2015年8月「吊り掛け駆動」の電車を追って(4)黒野駅のいま<前編> [スカーレットのトラムたち[名鉄岐阜線]]
火曜日の東京は涼しかった...というより、ちょっと肌寒い1日だった。
徐々に日が暮れるのが早くなってきて、夏が過ぎ去ろうとしていることを感じる。
すでに2015年も3分の2が過ぎようとしている訳で...
水曜は、いすみ鉄道のキハに会いに行こうかと思っていたのだが、
雨の予報に中止を決定した。冷房用エンジンの不具合や踏切事故など、
最近はトラブル続きらしい、いすみ鉄道のキハ。「いつでも撮れる」と思わず、
撮れるうちに撮っておかないといけないのだが...
さて、今日の話題。
【2015年8月14日7時36分】 岐阜県岐阜市・岐阜駅前付近
8月14日の朝、久々に大正生まれの丸窓電車に再会。
初めてカメラを向けた、いまはなき、名鉄岐阜市内線の思い出の地をめぐってみた。
そして、岐阜駅前で1時間近く時間を潰して、乗り込んだのは8:33発の
岐阜バス「大野・忠節線」、目指すは「黒野駅レールパーク」。
…… ……
2015年8月14日(金)晴れ
自分が知っている、1990年台の岐阜市内線と言えば、岐阜駅前から長良川を渡って
忠節までの路線。その忠節は名鉄系のスーパーが併設された駅舎があって、
そこから、さらに西に向かって、揖斐線が伸びていた。
岐北軽便鉄道の手によって開業、その後、名鉄に統合された路線である。
【1991年10月22日】 名鉄揖斐線・尻毛-旦ノ島
本線系が直流1500V電化なのに対して、岐阜市内線とそれに連なる路線は
ごく一部を除いて、直流600V電化。その「岐阜600V線」の一画をなす揖斐線は
当時、口の悪い<鉄>からは“電車墓場”などと揶揄され、何十年も前に
本線系の各路線を追われた昭和一ケタ世代の電車たちが最後の活躍をしていた。
出自の異なる雑多な旧型電車たちがコトコトと走る、今思えば<変態鉄>にとって
夢のような路線だった。
岐阜の市街地北西端に近い忠節駅から西へ進んで、大野町の黒野を経て
揖斐川町の本揖斐に至るのが揖斐線、途中の黒野から分岐して、
西国三十三札所巡りの満願霊場、谷汲山華厳寺のある谷汲へ向かう谷汲線だった。
【2015年8月14日9時33分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
2005年の全廃を待たず、黒野以西の区間は廃止され、終着駅となったが、それでも、
車庫を併設したターミナル駅としての風格を最後まで保ち続けていた黒野駅。
【2015年8月14日9時39分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
いまも駅舎とホームの一部分が残されており、「黒野駅レールパーク」として
公開されている。それだけでも、自分にとっては懐かしいのだが、普段は生まれ故郷の
美濃町線、旧美濃駅に展示されている“丸窓電車”モ512号車が黒野に帰ってきている。
昭和30年台に揖斐線と岐阜市内線の直通運転を開始するにあたって、
美濃町線から揖斐線に“移籍”したモ510形にとって80年近い人生ならぬ“車生”の
半分以上を黒野を拠点にして過ごしていた訳で、自分が撮ったのも揖斐線で活躍する姿、
1年限定での展示とのことで何としても、この地で撮りたかったのだ。
さて、とにかく蒸し暑かった朝。8時を過ぎて通勤客でごった返す中、
コンビニで飲み物を買って、駅前バス乗り場のベンチで時間を潰した。
(バスの時刻を勘違いしていて1本乗り遅れた...というのは内緒にしておきたい)
【2015年8月14日7時36分】 岐阜県岐阜市・岐阜駅前付近
さて、その岐阜駅前から乗ったのは岐阜バスの「大野・忠節線」の大野バスセンターゆき。
8:33発で約1時間で大野バスセンターを結ぶ。その終点の1つ手前、黒野八幡町バス停が
旧黒野駅の最寄りというのが、事前に得ていた情報である。
電車にはこだわる<変態鉄>だが、バスには疎い。ブログに書くのに備えて
「岐阜バスの写真」を撮っておいたが、実際に乗ったバスの写真ではない。
駅前のロータリーにいたヤツをテキトーに撮っただけ。相変わらずのテキトーぶり。
ちなみに、写真のバスの“三田洞”という行き先は今回の目的地とは反対方向。
さて、岐阜駅前からバスに乗り込んだ<変態鉄>。
岐阜駅から、目的地の「黒野八幡町」を通るバスは2系統あるようで...
