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小湊鐵道 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「サロベツ」編(2)
自分がいつも見ている天気予報サイト、最近は「10日間予報」ではなく「2週間予報」になっていて。
“出撃”の日が、遠くであってもその範囲に入ってくるときになれば、気になってしまうモノで。流石に、2週間先の天気をピンポイントで当てることは現在の技術でも厳しいのは当然、だいたい、ジンクスのようなもので、最初に「2週間予報」で見てオレンジ色の太陽のマークだったときは、数日までに青い傘のマークに、また、逆も然り...な気がするのである。
実は、日曜は“出撃”、朝一番のヒコーキで出発する超強行日程なのである。まぁ、自分にとっては慣れた物だが。
今度の日曜、その“出撃先”の天気も、ついこの前まで天気予報は「晴れ 35℃」と、コレはコレで恐ろしい予報になっていたのだが...
数日前から青い傘のマークが付いてしまった。まぁ、それほど降水量が多くなる予報ではないので、傘を持っていけば良い...という程度。撮影会なので、順光、逆光を気にせずに撮れる分、影落ちにイライラしながらの展開よりも、まぁ...一長一短という感じだが、それはそれで良いと思うのだが。
8月、小湊鐵道に急行「サロベツ」を撮りに行ったのは18日の日曜日。仕事の都合で、この日以外はダメそうだったから、雨予報を覚悟の上でこの日にしたのだった。
雨が降ると、一層、蒸し暑さによる不快感が増すので、精神的な面でも撮影には最悪のコンディションだが、それは覚悟の上で。
その分、普段は避けている...つまり、晴れたら逆光という撮影地を回ってみようと思って訪れたのだった。
ただ、総武快速線の電車に乗った頃まではドン曇りだったが、五井に近づくにつれて青空が覗く時間が増え、この日、午後からは晴れ間も見えたのだった。
【2024年8月18日9時50分】 小湊鉄道線・五井-上総村上
まずは、こちらは初めて。
朝、五井駅近くのカーブで「急行1号」を撮ることにしたのだった。
ということで、五井駅でちょっとゆっくりできるだけの時間の余裕ができて。
続きを読む
“出撃”の日が、遠くであってもその範囲に入ってくるときになれば、気になってしまうモノで。流石に、2週間先の天気をピンポイントで当てることは現在の技術でも厳しいのは当然、だいたい、ジンクスのようなもので、最初に「2週間予報」で見てオレンジ色の太陽のマークだったときは、数日までに青い傘のマークに、また、逆も然り...な気がするのである。
実は、日曜は“出撃”、朝一番のヒコーキで出発する超強行日程なのである。まぁ、自分にとっては慣れた物だが。
今度の日曜、その“出撃先”の天気も、ついこの前まで天気予報は「晴れ 35℃」と、コレはコレで恐ろしい予報になっていたのだが...
数日前から青い傘のマークが付いてしまった。まぁ、それほど降水量が多くなる予報ではないので、傘を持っていけば良い...という程度。撮影会なので、順光、逆光を気にせずに撮れる分、影落ちにイライラしながらの展開よりも、まぁ...一長一短という感じだが、それはそれで良いと思うのだが。
8月、小湊鐵道に急行「サロベツ」を撮りに行ったのは18日の日曜日。仕事の都合で、この日以外はダメそうだったから、雨予報を覚悟の上でこの日にしたのだった。
雨が降ると、一層、蒸し暑さによる不快感が増すので、精神的な面でも撮影には最悪のコンディションだが、それは覚悟の上で。
その分、普段は避けている...つまり、晴れたら逆光という撮影地を回ってみようと思って訪れたのだった。
ただ、総武快速線の電車に乗った頃まではドン曇りだったが、五井に近づくにつれて青空が覗く時間が増え、この日、午後からは晴れ間も見えたのだった。
【2024年8月18日9時50分】 小湊鉄道線・五井-上総村上
まずは、こちらは初めて。
朝、五井駅近くのカーブで「急行1号」を撮ることにしたのだった。
ということで、五井駅でちょっとゆっくりできるだけの時間の余裕ができて。
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小湊鐵道 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「サロベツ」編(1)
まだ、X(旧twitter)上の未確認情報ではあるものの、また、1両、国鉄型キハが運行を終了する予定なのだとか。
DMH17系エンジンを積んで登場したグループは、昭和40年代に入った頃までの製造、既に60年が過ぎようとしている訳で、ここまで走ってくれたこと、それを撮ることができたことに感謝するしかないのだが、それでもやはり、これまで親しんだ車輌が現役を終えると聞くと寂しいのが<鉄>というもので。
そして、新たな情報も。
