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2008.8 美祢線 快速「おいでませ山口」号撮影記(1) [鉄分の濃い旅行記録]

職業柄、仕事が忙しい...というか、時間がかかる時期で。
「忙しい」というよりは「会社に居ないといけない時間が長い」というのが
正確だろうか。つまり、撮影に行けない訳で、ということは、
拙ブログのネタ切れ状態も...う~ん。

と言うわけで、困ったときの過去ネタ。

2008年8月の撮影記。なぜか、9年前の夏の撮影記をこの時期にアップする
<変態鉄>なのだが...

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【2010年5月9日15時54分】 因美線・知和-美作加茂

いつも通り(?)、長い前置きを。

国鉄型キハを愛する<変態鉄>が「The King of 国鉄型キハ」とでも言おうか、
撮るのも乗るのも、一番好きだったのが、キハ58系急行型ディーゼル動車。

とはいえ「東京オリンピック世代」、高度成長期を迎え、活況を呈していた
国鉄の地方亜幹線輸送の近代化と急行列車新設のために大量投入された車両。
21世紀に入る頃には車齢も40年に近づき廃車が加速、本来の急行列車としての
活躍も、広島県の芸備線急行「みよし」号が最後になったのだった。

その後、同系の定期運用最後となったのは「飛越ゴハチ」(→ こちら)、
でも、もう1つ、<変態鉄>には忘れられない“ゴハチニハチ”がいた。
広島支社で廃車となるはずのキハ58・28形の2両編成を、隣の岡山支社が...

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【2016年6月12日11時37分】 岡山県津山市大谷・まなびの鉄道館

国鉄急行色に塗り戻され、西日本管内のイベント列車用として2010年秋まで
活躍したのだった。いまも「津山まなびの鉄道館」の扇形庫に保存されている。

さて、岡山支社のゴハチニハチ。
「飛越ゴハチ」とは違ってイベント時だけの活躍だったが、でも、こちらは
ワンマン改造を受けず、名実ともに「急行型」。
4人掛けのボックスシートがズラッと並んだ車内を最後まで保ち続けていた。

そんな、岡山支社のキハ58・28、走る日がわかれば豊岡へ、津山へ...
もちろん<変態鉄>として日帰りの強行軍で会っても、一目見ようと通ったのだった。

2008年の夏は、山口県のディスティネーション・キャンペーン(DC)に合わせ、
夏休みシーズンに美祢線の臨時快速「おいでませ山口」号としてキハ58系が
“登板”したのだった。

ところで、美祢線って??

……  ……

山口県にお住まいの方か、<鉄>でないとあまりご存じない路線かも。

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「忙しい!!」などとのたまいつつ、仕事で使うソフトで山口県西部の
鉄道地図を自作(!!)した...という<変態鉄>の謎の行動については、ここでは
触れないことにして、この地図の中央、赤い線が“美祢(みね)線”である。
ちなみに、よく知られる「秋吉台」があるのも美祢市。

宇部の近く、厚狭(あさ)は今では新幹線の駅もつくられたが、小さな街。
そこから北上して、山陰本線の長門市に至る全長50キロに満たない短い路線。
陰陽連絡路線の1つとして、国鉄時代には急行列車も設定されており、キハ58系も
急行「さんべ」号などで美祢線を走っていた頃もある。

この区間、陰陽連絡ルートでは珍しくJR時刻表の索引地図では黒線、
つまり「幹線」の扱いとなっている。とはいえ、それは“過去の栄光”。

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【2008年8月17日10時59分】 美祢線・厚狭駅

旅客輸送よりも、石炭と石灰石輸送の貨物で栄えた路線だった。
この訪問時にも“行きがけの駄賃”でディーゼル機関車が牽く石灰石輸送列車も
撮ったが、でも、その石灰石輸送の“荷主”だった宇部興産は美祢から宇部まで
何と自社専用道路を建設、大型トラック輸送に切り替え、列車輸送は全廃された。

