2008年9月 加賀一ノ宮駅訪問記 [鉄分の濃い旅行記録]
2011年までの<変態鉄>、この時期は決まって富山に居たはず。
そう、富山市...というのは、いまもちょっと違和感なのだが、越中八尾の
「おわら風の盆」、あの寂しげな...、踊りもさることながら<鉄>にとっては、
高岡、京都...、JR西日本各地のディーゼル動車が大集結。
富山-越中八尾間は特別ダイヤで運転されるのが楽しみだった。
ただ...
【2008年9月3日17時29分】 高山本線・富山駅
「おわら風の盆」の期間、すべて好天に恵まれる...ことは無いといわれており。
<変態鉄>にとって初“参戦”となった2008年シーズン、9月3日は午後から
降り出した雨が、いよいよ“おわら臨”という時間になって本降りの雨に。
もちろん、そんな中でも撮り続けたのだが、途中で、<変態鉄>は
気づいたのだった。
…… ……
2008年9月4日(木)くもり
「レンズの絞りが動いていない!!」
オート撮影で撮っていても、極端な露出オーバーで真っ白な画像と、
極端な露出アンダーで真っ黒な画像と。
いまなら、マニュアル撮影に切り替えて、あるいは多少露出条件がズレても、
RAW画像で残しておいて、後で現像時に...と考えるところだが、当時の自分、
お恥ずかしながら、殆どの写真がプログラムAEで撮影、しかも画像はJPEGでしか
残していない...という。
そう、だから、当時の自分にとって
「レンズの絞り羽根が正しく動作していない」というのは、もう致命的なことで。
これがキッカケになって、カメラバッグに予備のコンデジを備えるようにした
のだった。
さて、そうなると一気にヤル気は失せるわけで。
せっかくキハ58系も走っていたのに、北陸本線に乗って富山を離れたのだった。
【2008年9月4日16時20分】 北陸鉄道石川線・新西金沢駅付近
向かった先は金沢の1つ先、西金沢駅である。
JR線の西金沢駅を出て、すぐ目の前にもう1つ小さな駅があった。
いかにも“電鉄駅”といった感じだろうか、駅舎から構内踏切で繋がった
狭隘な、カーブした島式ホーム。
【2008年9月4日16時20分】 北陸鉄道石川線・新西金沢駅付近
ステンレスにオレンジ色のライン。地方私鉄譲渡時に中間車への運転台取付け
改造を施したグループで、そのため、ノッペリした顔をしているが、
かつて、「日比谷線直通」の青色のサボを掲出して走っていた頃、何度も乗った
東横線の7000系電車である。
金沢市の旧市街地、西のはずれにあたるのだろうか、野町駅という自社系の
バス乗り場と同居した構造のターミナル駅から加賀一の宮駅まで16 kmほどの
路線だった。かつては、野町駅よりもう1駅先(0.8 km)の白菊町駅が
始発駅だった。また、野町駅では北陸鉄道金沢市内線に接続していたというが、
<変態鉄>が生まれる前に廃止になっている。
【1991年7月25日】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町-早田
どんどん話が逸れていくが、当時の北陸鉄道は名鉄、名古屋鉄道と資本上の
関係が深く、北鉄金沢市内線が廃線になった際に、その電車たちは
名鉄岐阜市内線の近代化のために岐阜に転入、深紅の名鉄カラーになって
走っているときに、<変態鉄>も乗車する機会を得たのだった。
…… ……
当時の石川線の終点は、加賀一の宮駅。
でも、電車は途中の鶴来駅止まりになるものもあり。
駅前で写真を撮っておこうと思ったのも、やって来た電車が鶴来止まりだった
からであろうか。この当時、全然メモをとっていなかったので覚えていない。
後続の電車が加賀一の宮ゆきだった。車窓は田園地帯だったような...
