1通のメールから思い浮かんだこと。(25年前の渋谷駅) [自己紹介・思い出・その他]
今日の話題に入る前に。
(※ 追記 : 今日の話題には入れませんでした。謹んでお詫び申し上げます)
ちょうど2ヶ月前に書いたこの記事。
https://gohachinihachi0309.blog.so-net.ne.jp/2019-07-09
今日、<変態鉄>のもとにも東京メトロからメールが来ていた。
あのときは...、ポチッとした時は「9月なんて、まだまだ先の話」と思っていたが
あっという間だった。その簡易書留は、明日か明後日には手元にやってくるはず。
【2014年2月9日15時07分】 東京メトロ銀座線・渋谷駅
さて、毎週火曜日は仕事で渋谷に行くわけで。毎週のように渋谷駅を...
ハチ公口改札のところから通路を抜けて東口バス乗り場を通り抜け宮益坂の方に
向かって歩くのだが...
90年台までは、都電のターミナルだった頃の線形を思わせる形の都営バス乗り場、、
銀座線の高架が見えていて。東急東横店から顔を出したオレンジ色の電車は
東急文化会館の横を掠めるように...
…… ……
90年台になって中学・高校時代を過ごした<変態鉄>、幸運にも(?)、その通学定期は
営団地下鉄半蔵門線と東急新玉川線を跨ぐ区間になっていて。
その線名も懐かしいが...
学校帰りに渋谷で“途中下車”して買い物に...ということも少なくなく。
尤も...「買い物」と言っていて「ショッピング」などとは言っていない。
<変態ガキ鉄>がオシャレな洋服を...などあろう筈もないのだった。
<変態ガキ鉄>の母親は、もちろん、わが子の通学経路くらいは知っているわけで。
「今日、安いと思うから...」、学校帰りに渋谷駅で降りたら、東急プラザの地下の
八百屋さんに寄って大根を買ってきてくれ、とか、そういう無茶苦茶な。
【2017年3月3日13時25分】 千葉県松戸市・昭和の杜展示館
制服姿に通学バッグ、でも、白いレジ袋から大根が顔を覗かせていて...
そんな姿で自宅最寄り駅だった青山一丁目駅まで。
渋谷駅で下車したときは地下ホームからの半蔵門線...では無くて、
東急東横店の3階まで階段を上ったら、銀座線のオレンジ色の電車で。
まだ“瞬間停電”、2000形電車も最後の活躍をしていた時期である。
01形の後期車から徐々に冷房車が入ってきたものの、まだまだ“蒸し風呂メトロ”
だった時代の話。
当時、渋谷の街は新旧織り交ぜたような...あのゴチャゴチャ感が溜まらなかった。
そんな中、平成初期のガキにとって、垢抜けない...といか、ある種の場末感すら
感じさせる(← 失礼っ!!)、時の流れが止まっているような、そんな印象
だったのが「東急文化会館」の周辺だった。
まさか、あのエリアが「ヒカリエ」なんて...
そうなると、あの雑然とした“昭和”な感じが懐かしくなる。あと10年早く
生まれていたら、あの情景にカメラを向ける機会があったかも。
【1993年7月頃】 営団地下鉄銀座線(当時)・渋谷駅
再掲となるが、この写真に「文化会館」がホンの少しだけ見えている。
そして、この明治通りの上をこえてくる高架区間、写真で電車が見えているあたりに
銀座線の渋谷駅は移転して、東急東横店も取り壊されることになっている。
すでに新駅もできあがりつつあって。
そういえば...
「懐かしの渋谷駅」といえば...
【1993年11月頃】 東急東横線・渋谷駅(当時)
<変態鉄>はほとんど縁が無かったのは、東急東横線・渋谷駅。
あのカマボコ屋根のホームは、当たり前の風景...いつも見ていたのだが、
でも、ホームに入ったのも何度かしかないし、あのホームから電車に乗ったのも
数える位だったと思う。でも...
何を血迷ったのか、たぶん入場券を買って。謎すぎる写真を撮っていたことが
あったみたい。覚えているような、覚えていないような...
ネガの前後のコマには都電やら、あるいは岐阜の電車とか“大垣夜行”とか...
