あの「運命の出会い」の前の晩。(2008年3月の福井鉄道福武線) [福井鉄道福武線200形]
先日、「西武生(にしたけふ)」を「セイブ・ナマ」とボケてみたのに(→ こちら)、
さすがに誰からも突っ込まれなかった(← 当たり前!!)、そんな<変態鉄>。
この当時、福井鉄道福武線を走るモハ200形という「連接車」を撮りに、
結構、頻繁に福井を訪れていた。
【2008年3月3日8時02分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
名鉄の岐阜600V線区が廃止になって、美濃町線の車両を中心に低床タイプの
連接車たちが大挙して福井に転じ、その玉突きで“福井名物”でもあった、
高床の郊外電車型の車両が路面を走るシーンは徐々に見られなくなってきていた。
今日の記事の写真の翌朝、3月3日の朝、市役所前電停で交換するモハ200形と880形。
赤い岐阜から来た連接車と比べると車高が全く違っていて。
そんな電車が目抜き通り、フェニックス大通りをゴロゴロと走っていたのだから。
「もう、堪らん!!」となる訳で。
このときは、当日の早朝に名古屋に入ったみたい。木曽川堤駅近くのカーブで、
パノラマカーを狙って...(その写真を貼らないところから、察して下さい(笑))
そのまま夕方、福井の街にやって来たようで。
たしか、福井駅前のホテルに泊まって、夕食は地下の揚げ物屋さんだったような。
…… ……
2008年3月2日(日)曇り
夕方の列車で福井入り。早速、ホテルに荷物を置いて向かったのは福鉄電車の
「福井新」駅。(現在は「赤十字前」に改称されている)
この駅の市街地寄りに“鉄軌分界点”というが標識がある。
簡単に言うと、「路面電車」と「フツーの私鉄電車」の境界。でも、福井新駅を
出た電車は何事も無かったかのように、道路の中央に出てくるのである。
【2008年3月2日17時11分】 福井鉄道福武線・武生新駅
そんな福井新駅から、この日の撮影をスタートした。
当時、駅員さんに、この晩と翌朝の200形運用を尋ねたような。
丁寧にも、武生の担当者に電話で確認してくれて
「あぁ、何かマニアの方が在来車の運用聞きたいって...」
非常に丁寧に調べて教えてもらえたような。
余談ながら、この写真に写っているホームと駅舎を結ぶ構内踏切に、有名な
“踏切ジャンジャン”の看板がある。
【2008年3月3日8時33分】 福井鉄道福武線・武生新駅
それから、除雪用に何とも古めかしい渋い電気機関車...というよりは、電動貨車が
待機しているのもわかる。幸い、このレトロな感じの電気機関車「デキ11号機」、
翌朝、再び撮影に訪れたときに形式写真を撮っていた。
さて、200形。
大好きだった「モハ200形」は、この当時、3編成(正式には“3両”)が健在だった。
そのうち、早速、201号車がやってくるみたいで。
もう撮影地選択の余地は無く。大急ぎで向かったのは路面に出てくるところの交差点。
十字路を斜めに貫くように複線の線路が通っていて。後ろの福井市街地の方に
振り返れば「木田四ツ辻」電停、この先、線路は新設軌道(専用軌道)に入り、
例の“鉄軌分界点”を過ぎたところが「福井新」駅。
【2008年3月2日17時31分】 福井鉄道福武線・武生新-木田四ツ辻
3月の17時過ぎ。路面電車とはいえ走行写真を撮るのは限界に近いコンディション。
でも、ここまで来たら撮るしか無い。
さぁ、モハ201号車の姿が見えてきた。信号が変われば...
黄色矢印の「電車誘導信号」は設置されていても、路面電車撮影は“没カット”の
山ができるもの。右折するクルマに被られるのは、毎度のこと。
だから、「ここに来たら、この位置でシャッターを切って...」と思っていたら
イライラするばかりで何も撮れない。
【2008年3月2日17時32分】 福井鉄道福武線・武生新-木田四ツ辻
「数打ちゃ~」ということ。白熱灯のヘッドライトも何とも言えない。
この“ボワァ~”とした灯りが堪らないのである。最近のHIDはおろか、
シールドビームでも絶対に出せない、この味わい。<変態鉄>には実に堪らん
ものなのである。
ちなみに、この記事を書いていて気づいたが、この写真の運転士さん...
