撮っているだけでも十分楽しかった。
都区部の南西側で暮らしていた自分にとって、上野や常磐線界隈は縁の薄いエリア。
古いネガをスキャナで取り込んでみると、1994年5月頃に上野と南千住で1日を過ごしたみたい。
…… ……
もちろん、新幹線は走っていたが、上野駅の地平ホームに行けば多彩な特急列車を
見ることができた。金沢から北陸・信越本線回りでやって来た「白山」号。
まだ、ボンネット489系が、形式「9」の役目をしっかり果たしていた時代。
隣のホームにチラッと見えているのは希少車、長野所属の489系だ...
なんて気付いたのは撮って20年近く経ってから。
当時のカメラ小僧(= 自分)には「また“あさま”かぁ~」位の認識。
なかなか乗る機会のない、常磐線で南千住へ。
「ロケハン」なんて表現するのも恥ずかしいが、窓から見ていて
ホーム端から上下列車を撮れそうと考えて降りてみたに過ぎない。
完全に、行き当たりばったり。
少し待つと、「スーパーひたち」がやって来た。当時は常磐線の不動のエース。
“タキシード・ボディ”と評された真っ白な車体に、まだ珍しかったLED表示が
輝いていた。
こんなのにも、ちゃんとカメラを向けていた。
415系鋼製車、当時は何も珍しくなかったのだが...
続いて、快速・取手ゆき。103系通勤形電車なんて、それこそ誰も注目しない存在。
でも、前面貫通スタイルは地下鉄千代田線直通仕様として製造の少数派。
すでに、地上運用に転用済みで、エメラルドグリーン塗り潰し。
これは、当時の<ガキ鉄>でも、シャッターボタンを押す手に力が入る1両。
クハ415-1901は、2階建て電車の試作版として、たった1両だけ製造の希少車。
グリーン車ではなく普通車だったのも、いまの感覚とは違う?
ちなみに、国鉄時代から東海道・横須賀方面の普通電車にはグリーン車が
組み込まれたが、上野からの東北・高崎・常磐系統の普通列車にはグリーン車を
入れないのが“常識”だった。
当時から、ボンネットの特急は特にお気に入りだった。
「厚化粧」という言葉がピッタリな白い新塗装の485系「ひたち」号。
もちろん、651系「スーパーひたち」も頻繁にやってきた。
…… ……
このまま、松戸駅に移動したみたい。どこかの政治家ではないが、全く記憶にない。
新京成線をJRのホームからスナップ。いまでも乗ったことのない路線。
でも、来た列車には、とりあえずカメラを向けていた。
出発していく電車は、常磐緩行・千代田線直通の203系。
当時、乃木坂に住んでいたので、飽きるほど乗っていた電車だが、
地下鉄で見る姿とは違って見えた。
そう、ちょうど学生時代の同級生の私服姿みたいなもの。
制服のときとは別人みたいなヤツは結構多かった。
…… ……
夕方、上野駅に戻った。
当時は「北斗星」も3往復運転だっただろうか。
ストロボを使っているのは「若気の至り」ということで...
EF81電気機関車を撮ったのだが、左の方に湘南色の115系が写っている。
金帯の24系は、あまり好きではなかったが、とりあえず。
この姿もいつまで見られるのか。
最後は「新特急・草津」。Lマーク入りのトレインマーク、
それより、新幹線リレー号塗装の185系も懐かしい。
…… ……
大学を出て、社会人になって...