「房総里山トロッコ」の牽引機故障のため急遽、誕生した小湊鐵道「観光急行」、なぜか、当初予定よりも2ヶ月程度、運転期間が延長されるようで。
秋の景色の中でキハ40形急行の勇姿を撮れる可能性が高まっていると言うこと。<変態鉄>の勝手な予想では、10月頃から再び2両編成での運転が増えるという可能性があると(勝手に)予想している。
まぁ、ハズレる可能性が高そうな予想ではあるので、詳細は省くことにするが...。
それにしても、この「観光急行」、来シーズン以降も続けて欲しいと願っている<変態鉄>である。例えば、「トロッコ」が運休になる冬場の閑散期に特別なヘッドマークを掲出することで<鉄>を集める...とか、真夏の7, 8月はオープン客車より冷房の効いたキハ...とか。
確かに、今までマッタリ、ゆったり撮れることが多かった小湊沿線がちょっと騒がしくなって撮りづらくなった感はあるが、でも、小湊鐵道の、とりわけ上総牛久以降の山間部の区間、春先の菜の花の時期と秋の養老渓谷の行楽シーズン以外の“閑散期”の需要喚起にも繋がるのではないか...と、そんな余計なことも考えてしまうのである。
さて、宗谷急行シリーズ、第3弾は急行「サロベツ」。この列車、キハ400系で、まさにこのヘッドマークを掲げて走っていた頃に乗車した列車である。
【2024年8月18日9時21分】 小湊鉄道線・五井駅
再び、その勇姿を撮りに。
この日は「曇り一時雨」の予報だった。だから、カメラバッグには防水シートを用意し、
「晴れたら逆光」の撮影地を回るつもりで訪れたのだが...
続きを読む
DMH17系エンジンを積んで登場したグループは、昭和40年代に入った頃までの製造、既に60年が過ぎようとしている訳で、ここまで走ってくれたこと、それを撮ることができたことに感謝するしかないのだが、それでもやはり、これまで親しんだ車輌が現役を終えると聞くと寂しいのが<鉄>というもので。
そして、新たな情報も。
「房総里山トロッコ」の牽引機故障のため急遽、誕生した小湊鐵道「観光急行」、なぜか、当初予定よりも2ヶ月程度、運転期間が延長されるようで。
秋の景色の中でキハ40形急行の勇姿を撮れる可能性が高まっていると言うこと。<変態鉄>の勝手な予想では、10月頃から再び2両編成での運転が増えるという可能性があると(勝手に)予想している。
まぁ、ハズレる可能性が高そうな予想ではあるので、詳細は省くことにするが...。
それにしても、この「観光急行」、来シーズン以降も続けて欲しいと願っている<変態鉄>である。例えば、「トロッコ」が運休になる冬場の閑散期に特別なヘッドマークを掲出することで<鉄>を集める...とか、真夏の7, 8月はオープン客車より冷房の効いたキハ...とか。
確かに、今までマッタリ、ゆったり撮れることが多かった小湊沿線がちょっと騒がしくなって撮りづらくなった感はあるが、でも、小湊鐵道の、とりわけ上総牛久以降の山間部の区間、春先の菜の花の時期と秋の養老渓谷の行楽シーズン以外の“閑散期”の需要喚起にも繋がるのではないか...と、そんな余計なことも考えてしまうのである。
さて、宗谷急行シリーズ、第3弾は急行「サロベツ」。この列車、キハ400系で、まさにこのヘッドマークを掲げて走っていた頃に乗車した列車である。
【2024年8月18日9時21分】 小湊鉄道線・五井駅
再び、その勇姿を撮りに。
この日は「曇り一時雨」の予報だった。だから、カメラバッグには防水シートを用意し、
「晴れたら逆光」の撮影地を回るつもりで訪れたのだが...
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1997年5月 急行「だいせん」号 三田駅発車後「おはよう放送」を
ということで、今日は車内放送のコレクションから。
<変態鉄>が大学生になったのは1996年の春。高校生の時までは夜行快速の自由席の列に早くから並んで、夜行列車の座席で何連泊もしながら全国を回ったが、大学生...というかアルバイト中心の生活になると、サイフにも余裕が出てきて寝台車にも乗れるようになった。
当時、少なくはなっていたが、座席車とB寝台車を併結したスタイルの夜行急行も走っており、その中で山陰本線・福知山線経由で大阪と出雲市を結んでいた急行「だいせん」号には、よくお世話になった。
初めて乗ったのは1997年春のこと。12系のボックス席を廃車発生品のリクライニングシートに交換した3000番台車と14系15形寝台客車の5両というミニ編成で走っていた時代である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
録音日は1997年5月29日と、それだけは記録が残っていた。
上り第706列車「だいせん」号のオハネ15形の車内、早朝、三田駅を発車するとハイケンスのセレナーデのオルゴールが流れて「おはよう放送」が。長距離列車の乗務が多かった米子車掌区の車掌さんによる落ち着いた口調のアナウンスである。
確か...
