常磐路にキハを見に行く(7)20年ぶりに羽幌キハに再会 <前編> [保存車・廃線跡]
<変態鉄>が撮りにいくキハの中で、一番撮りたいのは「キハ20系」。
これは正式な名称ではないのだが、趣味者の間ではよく知られた分類なのである。
その中心的形式がキハ20形。
【2009年6月25日9時28分】 水島臨海鉄道水島本線・球場前-倉敷市
そう、水島臨海鉄道に撮りに通った、あのキハである。
両運転台、足回りはDMH17系エンジン1基である。
山岳路線では、DMH17系エンジン1基では“パワー不足”の感があって。
【2018年1月13日10時45分】 いすみ鉄道・上総中野-西畑
同系の2基エンジン車として製造されたのがキハ52形。そう、いすみ鉄道を走る
あのキハである。「キハ20系」には、このほか、1基エンジン・片運転台「キハ25形」、
ローカル線用の郵便・荷物合造車「キハユニ26形」など、様々なバリエーション。
その中で、<変態鉄>が現役の姿を“実見する”のが叶わなかったのが...
…… ……
キハ20形の北海道耐寒耐雪バージョンの「キハ22形」。JR北海道カラーになって江差線
などで、平成になってからも活躍を続けていたのだが、<変態鉄>がキハを撮るように
なった頃に現役を引退してしまった。
タッチの差で、保存車以外で撮ったことのない形式なのである。
(青森県内で動態保存されているのだが...)
国鉄時代、「北海道用」というのは特別仕様の車両が用意されるのが、定番だった。
キハ22形も、客窓は小さめの二重窓、保温のためドアは車端部に寄せてデッキつき、
当時既に客室の床板には樹脂を塗って仕上げるのが一般的だったが、極寒の北海道で
運用される車両だけは、板張りとされていた。同じグループとは思えないくらいの
違いがあって。気にはなっていたのだが、乗車も撮影も叶わぬまま...
でも、その「キハ22形」に乗ったことがある...といってしまえば、自己矛盾!?
当時、どこで図面を見せてもらったのか...(そのあたりの事情は...)
でも、国鉄と同形のキハを投入する私鉄というのは珍しくなかった。昭和40年台に
入るまでの北海道の“炭礦鉄道”各社は競ってディーゼル動車を新造、蒸機列車を
置き換えていったのだが、直後、国のエネルギー政策の転換で一気に閉山。
もちろん、(事実上)炭鉱会社の一部門として運営されていた炭礦鉄道も廃線となる
のは必然だった。北海道の、羽幌鉄道と留萌鉄道などもキハの新製から数年ほどで
廃線の憂き目。車齢の若いディーゼル動車は、茨城交通に引き取られた。
…… ……
2018年7月23日(月)晴れ
JR線のホーム南側に欠き取り式でもうけられた片面ホームの小さな“停車場”が
ひたちなか海浜鉄道の始発駅・勝田駅である。JRとの境界を仕切るフェンスの土台が
ベンチをかねる構造になっていて。昼下がり、買い物客や学生さんが、そのベンチに
腰を下ろして列車の到着を待っていた。
【2018年7月23日12時21分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・勝田駅
12時半、特にアナウンスなども無く、ゆっくりとキハ3710-2号車単行が到着。
平日の昼下がりでも、多くの降車客があって、また、座席も半分以上が埋まる乗車率。
しばらく前に存廃が話題になった路線...ということを感じさせない、
「活気あるローカル私鉄」というのが、「ひたちなか海浜鉄道湊線」に対する
<変態鉄>のの第一印象。
【2018年7月23日12時29分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・勝田駅
12:40、JR常磐線の上り電車と競走するように発車。左に曲がったところが日工前。
日立工機の工場があることが駅名の由来だとか。
21年前の1997年の大型連休、学生時代に<変態鉄>はたった一度だけ、キハを撮りに
茨城交通湊線を訪問した(→ こちら)。そのとき、列車を撮ったのが中根駅至近の
水田地帯だった。何となく、そのときの雰囲気は変わっていないような...