例えば「北斗星を噴火湾沿いで撮りたい!!」と、その気になれば、
千歳までのヒコーキと、室蘭あたりのホテルをネットで“ポチッ”とできる
身分になった。当時のように、駅ホームで窮屈な構図で撮らなくても良くなったし、
車両のことも運転情報も膨大な情報を容易に手に入れられるようにはなった。
いまでは、こんな撮り方をするなんて考えられない。
でも、夢中になってカメラを構えていた頃、何か最近、妙に懐かしく思うのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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これに量販店でまとめ買いしたISO400くらいのネガフィルム、
いま思えば「お子ちゃま装備」だが、当時はイッパシの鉄道カメラマン気取り。
特に予定のない休日ともなれば、カメラを持って撮り歩いた。
いわゆる「ネタ」と呼ばれる臨時など珍しい列車を狙って撮るわけでもなく、
近場で、やって来た列車を撮っているだけでも十分楽しかった。
都区部の南西側で暮らしていた自分にとって、上野や常磐線界隈は縁の薄いエリア。
古いネガをスキャナで取り込んでみると、1994年5月頃に上野と南千住で1日を過ごしたみたい。
…… ……
もちろん、新幹線は走っていたが、上野駅の地平ホームに行けば多彩な特急列車を
見ることができた。金沢から北陸・信越本線回りでやって来た「白山」号。
まだ、ボンネット489系が、形式「9」の役目をしっかり果たしていた時代。
隣のホームにチラッと見えているのは希少車、長野所属の489系だ...
なんて気付いたのは撮って20年近く経ってから。
当時のカメラ小僧(= 自分)には「また“あさま”かぁ~」位の認識。
なかなか乗る機会のない、常磐線で南千住へ。
「ロケハン」なんて表現するのも恥ずかしいが、窓から見ていて
ホーム端から上下列車を撮れそうと考えて降りてみたに過ぎない。
完全に、行き当たりばったり。
少し待つと、「スーパーひたち」がやって来た。当時は常磐線の不動のエース。
“タキシード・ボディ”と評された真っ白な車体に、まだ珍しかったLED表示が
輝いていた。
こんなのにも、ちゃんとカメラを向けていた。
415系鋼製車、当時は何も珍しくなかったのだが...
続いて、快速・取手ゆき。103系通勤形電車なんて、それこそ誰も注目しない存在。
でも、前面貫通スタイルは地下鉄千代田線直通仕様として製造の少数派。
すでに、地上運用に転用済みで、エメラルドグリーン塗り潰し。
これは、当時の<ガキ鉄>でも、シャッターボタンを押す手に力が入る1両。
クハ415-1901は、2階建て電車の試作版として、たった1両だけ製造の希少車。
グリーン車ではなく普通車だったのも、いまの感覚とは違う?
ちなみに、国鉄時代から東海道・横須賀方面の普通電車にはグリーン車が
組み込まれたが、上野からの東北・高崎・常磐系統の普通列車にはグリーン車を
入れないのが“常識”だった。
当時から、ボンネットの特急は特にお気に入りだった。
「厚化粧」という言葉がピッタリな白い新塗装の485系「ひたち」号。
もちろん、651系「スーパーひたち」も頻繁にやってきた。
…… ……
このまま、松戸駅に移動したみたい。どこかの政治家ではないが、全く記憶にない。
新京成線をJRのホームからスナップ。いまでも乗ったことのない路線。
でも、来た列車には、とりあえずカメラを向けていた。
出発していく電車は、常磐緩行・千代田線直通の203系。
当時、乃木坂に住んでいたので、飽きるほど乗っていた電車だが、
地下鉄で見る姿とは違って見えた。
そう、ちょうど学生時代の同級生の私服姿みたいなもの。
制服のときとは別人みたいなヤツは結構多かった。
…… ……
夕方、上野駅に戻った。
当時は「北斗星」も3往復運転だっただろうか。
ストロボを使っているのは「若気の至り」ということで...
EF81電気機関車を撮ったのだが、左の方に湘南色の115系が写っている。
金帯の24系は、あまり好きではなかったが、とりあえず。
この姿もいつまで見られるのか。
最後は「新特急・草津」。Lマーク入りのトレインマーク、
それより、新幹線リレー号塗装の185系も懐かしい。
…… ……
大学を出て、社会人になって...