小野田線に残っていたクモハ42形を撮って、そこから山口線・山陰本線をグルッと回って。出雲市か米子から急行「だいせん」号に乗ったのだった。
写真も旅行メモも残っておらず...、でも、記憶は断片的にではあってもハッキリ残っている部分があって。
【1997年5月】 小野田線・長門本山駅
当時は、先頭のスハネフだと他の乗客がいる可能性が低く、マイクをどこにでも置ける...などとは知る由もなく、2号車のオハネ15形で、他の乗客の話し声が入らないよう、ただただ神頼み。
放送の最後のオルゴールが流れたときには、ヒヤヒヤで汗だくになっていたのを覚えている。
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<変態鉄>が大学生になったのは1996年の春。高校生の時までは夜行快速の自由席の列に早くから並んで、夜行列車の座席で何連泊もしながら全国を回ったが、大学生...というかアルバイト中心の生活になると、サイフにも余裕が出てきて寝台車にも乗れるようになった。
当時、少なくはなっていたが、座席車とB寝台車を併結したスタイルの夜行急行も走っており、その中で山陰本線・福知山線経由で大阪と出雲市を結んでいた急行「だいせん」号には、よくお世話になった。
初めて乗ったのは1997年春のこと。12系のボックス席を廃車発生品のリクライニングシートに交換した3000番台車と14系15形寝台客車の5両というミニ編成で走っていた時代である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
録音日は1997年5月29日と、それだけは記録が残っていた。
上り第706列車「だいせん」号のオハネ15形の車内、早朝、三田駅を発車するとハイケンスのセレナーデのオルゴールが流れて「おはよう放送」が。長距離列車の乗務が多かった米子車掌区の車掌さんによる落ち着いた口調のアナウンスである。
確か...
小野田線に残っていたクモハ42形を撮って、そこから山口線・山陰本線をグルッと回って。出雲市か米子から急行「だいせん」号に乗ったのだった。
写真も旅行メモも残っておらず...、でも、記憶は断片的にではあってもハッキリ残っている部分があって。
【1997年5月】 小野田線・長門本山駅
当時は、先頭のスハネフだと他の乗客がいる可能性が低く、マイクをどこにでも置ける...などとは知る由もなく、2号車のオハネ15形で、他の乗客の話し声が入らないよう、ただただ神頼み。
放送の最後のオルゴールが流れたときには、ヒヤヒヤで汗だくになっていたのを覚えている。
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小湊鐵道 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「利尻」編(3=最終回)
国鉄がJRになったのが、自分が小学生の頃。「国鉄」の記憶はあるが写真を撮るようになったのは、それからしばらくしてからで。
そんな小学生が、いまや“アラフィフ”のオッサンになったわけだからJRの歴史というのも長く。「国鉄」が公社...日本国有鉄道になったのは戦後のことだから、そのJNRの歴史は40年ほど、すでにJRも同じくらいになっているのである。
だから、分割民営化の後に導入された車輌が引退を迎えているのも自然な流れと言えば自然で。
先日、五井駅のポスターを見て「ふぅ~ん!!」という感じだったが、“Boso View Express”として華々しくデビューした255系も、一日限定の「ビューさざなみ」「ビューわかしお」号として復活運転を行ったそうで。
でも、そのあたりの撮影記は、立派な<鉄>の皆さんのブログに任せることとして、<変態鉄>は自分と同世代、1979年(昭和54年)に富士重工宇都宮で製造されたキハ40形の観光急行の話題を。
【2020年5月27日8時27分】 京葉線・蘇我駅
市原市内中心部に位置する五井~上総牛久の区間は列車本数は多い割に開けた場所は限られてしまい、逆に、上総牛久~上総中野は、まさに“里山”の風景が広がるが、その分、列車本数が少なくて。
そんな中、<変態鉄>が最も頻繁に訪れる、小湊鐵道沿線の撮影地というのが「久保4号踏切」であるように思う。
一面の田んぼの中、まっすぐ伸びるレール。撮り方も自由度が高く、困ったらだいたいココ。
ただ、最近は線路際の除草が全然行われなくなっているようで、踏切カブリツキから撮るしか無くなっており。集まる<鉄>の数も減ってきているようで。
その分、上総川間と上総鶴舞が混雑しているのだろうか??
それでも、<徒歩鉄>は、そんなことは言っていられない。高滝駅で降りた以上、「急行3号」は久保4号踏切周辺で撮るほかに無くて。
この踏切、高滝側にはすぐ先に高架の圏央道が通っており、それを避けるなら、上総久保方を向いて、下り列車を狙うしかないと思っていたのだが...
