赤いパンツが撮りたくて(2003年 島原キハ撮影記)(3)キハ20乗車記 [アナログ写真保管庫]
それにしても、つくづく...
先週は、風邪のため大事をとって1週間、延期することにした。
そして、今日。再び金曜日は公休になった。天気予報は「晴れ」。
【2015年8月13日12時34分】 東海道本線・興津駅
暑さは心配だったが、とはいえ、それは織り込み済み。今年の夏の「青春18きっぷ」
<撮り鉄>より<乗り鉄>で使うことにしていたのだが...
それにしても、つくづく巡り合わせというか...、
どうやら「静岡」という街とはつくづく縁が無いというか...
何と、金曜日は臨時に出社しないといけなくなってしまって。
すでに詳細な行程も決めて、携帯用に小さく印刷して。出撃時に立ち寄る路線も
事前にリサーチして。でも...、でも...。
何とか、「金曜日の出撃は死守しないと...」との一心で仕事に励んだのだが、
残念ながら間に合わず。嗚呼。
と言うわけで、14年前のキハの記録。その第4回。
…… ……
2003年2月22日(土)雨
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
諫早駅を7:36発の島原外港ゆき。平日なら通勤通学客で賑わうのだろうか。
当時、島原鉄道では、この列車に土休日限定で「キハ2016号車」を限定運用
していたのだった。
もともと島原鉄道は、非電化時代の長崎本線に乗り入れるために国鉄キハ20系と
そっくりのディーゼル動車を新製した。最初は諫早-長崎間の直通、
後には島鉄のディーゼル動車が、国鉄の急行列車に併結される形で博多・小倉へと
足をのばすようになった。
その後、老朽化した自社のディーゼル動車の置換えのために国鉄・JRや、
その譲渡先の私鉄から、まとまった数のキハ20形が転入する形となった。
今回のタイトル「赤パンツ」というのは、そんな島鉄キハ20形が纏っていた
「島鉄標準色」のこと。でも、キハ2016号車は国鉄一般気動車色、つまり、
朱色とクリーム色のツートンカラーに塗り替えられ、その一部、運用が固定され
その運転ダイヤが発表されていた。
諫早駅はJRの駅に“間借り”するような形で構内の端にある欠き取りホームに
発着していた。改札口もJRと共用だったような。
JR諫早駅の券売機で加津佐までの乗車券を買って、キハに乗り込んだが、
車掌さんに尋ねると、車内で1日フリーきっぷが買えるとのこと。
発車後間もなく車内改札があって、その際に車掌さんに2,800円を払い、
後ほど、たぶん本諫早駅だと思われるが、そこできっぷを受け取ったみたい。
…… ……
当時のメモを見てみると、キハ2016号車の車内は国鉄型の雰囲気がよく残っており、
車内にはトイレもそのまま付いていたとのこと。半室運転台構造もそのままで
そのすぐ後ろの“展望席”を独占していたようだが...
如何せん、雨。車窓はほとんど見えなかったみたい。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・多比良町駅
途中の多比良町で行き違いのため、まとまった停車時間があって。
対向式ホームの真ん中に構内通路があって、その前後に列車の停車位置が
設定されているのは、昔からの非電化ローカル線にはよくある構造。
通票(タブレット)閉塞式だった区間の駅には数多く残っている。
いすみ鉄道の国吉駅などもその1つだろうか。
当時のメモには
キハを撮影していたら、運転士さんから
「他にも国鉄色(註 首都圏色のことか!?)があるけれど、
こちら(朱色ツートン)にしか、興味は無いの??」
と訊かれたらしい。どう答えたのかも含めて、まったく記憶に無いのだが。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
晴れていれば有明海の広大な干拓地を眺めながらのキハ旅になったのだろうが、
車窓はほぼ見ることができず。次の長時間停車は終点1つ手前の南島原駅。
立派な駅舎、そしてキハの寝床たる車両基地もこの駅にあって、運転上の要衝と
なっていたのである。
黄色いキハ2500形が諫早ゆきとして発車していった。
奥の、車庫のところでは“島鉄急行色”に塗られたキハ20形が休んでいた。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
ホームの向かい側が車両基地という配置はローカル私鉄らしくて。
洗車台のところで休憩中のキハ2003号車。もちろん、<変態鉄>が“島鉄”を
知るようになる遙か昔、国鉄長崎本線の急行列車に併結され、島鉄のディーゼル
動車が九州島内を走り回っていた頃、この塗装だったはず。
よく見ると、同じキハ20形2両編成であっても、後ろの車輌は「赤パンツ」。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
だんだん撮り慣れてきて。運転士さんに「ヘッドライトを消さないで」と
