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東山三条をゆく緑色の電車たち(1997年3月の京津線) [アナログ写真保管庫]

  ♪ わたしのすべてを見せるのは ちょっぴり怖くて恥ずかしい~

とは、百恵ちゃんのデビュー曲だっただろうか。

書いている本人としては意外な感じがするのだが、拙ブログの中で記事別の閲覧数が
上がっているのが、1990年台、<変態鉄>が、まだ<変態ガキ鉄>だった時代に撮った
写真のネガをスキャンして作った記事。

詳細な撮影データも残っておらず、いまよりも遙かに下手くそな写真ばかり。
むしろ、書いている側としては“ネタ切れ時の苦し紛れ”の記事が少なくないのだが
コンスタントにお読みいただいているみたい。

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【2017年12月3日17時50分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅

小湊、いすみ。“房総半島横断鉄道”の撮影記はもうちょっとだけ準備に時間が...

ということで、今日も古いネガから。

1997年3月頃の京阪京津線の模様をご紹介したい。

ということで、冒頭の曲がアタマに...

普段、こういうネガからの記事は、ネガの保存状態が悪いこと、それ以上に
<変態ガキ鉄>の“露出”も“順光”も気にせず、実にテキトーに撮った写真。
かなり修正しないとアップできなかった。でも、今日は...

<変態ガキ鉄>(← 20年前の自分)の写真を“すっぴん”でご覧頂きたい。

「つまり、手抜き記事ってことか?? 恥を知れ!!」というご意見はごもっとも。
でも、恥ずかしい...なんて思っていては<変態野郎>は務まらない。

というわけで...
……  ……

1997年3月17日(月)晴れ

たぶん、1997年3月17日の撮影。当時のネガ、前後に写っている画像を見ると
97年春頃の撮影。他の資料を調べたら、この年の3月17日は滋賀県の膳所駅前と
京都の三条周辺に居たことが確認できた。

京都の三条通り、鴨川沿いの京阪三条...というか“京津三条駅”から南禅寺にも
ほど近い、蹴上(けあげ)まで京阪電車がゴトゴトと道路上を走っていた。

1991年8月、中学生の時に見に行って。その雰囲気を気に入ったのだが、
なかなか上手く撮れず。地下鉄建設に伴い、路面併用区間が廃止になると聞いて。

まずは、ここ。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近

祇園の八坂神社前から北に向かうのが東大路通、それと三条通が交わるのが
東山三条。路面区間の途中駅、準急電車は通過となるが各駅停車と合わせて、
電車は結構、頻繁にやってくる。その少し先...

まずは、当時の準急電車の主力車600形。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近(後追い)

そして600形、中には同じ形式とは思えないほど車体形状の違う電車がいたり。
このあたり、<鉄>といえ、私鉄電車というのは<地元鉄>でないとなかなか...

この写真、609号車という電車、運転台まわりは曲線的なふくよかな感じの
ボディラインである。そして運転第窓は側面まで回り込む曲面ガラス。

さて、この頃...というか、<変態ガキ鉄>が京津線を訪れると、必ず撮っていた
構図があった。それが、上の2枚の写真でも背後にチラッと写り込んでいる歩道橋。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近

蹴上の先、滋賀県との県境に向かって小高い稜線が見えていて...
そして道路の両側にはちょっと間口の狭い感じの家々がひしめき合うように。

何だか、その雰囲気が“京都らしい”と感じていた当時の<変態ガキ鉄>。
でも、考えてみれば、ほぼ真東を向いてカメラを構えるわけで朝早くないと
電車の顔に光は回らないはず。でも、当時の<変態ガキ鉄>にそんなこと
考えられる筈も無く。

601号と603号、600形どうしの離合シーン。緑濃淡の京阪電車の標準色が街並みに
よく似合っていた。先の写真と比べると同じ600形でも前面形状などに違いがある
ことがわかる。

でも、京津線での“おめあて”ともいえる存在だったのは...

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近(後追い)

この車体形状、ちょっと不思議な造形が堪らなく好きだった。
80形電車である。こちらは路面にある停留所での乗降に対応したステップ付き。
日中のダイヤでは四宮までの折返しローカルに入っていた。

“顔”に光が回っていないとはいえ、当時の自分にとってはこれでも十分に
“会心の1枚”だったはず。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近

デジカメとの違いは、撮った時点では「撮れているか、撮れていないか」すら
全く分からなかったこと。ということは「下手な鉄砲も...」の喩えの通り、
できるだけ撮影機会を多く確保することで“リスク回避”を目指すのは
当時の<変態ガキ鉄>には“当然の行動”。はるか後方に、蹴上に向かって
カーブを曲がっていく下り電車の姿が写り込んでいる。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近(後追い)

もちろん、振り返っても。とにかく撮らないとダメだった。
でも、ネガも現像にもおカネがかかって。<変態ガキ鉄>は“あと何コマ”と
気にしながらシャッターを押していたのである。

反対サイドも電車の顔には光が入らない時間帯になっており...嗚呼。

余談ながら三条通、結構、急勾配であることが見て取れる。
それよりも、この画面の右隅。大手コンビニエンスストアーが見える。
いま、京都市内の店舗は、こういう色彩の看板を掲げることは規制されていたはず。

そういうところにも時代の流れが読み取れる。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近(後追い)

当時の京津線の電車はすべて2両編成。80形も2両固定編成で運用されていた。
でも、古い写真を見るとパンタグラフの代わりに、屋根からはトロリーポール、
単行で三条通を走っている写真を見たことがある。

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【1997年3月17日】 京阪京津線(当時)・東山三条電停付近

80形もちゃんと記録できていた。ちょっとホッとした1枚。
日中の三条通で、クルマに被られずに撮るのは運が良くないと...

三条通に沿って走って行く京津線、山科付近からは東海道に沿って。
最後の1区間、終点・浜大津駅に向かうところから再び道路併用軌道。

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【1997年3月17日】 京阪京津線・上栄町-浜大津

いまもここに線路はあるけれど、特別な時以外、日中、こういう2両編成の...
東山三条で見た電車たちがこの線路の上を走ることはない。

いま思えば、この風景の中で小さな緑色の電車たちを撮っておきたかった。

この路線、ずっと“気になる路線”としてリストアップしているのだが...
もう何年も行く機会がないのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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