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北陸のディープ<鉄>を巡る旅(4)土居原ボンネット広場にて <後編> [保存車・廃線跡]

今日の話題に入る前に。予告通り(?)、40歳にして“大学病院デビュー”。
これまでの人生、あまり病院のお世話になることも無かった。地元の小さな診療所で
診てもらって処方箋を受け取って...くらいだったので。

9時に受付、午前中に診てもらえたのは思ったよりも早かった。
1階の受付を通った後、診療科の前の廊下、並んだ長椅子で待っているのだが...
自分もそのひとりに違いないのだが、患者さんたちの“人間観察”をしながら時間を
過ごしていた。

高校生くらいのガッシリした体格の男の子が母親に手を引かれて...
それだけでも違和感なのだが、その診療科の受付にいる女性に

「有名な先生に診て欲しいの、とにかく有名な先生っ!!!」と高圧的に話す母親。
ブランドのロゴが大きく入ったサングラスをかけた典型的な厚化粧BBAである。
「本日の外来は皆、上位の先生ですから...」と受付の人に宥められて
問診票を受け取って。<変態鉄>の隣の椅子に腰掛けるなり、息子に大声で
アレコレと...、その人も含めて訪れる患者の半数以上がC国語で会話しているのは、
ちょっと意外な光景だった。

他にも「※※さん、診察室※番へお入り下さい」のアナウンスに一斉に席を立つ人たち。
祖父母、両親、子どもとその兄弟...、一家総出でやってきたと思しき、
これまたC国人家族など、カルチャーショックというか予想外の光景に興味津々だった
<変態鉄>だったのである。(※ 意見には個人差があります)

その<変態鉄>、紹介状を書いてくれた地元のクリニックの先生からは
「なぁ~に、1日で済むよ~」という感じだったのだが、昨日は、いつもそこで受けて
いたのと同じ処置で同じ薬を継続で処方されて。9月末まで様子を見るという方針に
なってしまったのである。次の予約もそこで決まって。

「11時ということにしておきますから、たぶん13時頃になるかなぁ...」と白髪頭の
先生に言われたのだった。診察室には大きなテーブルが置かれ、「医学部6年生」の
名札を付けた若者たちがノートやレポート用紙のようなものをひろげている中で
患部を見せる...普段とは全然違った状況に終始緊張気味だった<変態鉄>なのである。

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【2018年8月10日10時26分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

ということで前置きが長くなったが、引き続き石川県小松市「土居原ボンネット広場」
に保存されているクハ489-501号車の話題。

……  ……

2018年8月10日(金)くもり

クハ489-501号車の車内は、意外にも(?)、AU12型キノコ型クーラーが、いまなお現役!?
涼しい保存車というのは、長居したくなるもので。

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【2018年8月10日10時22分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

この車両の保存のために、すでに解体された別の保存車の部品が流用されていたり...
やはり復元にあたってはいろいろな苦労もあったのだろうか。さまざまな記録の他
発生品やグッズ類などが売られており。営利目的というよりメンテナンスに必要な
資金の確保という性格が強いみたいなグッズ販売。

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あまり大きなものは買えないが、<変態鉄>としてもクリアファイルを購入することで
本当に、ささやかながら保存活動に敬意を表したところである。

その上に載せているD型硬券が運転室見学のきっぷ。ちゃんと鋏も入っている。
国鉄時代からの乗車券を思わせる地紋も入っており。

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“オマケ”でいただくことができたのは、90年台前半の北陸本線のエース、
485系「スーパー雷鳥」のオーディオのカード。携帯端末を持っているのが当たり前に
なった現在では考えられないが、90年台前半、車内オーディオというのはグリーン車
限定の“豪華装備”だった。当時は国鉄型特急電車を改造して「パノラマグリーン車」
をつくるのが流行っていた(?)。そのシリーズで最後まで残っているのが伯備線特急の
381系「やくも」だが、北陸本線の「スーパー雷鳥」は...

食堂車改造のもう1両と合わせて1両半のグリーン席を備えた豪華特急だった。
白地にピンクと青のライン、改造直後、<変態鉄>も乗車する機会を得た。
富山から大阪まで、高岡、金沢、福井、そのあとは京都まで停まらないという速達便。
後に「ニュー雷鳥編成」として681系「サンダーバード」が落成すると地味な役回りに
変わったのだが...、<変態鉄>が<鉄>活動を本格的にスタートした時代そのもの。

懐かしい存在である。ちなみに<変態鉄>は特急寝台「出雲」のオーディオカードを
保管している。いつかご紹介したい。

さて、客室前部の引き戸を開けると...

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【2018年8月10日10時26分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

乗務員室である。まずは車掌スイッチの体験。もちろん、ドアの開閉ができる。
車種ごとに少しずつ違っていて、国鉄型電車のこのタイプのドアスイッチは「開」の
ときが意外と重たい。ちょっと回転させるような感じで手に力を入れて押さないと...

