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ひと夏の経験(1)北関東にローカル客レが... [ローカル客レに魅せられて]

♪ 誰でも一度だけ経験するのよ~

と唄っていた頃の百恵ちゃんの、まだあどけなさが残る顔立ち。
あのジャケット写真は印象に残っている、とか、
当時の百恵ちゃん、宇津井健さんなどと共演していたっけ...とか、

そんな話題ではない。

白いマイクをステージに置いた、あの有名な、武道館での最後のコンサート、
そのとき2歳だった<変態鉄>。もちろん、リアルタイムでの記憶はない。
(その当時をご存知の皆さんは、ぜひコメント欄まで。 ← おいっ!!)

拙ブログ、いつも通りの<鉄>ネタである。

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【2014年1月1日9時50分】 烏山線・大金駅

いま、キハ40の去就に注目が集まる烏山線。
当たり前のようにキハ40が走っていた頃、この沿線が熱く燃えた夏があった!?
……  ……

最近では、地方に行っても旅客列車は総じて“電車”と呼ばれる。
非電化区間のディーゼル動車だろうが呼び名は“電車”なのである。
でも、10年、20年くらい前までだろうか。都市圏を離れれば、特に高齢の方を中心に
JR線を走る列車を総じて“汽車”と呼ぶのがフツーだった。電車列車であっても“汽車”。

これは蒸気機関車が牽引する客車列車が、旅客列車の当たり前の姿だったことに由来する。
機関車が先頭に立って、客車を引っぱる形式は、鉄道黎明期以来のスタイルで、
海外では今でもこれが一般的な列車の形態でもある。

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【1994年4月頃】 上越線・水上-上牧

それに反して、日本では戦後“動力分散化”が強力に推進され、
電化区間・非電化区間を問わず、「機関車+客車」のスタイルから、電車やディーゼル動車など
旅客車の床下に動力源をそなえた車両だけの列車編成が一般的になった。
ちなみに、現在、機関車が牽引する本当の意味での“客車列車”はSL列車と寝台特急だけ。
世界的にはフツーのスタイルでも、日本では“客車列車が走る!!”というだけで
沿線の<鉄>は大騒ぎになるのである。

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【1998年11月17日】 久大本線・日田駅

それでも、九州地区を中心に20世紀末までは機関車が数両の客車を牽くタイプの
ローカル列車がかろうじて残されていた。
草臥れた感じの12系客車に乗りたくて、久大本線を訪れたこともあった(→ こちら)。

さて、今日の話題は、いろいろな事情で時間があった2006年の夏に遡る。
(実は、前の仕事を辞めて、いまの会社に就職するまでの1ヶ月間だった)

……  ……

2006年7月23日(日)晴れ

東北本線の宝積寺から、那須烏山市の烏山駅までを結ぶ全長20 km、非電化単線の
ローカル線が烏山線。最近ではキハ40系に注目が集まっている路線だが、
この路線に、この夏、わずか2日間だけ客車列車が走ったのだ。

鉄道誌にこの運転情報を見つけては、出撃せずにはいられなかった。
DD51+12系高崎車5両の客車列車は、朝、上野発宇都宮経由の臨時快速として烏山、
折返し宝積寺ゆきの線内ローカル、午後、宝積寺から烏山、折り返して上野ゆき臨時快速、
という運転ダイヤ。午前中の上下列車を烏山線内でおさえて、午後は<乗り鉄>、
そんな計画で出撃。夕方の臨時快速の座席指定は辛うじて確保できたのだった。

ネットや鉄道雑誌のバックナンバーで撮影地をチェックしたが、
当時はマイナー路線中のマイナー路線だった烏山線、<変態鉄>も訪れたのは
単なる「乗りつぶし」の一度だけ、全く撮影地のアテもなく、何とか見つけた地点へ...

