消印の中の鉄道情景(62)新白河駅前郵便局(福島県) [消印の中の鉄道情景]
拙ブログの開設は2011年10月28日。例年、周年企画の記事を書いていたのだが、
今年は“出撃先”でいつの間にか迎えていた...という感じ。拙ブログも、いつしか
満7年を過ぎて、8年目に突入している。
ごく初期には1日に2本の記事をアップしたり、1日飛ばしたり...
でも、1ヶ月くらいの頃から「毎日更新」の方針で。それからは記事をアップする
時刻や、記事の長さは変わりつつも、相変わらずの記事をアップしている。
この間、多くの皆さんにご覧いただいて、本当にありがとうございます。
さて、その中で息の長い...ずっと続いているシリーズがコレ。
郵便局の、いわゆる“消印”、「日付印(にっぷいん)」。郵便局全体の半数以下
ではあるものの、局周辺の名所などの事物を描いた消印があって、お願いすれば
捺してもらうことができる。(もちろん、額面62円以上のハガキ・手紙が必要)
この中から列車・電車を描いたものだけを選んでご紹介してきたシリーズが
「消印の中の鉄道情景」、初期の頃はフツーの記事の中に盛り込んでいたことも
あって、70個近い“<鉄>な風景印”をご紹介してきた。
このシリーズ、第1回は福島駅にほど近い、福島三河町郵便局だった(→ こちら)。
そこには、東北新幹線200系電車が描かれていたが...。
今日は、新白河駅前郵便局の風景印をご紹介したい。
…… ……
その昔、奥羽街道の要衝、蝦夷地からの侵入者を防ぐために置かれた関所こそが
「白河の関」。ここを境に“みちのく”に入ることになる。
東北新幹線に乗っても福島県に入って最初の停車駅が「新白河」駅。
ご多分に漏れず、旧市街地からは外れた場所に新幹線の駅が設けられ。
旧来からの白河駅は東北本線のローカル列車だけが発着するようになって約40年、
白河市の中心部は新白河駅周辺に移ってきたとのことで。
【2018年7月30日12時19分】 東北本線・新白河駅
さて、駅というのは広い敷地、特に線路方向に沿って細長い敷地になる場合が
多いのは当然で、自然、2つの自治体に、ちょうど境界線を跨いでおかれている
場合が少なくない。有名な例では新宿駅だろうか、某公共放送のTVのニュース、
気象情報で、いつも登場する南口、その前を通る大通りが甲州街道だが、
これが新宿区と渋谷区の境界線である。だから、バスタ新宿側の改札口は渋谷区。
ちなみに、“新宿の高島屋”は渋谷区代々木に位置する。
駅では無いが、伊丹空港も同じ。ターミナルビルが南北で大阪府豊中市と
兵庫県伊丹市で二分される場所に位置している。こちらは府県境を跨ぐのだから...
この新白河駅も似たようなところがあって、白河市と西郷村に跨がっているのである。
(ただし、白河市内に入っているのは新幹線ホームの仙台方の先端部くらい)
【2018年10月30日17時04分】 福島県福島市栄町・福島駅東口
ちなみに、その西郷村は駅名にはなっていないが、東北自動車道を走る高速バスに
「西郷バスストップ」というのがあるわけで。(新白河駅から約1 kmのところ)
西郷村は全国でも3本の指に入る「人口の多い村」で、税財源も豊富であるため
白河市の合併要請を袖にし続けてきたのだとか...。
さて、その新白河駅の東口に下りて、駅を背に左側にはホテルがあって。
そのホテルの前あたりが、西郷村と白河市の境界線。白河市側に入ればすぐに
大通りに出る。訪れたのは7月末、歩き出すのと同時に汗が噴き出してくるような
暑さで、兎に角、イライラしながら...ではあったのだが。
大通りを500 mほど歩くと、最初の交差点の先に見えてくるのが...
【2018年7月30日12時08分】 福島県白河市新白河付近
新白河駅前郵便局。
「駅前」と言って良いのかどうか...、それはさておき。
この郵便局にも風景印がある。その意匠が...