眠かったのか...、車窓風景がよほど平凡だったのか...、思い出そうとしても
何も思い出せないくらい、車窓は覚えていない。
【2013年5月2日12時50分】 千葉県いすみ市・ポッポの丘
ただ、途中の鶴来駅には、こげ茶色の古典電機とクリーム色と朱色の塗り分けの
電車が停まっていたのを覚えている。その形の電車とはいすみ鉄道沿線の
「ポッポの丘」で再会を果たすことになる。
終着駅の加賀一の宮駅まで乗り通したのは、ホントにわずかな乗客だったような。
【2008年9月4日17時07分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
瓦葺きの駅舎は、すでに無人化されて久しい感じだったが、それでも重厚感が
あって。かつては、この地に住む人、訪れる人にとって重要な足だったことが
想像できるような...。でも、その分、何だか寂しい感じで。
【2008年9月4日17時08分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
ホームもこんな感じ。この狭さが、いかにも「ローカル私鉄の駅」といった
感じがして、きっと今だったら、列車の発車時刻ギリギリまで、あっちこっちと
カメラを向けているのだろうけれど。このときは、この駅の雰囲気を撮ろうとは
思っていなかった。(いま思えば...)
【2008年9月4日17時09分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
そのホーム、先まで進んで見るとこんな感じ。
“終着駅”っぽさはあまり感じないのだった。というのも、かつては...
昭和が平成に変わるまでは、鶴来駅からが「金名線」で加賀一の宮駅というのは
その金名線の途中駅に過ぎなかった。
【2008年9月4日17時09分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
そんなホーム端から、もと東急7000系の“顔”を撮って。
このコマで、当日の写真は終わっている。いまなら、もっといろいろなものに
手当たり次第にカメラを向けていただろうが、当時はまさかこの写真をブログに
掲載するなど...。
確か、野町ゆきの電車で終点まで乗り通し、野町駅からは北鉄の路線バスで
金沢駅に戻ったような朧気な記憶はあるのだが、その写真は1枚もない。
…… ……
鶴来駅から加賀一の宮駅までの「金名線」から「石川線」に編入された区間は
この1年後、2009年10月に廃線となっている。
あの頃、キハばかりでなく、他の被写体にも目を向けていたら...と、
時折、そんなことを思うのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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そう、富山市...というのは、いまもちょっと違和感なのだが、越中八尾の
「おわら風の盆」、あの寂しげな...、踊りもさることながら<鉄>にとっては、
高岡、京都...、JR西日本各地のディーゼル動車が大集結。
富山-越中八尾間は特別ダイヤで運転されるのが楽しみだった。
ただ...
【2008年9月3日17時29分】 高山本線・富山駅
「おわら風の盆」の期間、すべて好天に恵まれる...ことは無いといわれており。
<変態鉄>にとって初“参戦”となった2008年シーズン、9月3日は午後から
降り出した雨が、いよいよ“おわら臨”という時間になって本降りの雨に。
もちろん、そんな中でも撮り続けたのだが、途中で、<変態鉄>は
気づいたのだった。
…… ……
2008年9月4日(木)くもり
「レンズの絞りが動いていない!!」
オート撮影で撮っていても、極端な露出オーバーで真っ白な画像と、
極端な露出アンダーで真っ黒な画像と。
いまなら、マニュアル撮影に切り替えて、あるいは多少露出条件がズレても、
RAW画像で残しておいて、後で現像時に...と考えるところだが、当時の自分、
お恥ずかしながら、殆どの写真がプログラムAEで撮影、しかも画像はJPEGでしか
残していない...という。
そう、だから、当時の自分にとって
「レンズの絞り羽根が正しく動作していない」というのは、もう致命的なことで。
これがキッカケになって、カメラバッグに予備のコンデジを備えるようにした
のだった。
さて、そうなると一気にヤル気は失せるわけで。
せっかくキハ58系も走っていたのに、北陸本線に乗って富山を離れたのだった。
【2008年9月4日16時20分】 北陸鉄道石川線・新西金沢駅付近
向かった先は金沢の1つ先、西金沢駅である。
JR線の西金沢駅を出て、すぐ目の前にもう1つ小さな駅があった。
いかにも“電鉄駅”といった感じだろうか、駅舎から構内踏切で繋がった
狭隘な、カーブした島式ホーム。
【2008年9月4日16時20分】 北陸鉄道石川線・新西金沢駅付近
