それなら今夜は「旧津山扇形機関車庫と転車台」の写真から。 [その他の鉄話]
明日の夜、<変態鉄>は岡山県は倉敷市に向かう。
何やら「岡山県下第2の都市」というのを巡っては、昔から“論争”があるのだとか。
県南部、瀬戸内海に面した側に位置するのが県都・岡山市。人口も県下最大。
県北には昔からの城下町・津山がある。でも、いまや人口では倉敷市に叶うわけも
なくなっており。正直言って駅前も中心街も典型的な地方都市。あまり元気そうな
感じもなく。
【2009年11月8日15時53分】 因美線・知和-美作加茂
2007年から2010年まで春と秋、<変態鉄>は年に2回、その津山に通った。
因美線を走った臨時列車「みまさかスローライフ列車」である。時刻表の標記では
単なる臨時普通気動車列車である。でも、当時の津山鉄道部のさる方の尽力だった
と言われているが、この列車に対する情熱...。
隣の広島支社で引退することになったキハ58+キハ28「急行みよし号」編成を
国鉄急行色に塗り戻した上で岡山支社に転属させて...
「飛越ゴハチ」より1年早い引退、同じ国鉄急行色のキハ58+キハ28編成であっても
こちらは、本当に「急行列車用」として最後まで使われた車両だった。
ボックスシートがずらっと並んだ車内は、「急行型」に相応しい風格があった。
【2008年5月9日10時45分】 姫新線・津山駅
そんなこんなで何度も訪れた津山。「みまスロ」の運転日には津山駅に隣接した
機関区では出庫前の点検中のキハと、その機関区の様子が公開された。
(公式発表では予約制だったように思うのだが誰でも見学できるようになっていた)
その機関区が...
…… ……
日付変わって明日、14日に「鉄道記念物」に指定されることになったのだとか。
国鉄時代に制定された「鉄道記念物」「準鉄道記念物」はJR各社に引き継がれ、
そこに加えられることになったのが「旧津山扇形機関車庫と転車台」。
【2009年11月8日10時55分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
津山駅に隣接して大きな転車台を中心に、扇形に並んだ17線の機関庫。
当時は、庫内には引退後、保管されていたディーゼル機関車の姿。
1形式1両、試作だけで量産に至らなかった“不運な機関車”、DE50 1号機の姿も。
でも、この機関庫、当時もいまも「保存」として存在しているのではない。
運用の都合で車両の向きを反対にしたいディーゼル動車の向きを変えるのに
転車台は使われており。当時も、扇形庫はあまり使われていなかったが、
それでも現役のキハの点検・整備で一部の線だけは使わないとならない作業が
あるということで。(いまも時折、キハの点検・整備に使われているとか...)
…… ……
その津山、ある時期までは確実に“鉄道の要衝”だった。南から来るのは津山線、
北に向かうのは因美線、姫路から中国山地に沿って新見まで、東西に貫く姫新線。
そんな津山に、昭和の鉄道輸送全盛期に、大規模な機関区が置かれたのは
至極当然のことだった。
【2008年5月9日10時50分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
「無煙化」で蒸気機関車が消えても、四方に延びる路線はすべて非電化、
ディーゼル動車たちが集っていた訳で。“機関区”は事実上の“気動車区”の
ような形になって。でも、「みささ・みまさか」など国鉄時代に大阪と中国地方
各地を結んだディーゼル急行も高速道路の発達の前には為す術なく。
その中で、鳥取から岡山まで、因美線・津山線経由で結んでいたのが
急行「砂丘」号だった。キハ58+キハ65の強馬力編成にキロハ28形を組み込んで。
(別の日に、急行「つやま」号乗車時に撮影したキロハ28のグリーン席)
ディーゼル急行らしい姿と都市間列車に相応しい運転本数、「最後の急行列車」
という感じだった。
そんな、陰陽連絡急行「砂丘」が走ったのが因美線。でも、いまから20年ほど前に
高規格路線の智頭急行線が開業して、京都からの特急「スーパーはくと」号が
乗り入れるようになると、陰陽連絡ルートからは外れ、寂れに寂れていった
その因美線で、春と秋、沿線住民の農作業の忙しい時期が落ち着いた時期に
運転される臨時列車が「みまさかスローライフ列車」。例年、5月と11月の週末に
設定されるのは、この列車の性格ゆえ。「このままでは廃線になる」という
地元の危機感、ローカル線を活かした地域活性化...のロールモデル的位置づけで
あったかも知れない。
【2008年5月9日12時45分】 因美線・美作滝尾駅付近
各駅で10分~1時間程度の停車時間が設定され、地元のおばちゃんたちが食べ物など
地元ならではの手作り感のある“もてなし”を味わうことができた。
各駅前にはテントが並べられ、実際に映画の舞台になった美作滝尾駅前には
寅さん(のそっくりさん)も登場して。もの凄い人出だった。
でも、「停車時間が長い」ということは「急げば何度も撮れる」ということ、
<変態鉄>は各駅のイベントを楽しむ余裕はなく津山市内でタクシーを
チャーター、鳥取県との県境近くまでキハを追いかけて、何度も撮ったのだった。
…… ……
2010年秋の運行を最後にキハ58系編成は引退、そのまま扇形機関庫に保存された。
【2016年6月12日11時37分】 岡山県津山市大谷・まなびの鉄道館
それと前後して、JR西日本各地で引退した国鉄型ディーゼル動車も搬入されて。
ちょっと、「?」と思わざるを得ないマニアックな車両も含まれるが...