印影が若干不鮮明なのが残念だが、白河市には「日本最古の公園」と呼ばれる
南湖公園があって。水面に浮かぶボートで遊ぶ姿が描かれているが、これがたぶん、
南湖公園では無いか...と、そう睨んでいる<変態鉄>である。
でも、やはり<鉄>として注目なのは左上に描かれた新幹線である。
【2017年11月8日15時29分】 埼玉県さいたま市大宮区・鉄道博物館
「ひかりは北へ」のキャッチコピーで、東北新幹線大宮~盛岡間が開業したのは
1982年(昭和57年)6月23日のこと。この年の11月には上越新幹線も開業、
しかし、<変態鉄>が初めて緑色の新幹線に乗るのは、もう少し後のことだった。
若い<鉄>の皆さんは、ご存じないかも知れないが、都心部への新幹線乗り入れは
紆余曲折あって、大宮を始発駅とする“暫定開業”だったのである。
いまも「踊り子」号で活躍の、185系を使って「新幹線リレー号」というのが、
上野-大宮間に設定されていた。だから、新幹線が開業したと言っても上野発着の
L特急群は一部削減されつつも残っていた。当時、幼稚園児だった<変態鉄>、
上野駅で乗っても、大宮、長岡と乗換えのつづくのは、富山へ帰省する手段として
<変態鉄>の親は認めてくれなかったのである。上野開業までは相変わらず、
特急「白山」号で6時間以上かかって富山にたどり着いていた。
【1994年2月頃】 北陸本線(当時)・富山駅
小学生になって、新幹線も上野駅の地下ホームに発着するようになると、富山への
往復には、長岡まで「あさひ」、ここから「かがやき」のパターンになった。
と、語り始めると長くなるのだが、ぬぁんと...、200系新幹線の写真を撮った記憶
というのが、あまりなくて。だから、先ほどの写真も大宮の鉄道博物館の保存車。
ブログを始めるまでは、お目当ての列車以外は単なる移動手段。
カメラを向けることは少なかったのである。長らく東北・上越新幹線に乗れば
必ず緑色の200系新幹線が来る...という時代が続いたこともあって。
【2007年9月30日18時23分】 東北新幹線・東京駅
風景印を捺してもらってから、ご紹介できるまでに時間がかかってしまったことの
一因は、そう、200系の写真を必死に探していたのだった。
1982年の開業に合わせて導入された200系。外観は0系新幹線によく似ているが
耐寒耐雪仕様が強化されていて。雪切室が設けられたり足下にスカートが付いたり。
オレンジ色の、リクライニングさせようとすると座面がグイッと前に飛び出して
くるタイプのリクライニングシートなど、同時期の0系新幹線にも通じる車内。
決して、嫌いでは無かったが、当たり前すぎて...というか撮っていなかった。
【1993年頃】 東海道本線・東京駅
中学生の頃、学校が早く終わってヒマだったら、東京駅のホームで写真を撮って
いたという時期があった。「リゾート踊り子」号を撮った、その1枚の背景に
写り込んでいるのが、200系新幹線。こんな写真ばかりで...。
…… ……
2000年頃からはJRになってからの新形式と合わせるべく、リニューアル工事が
進められた。この時代のものは何枚か撮っていたのだが...
上の方でご紹介した、夜の東京駅ホームで撮った1枚も実はこのリニューアル車。
後に、1編成がリバイバル塗装で、白地に緑の塗色に塗り戻されていたもの。
偶然、乗り合わせて東京駅で降りたときにスナップした。
最大の違いは運転台窓の取り替え。何というのだろうか、“こめかみ”あたりを
見てみると、窓が丸みがあって、車体と一体感のあるタイプに交換されている。
【2000年7月頃】 上越新幹線・高崎駅(後追い)
E2系電車により本格的置換えが進められるようになって。最後の営業運転は、
2013年だったとのこと。(← <鉄>でも、あまり関心のない話題で...)
というわけで、やはり、リニューアル改造を受ける前の姿を撮っていないか...
【撮影日不詳】 上越新幹線・新潟駅(?)