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【2018年8月10日10時26分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

そのときの“車掌目線”が今日のトップ写真。

そして、ここから数段の階段を上ると高運転台構造の運転台に行ける。
身長185 cmの<変態鉄>にとってはこの段階でもちょっと圧迫感。

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【2018年8月10日10時27分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

駅で見ていると乗務を待っている電車の運転士さんにも、非常に体格の良い...というか
肥えたタイプの方がいらっしゃるが、決してそれほどでもない(と思っている)
「軽肥満」の<変態鉄>にとっても、運転席に座るだけで一苦労。
<鉄>にとって“憧れの席”ではあっても、実際に座ってみるとかなり窮屈なのである。

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【2018年8月10日10時31分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

と言うわけで、ステップを上り終える付近で、運転席をもう1枚。

まだまだっ!! なかなか見学できないスペースなので、さらにもう1枚!!

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【2018年8月10日10時27分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

ちょうど、フロントガラスの先には小松駅を出発して金沢駅へと向かっていく
特急「しらさぎ」号、たぶん681系である。
運転台にはブレーキハンドルも挿されており、左のマスコンハンドルを回せば、
いまにも走り出しそうな...、そんな臨場感溢れる運転席である。

運転席のイスは回転したり、前後に調整できたり。でも、最近の電車のように
“人間工学的に最適な形状”などということでも無さそうで、長時間、ここに座って
集中を強いられる運転士さんというのも、やはり激務だろうなぁ...と。

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【2018年8月10日10時27分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

運転席に座ってみると、右側にはちゃんと運転時刻表が挿されており。
末期のものかと思えば、1988年(昭和63年)の夏の日付が入っていた。
金沢から長浜までの区間を担当する乗務員用、列車番号が第9044M列車ということは
臨時の「しらさぎ」か「加越」だったのだろうか!?

最下段、「長浜」と「米原」の間に赤で「交直セクション」と書かれているのが
時の流れを感じさせる。(現在の交直切替えは敦賀駅付近)

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【2018年8月10日10時28分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

そんな運転席に腰掛けて、運転中の運転士さん目線でもう1枚。

このとき実は<変態鉄>は、<車内放送マニア>として、ちょっとガッカリしていた。
4枚上の写真、ステップの下から運転台を見上げると、中央に「警笛注意」のシールが
追加されている。これは保存会が貼ったものと思われるが...

それはそれとして...

自分の記憶が確かなら、このあたりに車内放送用のマイクがあったはずなのである。
そのマイク、古い電話の受話器のような形なのだが、その下に箱形のオルゴールが...
でも、車内放送装置は外されているみたいで。車掌スイッチでドア開閉は楽しめたが
<変態鉄>としては車内放送が...う~ん。

マイクは付いていなかったが、運転席に座ってイスを回転させてみると背中の方に...

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【2018年8月10日10時30分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

「1曲ずつ押してください」、電子チャイムのボックスが置かれていた。
1991年(平成3年)、上野-長野-金沢間の信越特急「白山」のリニューアル工事が
実施され、白地にピンクとライトブルーの塗装に改められた。

本来、国鉄時代から「鉄道唱歌」のゼンマイ式のオルゴールが付いていた放送装置、
リニューアル工事に際して電子チャイム...(たぶん、8トラテープのように思うが)
に交換された。90年代初頭、車内放送チャイムをオリジナル曲に変えるのが流行った
時期があって、「白山」運用に限定される編成と言うことで、上野駅で「東京音頭」、
長野「信濃の国」、直江津「佐渡おけさ」、富山と金沢で「百万石音頭」が流される
ように変更された。ただ、まもなく「東京音頭」のメロディは使用中止となる。

一説では「特定のプロ野球チームのテーマ曲を流すな!!」という他球団ファンの抗議が
あったためと言われているが真相は不明。その後も、時折「東京音頭」を流して
放送してくれる車掌さんも居て、何度か聞いているが。
そして、通常、上野駅発車後には「鉄道唱歌」が流されるようになったが、
こちらはオルゴールでなく、おもちゃ笛を主旋律にしたオリジナル版だった。

その後も、「白山・能登」編成の放送チャイムは意外と複雑に変遷していて。
夜行急行「能登」での使用に変わると、「カッコウの鳴き声」と「グリーク朝の気分」
も流されるようになって。そのあたり、<車内放送マニア>として、語り出すと
それだけで1記事書けそう...ここでは割愛。

もちろん、1つずつボタンを押して懐かしのメロディとの、しばしの“再会”を
楽しんだのだった。

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【2018年8月10日10時40分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

スタッフの方に礼を言って、灼熱の車外へ。やはり、暑い。猛烈な暑さ。
よく見れば、<変態鉄>が車内見学している間にヘッドマークが「白鳥」から
「日向」に変わっており。

特急「日向」って...

<変態鉄>もリアルで見た世代ではない。1968年(昭和43年)10月「ヨンサントウ」で
登場した大阪-宮崎間の日豊本線経由の特急列車である。当初はディーゼル特急。
485系が運用されるのは1974年(昭和49年)、でも、約1年で新幹線が博多まで開業、
このマークを掲げたボンネット特急型電車が実際に走っていたのは約1年だけの
“激レア”な表示である。ちなみに、「日向」の電車化とちょうど入れ替わるように
クハ489-501号車は金沢に所属替えになっており、たぶん「日向」号の運用に入ることは
無かったものと思われる。

……  ……

自分が乗った車両が「保存車」になっていると、やはり、見学記が長くなってしまって。

とはいえ、自分にとっては短時間であっても非常に濃い時間を過ごすことができたの
だった。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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