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8年前の上野駅。ボンネット、最後の日々...(2010年3月) [その他の鉄話]

昭和30年台に入って、国鉄では機関車牽引ではない、電車による“特別急行列車”の
運転を開始する。第一弾は東海道本線「こだま」、151系直流特急型電車の前頭部は
ボンネット型、クリーム色の車体に紅色のライン、国鉄特急色を纏って登場。
この“完成版”となるのが、485系特急型電車、その“ボンネット型特急電車”の最後を
飾ったのが、JR西日本金沢支社の489系「能登」編成。

いよいよ、その「能登」も最後の時を迎えると言うことで上野駅に撮りに行ったのは
2010年3月4日のことだった。

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【2010年3月4日23時42分】 東北本線・上野駅

前夜、金沢を出て上り急行「能登」で朝6時に上野駅に着いた489系、車庫で“昼寝”、
23時半の下り急行「能登」で金沢へと戻っていくのだが...

その前に、首都圏での“アルバイト運用”が設定されていた。
青春18きっぷで乗れる、その列車に乗ってみたのだった。

……  ……

国鉄最末期に設定された列車に「ホームライナー」というのがあった。

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【2014年2月9日12時59分】 小田急小田原線・秦野駅(後追い)

国鉄末期、何をやっても国鉄に批判が集まった頃、利用者から

『私鉄では夜、都心に戻ってきた特急電車を車庫まで短距離の列車でも乗客を乗せて
営業するのに、国鉄は“回送”で、誰も乗せずに走らせていて、ケシカラン!!』

という苦情があったのだとか。

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【2010年3月4日17時52分】 東北本線・上野駅

そこから、紆余曲折あって、夜、信越本線の特急として上野駅に到着した特急型電車を
東大宮操車場へ回送するときに上野-大宮間で整理券制でグリーン車を開放することに
なり、その列車名が「ホームライナー」、後に系統が増え「ホームライナー大宮」
という名称になった。途中駅は通過だから快速電車だと思いきや、ぬぁんと...

労使関係が拗れに拗れていた当時、夜間に旅客列車を増発する...など、話がまとまろう
はずも無く、「回送第※※列車、上野・大宮間、客扱いに変更」という指令だけでの
荒技だったのだそうだ。

回送列車だと最後部の運転車掌さんだけ、その仕事を増やせば、新たな労使の火種に...

国鉄OBの在籍する関連会社に委託して、グリーン車のドアだけを手動(三方コック)で
開扉、座席の数だけの整理券を委託会社の人と“管理職対応”で対応したのだとか。

ただ、これが人気が出てきて...

各方面に増発され。分割民営化後には「ターミナル駅から車庫の最寄り駅まで」から
運転区間も延長され、人気列車になっていった。

……  ……

2010年3月4日(木)雨

23時半に上野駅を出る489系急行「能登」号、それに使われる金沢支社の489系9連、
それを撮るのに、上野駅にやって来たのは18時。

23時の発車までの間に「ホームライナー鴻巣」号として、いったん高崎線を鴻巣へ。
すぐさま、回送で上野駅に帰ってきて...という運用。

もちろん、急行「能登」が廃止され、489系が金沢から来なくなれば、この列車も
別の車両での運用になる訳で。すでに廃止を目前にして上野駅には多くの<鉄>。

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【2010年3月4日18時21分】 東北本線・上野駅

18時過ぎ、高い方の8番ホームに489系が入ってきた。
ヘッドマークは、文字だけの簡素な「ホームライナー」。
でも、このシーン、小学生の頃から<変態鉄>が見てきた、上野駅の当たり前のシーン
だったのだが...

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【2010年3月4日18時22分】 東北本線・上野駅

すぐに乗務員交替の上、開扉。<鉄>の姿が目立っていたが、それでもドアが開くと
通勤客が500円ほどの「ライナー券」を購入して、車内へと入っていく。

ちなみに、車体側面の赤灯が光っていないことからも、先頭車のドアは開いていない。
よ~く、目を凝らすと隣の2両目の車両、そのドアの前に制服姿の駅員さんが見える。
「ライナー」列車では、決まった乗車口のドアしか開けないのが通常のパターン。

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【2010年3月4日18時25分】 東北本線・上野駅

先頭に行ってみれば、そこには多くの<鉄>が集結していて。
列車廃止間際の、いわゆる、<葬式鉄>のシーンが展開されているのだった。

その発車を見送って...

