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“カッコウ+朝の気分”489系急行「能登」富山駅到着“おはよう放送” [車内放送]

<変態鉄>がブログを開設したのは、2011年10月のこと。そう、ブログとしては
かなり遅い開設だった方。すでにSNSに押され気味だった時期...ということかも
知れない。でも、自分にとっては全くの初めてだった。

その当時、<鉄>に限らず、いろいろな方のブログを読みながら、
  「こういうことを書くような人間にはなりたくないものだ」
と思っていたのが、毎日のように「仕事が忙しい」「仕事が忙しい」と繰り返す...

でも、ブログ開設から、まもなく丸7年。まさに自分がそういう人間になって。
だからといって、職場で自分が大車輪の活躍...である訳も無く。ただただ仕事が
多いのである。

ということで、本当は木曜日は公休日だった。

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【2018年3月27日15時23分】 小湊鐵道線・上総鶴舞-上総久保

“カメラの試運転”を兼ねて小湊キハを撮りに行くか...

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【2016年10月24日12時18分】 京浜急行電鉄本線・逸見駅(後追い)

木曜日と言えば“現代の配給列車”、京急の「貨車便」の運転日である。
久々に京急を撮りに行こうかと。

でも、昨日の深夜、会社からメールが届いたのである。ということで公休返上で
出社していた<変態鉄>。書きためた撮影記もなく、ネガをスキャンする時間も
無かったので、久々にこのシリーズ。

残念ながら録音状態は良くないが、<富山鉄>には懐かしい、この列車の車内放送を
ご紹介したい。

……  ……

またもや、日付を書けないのは記録も記憶も曖昧だから。
高山本線の急行「たかやま」号に“惜別乗車”というか、<葬式鉄>に出かけた
時だったような気がする。だとすると、他の記録に寄れば、1999年10月27日の晩に
上野駅を発つ急行「能登」号だったはず。

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【1999年10月27日】 東北本線・上野駅

もし、そうだったとすれば当日、つまり、1999年10月27日の晩、上野駅から乗った
急行「能登」号は、しっかりと記録している。JR化直後、当時としても長距離特急、
上野-金沢間を6時間半かけて結んでいた「白山」号のために、JR西日本金沢支社は
「車内アコモデーションの改善」を実施、当時の金沢運転所で首都圏型保安装置に
対応していたのは、この「白山」編成だけ。夜行急行「能登」号だけの受け持ちに
なっても、専らこの編成が使用された。

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【2010年3月4日23時40分】 東北本線・上野駅

車内の蛍光灯が減光対応に改造されて夜行急行に活躍の場を移した489系能登編成、
2010年春まで上野駅に姿を見せていた。

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【2018年8月10日10時30分】 石川県小松市土居原・土居原ボンネット広場

その「白山アコモ改造」に合わせて、国鉄特急型電車の“♪ 汽笛一声~”の
オルゴールは電子チャイムに変更されて。でも、クハ(後部運転台)の車掌さんと
サロ(グリーン車)の車掌さんで流せるチャイムの曲目が違っていたのは、たぶん
他の列車では無かったこと。

深夜零時が近づいて、そろそろ終電を逃すまいとホームを駆け出す人が増える
時間帯に上野駅を発車。高崎駅までは「ホームライナー」的な車内だった。
高崎駅を出ると車内は消灯され。たいてい、座席を回転させて4人分のシートで
L字型に体を曲げて眠るのだった。

直江津駅から北陸本線に入ると“急行”らしく、小さな駅をこまめに拾って。
朝6時前、滑川駅を出発した直後、車内の蛍光灯がもとの明るさに戻されて...



車内のスピーカーからは、8トラテープだろうか、ちょっと間延びした感じの
「カッコウの鳴き声」が流れて。数秒で止めてしまう車掌さんもいれば、
しばらく「カッコウの鳴き声」を流し続ける方も居て。
その「カッコウの鳴き声」に続いて「朝の気分(グリーク)」。

ちなみにバタバタと五月蠅いのは、6号車のラウンジでの録音だから。

“みなさま、おはようございます。あと10分で富山、富山です”

上野から金沢まで金沢列車区の車掌さんの通し乗務だった。普段は2人乗務だが、
この晩は見習いだろうか、若い車掌さんが加わって3人乗務。この「おはよう放送」
は、若い車掌さんの声である。「おはよう放送」にしては簡素だが、東富山駅を
通過してから、今度はベテランのチーフ車掌さんが「美しき青きドナウ」の
チャイムを鳴らして、富山駅からの乗換案内などを放送するのだった。