ネガアルバムを必死に探していくと、ほぼ同じ頃だと思うのだが新潟駅のホームで
撮ったと思われる、この1枚だった。
薄暗いホームで撮ったスナップ1枚だけ...というのは、<鉄>としてはダメダメ。
もうちょっと撮る幅を広げておかないといけないのだが...と思いつつも、
今日も偏った趣味活動ばかりの、<変態鉄>なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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今年は“出撃先”でいつの間にか迎えていた...という感じ。拙ブログも、いつしか
満7年を過ぎて、8年目に突入している。
ごく初期には1日に2本の記事をアップしたり、1日飛ばしたり...
でも、1ヶ月くらいの頃から「毎日更新」の方針で。それからは記事をアップする
時刻や、記事の長さは変わりつつも、相変わらずの記事をアップしている。
この間、多くの皆さんにご覧いただいて、本当にありがとうございます。
さて、その中で息の長い...ずっと続いているシリーズがコレ。
郵便局の、いわゆる“消印”、「日付印(にっぷいん)」。郵便局全体の半数以下
ではあるものの、局周辺の名所などの事物を描いた消印があって、お願いすれば
捺してもらうことができる。(もちろん、額面62円以上のハガキ・手紙が必要)
この中から列車・電車を描いたものだけを選んでご紹介してきたシリーズが
「消印の中の鉄道情景」、初期の頃はフツーの記事の中に盛り込んでいたことも
あって、70個近い“<鉄>な風景印”をご紹介してきた。
このシリーズ、第1回は福島駅にほど近い、福島三河町郵便局だった(→ こちら)。
そこには、東北新幹線200系電車が描かれていたが...。
今日は、新白河駅前郵便局の風景印をご紹介したい。
…… ……
その昔、奥羽街道の要衝、蝦夷地からの侵入者を防ぐために置かれた関所こそが
「白河の関」。ここを境に“みちのく”に入ることになる。
東北新幹線に乗っても福島県に入って最初の停車駅が「新白河」駅。
ご多分に漏れず、旧市街地からは外れた場所に新幹線の駅が設けられ。
旧来からの白河駅は東北本線のローカル列車だけが発着するようになって約40年、
白河市の中心部は新白河駅周辺に移ってきたとのことで。
【2018年7月30日12時19分】 東北本線・新白河駅
さて、駅というのは広い敷地、特に線路方向に沿って細長い敷地になる場合が
多いのは当然で、自然、2つの自治体に、ちょうど境界線を跨いでおかれている
場合が少なくない。有名な例では新宿駅だろうか、某公共放送のTVのニュース、
気象情報で、いつも登場する南口、その前を通る大通りが甲州街道だが、
これが新宿区と渋谷区の境界線である。だから、バスタ新宿側の改札口は渋谷区。
ちなみに、“新宿の高島屋”は渋谷区代々木に位置する。
駅では無いが、伊丹空港も同じ。ターミナルビルが南北で大阪府豊中市と
兵庫県伊丹市で二分される場所に位置している。こちらは府県境を跨ぐのだから...
この新白河駅も似たようなところがあって、白河市と西郷村に跨がっているのである。
(ただし、白河市内に入っているのは新幹線ホームの仙台方の先端部くらい)
【2018年10月30日17時04分】 福島県福島市栄町・福島駅東口
ちなみに、その西郷村は駅名にはなっていないが、東北自動車道を走る高速バスに
「西郷バスストップ」というのがあるわけで。(新白河駅から約1 kmのところ)
西郷村は全国でも3本の指に入る「人口の多い村」で、税財源も豊富であるため
白河市の合併要請を袖にし続けてきたのだとか...。
さて、その新白河駅の東口に下りて、駅を背に左側にはホテルがあって。
そのホテルの前あたりが、西郷村と白河市の境界線。白河市側に入ればすぐに
大通りに出る。訪れたのは7月末、歩き出すのと同時に汗が噴き出してくるような
暑さで、兎に角、イライラしながら...ではあったのだが。
大通りを500 mほど歩くと、最初の交差点の先に見えてくるのが...
【2018年7月30日12時08分】 福島県白河市新白河付近
新白河駅前郵便局。
「駅前」と言って良いのかどうか...、それはさておき。
この郵便局にも風景印がある。その意匠が...
