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秋の北東北「鉄印帳」の旅(11)阿仁合駅

日本列島の形から考えても、国鉄のローカル線というのは、既に幹線のルート上にある2つの駅を、山を越えて結ぶ...というところが大半。
その途中に大きな街があれば、まず、片方の端からそこまでの区間が開通し。
たいていは、両端から着手され、中間部の山を越える区間が最後まで残ってしまいがちで。そう、山越えになるので土木技術の面からも一番の難所、さらに、人・モノの流れというのは、まさに河川の“分水嶺”と一致しているケースが多く。もともと需要の一番小さい区間でもあって。

千葉のローカル線だってそう。内房・外房の街から、房総半島を横断して、内陸部の城下町、大多喜と久留里を結ぶルートになる予定だったのが「木原線」、内房線・“木”更津と外房線・大“原”である。東西両方から線路が敷かれ、大原から大多喜の中心部を経て大多喜町の一番奥にある上総中野まで、木更津から久留里の城下を経て上総亀山まで...、それぞれ、大多喜町と君津市の内陸にあたる一番奥の町外れの駅で止まったまま。
大正から昭和初期にかけて、そこまで来たら、あとの最後の区間は本気では敷設工事をしていなかったような...、具体的な資料も未成線区間の痕跡もあまり残っていないそうで。まぁ、房総の場合は私鉄の小湊鐵道線が開業して、木更津が五井に変わっても“房総横断”は実現したのが珍しいわけだが。

国鉄時代の鉄道敷設法の資料には「※※より※※を経て※※に至る路線」という書き方をされるのだが、中央部が抜けたまま姿を消していったローカル線は数え切れず。

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【2023年10月24日10時08分】 秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線・鷹巣駅

この秋田内陸縦貫鉄道も同じような面があって。
阿仁川と桧木内川に沿って、文字通り、秋田県内陸部を南北に縦断する路線である。沿線は車窓風景が素晴らしく...逆に言えば、人口希薄な山間部に路線が敷かれており。

まずは、その「内陸北線」、旧国鉄阿仁合線の区間から。

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