勤務中なのに運転席で油断しすぎのような(笑)。
これを撮った後は、確か、路線バスで追いかけたような...
大急ぎで向かったのは大名町の交差点近く、福武線の“要衝”、市役所前電停。
18時に近づき、だんだん暗くなってきて。
【2008年3月2日17時50分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
三脚を使ってのバルブ撮影。でも、この当時の<変態鉄>、お恥ずかしながら
長時間露光のときに“レリーズスイッチ”というのが必需品だと知らなかった。
フツーにカメラ本体のシャッターボタンを指で押していて...
「三脚に固定していても手ブレ写真が多いなぁ...」と思いつつ、
夜間撮影とは“そんなもの”だとばかり思っていた。
この日の写真も...
街路灯が水銀ランプなのだろうか、この色味も好き嫌い分かれそうだが...
試し撮りは800形。名鉄美濃町線の“起死回生”を狙って投入された超個性派の
部分低床車だったが、岐阜での活躍は極めて短いものだった。
(数年後に路線廃止にするなら、なぜ、こんな新しい技術を?? 名鉄の姿勢が謎!!)
【2008年3月2日17時54分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
同じ撮り方をすれば、モハ200形が路面電車の中で異例の大柄ボディだと
よく分かる。モハ201号車は「急行 武生新ゆき」。
続いて、モハ202号車。
【2008年3月2日18時10分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
やはり、「急行 武生新ゆき」。当時の“新カラー”に塗り替えられた古豪。
この塗色、モハ200形に似合っているようには見えず、自分としてはベージュに青帯の
かつての塗色の方が好きだったが...。
…… ……
そして、この翌日。2008年3月3日は...
冷たい雨の降る朝、寒さに耐えながら市役所前電停周辺で福鉄電車を撮って、
北陸本線で向かった先は富山だった。
夕方の富山駅1番ホームに入ってきたのが...
【2008年3月3日17時14分】 高山本線・富山駅
猪谷ゆきの普通列車はキハ58系、そう、この日から2011年3月まで、
あの「飛越ゴハチを追った日々」(→ こちら)が始まるのだった。
ちなみに、この車両。渡り板のところに車番が書かれている。
よく見れば「キハ28 2346」、そう、いま、いすみ鉄道に居る、あのニハチである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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さすがに誰からも突っ込まれなかった(← 当たり前!!)、そんな<変態鉄>。
この当時、福井鉄道福武線を走るモハ200形という「連接車」を撮りに、
結構、頻繁に福井を訪れていた。
【2008年3月3日8時02分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
名鉄の岐阜600V線区が廃止になって、美濃町線の車両を中心に低床タイプの
連接車たちが大挙して福井に転じ、その玉突きで“福井名物”でもあった、
高床の郊外電車型の車両が路面を走るシーンは徐々に見られなくなってきていた。
今日の記事の写真の翌朝、3月3日の朝、市役所前電停で交換するモハ200形と880形。
赤い岐阜から来た連接車と比べると車高が全く違っていて。
そんな電車が目抜き通り、フェニックス大通りをゴロゴロと走っていたのだから。
「もう、堪らん!!」となる訳で。
このときは、当日の早朝に名古屋に入ったみたい。木曽川堤駅近くのカーブで、
パノラマカーを狙って...(その写真を貼らないところから、察して下さい(笑))
そのまま夕方、福井の街にやって来たようで。
たしか、福井駅前のホテルに泊まって、夕食は地下の揚げ物屋さんだったような。
…… ……
2008年3月2日(日)曇り
夕方の列車で福井入り。早速、ホテルに荷物を置いて向かったのは福鉄電車の
「福井新」駅。(現在は「赤十字前」に改称されている)
この駅の市街地寄りに“鉄軌分界点”というが標識がある。
簡単に言うと、「路面電車」と「フツーの私鉄電車」の境界。でも、福井新駅を
出た電車は何事も無かったかのように、道路の中央に出てくるのである。
【2008年3月2日17時11分】 福井鉄道福武線・武生新駅
そんな福井新駅から、この日の撮影をスタートした。
当時、駅員さんに、この晩と翌朝の200形運用を尋ねたような。
丁寧にも、武生の担当者に電話で確認してくれて
