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宗吾参道車両基地見学ツアー_20210117(5)保存車 <その1>

自分が物心ついた当時、羽田空港はまだ古いターミナルビルで、沖合移転の前。もちろん、富山線はANAの運航だったが、あのモヒカン塗装のヒコーキを覚えている。あと、「東亜国内航空」という名前も。尤も、すでに黄色と紺色のカラーだったが...。まもなく“JAS”になって、JALに統合され...
だから、自分にとっては羽田空港というのは事実上、国内線専用の空港というイメージが強く。そう、成田空港...当初の新東京国際空港の開港が、自分との生まれた1978年(昭和53年)だった。開業間近になって反対派に管制塔を襲撃されたとか、激しい闘争が繰り広げられたことを知るのは、もっと後になってからだったが。

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【2021年1月17日10時50分】 京成電鉄・宗吾車両基地

京成電車といえば成田山新勝寺の参詣客輸送がそもそもの使命だった筈。それが空港アクセス路線として変貌を遂げたのは、奇しくも<変態鉄>が生きてきた期間に一致するわけである。

初代「成田空港駅」はオトナの事情で空港ターミナルから遙か離れた場所にできて...
そのあたりは、前ブログのときに取りあげたが、その成田空港開港に合わせて投入されたのが「AE形」、初代スカイライナーだった。自分の中では、幼い頃、親に買ってもらった「鉄道図鑑」の中に出てきた茶色濃淡の塗色が印象に残っているが...

この初代AE形は、<変態鉄>が中学生になってカメラ片手に<鉄>活動にいそしむようになる時期に、空港地下に乗り入れる新線開業に合わせて、後継のAE100系と世代交代。全車、廃車となる。

その初代AE形の走行危機を流用して通勤型の車体を新製して組み合わせたのが、この日の臨時電車3400形だった。
いつの間にか、京成もイマドキのステンレス電車ばかりになり...
この鋼製の真四角の車体も姿を減らしており...

そんな中、初代AE形は先頭車1両だけではあるものの、宗吾参道車両基地に大切に保存されている。
普段は非公開のこの車両を見ることができたのが、この日の“収穫”である。

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