SSブログ

♪ No. 1 に...なった日の思い出 (1998年6月の山陰旅行にて)<前編> [アナログ写真保管庫]

昨日の<速報版>のタイトルは...

お読みいただいた方に、絶対、その意味はおわかりいただけなかったという自信がある。
というか、自分の昨日の竜ヶ崎線訪問、その何が「No.1」なのか、ご存じである可能性が
ある人は自分以外には、たぶん3名だけ。その皆さんは、その気になれば<変態鉄>の
本名と住所は、おわかりになるのだろうが...

s2_DPP_00002991.JPG
【2018年3月17日12時31分】 関東鉄道竜ヶ崎線・竜ヶ崎駅

ちなみに、関鉄竜ヶ崎線は「(戦後の)日本で初めてワンマン運転を実施した鉄道」
として知られている。(戦前には井笠鉄道のガソリンカーで実施例がある)

でも、その「ワンマン運転の歴史のナンバーワン」では無い。

生まれて40年、優等生というより、見るからに劣等生。就職しても万年平社員の
<変態鉄>に“ナンバーワン”など、絶対に無縁だろうと自分でもそう思うのだが...

趣味活動の中で“ナンバーワン”になったのは、これが「20年ぶり2度目」かも。
というわけで、竜鉄訪問記の前に20年前の山陰を旅していたときのお話。

そんな話題を、わざわざいま取りあげようというのは、つまり...
……  ……

  ネタ切れっ!!

そう、土曜日には早起きして、竜鉄、関東鉄道竜ヶ崎線にキハを撮りに行ったのだが...
でも、お目当てのキハ532号車はなぜか運用に入ってくれなくて。

0Y6C9557.JPG

2013年の暮れに撮りに行ったときの写真でお茶を濁して。
かわりに「まいりゅう号」を撮ってきたのだが、とはいえ、わずか4.5 kmのミニ路線を
30分間隔で1両のキハが“羽子板運転”しているだけ。

どんなに引っ張るのが得意な<変態鉄>でも、これではさすがに...
書くことが無くなってしまう。

というわけで、20年前の話から。

当時、中央線の国立駅の近くにある某大学の商学部にいた<変態鉄>。

“外資”“コンサル”とか、そんなコトバに心ときめかせて、自分が世界の経済を
牛耳るのだ...くらい、スケールの大きい話をする“ご学友”たちの話を、
「すげぇ~」と言いながら、心の中では「バ※じゃね~、無理だろっ」と。
経営学も会計学も...全く興味も関心も無かった<変態鉄>は、周囲と話題が合うわけも
無く、ただダラダラと毎日を過ごしていた。

昼過ぎに起きて、そのままバイト先へ。繁忙期になると今とそれほど変わらない位の
“手取り”があったような...。でも、二十歳。いまでは考えられないような
ムチャクチャな生活で。おカネが貯まったところで、ちょっと休みをとってフラフラと
全国を歩き回っていた。

01_IMG_20180318_0034.jpg
【1998年6月】 山陰本線・米子駅

そんな時期、90年台後半に<変態鉄>がすっかり嵌まってしまって、何度となく
通ったのが山陰本線だった。特に時計を見て行かなくても、米子駅のホームに立てば、
こんな列車が当たり前に停車しており。向こうのホームにいる国鉄急行色の
ゴハチニハチにはカメラさえ向けること無く。

松江市内で宿を確保し、山陰本線の列車に乗ってはキハのエンジン音と振動に身を委ね、
“アルプスの牧場”のオルゴールで始まる車内放送をせっせと録音し...
(当時の米子車掌区の車掌さん、普通列車でも必ずオルゴールを流して放送していて...)