「大野・忠節線」と「真正・大縄場線」、偶然、前者にしたのだが、こちらは、
岐阜市内線、忠節からの揖斐線の廃線跡をほぼ完全にトレースする系統だった。
これはラッキー!!
車窓から廃線跡探訪が楽しめたのだった。
【1992年1月頃】 名鉄岐阜市内線・西野町電停(当時)
昨日の記事に載せたこの写真、西野町電停の周辺は、24年前と大きくは変わっていなかった。
黄色に「将」の文字が見えるのはラーメン屋さんか餃子屋さんだった気がするが、
このお店はなくなっていたような。「ロー※ンス※アー100」になったのか!?
でも、岐阜で過ごしていた当時、何度か立ち寄った郵便局や交差点の反対側にあった
小さなスーパーなど、たぶん、そのままのものも。
生まれて初めて“沿線撮り”をしたあの歩道橋もそのまま。
長良川を渡って忠節駅の前を過ぎ、しばらくは住宅街の中に廃線跡を見付けるのが
難しかったが、伊自良川を渡ったあたりからは、線路は撤去されているものの
バラスト(線路の砕石)や標識、キロポストなどがそのままになっているところも
多く、いまにも古びた紅い電車がコトコトと走ってきそうな...
【2015年8月14日9時27分】 岐阜県大野町・黒野八幡町バス停
そんな風景に、ひとりコーフンしているうちにあっという間に黒野八幡町。
【2015年8月14日9時27分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク付近
案内看板にしたがって、路地に入ると、懐かしい記憶が甦ってきた。
あの駅舎である。古いながらもキレイに整えられた木造駅舎...
【2015年8月14日9時35分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
内部には、キロポストや架線を吊るときの碍子だろうか、揖斐・谷汲線の
備品類などが展示されていた。
【2015年8月14日9時35分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
ただ、惜しいのは、それらに関して何の説明も付けられていないこと。
このキロポストだって、揖斐線のものだろうか、谷汲線のものだろうか??
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
出札口はそのまま残されていた。向こう側、駅があったときには駅務室に
なっていた部分は、NPO法人が運営するパン屋さんとカフェになっている。
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
掲げられている運賃表は黒野駅のものではなく、谷汲線の黒野北口駅のもの
であることがわかる。廃止時の黒野駅のものを掲出するのが良いのかと言えば、
それでは、一足早く廃止されていた黒野-本揖斐間と谷汲線の駅が登場しない。
だからこそ、それらの載っているものを掲出していると言うことだろうか。
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
でも、時刻表の方は、谷汲線が走っていた時代の黒野駅のものと思われる。
駅舎内も<変態鉄>としては大コーフンなのだが、屋外にはホームのところに
モ510形“丸窓電車”が展示されている。こちらも見ておかないと...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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徐々に日が暮れるのが早くなってきて、夏が過ぎ去ろうとしていることを感じる。
すでに2015年も3分の2が過ぎようとしている訳で...
水曜は、いすみ鉄道のキハに会いに行こうかと思っていたのだが、
雨の予報に中止を決定した。冷房用エンジンの不具合や踏切事故など、
最近はトラブル続きらしい、いすみ鉄道のキハ。「いつでも撮れる」と思わず、
撮れるうちに撮っておかないといけないのだが...
