雪の中の<鉄>、過去の写真から。 [その他の鉄話]
東京の、あの大雪から1週間が経とうとしている。でも、陽当たりの悪いところなど
まだまだ雪が残って、カチカチに凍って。油断していると転びそうになるのである。
都心部は積もるほどにならなくても降雪があるだけで、大混乱に陥るのは毎度のこと。
仕事にもいろいろと影響が出るので、都心の雪というのは実に困りものではあるが、
でも、趣味活動の面では雪が降れば、その翌日が晴れてくれると、なおさら一層、
カメラを持ってでかけたくなる。
【2014年2月9日11時51分】 小田急電鉄小田原線・代々木上原駅
とはいえ、混乱も残っているし、いろいろなスケジュールもあるので、
そう遠くへ遠征することもできず、近場で済ませることが多いのだが...。
90年台からのさまざまな写真、雪晴れの日の<鉄>写真を中心に御紹介したい。
…… ……
(1)1991年12月の美濃赤坂駅
【1991年12月29日】 東海道本線・美濃赤坂駅
東海道本線には大垣駅から北へと分岐して美濃赤坂駅に至る短い支線がある。
中学生だったときの自分、もちろん支線区は未乗になっていた区間も多く。
「青春18きっぷ」で近場の未乗区間の“乗りつぶし”に出かけたときの1枚。
確か、小さな駅舎があって。でも、折返し待ちの間、寒いし、駅近くに何か
見たいものがあった訳でも無く。
岐阜の冬というのは、もっと雪が降るような勝手なイメージがあった。
でも、岐阜市内というのは意外と雪が少なく。1年間、岐阜に通って雪景色を
撮ったのはこのときくらい。
市内線の深紅の路面電車など雪景色の中で撮ると、よく映える気がしたが、
2005年の廃線までその機会には恵まれなかった。
(2)1994年2月の世田谷線
高校生の頃、井の頭線沿線に引っ越した。通っていた高校は世田谷区内の下馬という
ところにあったので、まぁ、フツーの人なら井の頭線で渋谷に出て、東急線で通う
だろうが...
世田谷線、“玉電”に乗りたくて、明大前、下高井戸経由という不思議な経路を
選んだのだった。
【1994年2月頃】 東急世田谷線・松原-山下
大雪が降った翌日、帰りの電車の中から見た沿線はまだまだ雪が残っていて。
帰宅したら、すぐさま、制服を脱いでカメラを持って再出発。
確か松原電停近くの線路際で撮ったような。
緑色の半鋼製電車が当たり前のように走っていた。
【1994年2月頃】 東急世田谷線・松原-山下(後追い)
屋根が浅いのが80形、もう少し深いのが70形だった。70と80という形式番号だが、
更新工事を受けた時期の違いなどの関係もあって、シートの袖仕切りが木製で
残っていたのが80形、こちらの方が<変態ガキ鉄>は気に入っていた。
両サイドとも撮影可能な場所で、あえて逆光側に立つのが<変態ガキ鉄>である。
(3)1993年2月の南小谷駅
毎年、JRグループの大規模なダイヤ改正は3月に行われる。14系ではあったが、
上野駅を21:00に経って、高崎から信越本線、長野県内の小さな駅にこまめに停まり、
直江津から北陸本線、富山を経て金沢、さらに輪島まで走っていた急行列車が
「能登」号だった。富山駅着が4:45というのはちょっと早すぎだったが、
「三段式B寝台」が連結された急行列車は、1人で乗った“寝台車初体験”。
その急行「能登」が電車化(489系)されると聞いて。
高校入試が終わった直後、休みをとって富山へ。その帰り、初めて糸魚川から
大糸線に乗ったのだった。
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
そう、キハ52形の車内で“アルプスの牧場”のオルゴールを聴いた...。
その日の南小谷駅は雪の中だった。(糸魚川には雪は全然無かった)
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
コーポレートカラーと言うことか、当時、長野県内を中心にJR東日本管内の駅には
緑色のフレームの駅名板が多かった気がする。
所在地を明記してくれる駅名板は、最近では見かけなくなったが、<乗り鉄>して
いるときには、非常に役に立つのである。
(JR東海管内には、いまも所在地を記載したタイプが多かったか!?)