お願いして、このカットを撮ったらしい。それに応じて下さった運転士さんにも
感謝である。
と、発車すれば終点の島原外港駅はすぐそこ。
「外港」という名前は、駅のすぐ近くが港で、ここから大牟田方面のほか、
島鉄も含めた各社のフェリー、高速船が発着しているから。
見た目は対向式ホームの交換駅、でも、すでに2番ホーム側は使われて
いない状況だったという。そんな関係もあってか、島原外港駅に到着した
キハは、いったん深江駅まで回送され、深江で折り返して上り回送列車として
再び島原外港駅を通過し、南島原駅に隣接した車両基地に戻るダイヤに
なっていた。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・島原外港駅
女性の駅員さんにお願いしたところ、その使用中止中の2番ホームに
撮影で立ち入るのを快諾して頂けて。
激しい雨の中、回送されてくるキハ2016号。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・島原外港駅(後追い)
「島原外港」の駅名標を入れて。
一応、上屋のあるホームなのだが、それでもそこで数分間、カメラを構えていただ
だけで全身ずぶ濡れ。オマケにキハの床にバッグを置いていて、バッグの中身も
ビショビショに濡れてしまったらしく、駅の待合室でいろいろな物を干して
乾燥させた...とは、当時のメモ。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・加津佐駅
10時過ぎ、フェリーが到着したらしく列車に乗り換えようとする人で、
待合室も賑わい始めたらしい。1時間半近く待って、10:11発の加津佐ゆきは
キハ2511号車の単行。沿線風景の美しい区間だが、やはり雨のせいだろうか
車窓に関するメモは全く残っていなかった。
と言うわけで、終点・加津佐駅までとりあえず完乗である。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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先週は、風邪のため大事をとって1週間、延期することにした。
そして、今日。再び金曜日は公休になった。天気予報は「晴れ」。
【2015年8月13日12時34分】 東海道本線・興津駅
暑さは心配だったが、とはいえ、それは織り込み済み。今年の夏の「青春18きっぷ」
<撮り鉄>より<乗り鉄>で使うことにしていたのだが...
それにしても、つくづく巡り合わせというか...、
どうやら「静岡」という街とはつくづく縁が無いというか...
何と、金曜日は臨時に出社しないといけなくなってしまって。
すでに詳細な行程も決めて、携帯用に小さく印刷して。出撃時に立ち寄る路線も
事前にリサーチして。でも...、でも...。
何とか、「金曜日の出撃は死守しないと...」との一心で仕事に励んだのだが、
残念ながら間に合わず。嗚呼。
と言うわけで、14年前のキハの記録。その第4回。
…… ……
2003年2月22日(土)雨
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
諫早駅を7:36発の島原外港ゆき。平日なら通勤通学客で賑わうのだろうか。
当時、島原鉄道では、この列車に土休日限定で「キハ2016号車」を限定運用
していたのだった。
もともと島原鉄道は、非電化時代の長崎本線に乗り入れるために国鉄キハ20系と
そっくりのディーゼル動車を新製した。最初は諫早-長崎間の直通、
後には島鉄のディーゼル動車が、国鉄の急行列車に併結される形で博多・小倉へと
足をのばすようになった。
その後、老朽化した自社のディーゼル動車の置換えのために国鉄・JRや、
その譲渡先の私鉄から、まとまった数のキハ20形が転入する形となった。
今回のタイトル「赤パンツ」というのは、そんな島鉄キハ20形が纏っていた
「島鉄標準色」のこと。でも、キハ2016号車は国鉄一般気動車色、つまり、
朱色とクリーム色のツートンカラーに塗り替えられ、その一部、運用が固定され
その運転ダイヤが発表されていた。
諫早駅はJRの駅に“間借り”するような形で構内の端にある欠き取りホームに
発着していた。改札口もJRと共用だったような。
JR諫早駅の券売機で加津佐までの乗車券を買って、キハに乗り込んだが、
車掌さんに尋ねると、車内で1日フリーきっぷが買えるとのこと。
発車後間もなく車内改札があって、その際に車掌さんに2,800円を払い、
後ほど、たぶん本諫早駅だと思われるが、そこできっぷを受け取ったみたい。
…… ……
当時のメモを見てみると、キハ2016号車の車内は国鉄型の雰囲気がよく残っており、
車内にはトイレもそのまま付いていたとのこと。半室運転台構造もそのままで
そのすぐ後ろの“展望席”を独占していたようだが...