「稼ぎ」の大半を失った美祢線。

2010年夏の水害で橋梁が流失するなど甚大な被害があり、長期運休を余儀なく
されたとき、何でも、当時のJR西日本の副社長から、山口県副知事に対して
採算性の問題から同線の廃止を考えている...と言ったとか言わなかったとかが
話題になるような、そんな状況に。(後にJR側はこの発言を否定)

でも、いまでは軽量気動車キハ120系によるワンマン列車が1~2時間に1本という
閑散路線になっている。

<変態鉄>としても学生時代にJR全線完乗を目指していたときに通っただけ。
あまり印象にも残っていなかった。

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【2008年8月16日14時03分】 美祢線・長門市駅

ただ、そんな路線でもキハ58系が走るとなれば...
夏休みシーズンの忙しい時期、無理矢理、仕事の休みを捻出して...
必死で撮影地ガイドを検索して...

と言うわけで、話は9年前の夏、2008年8月。当時のメモ帳の記述をもとに
そのときの撮影記を。


2008年8月15日(金)くもり

夕方のヒコーキで山口宇部空港へ。確か、悪天候による条件付き運航で
機内サービスの飲み物も冷たいものに限定されていたような。

山口宇部空港からは「急行バス」で宇部市内中心部のホテルへ...と書きつつ、
「急行バス」とは名ばかり。宇部市営バスのフツーの2扉車だったみたい。

当時はブログ開設前、お目当ての被写体以外にはカメラを向けることもなく。



2008年8月16日(土)くもり一時雨

宇部新川駅近くの6時に起床。「昼過ぎから雷を伴った雨」との予報を聞きつつも
“行くしか無い!!”、かなり蒸し蒸ししておりカメラが結露。厚狭まで乗った
宇部線電車をスナップしようとカメラを取り出しても、何も撮れなかったと。

厚狭駅 7:38発の長門市ゆきはキハ120系単行(キハ120-9)、車内はかなり混雑
していたみたい。3つ目の四郎ヶ原駅で下車。駅の厚狭方、300メートルくらいの
ところのカーブで、「おいでませ山口」号を迎え撃つことに。

今にも雨が降り出しそうな空模様。とりあえず場所を確保、カメラを構えれば、
この時間帯、美祢線は列車が頻繁にやってくるみたいで...

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【2008年8月16日8時13分】 美祢線・厚保-四郎ヶ原

まずは、DD51型ディーゼル機関車の単機。
この暗さ。シャッター速度が稼げず、ちょっと被写体ブレ!?

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【2008年8月16日8時53分】 美祢線・厚保-四郎ヶ原

続いて、長門市ゆき。キハ120系は同じだが、こちらは2両編成だった。

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【2008年8月16日9時07分】 美祢線・四郎ヶ原-厚保(後追い)

さらに、厚狭ゆきを後追いで。こちらもキハ120の2両編成。
ワンマン運転の場合、2両編成の後部車両はドア締切となるため、乗客が少ない
ものなのだが、進行方向後ろ側、写真手前の車両にも多くの乗客の姿。

待っている間、空からは雨が落ちてきたり上がったり。傘を出したりしまったり。
駅に近いポイントだけに“同業者さん”も10名以上集まったみたいで。

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【2008年8月16日9時49分】 美祢線・厚保-四郎ヶ原

10時前、カーブの向こうからキハの姿が。

さぁ、いよいよ。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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hanamura

私が山口県岩国市民だったころ不通で代行バスでした。
by hanamura (2017-03-31 06:16) 

あるまーき

hanamuraさん

コメントありがとうございます。
2010年の水害の被害は結構甚大だったみたいで...
でも、自分はこれを書くのにあたって、調べてみて初めて知ったことがたくさんありまして...。
山口県も、(<鉄>以外にも)訪れたい箇所がいろいろとあるのですが、最近は、なかなか訪問機会がありません。
by あるまーき (2017-03-31 23:25) 

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