またまた、26年前の冬休み(成田線のスナップから) [アナログ写真保管庫]
~~ お知らせ ~~
このブログは、2020年1月中を目途に更新を終了します。
新ブログ「金失いの道ゆけば Part 2」も、よろしくお願いします。
こちら→ https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/
~~~~ ~~~~
仕事の方は...
一難去ってまた一難。このまま年を越せるのか!?
月曜日、30日で仕事納め、31日はお休みの予定だが出社しないといけないかも。
そんな訳で、年始の阪堺“ちん電”の撮影計画も考えられないまま。
ただ単に会社と自宅の間を“単純往復”するだけの日々。
オッサンの生活の中にブログネタにできるような楽しい話があるはずが無くて。
だからといって、こう忙しいと写真の整理とRAWの現像作業をするような
時間の余裕も無くて。富山地鉄14722号“Last Run”の話題は年明けスタートに
なりそうな気配。
それにしても、毎年、実感しているのは「いつまでも、あると思うな~」である。
“そのうちにチャンスがあったら撮りに行こう”と思っていると、いつの間にか
無くなってしまうのが<鉄>という趣味には非常に多くて。
ローカル私鉄とか国鉄型とか...、趣味の方向性自体がそういう方に偏っている
<変態鉄>の嗜好も大きく影響しているのかも知れないのだが...
そういう面も含めて。
【2019年11月4日13時50分】 高松琴平電鉄琴平線・円座-一宮(後追い)
いま、<変態鉄>が注目しているのはこの電車。
ことでん、高松琴平電鉄で、琴平線を走っている1200形である。
…… ……
この電車も京急から譲渡されて讃岐入りした車輌。
ぬぁんと...
2019年の「還暦の赤い電車」(京急1000形 → ことでん1080形)に続いて
2020年は「情熱の赤い電車」、京急700形 → ことでん1200形を京急カラーに。
一応、来年5月頃からクラウドファンディングが実施されるとの予定だそうで。
もちろん<変態鉄>としても、(超)微力ながら貢献しよう...というか、
「返礼品」の撮影会に期待しよう...と、そうココロに決めている。
京急時代には特に気にもしていなかった「赤い電車」の存在。
以前の記事にも書いたが、それが無くなったと知ってから
「あのとき撮っておけば...」だったのである。非常に勿体ないことを...
でも、鉄道趣味においては、“そういうこと”というのが珍しくないもので。
【2018年1月23日10時08分】 京王井の頭線・三鷹台-久我山
そうであるからこそ、しょーのない写真であっても時間の経過とともに貴重な
記録になるものなのかも知れない。
例えば、こんな普段の1枚も...
いま現在の「当たり前」が、いつしか貴重な記録になる...
冒頭からエラそーなことを語っているのは、つまり愚痴った通り、ネタ切れの証。
そんな夜、<変態鉄>にできることと言えば、外付けHDDにある古い写真を
漁ってみるだけ。そんな中から1993年12月の<変態ガキ鉄>の写真をご紹介したい。
…… ……
記憶が確かならば、12月の非常に寒い雨の降る日。確か「140円の旅」と称して
東京近郊区間の制度を“悪用”(笑)、一筆書きになるように大回り乗車しながら
楽しんだときの1シーンである。
【1993年12月】 成田線・成田駅
JRが発足して数年、まだこの当時「国鉄型」とか「国鉄色」などという呼び名も...