キハ単行なら高滝側もちゃんと撮れる...と気づいたのが、この日の発見だった。
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そんな小学生が、いまや“アラフィフ”のオッサンになったわけだからJRの歴史というのも長く。「国鉄」が公社...日本国有鉄道になったのは戦後のことだから、そのJNRの歴史は40年ほど、すでにJRも同じくらいになっているのである。
だから、分割民営化の後に導入された車輌が引退を迎えているのも自然な流れと言えば自然で。
先日、五井駅のポスターを見て「ふぅ~ん!!」という感じだったが、“Boso View Express”として華々しくデビューした255系も、一日限定の「ビューさざなみ」「ビューわかしお」号として復活運転を行ったそうで。
でも、そのあたりの撮影記は、立派な<鉄>の皆さんのブログに任せることとして、<変態鉄>は自分と同世代、1979年(昭和54年)に富士重工宇都宮で製造されたキハ40形の観光急行の話題を。
【2020年5月27日8時27分】 京葉線・蘇我駅
市原市内中心部に位置する五井~上総牛久の区間は列車本数は多い割に開けた場所は限られてしまい、逆に、上総牛久~上総中野は、まさに“里山”の風景が広がるが、その分、列車本数が少なくて。
そんな中、<変態鉄>が最も頻繁に訪れる、小湊鐵道沿線の撮影地というのが「久保4号踏切」であるように思う。
一面の田んぼの中、まっすぐ伸びるレール。撮り方も自由度が高く、困ったらだいたいココ。
ただ、最近は線路際の除草が全然行われなくなっているようで、踏切カブリツキから撮るしか無くなっており。集まる<鉄>の数も減ってきているようで。
その分、上総川間と上総鶴舞が混雑しているのだろうか??
それでも、<徒歩鉄>は、そんなことは言っていられない。高滝駅で降りた以上、「急行3号」は久保4号踏切周辺で撮るほかに無くて。
この踏切、高滝側にはすぐ先に高架の圏央道が通っており、それを避けるなら、上総久保方を向いて、下り列車を狙うしかないと思っていたのだが...
キハ単行なら高滝側もちゃんと撮れる...と気づいたのが、この日の発見だった。
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小湊鐵道 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「利尻」編(2)
今春、「房総里山トロッコ」号の先頭に立つ機関車、DB4号機に不具合が見つかり。
急遽、設定されたのがキハ40形を使った「観光急行」列車。当初は「かずさ」のヘッドマークを掲出して運転していたが、夏を前に宗谷本線を走った急行列車のヘッドマークが掲出されるようになり。
北海道ではキハ40形を急行化改造した車輌をキハ400形として使っていたわけで、そういう意味ではキハ40形に宗谷本線急行のマークは合わないということは決して無く。
それにしても、キハ40形の急行列車自体が急に決まったことだったはずなのに、ごく短期間のうちにJR北海道とのコラボイベントを準備した小湊の営業担当者もスゴいなぁ...と余計なところに感心していた<変態鉄>だったわけだが、月替わりのヘッドマークとなれば、毎月、通って集めたくなるわけで。
最近は小湊鐵道を訪れるのは日曜日が多くなっているわけである。いまのところ、10月からは「房総里山トロッコ」号が復帰することになっていて、それはそれで楽しみではあるのだが、この「観光急行」、今年だけに終わらせずに、今後も継続して欲しいと願っている<変態鉄>なのである。
7月のヘッドマークは急行「利尻」号、ちょうど自分が学生で、夜行列車を乗り継ぎながら全国を旅していた頃、宗谷本線を走っていたのがキハ400形「利尻」だった。
ディーゼル動車の真ん中に14系寝台車を連結するという独特のスタイル、2000年台初めの北海道の標準的な夜行列車だった。
ということで、掲出最終日となる7月28日に訪れたのだが...