例えば「北斗星を噴火湾沿いで撮りたい!!」と、その気になれば、
千歳までのヒコーキと、室蘭あたりのホテルをネットで“ポチッ”とできる
身分になった。当時のように、駅ホームで窮屈な構図で撮らなくても良くなったし、
車両のことも運転情報も膨大な情報を容易に手に入れられるようにはなった。
いまでは、こんな撮り方をするなんて考えられない。
でも、夢中になってカメラを構えていた頃、何か最近、妙に懐かしく思うのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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うわーー!
とても懐かしいショットがたくさんありますね。
この頃も往時よりは優等列車のラインナップが減ったとはいえ、現在よりは活気がありましたね。
by とーる (2012-12-02 11:50)
常磐線の不動のエース「スーパーひたち」、東京へ行く際はいつも利用しています^^;
by まー坊 (2012-12-02 17:32)
コメントありがとうございます。
☆ とーるさん
そうですね。分割民営からは数年が経過したこの時期、JR初期の意欲的な新型特急が各地に出そろうと同時に、国鉄型に対しては積極的に「地域塗装」の採用、車内アコモ改善が急速に進んでいた時期でした。
いま、見直してみると、いろいろと面白い列車が残っていました。
☆ まー坊さん
真っ白な車体で驚かせた、「スーパーひたち」の651系も引退の日が近づいているようです。あの3月11日以来、「仙台ゆきのスーパーひたち」を見ることはできなくなり、651系も常磐線復旧を待つことなく、引退となることになりそうです。自分は仙台-上野を一度だけ乗り通しましたが、
1日も早く、再び常磐線経由で上野-仙台を直通できる日が来るのを願っております。
by あるまーき (2012-12-02 21:26)
31年前に東室蘭駅から上野を目指して列車に乗りました。当時は青函トンネルも北斗星も無く、青函連絡船と3段ベットの夜行列車でした。上野から山手線で池袋、そして西武秩父線で就職先に向いました。飛行機で
行っても良かったんですが、どうしても夜行列車で上野に着きたかったんです。
by johncomeback (2012-12-02 21:51)
johncomebackさん
コメントありがとうございます。
31年前というと、自分は幼稚園に入った頃だったかと思います。自分は父方の田舎が富山で、まだ、上越新幹線がなかった時代、三段寝台の「北陸」、富山まで6時間以上かかる昼行特急「白山」で富山に行ったのが懐かしいです。長距離列車で上野の地平ホームに到着するときの味わいは、東京駅や新宿駅にはないものだと思います。
by あるまーき (2012-12-02 22:13)
在来線が、現在(2012年)よりも
まだまだ本数があって活気があったころの
御写真ですね (^_-)
こうした昔の御写真は、貴重な資料ですよ (*^_^*)
by たじまーる (2012-12-03 23:47)
たじまーるさん
こちらにもコメントありがとうございます。
仰るとおり、こんな下手な写真でもいま見直すと貴重なシーンなんですよね。この当時は、「特別な列車を撮りたい」ではなく、やってくるものは全部撮っていたような状態でしたから、「普段着の列車たち」が記録されており、いま見直すと余計懐かしく感じられます。この時期のネガはまだまだありますので、近々ご紹介したいと思います。
by あるまーき (2012-12-03 23:57)
私も昔は
AE-1Pと標準ズーム(35~70)と、
シグマだかタムロンの70~210のレンズ、
他にアルミバックと、
今思うと重装備で、駅構内をウロウロしていました。
今はすっかりと軽装ですが・・・
by ミスター仙台 (2012-12-04 10:34)
ミスター仙台さん
こんにちは。コメントありがとうございます。
自分も似たような感じでした。EOSと標準ズーム(35-70)、望遠(80-200)、あとストロボと三脚、これを「銀箱」なんて言われるジュラルミンケースで...、重かったです。でも、いまより動き回っていました。
懐かしいです。
by あるまーき (2012-12-04 10:39)