特に西日本を中心に地域別に車輌もハデハデな色に塗り替えられ“脱国鉄”だった
時代である。千葉県内のJR線、本当にどちらを見てもスカ色の113系ばかり。
ホームの駅名板も、JR東日本のコーポレートカラーの緑色のタイプに交換されつつ
あったが、国鉄時代からの所在地を入れたタイプも、まだまだフツーにあって。
「しもうさまんざき」など難読駅名が多い成田線のワンシーンである。
後ろの電車も113系とはいっても、窓隅にRが付いた非ユニットサッシの初期車
であるのも確認できる。
【1993年12月】 成田線・成田駅
幸い、前からも撮っていた。緑色の方向幕、千葉駅に発着する電車には
成田線と総武本線経由の「銚子ゆき」、外房線と内房線の「安房鴨川ゆき」など
経由が違っても同じ行き先になるケースが多く、方向幕を色分けして表していた。
LED表示で経由路線名も行き先と交互に表示できるようになって、いまでは
見られなくなったが、これもちょっと懐かしい1枚。
この113系、JR化後に冷房化改造が実施されたグループであることも屋根上を
よ~く見るとわかる。
そして、後ろに写っているのは...
当時はまだE217系が入る前だったと思う。
総武快速・横須賀線は15連の113系が活躍しており。こちらは、地下線乗り入れ
仕様車で編成されていたので、窓隅にRが付いた車輌を東京駅で見ることは
無かったが、何と言っても113系と言えば...
【1993年12月】 成田線・成田駅
総武快速・横須賀線と東海道本線の東京口の電車に限ってグリーン車組込だった。
113系のサロもあったが、国鉄末期に他形式からの編入車で賄われたため、
そうカオス状態。この車輌も近郊型電車とは明らかに違う重心の低い車体断面。
たぶん、183系特急型電車の余剰車を転用したグリーン車である。
なぜかはわからないのだが、113系オリジナルと改造車のサロがペアで組み込まれた
編成が多かったような気がする。その改造車も特急型の格下げや急行型など
多種多様で。乗る機会はなかったが、見ていて興味は尽きなかった。
方向幕の「快速エアポート成田」は最近まであった名称だが...
これも何だか懐かしい。
このとき、<変態鉄>が乗ったのは、同じ成田線でも我孫子ゆき。
【1993年12月】 成田線・成田駅
てっきり113系が来るのだと思っていたら、エメラルドグリーンの103系でガッカリ。
この103系、扉半自動扱いになっておらず、駅に停まる度に車内には冷たい風が。
成田から我孫子まで...、その寒さに震えながらの移動だったことだけ、
26年経ったいまもなぜか鮮明に覚えている。
この103系、いわゆる「ブタ鼻シールドビーム」の前照灯、しかも低運転台タイプ。
<変態鉄>としては好きなタイプの車輌だったのだが...
見づらくて恐縮だが、この成田駅での1枚。よ~~く目を凝らせば同じホームの
反対側の線路には113系が停車中。その手前には、水飲み場が残っている。
当時はまだ多くの駅のホームに、蒸気機関車時代の名残である大型の洗面台とか
こうした水飲み場が残っていた。103系の方に目を向けると
「のりば Track No. 6」の看板も何だか時代物。
【1993年12月】 成田線・我孫子駅
たぶん同じ列車。でも、こちらは我孫子駅での撮影。
ぬぁんと、コチラの先頭車は“原型大目玉”、白熱灯のままの前照灯である。
単なるホームでのスナップなのが残念。でも、この当時はこういう撮り方で
とりあえず記録しておけば良い...というのが<変態ガキ鉄>の写真への
向き合い方だったのである。
だからこそ!? EOSくんを帯同せず、この写真、ピント合わせも撮影モードもない
単にシャッターボタンを押すだけの単焦点カメラ...
いまでは「言ってはいけない用語」になってしまう、バ※チ※ンカメラと
呼ばれていた機種で撮っている訳で...
…… ……
この数年後、スカ色113系のサロ組込編成を置き換えていったのがE217系。
【2018年10月2日11時07分】 総武本線・小岩駅
当時は、「何だかヘンな電車が入ってきちゃった」という印象だったのだが、
いつしか、そのE217系も置き換えられる存在になり。
何でも山手線と同じE235系が投入されるのだとか...。
JR世代の電車たちも本格的に世代交代の時期を迎えつつあり、そんな中で国鉄型を
追っている<変態鉄>の撮りたいモノが無くなってくるのは、至極当然の流れ
かも知れない。だからこそ、2020年も撮れる限り、悔いの無い写真を撮るべく
頑張っていきたいと思っている次第。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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一難去ってまた一難。このまま年を越せるのか!?
