あの頃の札幌市電(1996年9月) ['90sのトラムたち]
昨日まで、札幌駅を中心に北海道の旅の途中でスナップしたJRの列車たちを
紹介してきた。でも、この当時の旅は決して<鉄>な要素だけではなかった。
大学に入学した1996年秋、臨時急行「津軽」で上野を発ち、約1週間の北海道旅行。
網走監獄(博物館)は、時間をかけてゆっくり展示を見て回った。
稚内駅からバスでノシャップ岬も訪れたし...、今で言う<乗り鉄>に近いスタイルかも。
そういう写真もいつかご紹介したいが、このときの旅の目的の1つは、
高校生の時に、撮影に訪れて(悪天候もあったが)完膚無きまでの撃沈だった
札幌市電の撮影にあった。
とはいえ、撮影メモをちゃんと残していなかったのは当時から。
事実上、1路線、それほど長い路線でもないが、土地勘のない札幌の街、
どこで撮ったかすら思い出せない写真も多くて...
でも、「S」と「T」の文字をあしらった現在のシンボルマークが策定され、
在来型の電車の車体塗色もシックな緑と緑灰色のツートンからクリームに緑濃淡を
経て、明るい緑色の単色塗りに変更されていく過程。いろいろな塗色の車両が撮れた。
そんな中でも“旧塗装”が一番好きなのは、自分らしいところ。
…… ……
この写真は、背景に写っている交差点の看板を見て確信したが、でも、その前に
この場所は分かった。
中央図書館前付近での撮影である。それにしても、材木を積んだ大型トラックが
裏被りとは、この状況でカメラを向ける<変態ガキ鉄>の撮影センスの無さは、
この当時から開花していた。
この334号車が纏っていた塗色が、<変態鉄>のお気に入りのカラーというか、
「札幌市電らしい」と感じるカラーなのである。ヨーロピアンスタイルと言われた
札幌の電車に良く似合うシックなカラーだった。
いま、M101号車だけがこの塗色で残されているはずだが、いまだに出会ったことが...
ジャンボ機(B747-400型機)引退のとき、“乗りおさめ”として何度か札幌を
訪れたが、デジタルでこの塗色の電車を撮ることはいまだ叶っていない。
そして、トップ写真と同じクリーム色に緑濃淡の塗り分けは90年台に入って
増えてきた塗色だった。当時の新車8500系の塗色に合わせたものと言うことか。
何だか、明るい配色になりすぎたような気がして...
こういう新型車には似合うのだが、在来型の車両には...。
そして、現行塗装。
札幌市交通局の電車にも長らくの間、★のマークが掲出されていた。
それが、「S」と「T」を合わせた形の新しいロゴになり、それに合わせて、
電停看板も車体塗色も改められていった。
悪趣味とは思わないけれど、何だか自分の中のイメージと違うのである。
さらに、この当時は「ミュンヘン色」と呼ばれる電車も走っていた。
姉妹都市提携20周年の記念に、ミュンヘンの電車の車体塗色をマネしたという。
最近では、嵐電と江ノ電で互いの車体塗色を模した電車を走らせたり、
話題になったからと言って京急と西武で車体塗色を“交換”してみたり、と、
珍しくなくなってきたが、当時としては...
でも、やはり、何度も言うけれど、
この塗色が一番好きだったのである。
さて、このとき、一番行きたいと思っていたのは、すすきの付近だった。
...といって、何も、おねーさんがいるお店ではなくて...撮影地である。
「電車通り」と言えば、電車の架線を支えるために両側の歩道との間に
ケーブルがはりめぐらされ、見上げれば、まさに蜘蛛の巣状態になっているところが
多かったが、すすきの付近の区間はいち早くセンターポール化が行われた。
そんなシーンを撮るべく、訪れたのは資生館小学校前付近。
月寒通の中央分離帯から撮っていた?? 当時の自分、結構、無理をしていたのか??
若い頃って、思い出すととんでもない行動をしていたりするもの。
直線区間なので、向こうから来る電車と、すすきのゆきの電車が同時にフレームに。
ミュンヘン電車もここで後追いしてみた。
背後にはすすきのの繁華街のビルが見えている。夜なら美しく撮れるのか??
