初・もうひとつの只見線へ!! でも雨。(6)須原の町で(その2) [町歩き(鉄分薄め)]
※ おことわり ※
本日は<鉄>分が極めて希薄な記事です。
また、記事の内容は、いつも通り極めて軽薄です。予め、ご了承下さい。
昨日は1日お休みしたこの話題。8月27日の只見線撮影記である。
それにしても、只見線の小出側というのは非常に撮りにくくて。沿線風景は
美しいのだが、でも、何と言っても回送列車を含めて、1日あたり5往復。
列車は朝晩に偏っており。
【2019年8月27日13時31分】 只見線・魚沼田中-越後須原(後追い)
お昼過ぎのキハを撮ったら、次は16時半まで3時間待ち。
その間を利用して、旧守門村の中心部にある「目黒邸」を訪れたのだった。
…… ……
2019年8月27日(火)晴れのち曇り
まずは「民俗文化財館」へ。
【2019年8月27日14時13分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
階段を上がってすぐのところには、第25代 木村庄之助の装束。
そのときには気に留めなかったのだが、第25代は愛知県名古屋市の出身。
なぜ、遠く離れた越後の地に装束が保存されているのか...
見る限り、説明板などはなかった。
ちなみに、第25代の木村庄之助と言えば...
1972年(昭和47年)1月場所の中日、横綱 北の富士 -関脇 貴ノ花 の1番で、
「つき手」か「かばい手」か...、勝負審判が土俵上で長時間協議を続けたという
有名な一番。あのとき“軍配差し違え”とされた時の庄之助である。
北の富士さんはいまは某公共放送の大相撲中継専属解説者、一方の貴ノ花というのは
「長男の“花田勝氏”が、『どうしても喪主は自分に...』」、あの発言をした
貴乃花(もと横綱)、そう先日協会を退職したあの貴乃花のお父さんにあたる。
さて、それ以外は...
【2019年8月27日14時11分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
決して広くない建物の2階部分に所狭しと。
【2019年8月27日14時13分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
農機具や、その他、当時の農家で農作業や日々の生活の中で使われていたものが
中心。<変態鉄>も見たことがあるようなものもホンの少しだけ。
【2019年8月27日14時14分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
江戸時代頃から明治、大正、昭和にいたる時期の、この地方の生活がわかる
さまざまな展示だった。
【2019年8月27日14時14分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
雪深い地域の冬の生活のことなど、展示は興味深かったが、何と言っても
冷房が効いていなくて。
一通り見たら、民俗文化財館を後にしたのだった。
そして...
【2019年8月27日14時16分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
正面に見えてくるのが「目黒邸」である。
江戸時代の中期以降、この地域の割元庄屋、つまり庄屋の元締め的な役割を
任されていたのが目黒家だった。
その役宅を兼ねて1797年に建築されたのが、この目黒邸。
村役人としての役宅と豪農としての邸宅を兼ねた建物である。
【2019年8月27日14時29分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
靴を脱いで...
順路に従って内部も自由に見学することができて。
明治期に増築された離れの部分なども...
【2019年8月27日14時33分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
茅葺き屋根の建物が傷まないように維持するために、常に囲炉裏の火を絶やさない
みたいで。そんなシーンとか...
【2019年8月27日14時34分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
家の中というのは、いまの時代には考えられないくらい薄暗いわけで。(当然っ!!)
天井から裸電球が吊されているのだが...
こういうシーンを画になる撮り方でまとめられるようになりたいのだが...