何かの合間のヒマなときにEOSくん片手に歩いていたのだろうが。
写真としてはメチャクチャ。撮影意図不明、フィルムと現像代のムダ...
でも、今となっては貴重な(?)、記録なのである。
地上時代の、終着駅時代の東横線渋谷駅(の出発信号機)あたり。
【1993年11月頃】 東急東横線・渋谷駅(当時)
続くコマを見ると、この日の“おめあて”は、この8000形電車だったのかも。
「歌舞伎スタイル」と呼ばれることになるリニューアル工事が始まったのが
この頃だった。それにしても、記録写真としてもメチャクチャな撮り方である。
その東急東横線。渋谷駅は山手線の内側に寄り添うように。ここから恵比寿方面に
向かって山手線と並走するように高架を進み、いまJR系のホテルが建って、
「新南口」などと呼ばれている、あの少し先、都バスの車庫などの付近で
山手線をオーバークロスして代官山駅へと向かっていた。
【1994年3月頃】 東急東横線・代官山-渋谷(当時)
山手貨物線(当時はまだ一部単線、「埼京線」も「湘南新宿ライン」もなかった)
を撮りに通ったときに、ついでにスナップしていた。
東急8000系の、こちらはリニューアル工事を受けていない車輌だが、後追いながら
マトモに撮ったカットが残っていた。(よかった!!)
<ガキ鉄>には真四角で銀色の味気ない電車に見えた、当時の東急電車、
でも、こうして25年を経て見直してみると、当時の東急は、車輌のデザインにも
線路回りの構造物にも品があったような気がする...というか、大手私鉄としての
一種の矜持のようなものが感じられたのではないかとすら思うのである。
(※ 意見には個人差があります)
生まれた時から東京で住んでいると、「ふるさと」とか、そういった感覚も無く。
しかも“当たり前過ぎる”光景だけにカメラを向けようとも思わなくて。
【1993年冬頃】 東京都渋谷区渋谷付近
でも、探してみたらこんなカットが残っていた。
この写真を見ているだけでも...
記事がいくつも書けるくらい、いろいろな思い出が...
でも、今日はこのくらいにして。「24時間券」、届いたら、その中身をちょっと
ご紹介したいと思っている。
と言うわけで、只見線の話題は、また明日。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
(※ 追記 : 今日の話題には入れませんでした。謹んでお詫び申し上げます)
ちょうど2ヶ月前に書いたこの記事。
https://gohachinihachi0309.blog.so-net.ne.jp/2019-07-09
今日、<変態鉄>のもとにも東京メトロからメールが来ていた。
あのときは...、ポチッとした時は「9月なんて、まだまだ先の話」と思っていたが
あっという間だった。その簡易書留は、明日か明後日には手元にやってくるはず。
【2014年2月9日15時07分】 東京メトロ銀座線・渋谷駅
さて、毎週火曜日は仕事で渋谷に行くわけで。毎週のように渋谷駅を...
ハチ公口改札のところから通路を抜けて東口バス乗り場を通り抜け宮益坂の方に
向かって歩くのだが...
90年台までは、都電のターミナルだった頃の線形を思わせる形の都営バス乗り場、、
銀座線の高架が見えていて。東急東横店から顔を出したオレンジ色の電車は
東急文化会館の横を掠めるように...
…… ……
90年台になって中学・高校時代を過ごした<変態鉄>、幸運にも(?)、その通学定期は
営団地下鉄半蔵門線と東急新玉川線を跨ぐ区間になっていて。
その線名も懐かしいが...
学校帰りに渋谷で“途中下車”して買い物に...ということも少なくなく。
尤も...「買い物」と言っていて「ショッピング」などとは言っていない。
<変態ガキ鉄>がオシャレな洋服を...などあろう筈もないのだった。
<変態ガキ鉄>の母親は、もちろん、わが子の通学経路くらいは知っているわけで。
「今日、安いと思うから...」、学校帰りに渋谷駅で降りたら、東急プラザの地下の
八百屋さんに寄って大根を買ってきてくれ、とか、そういう無茶苦茶な。
【2017年3月3日13時25分】 千葉県松戸市・昭和の杜展示館
制服姿に通学バッグ、でも、白いレジ袋から大根が顔を覗かせていて...