さて、今日の話題。
【2015年8月14日7時36分】 岐阜県岐阜市・岐阜駅前付近
8月14日の朝、久々に大正生まれの丸窓電車に再会。
初めてカメラを向けた、いまはなき、名鉄岐阜市内線の思い出の地をめぐってみた。
そして、岐阜駅前で1時間近く時間を潰して、乗り込んだのは8:33発の
岐阜バス「大野・忠節線」、目指すは「黒野駅レールパーク」。
…… ……
2015年8月14日(金)晴れ
自分が知っている、1990年台の岐阜市内線と言えば、岐阜駅前から長良川を渡って
忠節までの路線。その忠節は名鉄系のスーパーが併設された駅舎があって、
そこから、さらに西に向かって、揖斐線が伸びていた。
岐北軽便鉄道の手によって開業、その後、名鉄に統合された路線である。
【1991年10月22日】 名鉄揖斐線・尻毛-旦ノ島
本線系が直流1500V電化なのに対して、岐阜市内線とそれに連なる路線は
ごく一部を除いて、直流600V電化。その「岐阜600V線」の一画をなす揖斐線は
当時、口の悪い<鉄>からは“電車墓場”などと揶揄され、何十年も前に
本線系の各路線を追われた昭和一ケタ世代の電車たちが最後の活躍をしていた。
出自の異なる雑多な旧型電車たちがコトコトと走る、今思えば<変態鉄>にとって
夢のような路線だった。
岐阜の市街地北西端に近い忠節駅から西へ進んで、大野町の黒野を経て
揖斐川町の本揖斐に至るのが揖斐線、途中の黒野から分岐して、
西国三十三札所巡りの満願霊場、谷汲山華厳寺のある谷汲へ向かう谷汲線だった。
【2015年8月14日9時33分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
2005年の全廃を待たず、黒野以西の区間は廃止され、終着駅となったが、それでも、
車庫を併設したターミナル駅としての風格を最後まで保ち続けていた黒野駅。
【2015年8月14日9時39分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
いまも駅舎とホームの一部分が残されており、「黒野駅レールパーク」として
公開されている。それだけでも、自分にとっては懐かしいのだが、普段は生まれ故郷の
美濃町線、旧美濃駅に展示されている“丸窓電車”モ512号車が黒野に帰ってきている。
昭和30年台に揖斐線と岐阜市内線の直通運転を開始するにあたって、
美濃町線から揖斐線に“移籍”したモ510形にとって80年近い人生ならぬ“車生”の
半分以上を黒野を拠点にして過ごしていた訳で、自分が撮ったのも揖斐線で活躍する姿、
1年限定での展示とのことで何としても、この地で撮りたかったのだ。
さて、とにかく蒸し暑かった朝。8時を過ぎて通勤客でごった返す中、
コンビニで飲み物を買って、駅前バス乗り場のベンチで時間を潰した。
(バスの時刻を勘違いしていて1本乗り遅れた...というのは内緒にしておきたい)
【2015年8月14日7時36分】 岐阜県岐阜市・岐阜駅前付近
さて、その岐阜駅前から乗ったのは岐阜バスの「大野・忠節線」の大野バスセンターゆき。
8:33発で約1時間で大野バスセンターを結ぶ。その終点の1つ手前、黒野八幡町バス停が
旧黒野駅の最寄りというのが、事前に得ていた情報である。
電車にはこだわる<変態鉄>だが、バスには疎い。ブログに書くのに備えて
「岐阜バスの写真」を撮っておいたが、実際に乗ったバスの写真ではない。
駅前のロータリーにいたヤツをテキトーに撮っただけ。相変わらずのテキトーぶり。
ちなみに、写真のバスの“三田洞”という行き先は今回の目的地とは反対方向。
さて、岐阜駅前からバスに乗り込んだ<変態鉄>。
岐阜駅から、目的地の「黒野八幡町」を通るバスは2系統あるようで...
