20180302 阪堺モ161形撮影記(8)子を撮るなら親も!? <前編> [その他の鉄話]
<鉄>ブログを書いているものとしては、雲一つ無い青空が広がった公休日。
自宅のテレビの前でゴロゴロしながら過ごすことに対しては、背徳感というか、
“良心の呵責”に近い気持ちになるのである。「撮りに行かないと...」と。
でも、明日からの仕事、体調...
いろいろ考えて月曜は自宅でゴロゴロして過ごしたのだった。次の公休日は珍しく
土曜日になるのだが、週間天気予報を見ている限り、
これまた出撃しづらい日になりそう。
【2018年3月2日13時35分】 阪堺電軌阪堺線・住吉鳥居前電停付近(後追い)
こちらも、気になっている「ちん電」、阪堺電気軌道の古豪モ161形。
平成に入っても、このタイプの車両が大活躍していた同線、でも、いまや、わずか4両の
小所帯になって。1928年(昭和3年)製の電車を撮りに訪れたのは3月2日のこと。
当日、通常運用には充当されていなかったが、貸切運行の様子を撮ることができて。
17時前、とりあえず撮影終了ということで、次に向かった先は...
…… ……
現在の阪堺電気軌道株式会社は1980年にできた会社。
路線自体は馬車鉄道に端を発するなど、すでに100年以上の歴史があり。
現在の上町線と阪堺線では敷設した事業者が異なっており、開業から
今の路線網の基礎ができあがるまでの変遷は非常に複雑だが、大正時代のはじめまでに
「南海鉄道」の1路線となったのだった。(いまの南海電車とは異なる)
戦時統合で近畿日本鉄道天王寺営業局の路線となった時期を経て、戦後には再び、
南海電気鉄道が発足。
【2014年9月4日14時52分】 和歌山県和歌山市・岡公園
その後、和歌山の路面電車を運行していた会社を南海が合併した関係で、
昭和30年代以降、いまの「ちん電」は“南海電鉄大阪軌道線”となった。その後、
1980年(昭和55年)7月に南海から分離独立する形で、現在の阪堺電気軌道が設立。
いまも阪堺電軌の株式は100%、南海電鉄が保有している完全子会社でロゴも同じ。
路線としても、阪堺線と南海本線はつかず離れず。阪堺電車の撮影をしていると、
高架線路を走り抜ける南海電車が見られるわけで。
そうなると、<鉄>としては、どうしても気になってしまうわけである。
2018年3月2日(金)晴れ
というわけで、“阪堺”を撮った後、向かった先は南海本線・住吉大社駅。
高架複々線区間は、このすぐ南の住ノ江駅まで。広々とした高架の複々線区間で
駅撮りながら、多彩な南海電車を撮ってみようと。
すでに17時を回り、陽が長くなってきたとはいえ、すでに太陽は西へ傾いていて。
【2018年3月2日17時08分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
一番、美しい時間帯ではあるものの、残された撮影機会、時間の余裕は無いわけで。
ほぼ南北に真っ直ぐ延びている南海本線、難波方面のホームの一番前側、北側ホーム端。
【2018年3月2日17時08分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
よく目をこらせば...
というか、現地では全然目を凝らさなくても、すぐ目の前に隣の粉浜(こはま)駅の
ホームがはっきりと確認できる、この駅間距離の短さも私鉄線らしさ。
架線柱も、鉄製トラスで最近のパイプ型のものではないのも良い感じ。
そこに、ひっきりなしに電車がやってくるのである。
【2018年3月2日17時09分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
お目当ての電車が、いきなり登場。
一番奥の(東側の)線路が下り・和歌山市方面の緩行線。
各停・和歌山市ゆきとしてやって来たのは、4両編成の7100系電車。
この丸っこい感じが<変態鉄>の中での「南海電車」のイメージ通り。本当は片開き扉の
7000系電車が居てくれれば良かったのだが、すでに3年ほど前に引退しているのだとか。
1970年(昭和45年)頃に製造され、後に冷房化改造されたグループ。
できれば、昔のグリーン系の塗装だったら良かったのだが...
