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武蔵野に赤ツートンを追って(7)府中市立交通公園の保存車たち <後編> [保存車・廃線跡]

昨日は急遽、日付に因んだ記事をご紹介したところで。

ということで。

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【2017年8月12日14時09分】 内房線・浜金谷駅

2月9日は209系。“寿命半分、コスト半分”を合言葉にJR東日本が導入した
新世代通勤型電車が209系。京浜東北線から投入が始まり、
続いて広幅車体バージョンも登場。さらに、同じ車体で“一般型電車”という
国鉄時代からの「通勤型」「近郊型」をひとまとめにした電車として、
いまやこの流れを汲む電車たちばかり。私鉄にもこの技術を使った電車が普及し、
正直言って何ともつまらない電車ばかりの首都圏になってしまったのである。

10年程度で、減価償却が済めば廃車...というコンセプトだったはずだが、
京浜東北線を追われた209系は、いまでは房総のJR各線の“ヌシ”になって。
そうなってから、何度も乗っているのだから、ちょっと不思議。

さて、一昨日の記事に引き続き、府中市立交通公園の保存車たちをご紹介。
でも、その前に。

……  ……

前々記事で「ネガが見当たらない」と書いた写真が出てきた。

そう、都電6191号車の“ビフォーアフター”である。

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【1993年8月】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

保存場所周囲はあまり変わっていないことが分かるが、この公園、たしかこの頃は
「府中市健康センター交通公園」のような書き方をしている文献が多かったような。
だから、方向幕(のあった部分)には“健康センター”の文字。

謎の白い車体に消された車番。汚れが目立っていたのだが...

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【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

なお、よく見ると説明看板が移設されていることもわかる。

さて、バスの他にも都電以外の鉄道車両も保存されている。市立の“交通公園”としては
異例の豪華ラインナップかも知れない。
園の奥の方に保存されているのが...

まず、蒸気機関車。いわずと知れたD51型、デコイチである。

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【2018年1月31日13時22分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

ちょっと全体像が撮りにくいのが辛いところだが、D51 296号機である。
ランボードが白線入り、前面のヘッドライトは傍らにはシールドビームの副灯付き。

ただ、残念ながら、だいぶ埃っぽい感じは否めず。

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【2018年1月31日13時23分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

製造は1939年(昭和14年)、兵庫県の川崎重工業。
新製配置は新潟局管内だったようで、短い間に秋田、坂町(山形県)と配置換え、
その坂町機関区から上田機関区(長野県)に貸し出しになっている間に
終戦を迎えている。終戦直後には直江津機関区に転属。
信越本線などを走ったのだろうか、この際に重油併燃タンクや旋回窓を取り付け、
たぶんシールドビームの副灯を装備したのも、この頃か、1960年台の終わりに
長岡運転所に配置換えとなってからは、新鶴見、青森とめまぐるしく。
もう、この頃は“無煙化”の進展で廃車が進んでいた時期だったので、検査周期の
都合などを考慮して異動していたのかも知れない。
廃車になったのは1972年3月、最終配置は青森機関区だった。

あまり、このあたりの路線には関係がなさそうだが、公園のできた時期と
蒸気機関車の終焉が重なっていたのだろうか?!
廃車から既に半世紀近くが経ち、この機関車もまた現役時代よりも、
この公園で過ごす時間の方が長くなっている。

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【2018年1月31日13時24分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

荒廃しているという感じでは無いものの、キャブは炭庫側にも鉄柵が設置され
また、機器類も取り外されてしまっているものもあって、ちょっと寂しい感じ。
入っても何もすることもなく。やはり、誰でも出入りできる公園での保存となれば、
危険防止とイタズラ防止のため、鉄柵で囲うなどが必要で、その分、自分のような
<鉄>にとってはちょっと物足りないというか残念というか...

デコイチの後ろには、茶色い塗色がくすんでしまったのだろうか?1
表面がカサカサになっている小さな電気機関車の姿。国鉄のEB10 1号機である。
ぬぁんと、足回りは2軸式。まるで貨車のような床下である。

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【2018年1月31日13時28分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

国鉄の機関車としては最小級の大きさだろうか?!
でも、この機関車、実は貴重な保存例である。

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【2018年1月31日13時25分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

説明看板によれば、1927年(昭和2年)に東芝で製造されたバッテリー機関車。
だから「卒寿」ということ?! ことでんレトロと“同世代”の車両である。
いまも、インダストリアル...工場内の専用線などでは防爆用としてバッテリー機関車を
使用しているところがある。ディーゼル機関車はもちろん、一般的な電気機関車でも
架線とパンタグラフが擦れて火花が散ることがあり、そこまで気を遣わないといけない
ような工場内の線路などでは、バッテリー式というのもあるようだが...

そこまでではなかったようで...、このあたり<変態鉄>は機関車の話題には(も??)
疎いので詳しくないのだが、説明看板の文章の感じからすれば、架線を張った、いまの
標準的な“電化”が行われるまでの存在だったと言うことだろうか。
東北本線の電化後はパンタグラフを搭載した一般的な電気機関車として
1971年(昭和46年)まで活躍したというのだから...

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【2018年1月31日13時25分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

1993年の訪問時にもこの機関車を撮っている。その記憶は残っているが、そのとき
キャブが公開されていた...という記憶は無い。あるいは保存都電を撮りに来た
その“ついで”だったので、機関車はテキトーに撮って帰ろうと思っていたのか?!

でも、やはり、入らずには居られない。

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【2018年1月31日13時25分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園

計器をはじめ機器類はほぼ失われてしまっているが、がらんとした、でも、決して
広くない空間にレール方向に運転台が付いていて。マスコンがデーンと鎮座していて。

何だかプリミティブな感じの運転台に古典電機の面影が...。
昭和初期といえば、国産機関車の初期とも言える時期、その時期に製造された
凸型車体の電気機関車は全国の私鉄で何例かの保存車があるが、
蓄電池式からの改造、そして国鉄制形式の保存例となれば、かなり貴重な存在。

...となっても、いまのJRに保存は期待できず。
せめて、長くこの姿を留めていて欲しいと願うだけ。

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【2018年1月31日13時30分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園付近

ちょうど正面のバス停には京王バスが停車中。バス停の時刻表を見ると、ちょうど良く
13:33発。土休日ダイヤでは30分間隔で分倍河原とこの「郷土の森」を
結んでいるようで。西武多摩川線の是政駅に戻るにせよ、武蔵野線の府中本町駅に
行くにせよ、20分近く歩かねばならないわけで。そう考えたらバスの方が...

半分ほどの座席が埋まったバスの車内。畑と住宅が混在する、ちょっとノンビリした
感じの車窓風景、中央自動車道の高架を潜れば、ほどなく終点・分倍河原駅前。
駅前の大きなビルが東芝、武蔵野線の北府中駅の近くにある東芝府中工場では、
いまも機関車を中心に鉄道車両の製造が行われており、確か構内には非公開で
EF65形が保管されていたような...ということで府中も“鉄道の街”と言えるのかも
知れない。

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【2018年1月31日13時44分】 京王電鉄京王線・分倍河原駅

13:47発の京王線新宿ゆき特急電車に乗り込んだら、この撮影行も終了。
あとは明大前駅で乗り換えて自宅に帰るだけだった。

あぁ、明日からは再びの“ネタ切れ”生活。拙ブログを続けていく上での最強の敵。
それが“ネタ切れ”。でも、そういうときに限って仕事が忙しくなって。
明日の記事をどうやって乗り切るのか、そこが見どころ!? (おわり)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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