ローカル客レに魅せられて(3)憧れの旧客に、乗った、撮った日 [ローカル客レに魅せられて]
投機的資金の流入によって、不動産や株式などの資産価格が本来の価値とかけ離れて
異常な水準に高騰する現象を指す経済用語が「バブル」。
実は、拙ブログにも「バブル時代」がやってきていた。
先月、20日過ぎから急速に閲覧数が上昇、普段の倍近い閲覧数が記録される日が続いた。
しかし、最新記事以上にアクセスを集めたのはこの記事。
撮影地備忘録 No. 0009 しなの鉄道線・御代田-平原①
そう、しなの鉄道169系の最後の運転を撮りに行く皆さんが検索してやってきていた。
どうしようもないオッサンが、こんな駄文を書き連ねているだけであっても、
やはり、閲覧数が増えるというのは嬉しいこと。
しな鉄169系を撮るために検索していただいた皆さんの中から、お1人でも2人の方にも
拙ブログの読者になっていただけるような記事を書きたいと思う次第だが...
ネタがない。28日・29日の撮影記の詳細版は都合により、あと何日かかかりそう。
このネタ切れにどう立ち向かうか、こういうときは...
…… ……
困ったときのネガ頼り。今日は、自分より一回りくらい先輩にあたる<鉄>の皆さんには
当たり前の光景であったはずの「旧客」、朱色のディーゼル機関車が牽く旧型客車の話題。
さて、この話題の背景、簡単に説明しておくと...
日本と欧米諸国の鉄道の違いの1つに動力の違いがある。
わが国の鉄道は戦後「動力分散式」が主流となった。電車にしろディーゼル車にしろ、
床下にモーターやエンジンを備え、客室のある車両自体の動力で走行している。
でも、鉄道の元来のシステムは「動力集中式」。列車の先頭に機関車がつき、
動力源をもたないハコ(客車)を牽引して走るスタイル。世界的にはこれが標準。
双方にメリット・デメリットがあり、日本の風土や運転形態にマッチするのが
「動力分散式」だったということなのだが、平成の時代にもなると、
機関車が牽く客車列車というのは、寝台特急とローカル線の通勤・通学時間帯の
輸送力列車だけで細々と残されている程度、すでに絶滅危惧種だった。
この動力分散式へのシフトは国鉄内部で昭和30年台までには決定していたことで、
その後の国鉄の財政もあって、それ以降は、客車の普通座席車(ハ)はあまり作られず、
国鉄末期まで茶色や紺色に塗られた昭和20年台までの客車が使われていた。
その旧型客車、今ではそれが少数だけ、イベント列車やSL列車用に残されている。
この<変態鉄>が、そんな貴重な旧型客車に引きつけられない訳がない。
なかなか、撮る機会がなかったが、2005年11月の日曜日、これが茨城県内の
水郡線を走ると聞き、現地に駆けつけた。
2005年11月6日(日) 曇り
下り 第9823列車 水戸 10:50 → 常陸大子 12:20
上野 7:30発の特急「フレッシュひたち」で出発。
水戸から水郡線に乗り換えて玉川村駅。調べておいた撮影地へはタクシーで。
そこでアクシデント発生!!!!!!
フィルムカメラには背面に開閉できるフタがある。そう、フィルムを充填するため。
そこのフックが破損している...、これではフィルムを入れても感光するだけ...
一瞬パニックになりそうだったが、とりあえず、近くのコンビニに走った。
粘着テープを買ってきて、フィルムを充填、カメラは背中に隙間ができないよう、
グルグル巻きにしてがっちり固定。すっかり無様な姿になったEOSくんで撮ったのがコレ。
朱色のディーゼル機関車が牽く、こげ茶色(ブドウ色2号)で塗られた5両の客車。
模型でしか見た頃がなかった編成を、撮ることができた。
(この瞬間は、撮れたているかどうか不安で仕方なかった訳だが...)
振り返って後追いでも撮っておいた。
とりあえず、撮影は完了。復路は指定券を確保。
常陸大子から水戸までの上り列車は夕方の設定。撮るより乗る方を選択した。
後続の列車で常陸大子駅に駆けつければ、まだ、「レトロ奥久慈」号は停車中。
ここで、かなり時間を潰して、夕方の上り列車の時刻を待った。
上り 第9824列車 常陸大子 15:50 → 水戸 17:21
この日、5両編成のしんがりをつとめていたのは戦前製のスハフ32。
他が戦後製の42系客車だから、ファンの人気は狭窓の並ぶ、この1両に集中していた。
貫通部にはフェンスがあるだけ、客扉も手動の開き戸。
(現在ではSL列車用にドアロック機能を追加設置済み)
いよいよ、機回し(折返し時の機関車の付け替え)を済ませて発車準備。
扉を開けて車内に入れば、あのオルゴールが流れて車内放送。
この日の編成は
DE101697
1) スハフ42 2234 【赤帯入】
2) オ ハ47 2246
3) スハフ42 2173
4) オ ハ47 2261
5) スハフ32 2357
(DE10ディーゼル機関車は宇都宮車、客車は高崎車)
だとメモしていた。
終点・水戸が近づく頃、車掌さんが車内をまわって記念品を配ってくれた。
中身は、マグネット2個。いまも自分の部屋で保存中。
すっかり日の暮れた水戸駅で客車を撮って、帰路についた。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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そう、しなの鉄道169系の最後の運転を撮りに行く皆さんが検索してやってきていた。
どうしようもないオッサンが、こんな駄文を書き連ねているだけであっても、
やはり、閲覧数が増えるというのは嬉しいこと。
しな鉄169系を撮るために検索していただいた皆さんの中から、お1人でも2人の方にも
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ネタがない。28日・29日の撮影記の詳細版は都合により、あと何日かかかりそう。
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…… ……
困ったときのネガ頼り。今日は、自分より一回りくらい先輩にあたる<鉄>の皆さんには
当たり前の光景であったはずの「旧客」、朱色のディーゼル機関車が牽く旧型客車の話題。
さて、この話題の背景、簡単に説明しておくと...