古い鉄道車両の保存展示と言えば、蒸気機関車と新幹線...というのを覆して(?)、
“ディーゼルの殿堂”を目指したのは、当時の津山鉄道部にいらっしゃった、
ある方のご尽力があったからなのだとか。後に大阪の交通科学館の閉館に合わせて
D51蒸気機関車が“転入”したが、それでも「ディーゼルの殿堂」であることには
変わらず。
【2008年5月9日10時54分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
<変態鉄>も何度か見学に訪れたのである。最初の頃は週末だけの開館で予約制。
でも、いつしか「まなびの鉄道館」として本格的な展示施設として常時公開に。
【2017年9月3日15時41分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園前
(※ 許可を得て撮影しています)
さらに、“鉄道遺産”をキーワードに柵原と津山を結ぶ臨時バスの運行など
岡山県というのもなかなかの“鉄道県”なのである。
そんな岡山県の南に位置する倉敷、水島の臨海工業地帯を走っていたキハを
楽しんできたいと思う次第。
ということで、明日の記事は<速報版>となる予定。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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何やら「岡山県下第2の都市」というのを巡っては、昔から“論争”があるのだとか。
県南部、瀬戸内海に面した側に位置するのが県都・岡山市。人口も県下最大。
県北には昔からの城下町・津山がある。でも、いまや人口では倉敷市に叶うわけも
なくなっており。正直言って駅前も中心街も典型的な地方都市。あまり元気そうな
感じもなく。
【2009年11月8日15時53分】 因美線・知和-美作加茂
2007年から2010年まで春と秋、<変態鉄>は年に2回、その津山に通った。
因美線を走った臨時列車「みまさかスローライフ列車」である。時刻表の標記では
単なる臨時普通気動車列車である。でも、当時の津山鉄道部のさる方の尽力だった
と言われているが、この列車に対する情熱...。
隣の広島支社で引退することになったキハ58+キハ28「急行みよし号」編成を
国鉄急行色に塗り戻した上で岡山支社に転属させて...
「飛越ゴハチ」より1年早い引退、同じ国鉄急行色のキハ58+キハ28編成であっても
こちらは、本当に「急行列車用」として最後まで使われた車両だった。
ボックスシートがずらっと並んだ車内は、「急行型」に相応しい風格があった。
【2008年5月9日10時45分】 姫新線・津山駅
そんなこんなで何度も訪れた津山。「みまスロ」の運転日には津山駅に隣接した
機関区では出庫前の点検中のキハと、その機関区の様子が公開された。
(公式発表では予約制だったように思うのだが誰でも見学できるようになっていた)
その機関区が...
…… ……
日付変わって明日、14日に「鉄道記念物」に指定されることになったのだとか。
国鉄時代に制定された「鉄道記念物」「準鉄道記念物」はJR各社に引き継がれ、
そこに加えられることになったのが「旧津山扇形機関車庫と転車台」。
【2009年11月8日10時55分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
津山駅に隣接して大きな転車台を中心に、扇形に並んだ17線の機関庫。
当時は、庫内には引退後、保管されていたディーゼル機関車の姿。
1形式1両、試作だけで量産に至らなかった“不運な機関車”、DE50 1号機の姿も。
でも、この機関庫、当時もいまも「保存」として存在しているのではない。
運用の都合で車両の向きを反対にしたいディーゼル動車の向きを変えるのに
転車台は使われており。当時も、扇形庫はあまり使われていなかったが、
それでも現役のキハの点検・整備で一部の線だけは使わないとならない作業が
あるということで。(いまも時折、キハの点検・整備に使われているとか...)