いまの塗色は何か、こういう古いタイプには似合わないような。
でも、そんなことを考えているヒマも無いくらい、頻繁に電車はやって来る。
【2018年3月2日17時10分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
手前の下り・急行線をやって来たのは“空港急行”という舌を噛みそうな名の列車。
空港アクセス特急「ラピート」でなく、料金不要の列車での空港アクセスとして
いつも結構、混んでいるのだが...
1000系電車は、最近の南海線では一番よく見かける形式だろうか。
【2018年3月2日17時11分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
自分が立っている上り線を走り去る、各停・難波ゆき。やはり、1000系電車である。
“赤い夕陽が車体を染めて...”、何だか歌の一節に出てきそうな感じ。
ちょうど、エロい光があたる時間帯である。
ちなみに、6両編成の電車で、よく見れば4丁のパンタグラフが上がっている。
この多さもちょっと素敵。撮る側としては難しいのだが...
なぜだか、よく分からないのだが、この複々線区間、海側(西側)から順に、
上り急行線 上り緩行線 下り急行線 下り緩行線
という不思議な配置になっているのである。一番、西側の線路を走る電車は、
住吉大社駅は通過となるわけで。
【2018年3月2日17時14分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
通過していくのは「浪速の東急」、東急電車の“そっくりさん”だと思えば...
でも、それは6200系。
「この“3000番台”って何だ!?」
と、この記事を書くために調べてみて。この車両は、泉北高速鉄道から買い上げた
車両だったのだとか。大手私鉄が乗り入れ先の車両を買い取るという珍しいケース。
【2018年3月2日17時15分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
そして、大阪と和歌山を結ぶ南海本線のエースと言えば、この電車。
特急「サザン」である。名鉄の“一部特別車特急”と同じ仕組みの列車で。
10000系特急型電車4両と通勤型電車を併結して走る列車である。
だから、後追いで撮れば...
【2018年3月2日17時15分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
「特急サザン 和歌山市」の表示を出して駆け抜ける7100系の姿が撮れるわけで。
【2018年3月2日17時17分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
このランプが点灯したら、カメラを構えるのである。
だんだん、太陽の光も弱くなってきて。そろそろ限界が近づいてきただろうか。
そんなことを思いつつ、もうちょっとだけ...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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自宅のテレビの前でゴロゴロしながら過ごすことに対しては、背徳感というか、
“良心の呵責”に近い気持ちになるのである。「撮りに行かないと...」と。
でも、明日からの仕事、体調...
いろいろ考えて月曜は自宅でゴロゴロして過ごしたのだった。次の公休日は珍しく
土曜日になるのだが、週間天気予報を見ている限り、
これまた出撃しづらい日になりそう。
【2018年3月2日13時35分】 阪堺電軌阪堺線・住吉鳥居前電停付近(後追い)
こちらも、気になっている「ちん電」、阪堺電気軌道の古豪モ161形。
平成に入っても、このタイプの車両が大活躍していた同線、でも、いまや、わずか4両の
小所帯になって。1928年(昭和3年)製の電車を撮りに訪れたのは3月2日のこと。
当日、通常運用には充当されていなかったが、貸切運行の様子を撮ることができて。
17時前、とりあえず撮影終了ということで、次に向かった先は...