【2024年7月28日13時29分】 小湊鉄道線・上総久保-高滝
最初の海士有木駅近くのカーブでは、イージーな構図でまさかの“撃沈”、足取りも気分も重たいまま、いったん五井駅に引き上げたのだった。
続きを読む
急遽、設定されたのがキハ40形を使った「観光急行」列車。当初は「かずさ」のヘッドマークを掲出して運転していたが、夏を前に宗谷本線を走った急行列車のヘッドマークが掲出されるようになり。
北海道ではキハ40形を急行化改造した車輌をキハ400形として使っていたわけで、そういう意味ではキハ40形に宗谷本線急行のマークは合わないということは決して無く。
それにしても、キハ40形の急行列車自体が急に決まったことだったはずなのに、ごく短期間のうちにJR北海道とのコラボイベントを準備した小湊の営業担当者もスゴいなぁ...と余計なところに感心していた<変態鉄>だったわけだが、月替わりのヘッドマークとなれば、毎月、通って集めたくなるわけで。
最近は小湊鐵道を訪れるのは日曜日が多くなっているわけである。いまのところ、10月からは「房総里山トロッコ」号が復帰することになっていて、それはそれで楽しみではあるのだが、この「観光急行」、今年だけに終わらせずに、今後も継続して欲しいと願っている<変態鉄>なのである。
7月のヘッドマークは急行「利尻」号、ちょうど自分が学生で、夜行列車を乗り継ぎながら全国を旅していた頃、宗谷本線を走っていたのがキハ400形「利尻」だった。
ディーゼル動車の真ん中に14系寝台車を連結するという独特のスタイル、2000年台初めの北海道の標準的な夜行列車だった。
ということで、掲出最終日となる7月28日に訪れたのだが...
【2024年7月28日13時29分】 小湊鉄道線・上総久保-高滝
最初の海士有木駅近くのカーブでは、イージーな構図でまさかの“撃沈”、足取りも気分も重たいまま、いったん五井駅に引き上げたのだった。
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小湊鐵道 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「利尻」編(1)
何だかわかりにくい構成になっており...。別に狙っているわけではなくて、8月末の休みを無駄に自宅で過ごしてしまった関係で、7月に九州に行ってきた後、カメラを持って出かけた先が小湊鐵道だけだということ。
しかも、たぶん今年だけの「観光急行」をキッチリと記録したいという思いが強いので、毎回、同じような場所で同じようなカットを撮るだけになっており。だから、撮影記としても同じような記事ばかりになってしまって。暑いのを避けたいのと五井の「こみなと待合室」の居心地が良いこと、撮影よりも休憩を重視したプランになってしまうことが大きいのかも知れない。
夏場は、やはり市原の酷暑もあってか、日中は冷房の効きが良いキハ40形5両を、2両、2両、1両の編成にして日中の全運用を賄っている日が多いような感じで。もちろん、色違いのキハ40形を撮ることも楽しいのだが、暑さには勝てずに観光急行を撮ったら後続の列車で次の撮影地に移動したり、いったん五井に戻って「こみなと待合室」で涼んでいたり...と、完全に<ダメ鉄>である。
そんな訳で、宗谷本線シリーズの第2弾・急行「利尻」を撮りに行ったのは掲出最終日となる7月28日のこと。
【2024年7月28日9時16分】 小湊鉄道線・五井駅
9時半に五井駅を出る「1号」をどこで撮るか...が、いつも迷うのだが、海士有木駅先で撮っているのをSNS上で見つけて、自分もそこに初挑戦してみようと。ちょっと慌ただしくなるのだが...
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しかも、たぶん今年だけの「観光急行」をキッチリと記録したいという思いが強いので、毎回、同じような場所で同じようなカットを撮るだけになっており。だから、撮影記としても同じような記事ばかりになってしまって。暑いのを避けたいのと五井の「こみなと待合室」の居心地が良いこと、撮影よりも休憩を重視したプランになってしまうことが大きいのかも知れない。
夏場は、やはり市原の酷暑もあってか、日中は冷房の効きが良いキハ40形5両を、2両、2両、1両の編成にして日中の全運用を賄っている日が多いような感じで。もちろん、色違いのキハ40形を撮ることも楽しいのだが、暑さには勝てずに観光急行を撮ったら後続の列車で次の撮影地に移動したり、いったん五井に戻って「こみなと待合室」で涼んでいたり...と、完全に<ダメ鉄>である。
そんな訳で、宗谷本線シリーズの第2弾・急行「利尻」を撮りに行ったのは掲出最終日となる7月28日のこと。
【2024年7月28日9時16分】 小湊鉄道線・五井駅
9時半に五井駅を出る「1号」をどこで撮るか...が、いつも迷うのだが、海士有木駅先で撮っているのをSNS上で見つけて、自分もそこに初挑戦してみようと。ちょっと慌ただしくなるのだが...
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30年前の秋の日に(「緑化フェア梅小路」臨時駅)
ちょっと仕事がマズいことになっており。昨年度、作ったものがそのまま流用できると思っていたら、ありえないくらい酷い出来栄えで。
コレを作り直さないわけにはいかないのだが、そうなると時間が...
