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飛越ゴハチを追った日々 ブログトップ
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43.いよいよ、ゴハチ最後の「おわら臨」初日<後編> [飛越ゴハチを追った日々]

昨日に引き続き、この話題。
いまから、ちょうど3年前。2010年9月は<変態鉄>にとって最も「熱い夏」となった。

毎年9月1~4日まで、高山本線の富山-猪谷間はまさに“特別態勢”での運転。
ゴハチニハチにとって最後のシーズンとなった、2010年「おわら臨」では、
京都支社に残っていた波動用のキハ65(エーデル車)は淘汰後、応援は主に高岡車、
そういう意味では、車種のバラエティは失われてしまっていたが、
それでも、多くの<撮り鉄>が集結する一大イベントには違いなかった。

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42.いよいよ、ゴハチ最後の「おわら臨」初日<前編> [飛越ゴハチを追った日々]

普段は典型的ローカル線の高山本線、この路線が年に3日間だけ、
JR西日本各地から応援のディーゼル車が集結、富山駅では整理券を用いた入場制限まで
実施される日がある。

それが、越中八尾の町で9月1日からはじまる「おわら風の盆」。
夕方になると胡弓の哀愁漂う音色...、小さな町に20万人以上の観光客が訪れる。
自分をはじめ、国鉄型気動車を愛する<鉄>にとっても、1年で最も熱くなるとき。
特に、社会実験終了を半年後に控え、「ゴハチニハチ最後のおわら」、
何としても撮りたい...、例年にも増して、全国から同業者さんも集結した。

ゴハチニハチにとって、最後のシーズンとなった2010年9月の「おわら臨」撮影記。

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番外.いままで、ずっと休んでいたが... [飛越ゴハチを追った日々]

う~ん、昨日のブログで、「体調回復宣言」をしたにもかかわらず...
体調は一進一退のような感じ。仕事はまぁ良いとして、お盆休みに出撃できるのか??

さて、今日は実に久しぶりのこの話題。

拙ブログの初期からシリーズ化してきたつもりだったが...
第41話をアップしたのは今年2月11日、その後は<撮り鉄>遠征が続いたり、
他の記事が重なったりしていて、半年近くの“休載”となってしまった。

「飛越ゴハチを追った日々」

でも、このシリーズ、第42話から再開したい。
再開にあたって、その「飛越ゴハチ」について、かる~くおさらいしてみよう。

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41.最後の「おわら」、その前日は... [飛越ゴハチを追った日々]

最近、仕事が多忙。世間は3連休でも、自分は普段の勤務シフトより5時間も早く出社。
今日は早めに帰ってこられたけれど、明日は12時間勤務が確定している。
出撃したかったんだけど...、フラストレーションだけが溜まっていく。

さて、今日は久々にこのシリーズ。

国鉄の在来線輸送全盛期を支えた、キハ58・28急行型ディーゼルカー、
その仲間の最後の4両が現役を終えたのが、2011年3月。
最後まで残ったのは、増発社会実験が行われていた高山本線の富山-越中八尾間。

普段は通勤・通学輸送の時間帯だけ賑わう典型的なローカル線だが、
年に3日だけ、JR西日本管内のディーゼル車を総動員しての臨時輸送が行われていた。
そう、9月1日から3日まで、八尾の街で行われる「おわら風の盆」。
全国から訪れる見物客輸送のため、この期間は特別体制での運転。

自分が、あれだけ撮り続けたゴハチニハチも、2011年3月の引退が発表されていたから、
2010年の「おわら」はゴハチニハチの晴れ舞台を撮れる最後のチャンス。
その前日、8月31日の朝のヒコーキで富山に降り立った。

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40.夏の千里は緑のカーペットの如く [飛越ゴハチを追った日々]

あぁ~あ、大相撲初場所...
何とか、全勝優勝だけは阻止して欲しいが...