「大野・忠節線」と「真正・大縄場線」、偶然、前者にしたのだが、こちらは、
岐阜市内線、忠節からの揖斐線の廃線跡をほぼ完全にトレースする系統だった。
これはラッキー!!
車窓から廃線跡探訪が楽しめたのだった。
【1992年1月頃】 名鉄岐阜市内線・西野町電停(当時)
昨日の記事に載せたこの写真、西野町電停の周辺は、24年前と大きくは変わっていなかった。
黄色に「将」の文字が見えるのはラーメン屋さんか餃子屋さんだった気がするが、
このお店はなくなっていたような。「ロー※ンス※アー100」になったのか!?
でも、岐阜で過ごしていた当時、何度か立ち寄った郵便局や交差点の反対側にあった
小さなスーパーなど、たぶん、そのままのものも。
生まれて初めて“沿線撮り”をしたあの歩道橋もそのまま。
長良川を渡って忠節駅の前を過ぎ、しばらくは住宅街の中に廃線跡を見付けるのが
難しかったが、伊自良川を渡ったあたりからは、線路は撤去されているものの
バラスト(線路の砕石)や標識、キロポストなどがそのままになっているところも
多く、いまにも古びた紅い電車がコトコトと走ってきそうな...
【2015年8月14日9時27分】 岐阜県大野町・黒野八幡町バス停
そんな風景に、ひとりコーフンしているうちにあっという間に黒野八幡町。
【2015年8月14日9時27分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク付近
案内看板にしたがって、路地に入ると、懐かしい記憶が甦ってきた。
あの駅舎である。古いながらもキレイに整えられた木造駅舎...
【2015年8月14日9時35分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
内部には、キロポストや架線を吊るときの碍子だろうか、揖斐・谷汲線の
備品類などが展示されていた。
【2015年8月14日9時35分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
ただ、惜しいのは、それらに関して何の説明も付けられていないこと。
このキロポストだって、揖斐線のものだろうか、谷汲線のものだろうか??
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
出札口はそのまま残されていた。向こう側、駅があったときには駅務室に
なっていた部分は、NPO法人が運営するパン屋さんとカフェになっている。
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
掲げられている運賃表は黒野駅のものではなく、谷汲線の黒野北口駅のもの
であることがわかる。廃止時の黒野駅のものを掲出するのが良いのかと言えば、
それでは、一足早く廃止されていた黒野-本揖斐間と谷汲線の駅が登場しない。
だからこそ、それらの載っているものを掲出していると言うことだろうか。
【2015年8月14日9時36分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク
でも、時刻表の方は、谷汲線が走っていた時代の黒野駅のものと思われる。
駅舎内も<変態鉄>としては大コーフンなのだが、屋外にはホームのところに
モ510形“丸窓電車”が展示されている。こちらも見ておかないと...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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旅客運賃表ですが、初乗りが110円ですし、それに結城駅が載っているということは、1980年代のものでしょうか。
by skekhtehuacso (2015-08-26 17:00)
skekhtehuacsoさん
コメントありがとうございます。
本文中にもあるように、現在、駅舎内は焼きたてのパンが食べられるカフェとしての営業で、こうした揖斐線現役時代のものは、“展示”というより、「インテリアのひとつ」に近い感じになっていました。特に説明なども書かれておらず、パンフなどもなく、情報はありませんでした。
元画像を拡大して確認してみましたが、「※年※月現在」のような記載もなく、正確なところはわかっておりません。
撮った自分としては、下にある連絡運賃に「金山橋」の表記があることが気になってはいました。ご指摘のように、結構、古い時代のものなのかも知れません。ちなみに、元画像を改めて確認してみると、運賃は十の位の数字を塗りつぶして書きかえた痕跡が残っていました。例えば、黒野北口から黒野までの運賃は、100の「0」を消して上から110に直しているのがハッキリと確認できました。
明確な回答をすることができず、申し訳ありません。次回、訪問するチャンスがあれば、もうちょっと探求してみたいと思います。
鋭いご指摘、ありがとうございました。
by あるまーき (2015-08-26 17:29)