そんな訳で、今日は30年前の写真を貼っただけの記事で。
30年前の1994年、<変態鉄>は高校生だった。カメラの腕は今よりも、もっと遥かにダメダメだったのだが、それでも意欲だけはあって。
全国の路面電車を撮り歩いていた時期。このときは、梅小路周辺でのイベントで、いわゆる、N電の保存車が動態復元されたということで、それを撮りたくて京都まで往復したときの話題。1994年11月ということは確実なのだが、たぶん、日曜に訪れているはず。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
その当時、比較的、マジメにメモを付けていた。だから探せば詳細な日時も分かるはずだが、実家の自分の部屋の“発掘作業”を行わないとダメなのである。
ということで、わかったら、そのあたりは後ほど追記したい。
新宿の...、ヨドバシカメラの向かい側が高速バスの発着所だった頃。深夜の新宿から出発する関東バスの「きょうと」号、この頃は、枚方ゆきだっただろうか。京都駅八条口には朝5時台の到着、3列シートでよく眠れたが、確か、定刻より早着してしまって真っ暗な京都駅前で時間を潰すのに苦労した記憶。
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コレを作り直さないわけにはいかないのだが、そうなると時間が...
そんな訳で、今日は30年前の写真を貼っただけの記事で。
30年前の1994年、<変態鉄>は高校生だった。カメラの腕は今よりも、もっと遥かにダメダメだったのだが、それでも意欲だけはあって。
全国の路面電車を撮り歩いていた時期。このときは、梅小路周辺でのイベントで、いわゆる、N電の保存車が動態復元されたということで、それを撮りたくて京都まで往復したときの話題。1994年11月ということは確実なのだが、たぶん、日曜に訪れているはず。
【1994年11月】 京都府京都市下京区・梅小路機関車館(当時)
その当時、比較的、マジメにメモを付けていた。だから探せば詳細な日時も分かるはずだが、実家の自分の部屋の“発掘作業”を行わないとダメなのである。
ということで、わかったら、そのあたりは後ほど追記したい。
新宿の...、ヨドバシカメラの向かい側が高速バスの発着所だった頃。深夜の新宿から出発する関東バスの「きょうと」号、この頃は、枚方ゆきだっただろうか。京都駅八条口には朝5時台の到着、3列シートでよく眠れたが、確か、定刻より早着してしまって真っ暗な京都駅前で時間を潰すのに苦労した記憶。
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少しだけ秋の気配の小湊鐵道へ <速報版>
ここのところ、仕事だ台風だ...で遠出ができていない<変態鉄>。だから...だろうか、拙ブログの<速報版>も三連続で小湊鐵道撮影記になっており。
でも、先日の台風の影響(落石)で里見~上総中野が運休となっており。
(※ 10日に復旧予定との発表あり)
そもそも、6月の大雨で並行する県道が通行止めになったまま。代行バスも、上総大久保から養老渓谷までの1区間に45分かかる設定になっており。
時刻表にも「久留里・亀山湖経由」という、まぁ、ちょっとしたバス旅みたいなルートがしれっと書かれており。妙な形で上総中野~上総亀山~久留里が結ばれてしまうという展開になっており。
普段は「観光急行」に照準を絞って日曜に“出撃”するので、同じようなシーンしか撮っていないが、久々に平日のノンビリした沿線を。
【2024年9月6日14時01分】 小湊鉄道線・上総村上-海士有木
それにしても暑かった。
ただ、時折吹いてくる風と、それから真っ青な空に薄い筋状の雲が広がるのには、少しだけ秋の気配を感じることができたような気がする。
日中は暑くても、朝夕は徐々に過ごしやすくなってきただろうか。
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でも、先日の台風の影響(落石)で里見~上総中野が運休となっており。
(※ 10日に復旧予定との発表あり)
そもそも、6月の大雨で並行する県道が通行止めになったまま。代行バスも、上総大久保から養老渓谷までの1区間に45分かかる設定になっており。
時刻表にも「久留里・亀山湖経由」という、まぁ、ちょっとしたバス旅みたいなルートがしれっと書かれており。妙な形で上総中野~上総亀山~久留里が結ばれてしまうという展開になっており。
普段は「観光急行」に照準を絞って日曜に“出撃”するので、同じようなシーンしか撮っていないが、久々に平日のノンビリした沿線を。
【2024年9月6日14時01分】 小湊鉄道線・上総村上-海士有木
それにしても暑かった。
ただ、時折吹いてくる風と、それから真っ青な空に薄い筋状の雲が広がるのには、少しだけ秋の気配を感じることができたような気がする。
日中は暑くても、朝夕は徐々に過ごしやすくなってきただろうか。