さて、今日は、久しぶりのこのシリーズ。

昭和30年台から40年台にかけて、国鉄の在来線輸送全盛期に
全国を駆け回った急行型ディーゼル車、キハ58・28系--通称ゴハチニハチ。

この1,800両近くに上る仲間の(事実上)最後の4両の活躍の場となったのが
高山本線の富山側、越中八尾-富山での朝晩の通勤通学列車。

旧型のキハが残されたのは富山市が実施主体となった増発社会実験によるもの。
この社会実験も2011年3月までとなっており、
2010年は、飛越ゴハチにとって最後のシーズン。
四季折々の富山平野を走り抜ける、この名車の勇姿を必死になって撮り続けた。

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39.次の日も西富山 [飛越ゴハチを追った日々]

このときは3日連続で「飛越ゴハチ」を追ったのだった。
2008年3月に雪の降る千里のカーブで初撮影にのぞんで以来、39回目。
この2010年シーズンが、これほど撮り続けたキハ58・28気動車にとって、
現役最後の年となることは、すでに発表されていた。
納得できる1枚を残さないと...、周囲も呆れるほどのペースで富山へ通っていた。

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38.マンネリ化対策、奏功せず? [飛越ゴハチを追った日々]

久しぶりに「飛越ゴハチ」の話題。

これほどまで全国で<撮り鉄>していると、年間30回くらいはホテル泊がある。
早朝出発が多く「ホテルで朝食」の機会は少ないが。

さて、ホテルの朝食といえば、バイキング形式をとっているところが多い。
しかし、自分はあれが実は苦手なのだ。

「自分の好きなものを選んで食べられるから良いじゃない」
というのはフツーの人。自分の場合、
「これを○○○軒(定食屋)あたりで食べれば□□円くらいか?」と考えながら、
「朝食付きは、素泊まり+1,200円だから、もうちょっと食べないと...」などと計算し、
朝から頑張ってモトをとった挙げ句、出発の時にはお腹が重くて歩けない。

つまり、ビンボー症というかケ○なのである。

だから、何度も通いつめた撮影ポイントでも「斬新な撮り方で勝負を賭ける」のは
かなり稀。だいたい安全策でワンパターンな写真の山を築く。
そう、「勝負に出て撃沈したらヒコーキ代と時間の無駄」という思いが強いあまり、
失敗リスクの少ない撮り方に徹し、その結果、同じ地点で同じ撮り方を続けるのだ。

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37.水鏡、酔狂!? [飛越ゴハチを追った日々]

富山平野は言わずと知れた穀倉地帯。春になると多くの田に水がはられる。
田植えはゴールデンウィークの前後というパターンが一般的なようだ。
となれば、<撮り鉄>としては「水鏡」、これを狙わずには居られない。

2010年は「飛越ゴハチ」にとっては最後の春。新緑の中で急行型ディーゼルカーを
撮ることが出来るのも、これが最後のチャンス。
次の田植えの時期には、見ることができなくなっている...

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36.1年早い「さよなら」と... [飛越ゴハチを追った日々]

富山に残ったキハ58・28と同じDMH17H型エンジンを装備し、
“兄弟”にあたるディーゼルカーがキハ52 100番台。
こちらも老雄ながら、糸魚川から南小谷までの大糸線、
冬は雪で閉ざされ、フォッサマグナ(中央構造線)沿いの地質上も“難しい”区間、
自然環境の厳しい区間に立ち向かいながら、最後の活躍をしていた。
こちらは「飛越ゴハチ」より1年早く、この春に引退を迎えたはずだったが、

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35.春の来た井田川鉄橋にて [飛越ゴハチを追った日々]

久しぶりとなった「飛越ゴハチ」のシリーズ、
1961年(昭和36年)に登場し、国鉄全盛期の急行列車用として
傍系含めて1,800両が製造され、北海道から鹿児島まで全国で活躍したディーゼルカー、
キハ58系のうち(事実上)最後の4両の活躍の地となったのが富山だった。

近郊化・ワンマン改造を施され、高山本線の越中八尾と富山の間、わずか17 kmの区間で
ラッシュ時の普通列車に細々と運用されるだけとはいえ、
この“最後の仕事”も2011年3月までと発表されていた。
カウントダウンが始まり、いままで以上に「撮りたい」の気持ちは高まっていった。

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