朧気な記憶。
新駅「高田の鉄橋」を過ぎて、沿線の中心駅・那珂湊で多くの乗客が下車。車内は
一気に閑散として、だんだん列車は“海沿い”を感じさせるところへ。
とはいえ、実際に車窓に海が広がるところはなく、実際に海を絡めて撮るのは
場所が限られそう。
【2018年7月23日13時03分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
終点は阿字ヶ浦駅。海水浴場として有名で、かつては常磐線から乗り入れの海水浴
臨時列車が発着したという。でも、いまでは寂しい感じの無人駅。
観光客と思しき2名が降りて、記念撮影をして消えていったら、周囲には誰もいなく
なった。
いまでは無人化されており、1時間に1~2本、ディーゼル動車単行のワンマン列車が
発着するだけの終着駅だが、かつての賑わいを感じさせるのは駅構内の広さ。
【2018年7月23日13時03分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
そのホームの使われなくなった部分、潮風の影響だろうか、塗膜が剥げて鋼板も
腐食が進んでいるようで、ちょっと痛々しい姿だが、キハが留置(放置!?)されて
いるのだった。ホーム側にはフェンスがあり、駅の構内通路から中に入ろうとすれば
ロープが張られており...、キハに近づくことはできないが、写真を撮る程度は...
その前に。暑いのであまり動きたくない...というのがホンネだったが、いったん駅を
出て線路沿いにちょっとだけ戻った地点から。
【2018年7月23日13時06分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
明るいブルーに塗られた駅舎もなかなか良い感じ。広く見える青空が、海に近い
開放的な雰囲気を醸し出しているような...。
さてさて。
ボロボロになっているのは残念だが、キハの様子を観察してみたい。
【2018年7月23日13時04分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
駅舎側に留置(?)されている青い車両が、キハ222号車。羽幌炭礦鉄道が
1962年(昭和37年)に導入した車両である。青地に黄褐色の“一般気動車色”は
この車両が実際に纏っていたカラーではない。国鉄キハ22形だと言われても、
にわかに区別がつかないくらいの“そっくりさん”であり、実際に国鉄羽幌線に
乗り入れていた実績もあるのだとか。
【2018年7月23日13時10分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
ホントに、国鉄キハ22形にソックリなのだが、唯一の違いは運転台窓。
北海道の、山の中で使われることに合わせて旅客車には珍しい旋回窓を装備している
ことが最大の違いなのだが...
この地では保存しているのでは無く、何でも、将来的に那珂湊に移転して活用する
構想があるのだそうで。特に説明看板などは設けられていないのである。
【1997年5月5日】 茨城交通湊線(当時)・撮影地不詳
この車両、21年前の訪問時に、偶然とは言え撮っていた車両である。
当時は茨城交通湊線、同社の路線バスとお揃いのカラーは、道産子の旧型キハには
似合っていなかった。
そして、もう1両、クリーム色に朱色の塗り分けは... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
これは正式な名称ではないのだが、趣味者の間ではよく知られた分類なのである。
その中心的形式がキハ20形。
【2009年6月25日9時28分】 水島臨海鉄道水島本線・球場前-倉敷市
そう、水島臨海鉄道に撮りに通った、あのキハである。
両運転台、足回りはDMH17系エンジン1基である。
山岳路線では、DMH17系エンジン1基では“パワー不足”の感があって。
【2018年1月13日10時45分】 いすみ鉄道・上総中野-西畑
同系の2基エンジン車として製造されたのがキハ52形。そう、いすみ鉄道を走る
あのキハである。「キハ20系」には、このほか、1基エンジン・片運転台「キハ25形」、
ローカル線用の郵便・荷物合造車「キハユニ26形」など、様々なバリエーション。
その中で、<変態鉄>が現役の姿を“実見する”のが叶わなかったのが...
…… ……
キハ20形の北海道耐寒耐雪バージョンの「キハ22形」。JR北海道カラーになって江差線
などで、平成になってからも活躍を続けていたのだが、<変態鉄>がキハを撮るように
なった頃に現役を引退してしまった。
タッチの差で、保存車以外で撮ったことのない形式なのである。
(青森県内で動態保存されているのだが...)
国鉄時代、「北海道用」というのは特別仕様の車両が用意されるのが、定番だった。
キハ22形も、客窓は小さめの二重窓、保温のためドアは車端部に寄せてデッキつき、
当時既に客室の床板には樹脂を塗って仕上げるのが一般的だったが、極寒の北海道で
運用される車両だけは、板張りとされていた。同じグループとは思えないくらいの
違いがあって。気にはなっていたのだが、乗車も撮影も叶わぬまま...
でも、その「キハ22形」に乗ったことがある...といってしまえば、自己矛盾!?
当時、どこで図面を見せてもらったのか...(そのあたりの事情は...)