如何せん、雨。車窓はほとんど見えなかったみたい。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・多比良町駅
途中の多比良町で行き違いのため、まとまった停車時間があって。
対向式ホームの真ん中に構内通路があって、その前後に列車の停車位置が
設定されているのは、昔からの非電化ローカル線にはよくある構造。
通票(タブレット)閉塞式だった区間の駅には数多く残っている。
いすみ鉄道の国吉駅などもその1つだろうか。
当時のメモには
キハを撮影していたら、運転士さんから
「他にも国鉄色(註 首都圏色のことか!?)があるけれど、
こちら(朱色ツートン)にしか、興味は無いの??」
と訊かれたらしい。どう答えたのかも含めて、まったく記憶に無いのだが。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
晴れていれば有明海の広大な干拓地を眺めながらのキハ旅になったのだろうが、
車窓はほぼ見ることができず。次の長時間停車は終点1つ手前の南島原駅。
立派な駅舎、そしてキハの寝床たる車両基地もこの駅にあって、運転上の要衝と
なっていたのである。
黄色いキハ2500形が諫早ゆきとして発車していった。
奥の、車庫のところでは“島鉄急行色”に塗られたキハ20形が休んでいた。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
ホームの向かい側が車両基地という配置はローカル私鉄らしくて。
洗車台のところで休憩中のキハ2003号車。もちろん、<変態鉄>が“島鉄”を
知るようになる遙か昔、国鉄長崎本線の急行列車に併結され、島鉄のディーゼル
動車が九州島内を走り回っていた頃、この塗装だったはず。
よく見ると、同じキハ20形2両編成であっても、後ろの車輌は「赤パンツ」。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・南島原駅
だんだん撮り慣れてきて。運転士さんに「ヘッドライトを消さないで」と
お願いして、このカットを撮ったらしい。それに応じて下さった運転士さんにも
感謝である。
と、発車すれば終点の島原外港駅はすぐそこ。
「外港」という名前は、駅のすぐ近くが港で、ここから大牟田方面のほか、
島鉄も含めた各社のフェリー、高速船が発着しているから。
見た目は対向式ホームの交換駅、でも、すでに2番ホーム側は使われて
いない状況だったという。そんな関係もあってか、島原外港駅に到着した
キハは、いったん深江駅まで回送され、深江で折り返して上り回送列車として
再び島原外港駅を通過し、南島原駅に隣接した車両基地に戻るダイヤに
なっていた。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・島原外港駅
女性の駅員さんにお願いしたところ、その使用中止中の2番ホームに
撮影で立ち入るのを快諾して頂けて。
激しい雨の中、回送されてくるキハ2016号。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・島原外港駅(後追い)
「島原外港」の駅名標を入れて。
一応、上屋のあるホームなのだが、それでもそこで数分間、カメラを構えていただ
だけで全身ずぶ濡れ。オマケにキハの床にバッグを置いていて、バッグの中身も
ビショビショに濡れてしまったらしく、駅の待合室でいろいろな物を干して
乾燥させた...とは、当時のメモ。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・加津佐駅
10時過ぎ、フェリーが到着したらしく列車に乗り換えようとする人で、
待合室も賑わい始めたらしい。1時間半近く待って、10:11発の加津佐ゆきは
キハ2511号車の単行。沿線風景の美しい区間だが、やはり雨のせいだろうか
車窓に関するメモは全く残っていなかった。
と言うわけで、終点・加津佐駅までとりあえず完乗である。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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