月曜日、30日で仕事納め、31日はお休みの予定だが出社しないといけないかも。
そんな訳で、年始の阪堺“ちん電”の撮影計画も考えられないまま。
ただ単に会社と自宅の間を“単純往復”するだけの日々。
オッサンの生活の中にブログネタにできるような楽しい話があるはずが無くて。
だからといって、こう忙しいと写真の整理とRAWの現像作業をするような
時間の余裕も無くて。富山地鉄14722号“Last Run”の話題は年明けスタートに
なりそうな気配。
それにしても、毎年、実感しているのは「いつまでも、あると思うな~」である。
“そのうちにチャンスがあったら撮りに行こう”と思っていると、いつの間にか
無くなってしまうのが<鉄>という趣味には非常に多くて。
ローカル私鉄とか国鉄型とか...、趣味の方向性自体がそういう方に偏っている
<変態鉄>の嗜好も大きく影響しているのかも知れないのだが...
そういう面も含めて。
【2019年11月4日13時50分】 高松琴平電鉄琴平線・円座-一宮(後追い)
いま、<変態鉄>が注目しているのはこの電車。
ことでん、高松琴平電鉄で、琴平線を走っている1200形である。
…… ……
この電車も京急から譲渡されて讃岐入りした車輌。
ぬぁんと...
2019年の「還暦の赤い電車」(京急1000形 → ことでん1080形)に続いて
2020年は「情熱の赤い電車」、京急700形 → ことでん1200形を京急カラーに。
一応、来年5月頃からクラウドファンディングが実施されるとの予定だそうで。
もちろん<変態鉄>としても、(超)微力ながら貢献しよう...というか、
「返礼品」の撮影会に期待しよう...と、そうココロに決めている。
京急時代には特に気にもしていなかった「赤い電車」の存在。
以前の記事にも書いたが、それが無くなったと知ってから
「あのとき撮っておけば...」だったのである。非常に勿体ないことを...
でも、鉄道趣味においては、“そういうこと”というのが珍しくないもので。
【2018年1月23日10時08分】 京王井の頭線・三鷹台-久我山
そうであるからこそ、しょーのない写真であっても時間の経過とともに貴重な
記録になるものなのかも知れない。
例えば、こんな普段の1枚も...
いま現在の「当たり前」が、いつしか貴重な記録になる...
冒頭からエラそーなことを語っているのは、つまり愚痴った通り、ネタ切れの証。
そんな夜、<変態鉄>にできることと言えば、外付けHDDにある古い写真を
漁ってみるだけ。そんな中から1993年12月の<変態ガキ鉄>の写真をご紹介したい。
…… ……
記憶が確かならば、12月の非常に寒い雨の降る日。確か「140円の旅」と称して
東京近郊区間の制度を“悪用”(笑)、一筆書きになるように大回り乗車しながら
楽しんだときの1シーンである。
【1993年12月】 成田線・成田駅
JRが発足して数年、まだこの当時「国鉄型」とか「国鉄色」などという呼び名も...
特に西日本を中心に地域別に車輌もハデハデな色に塗り替えられ“脱国鉄”だった
時代である。千葉県内のJR線、本当にどちらを見てもスカ色の113系ばかり。
ホームの駅名板も、JR東日本のコーポレートカラーの緑色のタイプに交換されつつ
あったが、国鉄時代からの所在地を入れたタイプも、まだまだフツーにあって。
「しもうさまんざき」など難読駅名が多い成田線のワンシーンである。
後ろの電車も113系とはいっても、窓隅にRが付いた非ユニットサッシの初期車
であるのも確認できる。
【1993年12月】 成田線・成田駅
幸い、前からも撮っていた。緑色の方向幕、千葉駅に発着する電車には
成田線と総武本線経由の「銚子ゆき」、外房線と内房線の「安房鴨川ゆき」など
経由が違っても同じ行き先になるケースが多く、方向幕を色分けして表していた。
LED表示で経由路線名も行き先と交互に表示できるようになって、いまでは
見られなくなったが、これもちょっと懐かしい1枚。
この113系、JR化後に冷房化改造が実施されたグループであることも屋根上を
よ~く見るとわかる。
そして、後ろに写っているのは...