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いま、気になっている車両のこと。(加悦に残るディーゼルカーたち)
あまりボランティアとか社会貢献とか、そういうことに関心がある訳でもない、そんな<変態鉄>。でも、クラウドファンディングのサイトはよく見ていて、気になるプロジェクトは(<鉄>に限らず)、少額ながら支援させてもらうようにしている。
一昨日も、1両の古典蒸機の移設保存のプロジェクトに支援...と言っても鼻で笑われてしまうような金額だが...をさせてもらった次第。
そう、昨日の記事で触れた福知山を訪れるキッカケになった件。加悦SL広場の4号機関車の移設プロジェクトである。
それが、加悦鉄道4号機関車保存会(@Kaya_steam_04)さんによる
加悦鉄道4号蒸気機関車|解体の危機。ポッポの丘で愛される車両へ。
である。(→ こちら)
古典蒸機については...というより、国鉄制形式を含めて蒸気機関車にとことん疎い<変態鉄>、この4号機関車についてはクラファンのページの紹介文を参照していただきたいと願う次第。
この、加悦のSL広場、駅舎、給水塔なども残っていて、非常に素晴らしい保存施設だったが、車両そのものを含めて設備の老朽化や担当職員の高齢化から、維持が困難になったとして2020年に閉園となっており。
現地に残された車両たちについては「1年程度保存先を探した後、解体処分」と報じられ。ただ、既に閉園から4年だが、いまだ解体の情報は無く。
たぶん、関係者のご厚意とご努力で解体を待っていただいている段階なのか...と。
でも、この加悦に残された車両の中で、<変態鉄>が一番気になっている車両は、いまだ“嫁ぎ先”が決まっておらず、いつ重機の餌食になってもおかしくない情勢なのである。
もし、<変態鉄>が大金持ちだったら...、どこかに土地を買って移設したいと思うのだが、残念ながら安月給の会社員にできることなど...
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一昨日も、1両の古典蒸機の移設保存のプロジェクトに支援...と言っても鼻で笑われてしまうような金額だが...をさせてもらった次第。
そう、昨日の記事で触れた福知山を訪れるキッカケになった件。加悦SL広場の4号機関車の移設プロジェクトである。
それが、加悦鉄道4号機関車保存会(@Kaya_steam_04)さんによる
加悦鉄道4号蒸気機関車|解体の危機。ポッポの丘で愛される車両へ。
である。(→ こちら)
古典蒸機については...というより、国鉄制形式を含めて蒸気機関車にとことん疎い<変態鉄>、この4号機関車についてはクラファンのページの紹介文を参照していただきたいと願う次第。
この、加悦のSL広場、駅舎、給水塔なども残っていて、非常に素晴らしい保存施設だったが、車両そのものを含めて設備の老朽化や担当職員の高齢化から、維持が困難になったとして2020年に閉園となっており。
現地に残された車両たちについては「1年程度保存先を探した後、解体処分」と報じられ。ただ、既に閉園から4年だが、いまだ解体の情報は無く。
たぶん、関係者のご厚意とご努力で解体を待っていただいている段階なのか...と。
でも、この加悦に残された車両の中で、<変態鉄>が一番気になっている車両は、いまだ“嫁ぎ先”が決まっておらず、いつ重機の餌食になってもおかしくない情勢なのである。
もし、<変態鉄>が大金持ちだったら...、どこかに土地を買って移設したいと思うのだが、残念ながら安月給の会社員にできることなど...
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今日は車内放送のコレクションから(2000年頃??「北近畿13号」福知山駅到着)
日付変わって9月5日。昨日から仕事に“復帰”している。遅めの夏休みという感じだったが、火曜まで、ちょうど1週間、休みをとっていた。
とは言っても、会社からはアレコレと連絡は来るし、自宅に持ち帰った仕事を進めるのにあたって自宅のインクジェットプリンターでは心許ないので、会社に行って大量に印刷してきたり...
まぁ、休み中だからということで、Tシャツ、短パンで職場に突然、顔を出したりもしていたが(それが全然問題にならない社風なんです)。
でも、そう...
まさに<変態鉄>のお休みの1週間というのは台風10号に翻弄される1週間だったわけで。北海道はおろか近場の房総のキハを撮りに行くことすら叶わなかった。ただただ、自宅で、その持ち帰った仕事をやっつけながら悶々とした気分で過ごしていただけ。
ということで、ブロガーにとって最も恐れる事態が迫っているのである。
そう、ネタ切れ!!!
【2024年7月28日13時29分】 小湊鉄道線・上総久保-高滝
7月と8月の小湊鐵道撮影記が残っているので、それを明日以降、順次、掲載していきたいと思っているが、次の“出撃”まで何とかブログを引っ張りたい...というのが、“毎日更新”だけを取り柄にブログを続けている<変態鉄>の思いなのである。
ただ、そうは言っても...