「あぁ、何かマニアの方が在来車の運用聞きたいって...」
非常に丁寧に調べて教えてもらえたような。
余談ながら、この写真に写っているホームと駅舎を結ぶ構内踏切に、有名な
“踏切ジャンジャン”の看板がある。
【2008年3月3日8時33分】 福井鉄道福武線・武生新駅
それから、除雪用に何とも古めかしい渋い電気機関車...というよりは、電動貨車が
待機しているのもわかる。幸い、このレトロな感じの電気機関車「デキ11号機」、
翌朝、再び撮影に訪れたときに形式写真を撮っていた。
さて、200形。
大好きだった「モハ200形」は、この当時、3編成(正式には“3両”)が健在だった。
そのうち、早速、201号車がやってくるみたいで。
もう撮影地選択の余地は無く。大急ぎで向かったのは路面に出てくるところの交差点。
十字路を斜めに貫くように複線の線路が通っていて。後ろの福井市街地の方に
振り返れば「木田四ツ辻」電停、この先、線路は新設軌道(専用軌道)に入り、
例の“鉄軌分界点”を過ぎたところが「福井新」駅。
【2008年3月2日17時31分】 福井鉄道福武線・武生新-木田四ツ辻
3月の17時過ぎ。路面電車とはいえ走行写真を撮るのは限界に近いコンディション。
でも、ここまで来たら撮るしか無い。
さぁ、モハ201号車の姿が見えてきた。信号が変われば...
黄色矢印の「電車誘導信号」は設置されていても、路面電車撮影は“没カット”の
山ができるもの。右折するクルマに被られるのは、毎度のこと。
だから、「ここに来たら、この位置でシャッターを切って...」と思っていたら
イライラするばかりで何も撮れない。
【2008年3月2日17時32分】 福井鉄道福武線・武生新-木田四ツ辻
「数打ちゃ~」ということ。白熱灯のヘッドライトも何とも言えない。
この“ボワァ~”とした灯りが堪らないのである。最近のHIDはおろか、
シールドビームでも絶対に出せない、この味わい。<変態鉄>には実に堪らん
ものなのである。
ちなみに、この記事を書いていて気づいたが、この写真の運転士さん...
勤務中なのに運転席で油断しすぎのような(笑)。
これを撮った後は、確か、路線バスで追いかけたような...
大急ぎで向かったのは大名町の交差点近く、福武線の“要衝”、市役所前電停。
18時に近づき、だんだん暗くなってきて。
【2008年3月2日17時50分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
三脚を使ってのバルブ撮影。でも、この当時の<変態鉄>、お恥ずかしながら
長時間露光のときに“レリーズスイッチ”というのが必需品だと知らなかった。
フツーにカメラ本体のシャッターボタンを指で押していて...
「三脚に固定していても手ブレ写真が多いなぁ...」と思いつつ、
夜間撮影とは“そんなもの”だとばかり思っていた。
この日の写真も...
街路灯が水銀ランプなのだろうか、この色味も好き嫌い分かれそうだが...
試し撮りは800形。名鉄美濃町線の“起死回生”を狙って投入された超個性派の
部分低床車だったが、岐阜での活躍は極めて短いものだった。
(数年後に路線廃止にするなら、なぜ、こんな新しい技術を?? 名鉄の姿勢が謎!!)
【2008年3月2日17時54分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
同じ撮り方をすれば、モハ200形が路面電車の中で異例の大柄ボディだと
よく分かる。モハ201号車は「急行 武生新ゆき」。
続いて、モハ202号車。
【2008年3月2日18時10分】 福井鉄道福武線・市役所前電停
やはり、「急行 武生新ゆき」。当時の“新カラー”に塗り替えられた古豪。
この塗色、モハ200形に似合っているようには見えず、自分としてはベージュに青帯の
かつての塗色の方が好きだったが...。
…… ……
そして、この翌日。2008年3月3日は...
冷たい雨の降る朝、寒さに耐えながら市役所前電停周辺で福鉄電車を撮って、
北陸本線で向かった先は富山だった。
夕方の富山駅1番ホームに入ってきたのが...
【2008年3月3日17時14分】 高山本線・富山駅
猪谷ゆきの普通列車はキハ58系、そう、この日から2011年3月まで、
あの「飛越ゴハチを追った日々」(→ こちら)が始まるのだった。
ちなみに、この車両。渡り板のところに車番が書かれている。
よく見れば「キハ28 2346」、そう、いま、いすみ鉄道に居る、あのニハチである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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