もう、堪らん光景が広がっていたのである。

02_IMG_20180318_0039.jpg
【1998年6月】 一畑電鉄・伊野灘駅付近

もちろん、キハだけでは無い。
山陰本線と宍道湖を挟んで反対側、北岸には一畑電車。ド派手な塗色は...だったが、
南海“ズームカー”が健在で。撮影地を探そうと宍道湖畔の小さな駅に降り立ったら、
年老いた駅員さんが、わざわざ不要になった硬券を探してきてくれて、プレゼント
されたり。山陰の“鉄道風景”は、まだワンマン化すら、あまり進んでおらず、
<変態鉄>にとって、ゾクゾクするような魅力的な地域だったのである。

03_IMG_20180318_0046.jpg
【1998年6月】 山陰本線・米子駅

当時の山陰本線、快速列車はキハ58・28の2両編成、普通列車はキハ47形の2連。
いずれも、車掌さんが乗務していて。このタラコ色はリバイバル塗装では無い。
米子支社管内は国鉄時代のままの車体塗色をずっと堅持していたのであった。

……  ……

もちろん、何度も訪れる中で、ただ列車に揺られているばかりでは無く沿線のことも
気になってくるわけで。最初は松江城や出雲大社などを見て回ったが、
あるとき、<変態鉄>が気になったのは...

11_IMG_20180119_0035.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

当時のキハ181系の山陰特急は米子始発。米子駅は鳥取県内最西端の位置にあり、
1つ隣が、安来節で有名な安来駅。特急も全便停車が原則で、ここから島根県。
そこから、松江、玉造温泉、宍道、出雲市と停まれば、次の特急停車駅が大田市。
ちなみに「おおだし」と濁るのが正しい読み方。
その後は、温泉津(ゆのつ)、江津、浜田、三保三隅、益田...と続いていた。

04_IMG_20180318_0057_1.jpg

その大田市駅から路線バスで30分くらいのところに石見銀山の遺構が残っているそうで。
大森地区は銀山で栄えた江戸時代からの街並みがそのまま残っており、さらに奥へ
行けば、銀の採掘が行われた坑道ということになるのか、“間歩”(まぶ)というのも
残されているそうで。何だか気になる!!

となれば、「次に山陰へ行ったときには...」
もちろん、不マジメ大学生、そのチャンスはすぐにやってくるわけで。

05_IMG_20180318_0051.jpg

6月、バイトの忙しい時期を避けて、5泊6日で松江を訪れている。
「周遊きっぷ 松江・出雲ゾーン」というのも、旅行会社のマルスで発券された
このペラペラの乗車券も、そして何より、たくさんの途中下車印も懐かしい限り。


1998年6月9日(火)雨

というわけで、あいにくの雨模様の中、松江のホテルから路線バス、朝9時の松江駅。

何度か乗ったことがあった松江駅 9:28発の第145D列車、出雲市ゆき。
所定はタラコ色のキハ47形2連のはずだが、なぜか、この日の編成は、

 ←出雲市  キハ28 2486 + キハ47 2007  米子→

と、メモ帳に書き留めている。

11_DPP_3937.JPG
【2016年4月6日12時39分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川

タラコ色キハの形式こそ違えど、これと同じような編成である。
いまなら、その後の全てのスケジュールを“急遽変更”で、キハを夢中で撮りそうだが
この日は1枚も残していない。当時の山陰本線、この姿が“当たり前”だったのである。

PICT1008.JPG
【撮影日不詳】 山陰本線・米子駅

出雲市からは快速「石見ライナー」、急行列車を思わせるキハ58+キハ28編成。
出雲市駅を10:37発、ちょうど30分の道のりだった。キハ58 667と、当日のメモに
残っている。この「石見ライナー」も、別の日に撮ったこんな写真しか残っていない。

あれほど、どちらを見てもキハが溢れていて...
それにも関わらず、カメラを構えようともしなかった、そんな20年前の自分を
思いっきり殴ってやりたい心境である。

おっと、長くなってきたので今日はこのあたりで(笑)。
そう、まだ、何がナンバーワンだったのか、それを明らかにしていないのである。

その点については明日。ただし、鉄分の希薄な記事になりそうな予感。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

nice!(18)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 18

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。