いつも書いている通り、自分は非常に怠惰な性格で。<鉄>活動の際にメモ帳をポケットに入れておいて、乗った列車のことなどをメモしておく、日付・時刻などを記録しておく...ということを確実に行うようになったのはブログを初めて以降。
いや、学生時代も結構、メモはとっていた。でも、そのメモ自体が整理されておらず、実家の引き出しのどこかに埋もれているはずなのである。
特に車内放送の収集に明け暮れた90年代後半から2000年台に入る頃までの時期は、録音日時も車両も何も記録をとっておらず。
このブログで車内放送ネタを紹介しようにも「日時不明、車両不明」というデータが多すぎるのである。
というわけで、今日は「何も分からない」。日時不明(たぶん2000年前後???)、車番不明の特急「北近畿13号」の車内放送を。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
90年台、まだ国鉄型の車両が特急列車としても多数、残っていた。その車内では放送の前後にオルゴールが演奏され。
ディーゼルだと「アルプスの牧場」、客車だと「ハイケンスのセレナーデ」、そして、電車だと「鉄道唱歌」だった。当時はちょっと食傷気味、他の電子チャイムに換装されたものを狙ったりもしていたが...
それから20年、「アルプスの牧場」は今も小湊キハの車内で聞ける。「ハイケンスのセレナーデ」はSL列車の車内では時折、使われているみたい。何でも、大井川鉄道や東武鉄道でも、鳴らして放送する車掌さんも時折いるのだとか。(どちらも乗ったことはない)
そんなわけで、一番早く現役を退いたのは電車用の「鉄道唱歌」のオルゴールだったのかも知れない。
夜、遅い時間の特急列車の福知山駅到着直前の車内放送、ゼンマイが緩んでスローテンポになっている「鉄道唱歌」が、放送の前後に流れるものをご紹介したい。
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とは言っても、会社からはアレコレと連絡は来るし、自宅に持ち帰った仕事を進めるのにあたって自宅のインクジェットプリンターでは心許ないので、会社に行って大量に印刷してきたり...
まぁ、休み中だからということで、Tシャツ、短パンで職場に突然、顔を出したりもしていたが(それが全然問題にならない社風なんです)。
でも、そう...
まさに<変態鉄>のお休みの1週間というのは台風10号に翻弄される1週間だったわけで。北海道はおろか近場の房総のキハを撮りに行くことすら叶わなかった。ただただ、自宅で、その持ち帰った仕事をやっつけながら悶々とした気分で過ごしていただけ。
ということで、ブロガーにとって最も恐れる事態が迫っているのである。
そう、ネタ切れ!!!
【2024年7月28日13時29分】 小湊鉄道線・上総久保-高滝
7月と8月の小湊鐵道撮影記が残っているので、それを明日以降、順次、掲載していきたいと思っているが、次の“出撃”まで何とかブログを引っ張りたい...というのが、“毎日更新”だけを取り柄にブログを続けている<変態鉄>の思いなのである。
ただ、そうは言っても...
いつも書いている通り、自分は非常に怠惰な性格で。<鉄>活動の際にメモ帳をポケットに入れておいて、乗った列車のことなどをメモしておく、日付・時刻などを記録しておく...ということを確実に行うようになったのはブログを初めて以降。
いや、学生時代も結構、メモはとっていた。でも、そのメモ自体が整理されておらず、実家の引き出しのどこかに埋もれているはずなのである。
特に車内放送の収集に明け暮れた90年代後半から2000年台に入る頃までの時期は、録音日時も車両も何も記録をとっておらず。
このブログで車内放送ネタを紹介しようにも「日時不明、車両不明」というデータが多すぎるのである。
というわけで、今日は「何も分からない」。日時不明(たぶん2000年前後???)、車番不明の特急「北近畿13号」の車内放送を。
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90年台、まだ国鉄型の車両が特急列車としても多数、残っていた。その車内では放送の前後にオルゴールが演奏され。
ディーゼルだと「アルプスの牧場」、客車だと「ハイケンスのセレナーデ」、そして、電車だと「鉄道唱歌」だった。当時はちょっと食傷気味、他の電子チャイムに換装されたものを狙ったりもしていたが...
それから20年、「アルプスの牧場」は今も小湊キハの車内で聞ける。「ハイケンスのセレナーデ」はSL列車の車内では時折、使われているみたい。何でも、大井川鉄道や東武鉄道でも、鳴らして放送する車掌さんも時折いるのだとか。(どちらも乗ったことはない)
そんなわけで、一番早く現役を退いたのは電車用の「鉄道唱歌」のオルゴールだったのかも知れない。
夜、遅い時間の特急列車の福知山駅到着直前の車内放送、ゼンマイが緩んでスローテンポになっている「鉄道唱歌」が、放送の前後に流れるものをご紹介したい。
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