印影が若干不鮮明なのが残念だが、白河市には「日本最古の公園」と呼ばれる
南湖公園があって。水面に浮かぶボートで遊ぶ姿が描かれているが、これがたぶん、
南湖公園では無いか...と、そう睨んでいる<変態鉄>である。
でも、やはり<鉄>として注目なのは左上に描かれた新幹線である。
【2017年11月8日15時29分】 埼玉県さいたま市大宮区・鉄道博物館
「ひかりは北へ」のキャッチコピーで、東北新幹線大宮~盛岡間が開業したのは
1982年(昭和57年)6月23日のこと。この年の11月には上越新幹線も開業、
しかし、<変態鉄>が初めて緑色の新幹線に乗るのは、もう少し後のことだった。
若い<鉄>の皆さんは、ご存じないかも知れないが、都心部への新幹線乗り入れは
紆余曲折あって、大宮を始発駅とする“暫定開業”だったのである。
いまも「踊り子」号で活躍の、185系を使って「新幹線リレー号」というのが、
上野-大宮間に設定されていた。だから、新幹線が開業したと言っても上野発着の
L特急群は一部削減されつつも残っていた。当時、幼稚園児だった<変態鉄>、
上野駅で乗っても、大宮、長岡と乗換えのつづくのは、富山へ帰省する手段として
<変態鉄>の親は認めてくれなかったのである。上野開業までは相変わらず、
特急「白山」号で6時間以上かかって富山にたどり着いていた。
【1994年2月頃】 北陸本線(当時)・富山駅
小学生になって、新幹線も上野駅の地下ホームに発着するようになると、富山への
往復には、長岡まで「あさひ」、ここから「かがやき」のパターンになった。
と、語り始めると長くなるのだが、ぬぁんと...、200系新幹線の写真を撮った記憶
というのが、あまりなくて。だから、先ほどの写真も大宮の鉄道博物館の保存車。
ブログを始めるまでは、お目当ての列車以外は単なる移動手段。
カメラを向けることは少なかったのである。長らく東北・上越新幹線に乗れば
必ず緑色の200系新幹線が来る...という時代が続いたこともあって。
【2007年9月30日18時23分】 東北新幹線・東京駅
風景印を捺してもらってから、ご紹介できるまでに時間がかかってしまったことの
一因は、そう、200系の写真を必死に探していたのだった。
1982年の開業に合わせて導入された200系。外観は0系新幹線によく似ているが
耐寒耐雪仕様が強化されていて。雪切室が設けられたり足下にスカートが付いたり。
オレンジ色の、リクライニングさせようとすると座面がグイッと前に飛び出して
くるタイプのリクライニングシートなど、同時期の0系新幹線にも通じる車内。
決して、嫌いでは無かったが、当たり前すぎて...というか撮っていなかった。
【1993年頃】 東海道本線・東京駅
中学生の頃、学校が早く終わってヒマだったら、東京駅のホームで写真を撮って
いたという時期があった。「リゾート踊り子」号を撮った、その1枚の背景に
写り込んでいるのが、200系新幹線。こんな写真ばかりで...。
…… ……
2000年頃からはJRになってからの新形式と合わせるべく、リニューアル工事が
進められた。この時代のものは何枚か撮っていたのだが...
上の方でご紹介した、夜の東京駅ホームで撮った1枚も実はこのリニューアル車。
後に、1編成がリバイバル塗装で、白地に緑の塗色に塗り戻されていたもの。
偶然、乗り合わせて東京駅で降りたときにスナップした。
最大の違いは運転台窓の取り替え。何というのだろうか、“こめかみ”あたりを
見てみると、窓が丸みがあって、車体と一体感のあるタイプに交換されている。
【2000年7月頃】 上越新幹線・高崎駅(後追い)
E2系電車により本格的置換えが進められるようになって。最後の営業運転は、
2013年だったとのこと。(← <鉄>でも、あまり関心のない話題で...)
というわけで、やはり、リニューアル改造を受ける前の姿を撮っていないか...
【撮影日不詳】 上越新幹線・新潟駅(?)
ネガアルバムを必死に探していくと、ほぼ同じ頃だと思うのだが新潟駅のホームで
撮ったと思われる、この1枚だった。
薄暗いホームで撮ったスナップ1枚だけ...というのは、<鉄>としてはダメダメ。
もうちょっと撮る幅を広げておかないといけないのだが...と思いつつも、
今日も偏った趣味活動ばかりの、<変態鉄>なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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