豪華クルーズ列車を除けば、“夜行列車”というのは、まさに風前の灯火。
「おはよう放送」を聞ける列車も、いまや特急寝台「サンライズ」だけ。
今週末、その「サンライズ」に乗車する予定...というのは先日書いた通り。

……  ……

国鉄在来線全盛期、昭和3年台に151系「こだま」として、その歩みをスタートした
ボンネット型特急電車、その最後の定期運用が金沢支社489系ボンネット車による
急行「能登」号、2010年3月改正までの活躍だった。

EOSくんのデジタル化から本格的に<撮り鉄>に参入した(?)、<変態鉄>にとって
その活躍末期、何度か撮影に“挑戦”する機会を得た。

「どうせ夜行にしか使わないから、明るい色の塗料は要らない」という理由で
“白山色”は国鉄特急色に戻されて。もちろん、<撮り鉄>としては“welcome”
だったわけで。

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【2010年3月4日23時42分】 東北本線・上野駅

2007年夏に初代EOS 5Dを購入、“初遠征”となったのは2007年9月の大糸線キハ52形
3連運行だった。まだ、デジカメの使い方が分からなくて。思いっきりストロボを
炊いて撮影している。すでに決して若くは無かったが“若気の至り”ということで。

夜行列車の運転区間としては最短に近かったのが上野-金沢。走行シーンを
撮影できるのは、夏場の陽の長い時期に限られた。

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【2009年8月16日6時03分】 北陸本線(当時)・高岡-西高岡

<富山鉄>にとっては高岡駅の西方、田園地帯が“定番”。この頃になると、
早朝、高岡駅前で客待ちしているタクシーに乗り込むと「ああ、あそこね」と。
“同業者さん”を乗せてピストン輸送的な。早朝、明け切らない中、田園地帯に
三脚の砲列が敷かれていた。何度も通ったものの、いま見てみると拙いものばかり。

JRグループの全国ダイヤ改正は例年、3月中旬の土曜日に行われる。その概要が
わかるのは前年の秋以降。そう、走行写真は厳しいシーズンになってから。

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【2010年3月8日6時01分】 北陸本線(当時)・高岡駅

廃止秒読み段階の2010年3月、「飛越ゴハチ」、大糸線のキハ52、そして...
早朝から深夜まで撮り続けたのだった。

どうやら高岡駅は比較的“バルブ撮影”がしやすいらしい...という情報で。
富山駅北のあのホテルから、朝4時半過ぎ、始発の「サンダーバード」号で。
高岡まで320円の乗車券に730円の自由席特急券まで買って。<ケチ鉄>として
あり得ないことまでして撮りに行った。

“テルハ”が残っていた高岡駅も、橋上化でその雰囲気を大きく変えてしまった。
3個のヘッドライトが輝き、そして水色の日本海に能登半島を図案化した
ヘッドマークも“白飛び”させずに。当時の<変態鉄>としては“狂喜乱舞”の
会心の1枚だった。

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【2010年3月9日5時45分】 北陸本線(当時)・富山駅

翌朝は「飛越ゴハチ」の“行きがけの駄賃”的に富山駅のホームで。
すでに新幹線工事に向けて仮設駅の工事が始まっていて、工事用のフェンスが...

それ以上に。高岡駅とは比べものにならない撮影者の数。しかも地元TV局の取材も。
カメラクルーが点けた照明、せっかくのボンネットの前にはレポーター、
さらには、手前のホームには、確か初電の大聖寺ゆき普通電車も入線して。

「朝早く起きたのに~~っ」、イライラしながらの撮影だった。
ちなみにこの写真、2010年3月9日、<変態鉄>にとって32歳の誕生日の朝である。

……  ……

ボンネットも「電気釜」も。さらには「サンダーバード」681・683系も。
北陸本線と言えば長編成の特急電車が雁行しているのが“当たり前のこと”だった。

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【2010年3月8日6時08分】 北陸本線(当時)・高岡駅

富山も高岡も魚津も糸魚川も。北陸本線の駅のホームに立てば、色とりどりの
「軒下乗車位置案内札」が並んでいた。

あの頃、何にも思わなかった当たり前のことが懐かしくて仕方がない<変態鉄>
なのである。

♪ 上野発の夜行列車~~

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【2010年3月4日23時42分】 東北本線・上野駅

学生時代の“ビンボー旅”では苦痛以外の何物でも無く。でも、いま思えば
懐かしい思い出なのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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