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2015年8月「吊り掛け駆動」の電車を追って(3)“第3”の吊り掛け電車 [スカーレットのトラムたち[名鉄岐阜線]]

これまでも、拙ブログで何度か触れているが、自分が生まれて初めて
駅ホーム以外で走行中の電車に向かってカメラを向けた、というか、
「撮りたい」という目的で線路際に立ったのは、1991年のこと。

父の単身赴任先だった岐阜の街には、真紅の路面電車が走っていた。
名鉄岐阜市内線である。そう、自分にとって、<鉄>の原点とも言えるのが
岐阜なのである。

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【2015年8月14日7時17分】 岐阜県岐阜市・金公園

でも、その名鉄岐阜市内線を含む「岐阜600V線」が全廃となったのは、
2005年3月31日のこと。生憎、最終日には東京で用事があって立ち会えなかったが
最終日が近づくと、何度も、早朝の新幹線で岐阜入りしては撮り歩いたのだった。

長良川に架かる忠節橋近くで岐阜市内線電車を撮って24年、岐阜線全廃から10年。
全廃後も、何度か岐阜を訪れる機会があったが、その都度、立ち寄るのが市内中心部に
ある金(こがね)公園。ここに、自分が撮った時代の名鉄岐阜市内線・揖斐線の
“スター”的存在だった「丸窓電車」、モ510形が保存されているのだ。

名古屋で泊まったのも、そんな<変態鉄>の“原点”を再訪するため。

……  ……

2015年8月14日(金)晴れ

旅行中というのは不思議なことに、ケータイのアラームが鳴り出す数分前に
ひとりでに目が覚める。前夜のうちに買っておいた菓子パンで簡単な朝食、
さっそく、名古屋駅へ。「青春18きっぷ」に日付印をもらって、東海道線ホームへ。

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【2015年8月14日6時42分】 東海道本線・名古屋駅

名古屋 6:46発の普通・岐阜ゆき。最後部のクモハ313-1107はまだラッシュが始まる前!?
クロスシートでゆったりと車窓を眺めながら。岐阜には7:12着。

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【2015年8月14日7時08分】 岐阜県岐阜市・岐阜駅前

空には雲が目立ったが、晩のうちに雨が降ったようで、蒸し暑さが堪らなかった。
今日も、黄金の織田信長像が<変態鉄>を出迎えてくれた。

ちなみに、自分がよく知っている、1990年代はじめの岐阜駅はまだ地平ホーム。
JRの岐阜駅前というのは、正直言って、県都の玄関口とは思えない場末感が
漂っていた。人の流れの中心は、数百メートル先の名鉄線の新岐阜駅(当時)周辺にあって、
JR線の岐阜駅周辺というのは寂れていた記憶がある。

駅が高架化されて、大規模なバスロータリーもできて、岐阜駅前も見違えるほどに。
前回の訪問時にも、黄金の信長像は撮ってはいたが...、やはり四半世紀の時の流れ。

さて、駅前から正面にのびる通りが金華橋通り。まっすぐ進めば柳ヶ瀬の繁華街を
かすめて、<変態鉄>のかつての「活動拠点(笑)」の近くを通る。

その金華橋通りが、かつての電車通りと交差するのが金町(こがねまち)、
電車通りの南側に、金神社があり、それに隣接した小さな公園の片隅に“丸窓電車”。

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【2015年8月14日7時17分】 岐阜県岐阜市・金公園

このモ510形は、1926年(大正15年)7月に日本車輌で製造された5両の仲間。
美濃電気軌道で、後に名鉄美濃町線となる路線の電車として製造された。

1961年(昭和36年)に岐阜駅前から忠節までの市内電車と、郊外路線の揖斐線の
直通運転開始に伴い、紅白塗装に変更の上、美濃町線から揖斐線に移籍、
岐阜駅前-黒野間で活躍、晩年は新型車投入で予備車になったものの、
2005年の全廃まで、2両の仲間で元気に活躍したのだった。

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【1992年1月頃】 名鉄岐阜市内線・西野町電停(当時)

「大正生まれの丸窓電車」、しかも、岐阜線の“生え抜き”とあって、
特に、末期にはこの車両の人気は絶大なものだった。
<変態ガキ鉄>も、モ510形を何とかうまく撮りたいと、必死だったのである。

父の単身赴任時の住まい、最寄りバス停は「市民会館・裁判所前」、
電車通り(忠節橋通り)ではなく、金華橋通りの近く。路線バスで向かうのが
最適なのはわかっていても、わざわざ電車で西野町電停まで行っていたのである。

ちなみに、現在のモ513号車。ボランティアの保存団体が、定期的にメンテナンスと
車内公開を実施しているようで、フェンスで囲まれていることもあって、
荒廃している感じは全くないが、それでも訪れる毎に、車体に錆が目立ってきている
ような気もするのがちょっと気がかり。

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【2015年8月14日7時19分】 岐阜県岐阜市・金神社

電車のすぐ北側には金神社、鳥居をくぐって振り向けば、モ513号車の姿が。

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【2015年8月14日7時19分】 岐阜県岐阜市・金神社

という訳で、道中の安全をお祈りして...

金華橋通りを南下すれば、10分ほどで岐阜駅に戻れるが、それでは詰まらない。
岐阜駅へ戻るのは、電車通り沿いに歩いてみることにした。

金町電停の次が徹明町、市街地の中心部。この交差点を右折、南に針路を変えて
新岐阜駅前(新岐阜駅は、現在、名鉄岐阜駅に改称)に至るのだった。

そして、この交差点の向かい側には東に向かう美濃町線の線路が伸びており、
撮っていても面白い交差点だった。もちろん、線路は撤去されているが、
見覚えのあるビルも多く残っていて、当時のことが甦ってくるのだが...