日本と欧米諸国の鉄道の違いの1つに動力の違いがある。
わが国の鉄道は戦後「動力分散式」が主流となった。電車にしろディーゼル車にしろ、
床下にモーターやエンジンを備え、客室のある車両自体の動力で走行している。
でも、鉄道の元来のシステムは「動力集中式」。列車の先頭に機関車がつき、
動力源をもたないハコ(客車)を牽引して走るスタイル。世界的にはこれが標準。
双方にメリット・デメリットがあり、日本の風土や運転形態にマッチするのが
「動力分散式」だったということなのだが、平成の時代にもなると、
機関車が牽く客車列車というのは、寝台特急とローカル線の通勤・通学時間帯の
輸送力列車だけで細々と残されている程度、すでに絶滅危惧種だった。
この動力分散式へのシフトは国鉄内部で昭和30年台までには決定していたことで、
その後の国鉄の財政もあって、それ以降は、客車の普通座席車(ハ)はあまり作られず、
国鉄末期まで茶色や紺色に塗られた昭和20年台までの客車が使われていた。
その旧型客車、今ではそれが少数だけ、イベント列車やSL列車用に残されている。
この<変態鉄>が、そんな貴重な旧型客車に引きつけられない訳がない。
なかなか、撮る機会がなかったが、2005年11月の日曜日、これが茨城県内の
水郡線を走ると聞き、現地に駆けつけた。
2005年11月6日(日) 曇り
下り 第9823列車 水戸 10:50 → 常陸大子 12:20
上野 7:30発の特急「フレッシュひたち」で出発。
水戸から水郡線に乗り換えて玉川村駅。調べておいた撮影地へはタクシーで。
そこでアクシデント発生!!!!!!
フィルムカメラには背面に開閉できるフタがある。そう、フィルムを充填するため。
そこのフックが破損している...、これではフィルムを入れても感光するだけ...
一瞬パニックになりそうだったが、とりあえず、近くのコンビニに走った。
粘着テープを買ってきて、フィルムを充填、カメラは背中に隙間ができないよう、
グルグル巻きにしてがっちり固定。すっかり無様な姿になったEOSくんで撮ったのがコレ。
朱色のディーゼル機関車が牽く、こげ茶色(ブドウ色2号)で塗られた5両の客車。
模型でしか見た頃がなかった編成を、撮ることができた。
(この瞬間は、撮れたているかどうか不安で仕方なかった訳だが...)
振り返って後追いでも撮っておいた。
とりあえず、撮影は完了。復路は指定券を確保。
常陸大子から水戸までの上り列車は夕方の設定。撮るより乗る方を選択した。
後続の列車で常陸大子駅に駆けつければ、まだ、「レトロ奥久慈」号は停車中。
ここで、かなり時間を潰して、夕方の上り列車の時刻を待った。
上り 第9824列車 常陸大子 15:50 → 水戸 17:21
この日、5両編成のしんがりをつとめていたのは戦前製のスハフ32。
他が戦後製の42系客車だから、ファンの人気は狭窓の並ぶ、この1両に集中していた。
貫通部にはフェンスがあるだけ、客扉も手動の開き戸。
(現在ではSL列車用にドアロック機能を追加設置済み)
いよいよ、機回し(折返し時の機関車の付け替え)を済ませて発車準備。
扉を開けて車内に入れば、あのオルゴールが流れて車内放送。
この日の編成は
DE101697
1) スハフ42 2234 【赤帯入】
2) オ ハ47 2246
3) スハフ42 2173
4) オ ハ47 2261
5) スハフ32 2357
(DE10ディーゼル機関車は宇都宮車、客車は高崎車)
だとメモしていた。
終点・水戸が近づく頃、車掌さんが車内をまわって記念品を配ってくれた。
中身は、マグネット2個。いまも自分の部屋で保存中。
すっかり日の暮れた水戸駅で客車を撮って、帰路についた。
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僕もネタ切れの時は、昔の写真を漁ります。
by johncomeback (2013-05-02 20:11)
johncomebackさん
コメントありがとうございます。ネタに困ったときは古いネガを漁っております。でも、紹介したい写真が見つかっても、それが、いつどうして撮ったのかが不明と言うことが多く、自分のテキトーな性格を嘆いております。
by あるまーき (2013-05-02 21:16)