カメラの腕は相変わらず、なのである。
【2019年8月27日14時31分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
江戸時代中期の豪農住宅...と言うだけではなくて。
さすが、地域の有力者...、明治時代になってからは国会議員としても活躍した
というのだが。いち早く電気を引いて。
大正時代末期の配電盤がそのまま残されているのである。
このほか、新潟県内で最初に自家用車を購入したのも、この目黒家なのだとか...。
もっと時間をかけて見てみたくなる、そんな建築だった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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本日は<鉄>分が極めて希薄な記事です。
また、記事の内容は、いつも通り極めて軽薄です。予め、ご了承下さい。
昨日は1日お休みしたこの話題。8月27日の只見線撮影記である。
それにしても、只見線の小出側というのは非常に撮りにくくて。沿線風景は
美しいのだが、でも、何と言っても回送列車を含めて、1日あたり5往復。
列車は朝晩に偏っており。
【2019年8月27日13時31分】 只見線・魚沼田中-越後須原(後追い)
お昼過ぎのキハを撮ったら、次は16時半まで3時間待ち。
その間を利用して、旧守門村の中心部にある「目黒邸」を訪れたのだった。
…… ……
2019年8月27日(火)晴れのち曇り
まずは「民俗文化財館」へ。
【2019年8月27日14時13分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
階段を上がってすぐのところには、第25代 木村庄之助の装束。
そのときには気に留めなかったのだが、第25代は愛知県名古屋市の出身。
なぜ、遠く離れた越後の地に装束が保存されているのか...
見る限り、説明板などはなかった。
ちなみに、第25代の木村庄之助と言えば...
1972年(昭和47年)1月場所の中日、横綱 北の富士 -関脇 貴ノ花 の1番で、
「つき手」か「かばい手」か...、勝負審判が土俵上で長時間協議を続けたという
有名な一番。あのとき“軍配差し違え”とされた時の庄之助である。
北の富士さんはいまは某公共放送の大相撲中継専属解説者、一方の貴ノ花というのは
「長男の“花田勝氏”が、『どうしても喪主は自分に...』」、あの発言をした
貴乃花(もと横綱)、そう先日協会を退職したあの貴乃花のお父さんにあたる。
さて、それ以外は...
【2019年8月27日14時11分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
決して広くない建物の2階部分に所狭しと。
【2019年8月27日14時13分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
農機具や、その他、当時の農家で農作業や日々の生活の中で使われていたものが
中心。<変態鉄>も見たことがあるようなものもホンの少しだけ。
【2019年8月27日14時14分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
江戸時代頃から明治、大正、昭和にいたる時期の、この地方の生活がわかる
さまざまな展示だった。
【2019年8月27日14時14分】 新潟県魚沼市須原・民俗文化財館
雪深い地域の冬の生活のことなど、展示は興味深かったが、何と言っても
冷房が効いていなくて。
一通り見たら、民俗文化財館を後にしたのだった。
そして...
【2019年8月27日14時16分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
正面に見えてくるのが「目黒邸」である。
江戸時代の中期以降、この地域の割元庄屋、つまり庄屋の元締め的な役割を
任されていたのが目黒家だった。
その役宅を兼ねて1797年に建築されたのが、この目黒邸。
村役人としての役宅と豪農としての邸宅を兼ねた建物である。
【2019年8月27日14時29分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
靴を脱いで...
順路に従って内部も自由に見学することができて。
明治期に増築された離れの部分なども...
【2019年8月27日14時33分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
茅葺き屋根の建物が傷まないように維持するために、常に囲炉裏の火を絶やさない
みたいで。そんなシーンとか...
【2019年8月27日14時34分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
家の中というのは、いまの時代には考えられないくらい薄暗いわけで。(当然っ!!)
天井から裸電球が吊されているのだが...
こういうシーンを画になる撮り方でまとめられるようになりたいのだが...
カメラの腕は相変わらず、なのである。
【2019年8月27日14時31分】 新潟県魚沼市須原・目黒邸
江戸時代中期の豪農住宅...と言うだけではなくて。
さすが、地域の有力者...、明治時代になってからは国会議員としても活躍した
というのだが。いち早く電気を引いて。
大正時代末期の配電盤がそのまま残されているのである。
このほか、新潟県内で最初に自家用車を購入したのも、この目黒家なのだとか...。
もっと時間をかけて見てみたくなる、そんな建築だった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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