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
そして、乗り継いだのが115系の快速電車。最近話題の「信州色」だった。
当時は全く気にも留めなかった塗色。20年の時を経て、しなの鉄道で“復活”を
果たすなど全く想像もできなかった。
カメラのストラップが何かが写り込んだダメダメな写真。お見苦しい点は
お許し頂きたい。
(4)2014年2月9日の飛鳥山電停
東京に大雪をもたらすのは「南岸低気圧」というヤツらしい。
南の暖気と北から流れ込んでくる寒気、それらがぶつかってできる低気圧が
伊豆諸島の八丈島付近を通過するルートを通ると、東京は雪になるそうで...
今週も木曜日の予報が雪に変わったみたい。
でも、そういう気圧配置に最もなりやすいのは2月だと言うことで。
このときも。前日は激しい雪に見舞われ。いすみ鉄道のイベントに行くつもりが
高速バスも外房線もダメで、とても苦労したのを覚えている。
そんなときの都電荒川線。
【2014年2月9日10時36分】 都電荒川線・飛鳥山電停
当時、カメラを構えていて、やって来た電車が7000形だと内心「ハズレ」と
思っていた。雪晴れの飛鳥山電停に停車する「あかおび」くん。
【2014年2月9日10時38分】 都電荒川線・飛鳥山-滝野川1丁目(後追い)
こういうときは、車両アップの撮り方より線路とその周囲を広く入れた方が
良い画になるだろうか??
飛鳥山から滝野川1丁目に向かっていく8500形。
そして...
【2014年2月9日10時43分】 都電荒川線・滝野川1丁目-飛鳥山(後追い)
飛鳥山から滝野川にかけての直線区間は、線路沿いに、人一人分位の幅の狭い道、
というより通路があって。何だか「都電らしい」雰囲気が残っている。
そこを行く7000形。これほど何度も撮りに行ってても雪景色の中で都電7000形を
撮ることができたのは、このときだけだったような。
今にして思えば、貴重な記録になったのだった。
…… ……
ということでネタ切れ、ここに極まれり。
雪の中の駄作写真で何とか記事を1つ捻り出してみたのだが...
さぁ、明日は?!
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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まだまだ雪が残って、カチカチに凍って。油断していると転びそうになるのである。
都心部は積もるほどにならなくても降雪があるだけで、大混乱に陥るのは毎度のこと。
仕事にもいろいろと影響が出るので、都心の雪というのは実に困りものではあるが、
でも、趣味活動の面では雪が降れば、その翌日が晴れてくれると、なおさら一層、
カメラを持ってでかけたくなる。
【2014年2月9日11時51分】 小田急電鉄小田原線・代々木上原駅
とはいえ、混乱も残っているし、いろいろなスケジュールもあるので、
そう遠くへ遠征することもできず、近場で済ませることが多いのだが...。
90年台からのさまざまな写真、雪晴れの日の<鉄>写真を中心に御紹介したい。
…… ……
(1)1991年12月の美濃赤坂駅
【1991年12月29日】 東海道本線・美濃赤坂駅
東海道本線には大垣駅から北へと分岐して美濃赤坂駅に至る短い支線がある。
中学生だったときの自分、もちろん支線区は未乗になっていた区間も多く。
「青春18きっぷ」で近場の未乗区間の“乗りつぶし”に出かけたときの1枚。
確か、小さな駅舎があって。でも、折返し待ちの間、寒いし、駅近くに何か
見たいものがあった訳でも無く。
岐阜の冬というのは、もっと雪が降るような勝手なイメージがあった。
でも、岐阜市内というのは意外と雪が少なく。1年間、岐阜に通って雪景色を
撮ったのはこのときくらい。
市内線の深紅の路面電車など雪景色の中で撮ると、よく映える気がしたが、
2005年の廃線までその機会には恵まれなかった。
(2)1994年2月の世田谷線
高校生の頃、井の頭線沿線に引っ越した。通っていた高校は世田谷区内の下馬という
ところにあったので、まぁ、フツーの人なら井の頭線で渋谷に出て、東急線で通う
だろうが...