といかないのが、この日の<変態鉄>。隣のホームから、489系「ホームライナー鴻巣」の
1本前の普通電車に乗って鴻巣駅に向かったのである。

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【2010年3月4日19時43分】 高崎線・鴻巣駅

シャッタースピードが「1.3秒」なので、手持ちで撮っている筈が無く。
許可をとって撮影した覚えがないので...

ホームに三脚を立てていた筈だが...でも、叱られた記憶は無く。バルブ成功。
奥のホームに停車中の下り電車が211系なのも、今となっては懐かしい。
すでに、中線のホームに到着後、折返し待ちで尾灯が点灯しているところを...。

よ~く見れば、この写真。ヘッドマークの上部に少しだけ蛍光灯の光が漏れている。

コレ、「能登」のマークがすでに装着されていたようで...
本当はガラス板か、アクリル製のイラスト入りのトレインマークを内部の蛍光灯で
照らし出す構造になっているのだが、「ホームライナー」の時は「能登」のマークの上に
不透明の黒地に緑文字の「ホームライナー」を被せただけになっていたのである。

絵入りマークで「ホームライナー」を作ってくれれば良かったのに...

さて、この写真を撮って<変態鉄>は...

489系が上野駅に向かって折返す前に、先に出る上野ゆきに乗って。
再び上野駅へとトンボ返りだったのである。というのは...

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【2010年3月4日20時45分】 東北本線・上野駅

21時前、もう一度、今度は東北本線の「ホームライナー古河」として。
こちらには乗車してみたのだった。

車内は通勤客と<鉄>、半々くらいの割合だったような。
「能登」の時は、上野-金沢の全区間をJR西日本金沢支社の車掌さんが担当。
でも、「ホームライナー」はJR東日本の車掌さん。「能登」では滅多に流されなかった
“東京音頭”のメロディで車内放送が入ったのを覚えている。

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【2010年3月4日22時19分】 東北本線・古河駅

というわけで古河駅へ。大宮を過ぎて東北本線に入れば、だんだんと通勤客は降りて。
終点の古河駅に近づくにつれて、車内は<鉄>ばかりが目立つ...という展開に。

ただ、こちらの終点・古河駅は高架ホームで写真は撮りづらく。ホームでテキトーに
撮ったら、ぬぁんと...、またまた上野駅にトンボ返り。

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【2010年3月4日23時40分】 東北本線・上野駅

今度は地平ホーム。
急行「能登」号は上野駅に発着する、最後のボンネット特急型電車であり、
また、上野発の最後の定期夜行急行列車だった。多くの人が訪れており、
「能登」の絵入りマークの入った489系を撮ろうにも場所があるはずなく。

頭端式の地平ホーム、その車止め近くの壁にカメラを載せて。
三脚座が付いているので“自立”してくれるのが、自分のレンズの特徴。
カメラを、手すりにしっかり押しつけて...

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【2010年3月4日23時42分】 東北本線・上野駅

ボンネット急行「能登」号の最後の勇姿を。

薄暗い地平ホームを発車していく様子を見送って、終電間際の電車に乗ったのだった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

ミスター仙台

私も489系ホームライナーに乗った事が1回だけあります。
宇都宮線沿線に在住なので、
古河まで乗りました。
その際はグリーン席に座りましたが、
多くの乗客はグリーン席から選んで着席していました。

by ミスター仙台 (2018-03-28 21:10) 

あるまーき

ミスター仙台さん

コメントありがとうございます。
自分の場合、なかなか「ライナー」に乗れるようなところに
行く機会が無く...。「見るだけ」ということが多くて。
このときは489系の引退間際でしたので、普通車でしたが、
車内はほぼ満席の状態での発車でした。
車窓は楽しめないものの、座席には白いカバーもかかっていて
特急列車に乗ったような気分でした。
by あるまーき (2018-03-29 00:52) 

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