でも、国鉄と同形のキハを投入する私鉄というのは珍しくなかった。昭和40年台に
入るまでの北海道の“炭礦鉄道”各社は競ってディーゼル動車を新造、蒸機列車を
置き換えていったのだが、直後、国のエネルギー政策の転換で一気に閉山。
もちろん、(事実上)炭鉱会社の一部門として運営されていた炭礦鉄道も廃線となる
のは必然だった。北海道の、羽幌鉄道と留萌鉄道などもキハの新製から数年ほどで
廃線の憂き目。車齢の若いディーゼル動車は、茨城交通に引き取られた。
…… ……
2018年7月23日(月)晴れ
JR線のホーム南側に欠き取り式でもうけられた片面ホームの小さな“停車場”が
ひたちなか海浜鉄道の始発駅・勝田駅である。JRとの境界を仕切るフェンスの土台が
ベンチをかねる構造になっていて。昼下がり、買い物客や学生さんが、そのベンチに
腰を下ろして列車の到着を待っていた。
【2018年7月23日12時21分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・勝田駅
12時半、特にアナウンスなども無く、ゆっくりとキハ3710-2号車単行が到着。
平日の昼下がりでも、多くの降車客があって、また、座席も半分以上が埋まる乗車率。
しばらく前に存廃が話題になった路線...ということを感じさせない、
「活気あるローカル私鉄」というのが、「ひたちなか海浜鉄道湊線」に対する
<変態鉄>のの第一印象。
【2018年7月23日12時29分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・勝田駅
12:40、JR常磐線の上り電車と競走するように発車。左に曲がったところが日工前。
日立工機の工場があることが駅名の由来だとか。
21年前の1997年の大型連休、学生時代に<変態鉄>はたった一度だけ、キハを撮りに
茨城交通湊線を訪問した(→ こちら)。そのとき、列車を撮ったのが中根駅至近の
水田地帯だった。何となく、そのときの雰囲気は変わっていないような...
朧気な記憶。
新駅「高田の鉄橋」を過ぎて、沿線の中心駅・那珂湊で多くの乗客が下車。車内は
一気に閑散として、だんだん列車は“海沿い”を感じさせるところへ。
とはいえ、実際に車窓に海が広がるところはなく、実際に海を絡めて撮るのは
場所が限られそう。
【2018年7月23日13時03分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
終点は阿字ヶ浦駅。海水浴場として有名で、かつては常磐線から乗り入れの海水浴
臨時列車が発着したという。でも、いまでは寂しい感じの無人駅。
観光客と思しき2名が降りて、記念撮影をして消えていったら、周囲には誰もいなく
なった。
いまでは無人化されており、1時間に1~2本、ディーゼル動車単行のワンマン列車が
発着するだけの終着駅だが、かつての賑わいを感じさせるのは駅構内の広さ。
【2018年7月23日13時03分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
そのホームの使われなくなった部分、潮風の影響だろうか、塗膜が剥げて鋼板も
腐食が進んでいるようで、ちょっと痛々しい姿だが、キハが留置(放置!?)されて
いるのだった。ホーム側にはフェンスがあり、駅の構内通路から中に入ろうとすれば
ロープが張られており...、キハに近づくことはできないが、写真を撮る程度は...
その前に。暑いのであまり動きたくない...というのがホンネだったが、いったん駅を
出て線路沿いにちょっとだけ戻った地点から。
【2018年7月23日13時06分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
明るいブルーに塗られた駅舎もなかなか良い感じ。広く見える青空が、海に近い
開放的な雰囲気を醸し出しているような...。
さてさて。
ボロボロになっているのは残念だが、キハの様子を観察してみたい。
【2018年7月23日13時04分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
駅舎側に留置(?)されている青い車両が、キハ222号車。羽幌炭礦鉄道が
1962年(昭和37年)に導入した車両である。青地に黄褐色の“一般気動車色”は
この車両が実際に纏っていたカラーではない。国鉄キハ22形だと言われても、
にわかに区別がつかないくらいの“そっくりさん”であり、実際に国鉄羽幌線に
乗り入れていた実績もあるのだとか。
【2018年7月23日13時10分】 ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅
ホントに、国鉄キハ22形にソックリなのだが、唯一の違いは運転台窓。
北海道の、山の中で使われることに合わせて旅客車には珍しい旋回窓を装備している
ことが最大の違いなのだが...
この地では保存しているのでは無く、何でも、将来的に那珂湊に移転して活用する
構想があるのだそうで。特に説明看板などは設けられていないのである。
【1997年5月5日】 茨城交通湊線(当時)・撮影地不詳
この車両、21年前の訪問時に、偶然とは言え撮っていた車両である。
当時は茨城交通湊線、同社の路線バスとお揃いのカラーは、道産子の旧型キハには
似合っていなかった。
そして、もう1両、クリーム色に朱色の塗り分けは... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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