人間、過去の記憶はいつの間にか美化されるとはいうものの、<変態ガキ鉄>が
夢中になって真紅の路面電車にカメラを向けていた頃に比べて、岐阜の繁華街は
何だか寂れてしまったような気がしてならない。
(※ 意見には個人差があります)

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【2015年8月14日7時33分】 岐阜県岐阜市・名鉄岐阜駅付近

さて、ここから、再び市内線のルートに沿って。
徹明町の次は金宝町、そして、すぐに新岐阜駅前。道路が“く”の字型になっている。
ちょうど、路線バスが信号待ちしている付近が、忠節・黒野方面の電車乗り場だった。

その真向かいには、いかにも「地方都市のデパート」といった感じが満載だった
「新岐阜百貨店」があった。ちょうど写真の左手、ガラス張りのオシャレな感じに
なっている付近である。その、新岐阜百貨店が新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)に
繋がっており、デパートの並びには郊外に延びる岐阜バスのターミナルがあった。

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【1991年3月頃】 名鉄岐阜市内線・新岐阜駅前電停(当時)

“定点比較”とはならなかったが、そんな、1991年春の新岐阜駅前電停。
ちょうどバックに新岐阜百貨店の建物が写っている。

モ570形は当時の岐阜市内線の主力車。後ろで折返し待ちをしているのは、
名鉄と資本関係にあった北陸鉄道、その金沢市内線が廃止になったときに岐阜に
“輿入れ”してきたモ550形、小ぶりな車体で、数年後には新車に置き換えられた。

ちょうど、この写真を撮ったのが、上の現在の写真でバスが停まっている位置。
そう、バスの付近、道路中央にロープで仕切られた新岐阜駅前電停があった。

余談ながら、このモ570形を撮った1991年の1枚、後ろに路線バスが写り込んでいるが
これは、今はなき、岐阜市営バス。あの頃の岐阜の街では、岐阜バスが郊外路線、
市営バスが市内中心部の路線という“棲み分け”がなされていて、
先に出てきた「市民会館・裁判所前」というバス停も市営バスのバス停だった。
数年前の訪問時、市営バス自体がなくなっていて驚いたのだった。

と、<変態鉄>の原点とも言える岐阜の小さな電車たち。
すでに市内にその痕跡を探すことすらも難しくなってきたが、
でも、思い出を語り出すと、いくらでも出てきてしまう...う~ん。

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【2015年8月14日9時48分】 岐阜県大野町・黒野駅レールパーク

話が長くなりすぎたので、今日はこの辺で。
岐阜市内線の思い出の地をめぐった後は、バスに乗って、揖斐線の“廃線跡”を
探しに行ってくることにしていた。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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sarusan

西野町電停まで歩いてとなりますと私が当時勤めてた会社が北税務署近くの千石町ですから店の前を通られましたね。
by sarusan (2015-08-25 14:40) 

あるまーき

sarusanさん

コメントありがとうございます。
ちょうど、美江寺観音の裏あたりに当時の家がありました。
北税務署付近は、散歩したり、頻繁に通っていました。
懐かしいです。
by あるまーき (2015-08-25 20:50) 

skekhtehuacso

岐阜のモ510、なつかしいです。
私が子どものころは赤色で、モ520と組んで本揖斐行や谷汲行の急行として走っていました。
たしか、金色の信長像の後ろあたり岐阜駅前の電停がありましたね。

8枚目の名鉄岐阜駅付近の写真ですが、1980年代くらいまでは道路手前から左のほうへ向けて田神線へつながる線路が敷かれていたのを記憶しています。
子どもの頃の私の記憶が正しければですが。
by skekhtehuacso (2015-08-25 22:44) 

あるまーき

skekhtehuacsoさん

コメントありがとうございます。
自分が出会ったときには、すでにモ510形は紅白塗装を纏っていました。エバーグリーン章を受賞したときに塗色変更と聞いていますので、自分が初めて岐阜に行った数年前と言うことでしょうか。
モ520形は見たことありませんので、羨ましいです。トラス棒が目立つ、
鋼板貼り付けの木造車でしたでしょうか??

仰る通り、新岐阜駅前電停から田神線の方まで車庫線が伸びていたというのは聞いたことがありますし、確か、当時、岐阜市内の地図などにも線路が描かれているものが少なからず残っていたと思います。
地図では線路があるはずなのに現地には実在せず...、<ガキ鉄>としてかなりガッカリした記憶がありました。

by あるまーき (2015-08-25 23:26) 

しおつ

高校生の時、友人と初めて泊まりがけで行った鉄旅が岐阜でした。
友人とは撮影ジャンルが違っていたので、現地では単独行動で
自分は路面電車を撮りまくっていました。
赤い電車がひっきりなしに走る姿を追うのは楽しかったなあ。

by しおつ (2015-08-25 23:51) 

あるまーき

しおつさん

コメントありがとうございます。
しおつさんにとっても、名鉄岐阜線が記念すべき撮影だったのですね。
それにしても「赤い路面電車がひっきりなしに...」、思い出がよみがえってきます。駅前を中心に岐阜の街も、電車が通っていた頃とはだいぶ変わってしまいましたが、それでも市内中心部には、まだまだ、電車が走ってきそうな変わらない場所も一杯残っていました。
自分にとって、カメラを触るようになって、本当に最初期に撮影したのが名鉄岐阜線なので、恥ずかしい写真ばかりなのですが、当時の写真なども少しずつネガから取りこんでご紹介したいと思います。
by あるまーき (2015-08-26 09:04) 

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