世田谷線、“玉電”に乗りたくて、明大前、下高井戸経由という不思議な経路を
選んだのだった。
【1994年2月頃】 東急世田谷線・松原-山下
大雪が降った翌日、帰りの電車の中から見た沿線はまだまだ雪が残っていて。
帰宅したら、すぐさま、制服を脱いでカメラを持って再出発。
確か松原電停近くの線路際で撮ったような。
緑色の半鋼製電車が当たり前のように走っていた。
【1994年2月頃】 東急世田谷線・松原-山下(後追い)
屋根が浅いのが80形、もう少し深いのが70形だった。70と80という形式番号だが、
更新工事を受けた時期の違いなどの関係もあって、シートの袖仕切りが木製で
残っていたのが80形、こちらの方が<変態ガキ鉄>は気に入っていた。
両サイドとも撮影可能な場所で、あえて逆光側に立つのが<変態ガキ鉄>である。
(3)1993年2月の南小谷駅
毎年、JRグループの大規模なダイヤ改正は3月に行われる。14系ではあったが、
上野駅を21:00に経って、高崎から信越本線、長野県内の小さな駅にこまめに停まり、
直江津から北陸本線、富山を経て金沢、さらに輪島まで走っていた急行列車が
「能登」号だった。富山駅着が4:45というのはちょっと早すぎだったが、
「三段式B寝台」が連結された急行列車は、1人で乗った“寝台車初体験”。
その急行「能登」が電車化(489系)されると聞いて。
高校入試が終わった直後、休みをとって富山へ。その帰り、初めて糸魚川から
大糸線に乗ったのだった。
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
そう、キハ52形の車内で“アルプスの牧場”のオルゴールを聴いた...。
その日の南小谷駅は雪の中だった。(糸魚川には雪は全然無かった)
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
コーポレートカラーと言うことか、当時、長野県内を中心にJR東日本管内の駅には
緑色のフレームの駅名板が多かった気がする。
所在地を明記してくれる駅名板は、最近では見かけなくなったが、<乗り鉄>して
いるときには、非常に役に立つのである。
(JR東海管内には、いまも所在地を記載したタイプが多かったか!?)
【1993年2月頃】 大糸線・南小谷駅
そして、乗り継いだのが115系の快速電車。最近話題の「信州色」だった。
当時は全く気にも留めなかった塗色。20年の時を経て、しなの鉄道で“復活”を
果たすなど全く想像もできなかった。
カメラのストラップが何かが写り込んだダメダメな写真。お見苦しい点は
お許し頂きたい。
(4)2014年2月9日の飛鳥山電停
東京に大雪をもたらすのは「南岸低気圧」というヤツらしい。
南の暖気と北から流れ込んでくる寒気、それらがぶつかってできる低気圧が
伊豆諸島の八丈島付近を通過するルートを通ると、東京は雪になるそうで...
今週も木曜日の予報が雪に変わったみたい。
でも、そういう気圧配置に最もなりやすいのは2月だと言うことで。
このときも。前日は激しい雪に見舞われ。いすみ鉄道のイベントに行くつもりが
高速バスも外房線もダメで、とても苦労したのを覚えている。
そんなときの都電荒川線。
【2014年2月9日10時36分】 都電荒川線・飛鳥山電停
当時、カメラを構えていて、やって来た電車が7000形だと内心「ハズレ」と
思っていた。雪晴れの飛鳥山電停に停車する「あかおび」くん。
【2014年2月9日10時38分】 都電荒川線・飛鳥山-滝野川1丁目(後追い)
こういうときは、車両アップの撮り方より線路とその周囲を広く入れた方が
良い画になるだろうか??
飛鳥山から滝野川1丁目に向かっていく8500形。
そして...
【2014年2月9日10時43分】 都電荒川線・滝野川1丁目-飛鳥山(後追い)
飛鳥山から滝野川にかけての直線区間は、線路沿いに、人一人分位の幅の狭い道、
というより通路があって。何だか「都電らしい」雰囲気が残っている。
そこを行く7000形。これほど何度も撮りに行ってても雪景色の中で都電7000形を
撮ることができたのは、このときだけだったような。
今にして思えば、貴重な記録になったのだった。
…… ……
ということでネタ切れ、ここに極まれり。
雪の中の駄作写真で何とか記事を1つ捻り出してみたのだが...
さぁ、明日は?!
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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先日、私の愛娘は自転車カバーに積もった雪をすくって遊んでました。
しかし新潟市に以前住んでいた私は嫌いです。路面が凍結した際に、何度も転んだし、通勤に利用していた越後線は遅延や運休したりして何度も泣かされました。
現在は比較的に困ることが少なくなったので安堵してます。しかし油断大敵です。日々運行状況はチェックしてます。
by UZ (2018-01-30 22:14)
UZさん
コメントありがとうございます。
お嬢さんも、やっぱり雪国でなければ、
雪が降ると楽しくてならないですよね。
数十年前の自分も...
といいつつ、仕事をするようになると全然楽しめませんが。
仰るとおり、雪道には非常に難儀しますし、雪は勘弁...です。
でも、明後日から東京は再び「雪」の予報になっており...
仕事のことを考えると、ちょっと憂鬱です。
by あるまーき (2018-01-30 23:39)