当時はまだE217系が入る前だったと思う。
総武快速・横須賀線は15連の113系が活躍しており。こちらは、地下線乗り入れ
仕様車で編成されていたので、窓隅にRが付いた車輌を東京駅で見ることは
無かったが、何と言っても113系と言えば...
【1993年12月】 成田線・成田駅
総武快速・横須賀線と東海道本線の東京口の電車に限ってグリーン車組込だった。
113系のサロもあったが、国鉄末期に他形式からの編入車で賄われたため、
そうカオス状態。この車輌も近郊型電車とは明らかに違う重心の低い車体断面。
たぶん、183系特急型電車の余剰車を転用したグリーン車である。
なぜかはわからないのだが、113系オリジナルと改造車のサロがペアで組み込まれた
編成が多かったような気がする。その改造車も特急型の格下げや急行型など
多種多様で。乗る機会はなかったが、見ていて興味は尽きなかった。
方向幕の「快速エアポート成田」は最近まであった名称だが...
これも何だか懐かしい。
このとき、<変態鉄>が乗ったのは、同じ成田線でも我孫子ゆき。
【1993年12月】 成田線・成田駅
てっきり113系が来るのだと思っていたら、エメラルドグリーンの103系でガッカリ。
この103系、扉半自動扱いになっておらず、駅に停まる度に車内には冷たい風が。
成田から我孫子まで...、その寒さに震えながらの移動だったことだけ、
26年経ったいまもなぜか鮮明に覚えている。
この103系、いわゆる「ブタ鼻シールドビーム」の前照灯、しかも低運転台タイプ。
<変態鉄>としては好きなタイプの車輌だったのだが...
見づらくて恐縮だが、この成田駅での1枚。よ~~く目を凝らせば同じホームの
反対側の線路には113系が停車中。その手前には、水飲み場が残っている。
当時はまだ多くの駅のホームに、蒸気機関車時代の名残である大型の洗面台とか
こうした水飲み場が残っていた。103系の方に目を向けると
「のりば Track No. 6」の看板も何だか時代物。
【1993年12月】 成田線・我孫子駅
たぶん同じ列車。でも、こちらは我孫子駅での撮影。
ぬぁんと、コチラの先頭車は“原型大目玉”、白熱灯のままの前照灯である。
単なるホームでのスナップなのが残念。でも、この当時はこういう撮り方で
とりあえず記録しておけば良い...というのが<変態ガキ鉄>の写真への
向き合い方だったのである。
だからこそ!? EOSくんを帯同せず、この写真、ピント合わせも撮影モードもない
単にシャッターボタンを押すだけの単焦点カメラ...
いまでは「言ってはいけない用語」になってしまう、バ※チ※ンカメラと
呼ばれていた機種で撮っている訳で...
…… ……
この数年後、スカ色113系のサロ組込編成を置き換えていったのがE217系。
【2018年10月2日11時07分】 総武本線・小岩駅
当時は、「何だかヘンな電車が入ってきちゃった」という印象だったのだが、
いつしか、そのE217系も置き換えられる存在になり。
何でも山手線と同じE235系が投入されるのだとか...。
JR世代の電車たちも本格的に世代交代の時期を迎えつつあり、そんな中で国鉄型を
追っている<変態鉄>の撮りたいモノが無くなってくるのは、至極当然の流れ
かも知れない。だからこそ、2020年も撮れる限り、悔いの無い写真を撮るべく
頑張っていきたいと思っている次第。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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