そんな姿で自宅最寄り駅だった青山一丁目駅まで。
渋谷駅で下車したときは地下ホームからの半蔵門線...では無くて、
東急東横店の3階まで階段を上ったら、銀座線のオレンジ色の電車で。
まだ“瞬間停電”、2000形電車も最後の活躍をしていた時期である。
01形の後期車から徐々に冷房車が入ってきたものの、まだまだ“蒸し風呂メトロ”
だった時代の話。
当時、渋谷の街は新旧織り交ぜたような...あのゴチャゴチャ感が溜まらなかった。
そんな中、平成初期のガキにとって、垢抜けない...といか、ある種の場末感すら
感じさせる(← 失礼っ!!)、時の流れが止まっているような、そんな印象
だったのが「東急文化会館」の周辺だった。
まさか、あのエリアが「ヒカリエ」なんて...
そうなると、あの雑然とした“昭和”な感じが懐かしくなる。あと10年早く
生まれていたら、あの情景にカメラを向ける機会があったかも。
【1993年7月頃】 営団地下鉄銀座線(当時)・渋谷駅
再掲となるが、この写真に「文化会館」がホンの少しだけ見えている。
そして、この明治通りの上をこえてくる高架区間、写真で電車が見えているあたりに
銀座線の渋谷駅は移転して、東急東横店も取り壊されることになっている。
すでに新駅もできあがりつつあって。
そういえば...
「懐かしの渋谷駅」といえば...
【1993年11月頃】 東急東横線・渋谷駅(当時)
<変態鉄>はほとんど縁が無かったのは、東急東横線・渋谷駅。
あのカマボコ屋根のホームは、当たり前の風景...いつも見ていたのだが、
でも、ホームに入ったのも何度かしかないし、あのホームから電車に乗ったのも
数える位だったと思う。でも...
何を血迷ったのか、たぶん入場券を買って。謎すぎる写真を撮っていたことが
あったみたい。覚えているような、覚えていないような...
ネガの前後のコマには都電やら、あるいは岐阜の電車とか“大垣夜行”とか...
何かの合間のヒマなときにEOSくん片手に歩いていたのだろうが。
写真としてはメチャクチャ。撮影意図不明、フィルムと現像代のムダ...
でも、今となっては貴重な(?)、記録なのである。
地上時代の、終着駅時代の東横線渋谷駅(の出発信号機)あたり。
【1993年11月頃】 東急東横線・渋谷駅(当時)
続くコマを見ると、この日の“おめあて”は、この8000形電車だったのかも。
「歌舞伎スタイル」と呼ばれることになるリニューアル工事が始まったのが
この頃だった。それにしても、記録写真としてもメチャクチャな撮り方である。
その東急東横線。渋谷駅は山手線の内側に寄り添うように。ここから恵比寿方面に
向かって山手線と並走するように高架を進み、いまJR系のホテルが建って、
「新南口」などと呼ばれている、あの少し先、都バスの車庫などの付近で
山手線をオーバークロスして代官山駅へと向かっていた。
【1994年3月頃】 東急東横線・代官山-渋谷(当時)
山手貨物線(当時はまだ一部単線、「埼京線」も「湘南新宿ライン」もなかった)
を撮りに通ったときに、ついでにスナップしていた。
東急8000系の、こちらはリニューアル工事を受けていない車輌だが、後追いながら
マトモに撮ったカットが残っていた。(よかった!!)
<ガキ鉄>には真四角で銀色の味気ない電車に見えた、当時の東急電車、
でも、こうして25年を経て見直してみると、当時の東急は、車輌のデザインにも
線路回りの構造物にも品があったような気がする...というか、大手私鉄としての
一種の矜持のようなものが感じられたのではないかとすら思うのである。
(※ 意見には個人差があります)
生まれた時から東京で住んでいると、「ふるさと」とか、そういった感覚も無く。
しかも“当たり前過ぎる”光景だけにカメラを向けようとも思わなくて。
【1993年冬頃】 東京都渋谷区渋谷付近
でも、探してみたらこんなカットが残っていた。
この写真を見ているだけでも...
記事がいくつも書けるくらい、いろいろな思い出が...
でも、今日はこのくらいにして。「24時間券」、届いたら、その中身をちょっと
ご紹介したいと思っている。
と言うわけで、只見線の話題は、また明日。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
コメント 0