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あの頃、“下有知”という駅があった。 [スカーレットのトラムたち[名鉄岐阜線]]

いまでは“大手私鉄”と言われる鉄道会社の主要路線の中にも、
路面電車に端を発するものは少なくない。
わが京王線もその1つ。いま、地下線になっている新宿-笹塚間にも、長らく甲州街道を
走る路面併用区間があったという。列車の高速化、長編成化など、発達の過程で、
路面から離れた“専用軌道”への付け替えが進み、やがて、現在のような高速鉄道に
変化していく...、全国各地でそんな私鉄線は数多いのである。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

でも、“進化論”ではないが、そんな“時代の流れ”から離れて、
昔ながらの姿を残してきた路線があった。
そういう姿に<変態鉄>が魅せられないはずがない。

それが名鉄美濃町線。全廃は9年前、2005年春。
でも、その全廃を待たずに廃止になった美濃町線の末端区間(美濃-新関)間には、
“魅力的すぎる”鉄道情景が続いていたのである。
廃止を直前に控えた頃に訪れた下有知(しもうち)駅周辺の模様を当時のネガでご紹介したい。
……  ……

岐阜の市街地から刀鍛冶の町・関を経て美濃市に至る全長25 kmの路面電車があった。

ゴトゴトと国道上を走ったかと思えば、岐阜市街地を過ぎると

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【2005年3月頃】 名鉄美濃町線・北一色-野一色

住宅街の軒先をかすめるように専用軌道区間を走り、さらに、田園風景の中の
細い道路の端に敷かれたヘロヘロ軌道を、車体を揺らしながら走り...
新関までは1時間ほどだっただろうか、当時の<ガキ鉄>には“大遠征”だった。

岐阜市街地の東側、北一色駅を出ると大半の区間は、道路の北側に敷かれた軌道を
走っていた。分類上は専用軌道だが、道路との間には明確な境界もなく、
バラストも踏み固められた感じで、線路には程よくヘロヘロ感が漂っていた。
新岐阜-新関間は15分ヘッドの運転だったが、末端部の新関-美濃間は60分間隔。

90年台当時、岐阜から新関までの区間はスマートな連接車が中心の運用だったが、
新関-美濃間は岐阜市内線から移籍してきていた、モ590形という、
いかにも「路面電車!!」というスタイルの電車が単行で行き来していたのも、
<変態ガキ鉄>には何とも言えなかったのである。

ただ、その区間、新関-美濃間6.3kmは1999年春に廃止されてしまった。
1991年に乗車は済ませていたが、ゆっくりと撮影に訪れることができたのは、
廃線間際、1999年のことだった。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時) 

「駅」とはいえ路面電車の停留所と変わらぬ感じ。道路との境界も曖昧。
この感じが堪らなかったのである。不鮮明な写真だが、後ろに見える架線柱は木製。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時) 

昼間は1時間あたり上下1本。わずか6 kmの区間を、たった1両の路面電車が
“羽子板運転”していた。逆光で電車は真っ暗、写真としてはメチャクチャだが、
でも、何だか、この線路のまわりの雰囲気が最もよく出ているかなぁ...と思った1枚。
この、思いっきり背伸びしたような感じのパンタグラフも何とも言えない。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時) 

という訳で、振り返れば順光になっていた訳で...
自動車販売店や雑貨店の看板...、いかにも“郊外”という感じだった。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時) 

当時の<変態鉄>、Nゲージに嵌っていた。(いまも部屋には山積みになっている)
模型雑誌に「車両の写真ばかり撮っていないで線路際の情景も撮っておくべき」という
主旨の記述に触発され(笑)、この頃のネガにはこういうカットがやたら多い。
いつか、こんな情景を再現したジオラマを作ってみたいものだが...

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

そして、当時の鉄道雑誌で必ず紹介される撮影地というのが、
川というか農業用水にかかる小さな橋。この周辺のS字カーブだった。
冒頭のカットがそれ。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

何往復か粘って、このカットにチャレンジしたのだった。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

もう1つの撮影地がココ。駅のすぐ隣にあった小さな神社。
尤も、もし叶うならば、
「もうちょっとカメラを右に振って、左端のフェンスとポールをクリアー
立ち位置をあと2, 3歩右にして、ガソリンスタンドの看板と電車が
交錯するのを避けるべき!!」と二十歳過ぎの当時の自分に忠告したいと思う。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

でも、順光側からもチャレンジしていたのだった。

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【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)

さぁ、下有知駅に電車がやってきた。

……  ……

20世紀末まで、こんな光景が残っていたのは“奇跡的”ではないか...とすら思う。
やはり、岐阜の真っ赤な路面電車は、自分の、<変態鉄>の、原点なのだ。

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【2005年3月頃】 名鉄美濃町線・徹明町電停

ところで、このモ590形という古びた電車、
1999年の美濃-新関間廃止で、そのまま老朽廃車かと思いきや、意外や意外、
何と冷房化改造まで受けて、美濃町線の岐阜市内区間(徹明町系統)にコンバート、
さらに、岐阜線全廃時にも高知の土佐電気鐵道へ譲渡され、いまなお現役で、
しかも名鉄時代の真っ赤な塗装のままで、南国土佐を元気に走っているという。
(写真のリバイバル塗装車は、土佐には移籍せず美濃市内で静態保存されている。)

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コメント 4

johncomeback

確かに趣のある車両と沿線風景ですね。
路面電車って、九州・四国・西日本に多く残っていますよね。
by johncomeback (2014-03-27 12:26) 

Cedar

何度となく通った美濃町線ですが関~美濃間はあまり撮っていないのが残念です、神社と電車~いいですね!
by Cedar (2014-03-27 18:33) 

sarusan

いやー撮り上げて頂きありがとうございました。いまは駆道線路は無くなり一部は国道になりましたよ。
by sarusan (2014-03-27 19:45) 

あるまーき

皆さん、コメントありがとうございます。

☆ johncomebackさん
幹線を行き交う列車より、こういうのが好きなもので...
西日本の方が、国鉄→JRの玄関駅が市街地中心部から離れている都市が多いことも関係しているかも知れません。熊本とか広島などは、駅を降りて電車に乗り換えると、市の中心部に出やすいです。

☆ Cedarさん
ここと、定番の上芥見、それから競輪場前が自分にとって美濃町線では印象に残っている撮影地です。この美濃-新関間はモ590が走っているのがお気に入りでした。

☆ sarusanさん
線路跡が道路拡張用地に転用されたのは、聞いていましたが、電車が廃止になって以来、関の方に行くこともなかなかないもので、いつか、現地の変化を、この目で確かめに訪れてみようと思います。
このシリーズ、何しろ、ネガが大量がありますので、また、続編を書くかも知れません。
by あるまーき (2014-03-27 21:19) 

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