先日、ブランド名が消滅した某大手電機メーカーのネオンサインも見えている。
そんな<変態鉄>が若かった頃の札幌市電だった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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紹介してきた。でも、この当時の旅は決して<鉄>な要素だけではなかった。
大学に入学した1996年秋、臨時急行「津軽」で上野を発ち、約1週間の北海道旅行。
網走監獄(博物館)は、時間をかけてゆっくり展示を見て回った。
稚内駅からバスでノシャップ岬も訪れたし...、今で言う<乗り鉄>に近いスタイルかも。
そういう写真もいつかご紹介したいが、このときの旅の目的の1つは、
高校生の時に、撮影に訪れて(悪天候もあったが)完膚無きまでの撃沈だった
札幌市電の撮影にあった。
とはいえ、撮影メモをちゃんと残していなかったのは当時から。
事実上、1路線、それほど長い路線でもないが、土地勘のない札幌の街、
どこで撮ったかすら思い出せない写真も多くて...
でも、「S」と「T」の文字をあしらった現在のシンボルマークが策定され、
在来型の電車の車体塗色もシックな緑と緑灰色のツートンからクリームに緑濃淡を
経て、明るい緑色の単色塗りに変更されていく過程。いろいろな塗色の車両が撮れた。
そんな中でも“旧塗装”が一番好きなのは、自分らしいところ。
…… ……
この写真は、背景に写っている交差点の看板を見て確信したが、でも、その前に
この場所は分かった。
中央図書館前付近での撮影である。それにしても、材木を積んだ大型トラックが
裏被りとは、この状況でカメラを向ける<変態ガキ鉄>の撮影センスの無さは、
この当時から開花していた。
この334号車が纏っていた塗色が、<変態鉄>のお気に入りのカラーというか、
「札幌市電らしい」と感じるカラーなのである。ヨーロピアンスタイルと言われた
札幌の電車に良く似合うシックなカラーだった。
いま、M101号車だけがこの塗色で残されているはずだが、いまだに出会ったことが...
ジャンボ機(B747-400型機)引退のとき、“乗りおさめ”として何度か札幌を
訪れたが、デジタルでこの塗色の電車を撮ることはいまだ叶っていない。
そして、トップ写真と同じクリーム色に緑濃淡の塗り分けは90年台に入って
増えてきた塗色だった。当時の新車8500系の塗色に合わせたものと言うことか。
何だか、明るい配色になりすぎたような気がして...
こういう新型車には似合うのだが、在来型の車両には...。
そして、現行塗装。
札幌市交通局の電車にも長らくの間、★のマークが掲出されていた。
それが、「S」と「T」を合わせた形の新しいロゴになり、それに合わせて、
電停看板も車体塗色も改められていった。
悪趣味とは思わないけれど、何だか自分の中のイメージと違うのである。
さらに、この当時は「ミュンヘン色」と呼ばれる電車も走っていた。
姉妹都市提携20周年の記念に、ミュンヘンの電車の車体塗色をマネしたという。
最近では、嵐電と江ノ電で互いの車体塗色を模した電車を走らせたり、
話題になったからと言って京急と西武で車体塗色を“交換”してみたり、と、
珍しくなくなってきたが、当時としては...
でも、やはり、何度も言うけれど、
この塗色が一番好きだったのである。
さて、このとき、一番行きたいと思っていたのは、すすきの付近だった。
...といって、何も、おねーさんがいるお店ではなくて...撮影地である。
「電車通り」と言えば、電車の架線を支えるために両側の歩道との間に
ケーブルがはりめぐらされ、見上げれば、まさに蜘蛛の巣状態になっているところが
多かったが、すすきの付近の区間はいち早くセンターポール化が行われた。
そんなシーンを撮るべく、訪れたのは資生館小学校前付近。
月寒通の中央分離帯から撮っていた?? 当時の自分、結構、無理をしていたのか??
若い頃って、思い出すととんでもない行動をしていたりするもの。
直線区間なので、向こうから来る電車と、すすきのゆきの電車が同時にフレームに。
ミュンヘン電車もここで後追いしてみた。
背後にはすすきのの繁華街のビルが見えている。夜なら美しく撮れるのか??
先日、ブランド名が消滅した某大手電機メーカーのネオンサインも見えている。
そんな<変態鉄>が若かった頃の札幌市電だった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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資生館小学校前の交差点は車両の記録写真を撮るのに便利ですよね。ここと事業所前で粘ると模型様の基本的な姿が記録できるんです
by suzuran6 (2015-07-03 06:35)
suzuran6さん
コメントありがとうございます。
確かに当時の自分としては極めてスッキリと撮れています。
最近は、電車事業所前の交差点で撮ることが多かったのですが、
また、すすきの周辺にも撮りに行ってみたいと思います。
ループ線化工事の進展も楽しみですし...
by あるまーき (2015-07-03 10:51)