…… ……
その津山、ある時期までは確実に“鉄道の要衝”だった。南から来るのは津山線、
北に向かうのは因美線、姫路から中国山地に沿って新見まで、東西に貫く姫新線。
そんな津山に、昭和の鉄道輸送全盛期に、大規模な機関区が置かれたのは
至極当然のことだった。
【2008年5月9日10時50分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
「無煙化」で蒸気機関車が消えても、四方に延びる路線はすべて非電化、
ディーゼル動車たちが集っていた訳で。“機関区”は事実上の“気動車区”の
ような形になって。でも、「みささ・みまさか」など国鉄時代に大阪と中国地方
各地を結んだディーゼル急行も高速道路の発達の前には為す術なく。
その中で、鳥取から岡山まで、因美線・津山線経由で結んでいたのが
急行「砂丘」号だった。キハ58+キハ65の強馬力編成にキロハ28形を組み込んで。
(別の日に、急行「つやま」号乗車時に撮影したキロハ28のグリーン席)
ディーゼル急行らしい姿と都市間列車に相応しい運転本数、「最後の急行列車」
という感じだった。
そんな、陰陽連絡急行「砂丘」が走ったのが因美線。でも、いまから20年ほど前に
高規格路線の智頭急行線が開業して、京都からの特急「スーパーはくと」号が
乗り入れるようになると、陰陽連絡ルートからは外れ、寂れに寂れていった
その因美線で、春と秋、沿線住民の農作業の忙しい時期が落ち着いた時期に
運転される臨時列車が「みまさかスローライフ列車」。例年、5月と11月の週末に
設定されるのは、この列車の性格ゆえ。「このままでは廃線になる」という
地元の危機感、ローカル線を活かした地域活性化...のロールモデル的位置づけで
あったかも知れない。
【2008年5月9日12時45分】 因美線・美作滝尾駅付近
各駅で10分~1時間程度の停車時間が設定され、地元のおばちゃんたちが食べ物など
地元ならではの手作り感のある“もてなし”を味わうことができた。
各駅前にはテントが並べられ、実際に映画の舞台になった美作滝尾駅前には
寅さん(のそっくりさん)も登場して。もの凄い人出だった。
でも、「停車時間が長い」ということは「急げば何度も撮れる」ということ、
<変態鉄>は各駅のイベントを楽しむ余裕はなく津山市内でタクシーを
チャーター、鳥取県との県境近くまでキハを追いかけて、何度も撮ったのだった。
…… ……
2010年秋の運行を最後にキハ58系編成は引退、そのまま扇形機関庫に保存された。
【2016年6月12日11時37分】 岡山県津山市大谷・まなびの鉄道館
それと前後して、JR西日本各地で引退した国鉄型ディーゼル動車も搬入されて。
ちょっと、「?」と思わざるを得ないマニアックな車両も含まれるが...
古い鉄道車両の保存展示と言えば、蒸気機関車と新幹線...というのを覆して(?)、
“ディーゼルの殿堂”を目指したのは、当時の津山鉄道部にいらっしゃった、
ある方のご尽力があったからなのだとか。後に大阪の交通科学館の閉館に合わせて
D51蒸気機関車が“転入”したが、それでも「ディーゼルの殿堂」であることには
変わらず。
【2008年5月9日10時54分】 岡山県津山市大谷・JR西日本津山鉄道部
<変態鉄>も何度か見学に訪れたのである。最初の頃は週末だけの開館で予約制。
でも、いつしか「まなびの鉄道館」として本格的な展示施設として常時公開に。
【2017年9月3日15時41分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園前
(※ 許可を得て撮影しています)
さらに、“鉄道遺産”をキーワードに柵原と津山を結ぶ臨時バスの運行など
岡山県というのもなかなかの“鉄道県”なのである。
そんな岡山県の南に位置する倉敷、水島の臨海工業地帯を走っていたキハを
楽しんできたいと思う次第。
ということで、明日の記事は<速報版>となる予定。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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2018-10-13 03:00
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