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【2006年7月23日】 烏山線・撮影地不詳

いつも通り、撮影メモをとっていないのが自分の“流儀”(というか、だらしないだけ)
この写真も烏山線内という以外、どこで撮ったか、全く記憶にない。

まずは、上野からの臨時快速列車。朱色のDD51が牽くのは5両の12系客車。

「どうせ、客レとはいっても、PPで来るんでしょ」

なお、PPとはプッシュ・プル運転のこと、列車の前後に機関車がつくスタイルは、
<変態鉄>は嫌いで、PP運転なら撮りに行かない...ことにしているのだが。
実は、あまりテンションの高くない撮影行だったのだ。
(むしろ、復路の<乗り>が楽しみだった)

しかし、何と意外にも、DD51 888号機が牽引するPPではない正統派の客レ編成!!
このシーンに<変態鉄>は、もう鼻血が出そうなくらい、大コーフンだった。

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【2006年7月23日】 烏山線・撮影地不詳

という訳で、折返し宝積寺ゆきの線内ローカル列車は、同じ場所で振り返って。
(そんな気がする。他の“同業者さん”たちもそうしていたような...)

ただ、こちらのショットは“早撃ち”が過ぎた。
不慣れな人が撮る鉄道写真の典型例なのだ。列車の速さに慌ててしまって、
先頭の機関車の姿に気をとられて、先頭部がフレームの中央に来たところで、
慌ててシャッターを押してしまう...、この当時で「鉄道写真歴15年」ほどだった。
それで、この写真。自分の技術レベルの低さを再確認してしまった。

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【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅

という訳で、客車列車の撮影を終えて、キハ40に乗って終点の烏山駅にやって来た。
(最近、この駅舎も建て替えられたんだっけ?? 行っていないんです)

それにしても、なぜ客車列車が設定されたのか?? それについては、次記事で。(つづく)

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コメント 5

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
あのエアコンチェアは売れるとは思えませんね。

北海道から埼玉に就職、方言を出さないように気遣っていましたが、
思わず「汽車」と言ってしまい、都会育ちの同期に嘲笑されました。

by johncomeback (2014-08-28 05:54) 

hanamura

♪ 夏ぅは、心の鍵ぃをぉ、あま~くするわ!御用心!
この夏なぜか、桜田 淳子を歌っていました。
烏山線はイイですねぇ!先週の風っこ見ました。(駅で)
by hanamura (2014-08-28 06:49) 

あるまーき

コメントありがとうございます。

☆ johncomebackさん
一度、座ってみたい気はしますが...。「汽車」というのも、最近はめっきり聞かなくなりました。「電車」と呼ぶのも都会からはじまったものですから、何でも、東京での言い方に統一されていくというのもちょっと寂しさを感じてしまいます。

☆ hanamuraさん
おっと。でも、当時をよく知る世代の方を中心に桜田淳子の方が評判が良いんですよね。自分の知る桜田淳子って、あの騒動ですから...
烏山線は、長さもちょうど適当ですし、都心からのアクセスも悪くないし、長大トンネルもないので、トロッコ列車を楽しむのにもちょうど良いのかな、と思います。自分も撮りに行きたかったです。


by あるまーき (2014-08-28 08:49) 

ひでなが

初めてコメントさせていただきます。
2006年の山あげ祭号は、龍門の滝を入れて携帯で撮影しました。
当時、撮影スポットは、ここしか頭に浮かばなかったからです。
その後、キハ40が置き換えになると聞いて、何度か烏山線に出向きました。
そのささやかな経験からすると、撮影地不詳の場所は、滝ー小塙間の踏切近くの感じがします。
もし違っているとすれば、大金ー鴻野山・間の線路と平行した道が続くスポット、宇井地区になるのですが・・・。
そのいずれかだと思います。
by ひでなが (2014-08-30 22:45) 

あるまーき

ひでながさん

初めまして。そして、貴重なコメントをありがとうございます。
滝-小塙、こんど、キハ40を撮りに行きたいと思っておりますので、そのときにも再訪してみたいと思います。当時からメモをしっかり残すようにしていれば良かったのですが...。
滝をバックに撮るポイント、自分はまだ訪れたことがないのですが、あの地点はよく知られたポイントですね。この当時、自分は編成全体を見渡せるポイントを重視していました。暑さも一段落したら、烏山線、キハが居るうちに訪れたいと思っております。

拙いブログではありますが、今後とも、よろしくお願いいたします。
by あるまーき (2014-08-31 00:03) 

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