ステンレスにオレンジ色のライン。地方私鉄譲渡時に中間車への運転台取付け
改造を施したグループで、そのため、ノッペリした顔をしているが、
かつて、「日比谷線直通」の青色のサボを掲出して走っていた頃、何度も乗った
東横線の7000系電車である。
金沢市の旧市街地、西のはずれにあたるのだろうか、野町駅という自社系の
バス乗り場と同居した構造のターミナル駅から加賀一の宮駅まで16 kmほどの
路線だった。かつては、野町駅よりもう1駅先(0.8 km)の白菊町駅が
始発駅だった。また、野町駅では北陸鉄道金沢市内線に接続していたというが、
<変態鉄>が生まれる前に廃止になっている。
【1991年7月25日】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町-早田
どんどん話が逸れていくが、当時の北陸鉄道は名鉄、名古屋鉄道と資本上の
関係が深く、北鉄金沢市内線が廃線になった際に、その電車たちは
名鉄岐阜市内線の近代化のために岐阜に転入、深紅の名鉄カラーになって
走っているときに、<変態鉄>も乗車する機会を得たのだった。
…… ……
当時の石川線の終点は、加賀一の宮駅。
でも、電車は途中の鶴来駅止まりになるものもあり。
駅前で写真を撮っておこうと思ったのも、やって来た電車が鶴来止まりだった
からであろうか。この当時、全然メモをとっていなかったので覚えていない。
後続の電車が加賀一の宮ゆきだった。車窓は田園地帯だったような...
眠かったのか...、車窓風景がよほど平凡だったのか...、思い出そうとしても
何も思い出せないくらい、車窓は覚えていない。
【2013年5月2日12時50分】 千葉県いすみ市・ポッポの丘
ただ、途中の鶴来駅には、こげ茶色の古典電機とクリーム色と朱色の塗り分けの
電車が停まっていたのを覚えている。その形の電車とはいすみ鉄道沿線の
「ポッポの丘」で再会を果たすことになる。
終着駅の加賀一の宮駅まで乗り通したのは、ホントにわずかな乗客だったような。
【2008年9月4日17時07分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
瓦葺きの駅舎は、すでに無人化されて久しい感じだったが、それでも重厚感が
あって。かつては、この地に住む人、訪れる人にとって重要な足だったことが
想像できるような...。でも、その分、何だか寂しい感じで。
【2008年9月4日17時08分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
ホームもこんな感じ。この狭さが、いかにも「ローカル私鉄の駅」といった
感じがして、きっと今だったら、列車の発車時刻ギリギリまで、あっちこっちと
カメラを向けているのだろうけれど。このときは、この駅の雰囲気を撮ろうとは
思っていなかった。(いま思えば...)
【2008年9月4日17時09分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
そのホーム、先まで進んで見るとこんな感じ。
“終着駅”っぽさはあまり感じないのだった。というのも、かつては...
昭和が平成に変わるまでは、鶴来駅からが「金名線」で加賀一の宮駅というのは
その金名線の途中駅に過ぎなかった。
【2008年9月4日17時09分】 北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅(当時)
そんなホーム端から、もと東急7000系の“顔”を撮って。
このコマで、当日の写真は終わっている。いまなら、もっといろいろなものに
手当たり次第にカメラを向けていただろうが、当時はまさかこの写真をブログに
掲載するなど...。
確か、野町ゆきの電車で終点まで乗り通し、野町駅からは北鉄の路線バスで
金沢駅に戻ったような朧気な記憶はあるのだが、その写真は1枚もない。
…… ……
鶴来駅から加賀一の宮駅までの「金名線」から「石川線」に編入された区間は
この1年後、2009年10月に廃線となっている。
あの頃、キハばかりでなく、他の被写体にも目を向けていたら...と、
時折、そんなことを思うのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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鶴来駅 -加賀一の宮駅間が廃線になった時は、がっかりしました。
by とし@黒猫 (2017-08-26 12:09)
とし@黒猫さん
コメントありがとうございます。
白山比め神社に近く、いまだったら、この木造駅舎の雰囲気も相まって「観光路線」として再生することも可能だったかと思うのですが...。
自分は、この一度しか立ち寄ったことがなく、あまり記憶もないのですが、いま写真で見ても魅力的な駅だったと思います。
by あるまーき (2017-08-26 12:32)