…… ……
現在の阪堺電気軌道株式会社は1980年にできた会社。
路線自体は馬車鉄道に端を発するなど、すでに100年以上の歴史があり。
現在の上町線と阪堺線では敷設した事業者が異なっており、開業から
今の路線網の基礎ができあがるまでの変遷は非常に複雑だが、大正時代のはじめまでに
「南海鉄道」の1路線となったのだった。(いまの南海電車とは異なる)
戦時統合で近畿日本鉄道天王寺営業局の路線となった時期を経て、戦後には再び、
南海電気鉄道が発足。
【2014年9月4日14時52分】 和歌山県和歌山市・岡公園
その後、和歌山の路面電車を運行していた会社を南海が合併した関係で、
昭和30年代以降、いまの「ちん電」は“南海電鉄大阪軌道線”となった。その後、
1980年(昭和55年)7月に南海から分離独立する形で、現在の阪堺電気軌道が設立。
いまも阪堺電軌の株式は100%、南海電鉄が保有している完全子会社でロゴも同じ。
路線としても、阪堺線と南海本線はつかず離れず。阪堺電車の撮影をしていると、
高架線路を走り抜ける南海電車が見られるわけで。
そうなると、<鉄>としては、どうしても気になってしまうわけである。
2018年3月2日(金)晴れ
というわけで、“阪堺”を撮った後、向かった先は南海本線・住吉大社駅。
高架複々線区間は、このすぐ南の住ノ江駅まで。広々とした高架の複々線区間で
駅撮りながら、多彩な南海電車を撮ってみようと。
すでに17時を回り、陽が長くなってきたとはいえ、すでに太陽は西へ傾いていて。
【2018年3月2日17時08分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
一番、美しい時間帯ではあるものの、残された撮影機会、時間の余裕は無いわけで。
ほぼ南北に真っ直ぐ延びている南海本線、難波方面のホームの一番前側、北側ホーム端。
【2018年3月2日17時08分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
よく目をこらせば...
というか、現地では全然目を凝らさなくても、すぐ目の前に隣の粉浜(こはま)駅の
ホームがはっきりと確認できる、この駅間距離の短さも私鉄線らしさ。
架線柱も、鉄製トラスで最近のパイプ型のものではないのも良い感じ。
そこに、ひっきりなしに電車がやってくるのである。
【2018年3月2日17時09分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
お目当ての電車が、いきなり登場。
一番奥の(東側の)線路が下り・和歌山市方面の緩行線。
各停・和歌山市ゆきとしてやって来たのは、4両編成の7100系電車。
この丸っこい感じが<変態鉄>の中での「南海電車」のイメージ通り。本当は片開き扉の
7000系電車が居てくれれば良かったのだが、すでに3年ほど前に引退しているのだとか。
1970年(昭和45年)頃に製造され、後に冷房化改造されたグループ。
できれば、昔のグリーン系の塗装だったら良かったのだが...
いまの塗色は何か、こういう古いタイプには似合わないような。
でも、そんなことを考えているヒマも無いくらい、頻繁に電車はやって来る。
【2018年3月2日17時10分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
手前の下り・急行線をやって来たのは“空港急行”という舌を噛みそうな名の列車。
空港アクセス特急「ラピート」でなく、料金不要の列車での空港アクセスとして
いつも結構、混んでいるのだが...
1000系電車は、最近の南海線では一番よく見かける形式だろうか。
【2018年3月2日17時11分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
自分が立っている上り線を走り去る、各停・難波ゆき。やはり、1000系電車である。
“赤い夕陽が車体を染めて...”、何だか歌の一節に出てきそうな感じ。
ちょうど、エロい光があたる時間帯である。
ちなみに、6両編成の電車で、よく見れば4丁のパンタグラフが上がっている。
この多さもちょっと素敵。撮る側としては難しいのだが...
なぜだか、よく分からないのだが、この複々線区間、海側(西側)から順に、
上り急行線 上り緩行線 下り急行線 下り緩行線
という不思議な配置になっているのである。一番、西側の線路を走る電車は、
住吉大社駅は通過となるわけで。
【2018年3月2日17時14分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
通過していくのは「浪速の東急」、東急電車の“そっくりさん”だと思えば...
でも、それは6200系。
「この“3000番台”って何だ!?」
と、この記事を書くために調べてみて。この車両は、泉北高速鉄道から買い上げた
車両だったのだとか。大手私鉄が乗り入れ先の車両を買い取るという珍しいケース。
【2018年3月2日17時15分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
そして、大阪と和歌山を結ぶ南海本線のエースと言えば、この電車。
特急「サザン」である。名鉄の“一部特別車特急”と同じ仕組みの列車で。
10000系特急型電車4両と通勤型電車を併結して走る列車である。
だから、後追いで撮れば...
【2018年3月2日17時15分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅(後追い)
「特急サザン 和歌山市」の表示を出して駆け抜ける7100系の姿が撮れるわけで。
【2018年3月2日17時17分】 南海電鉄南海本線・住吉大社駅
このランプが点灯したら、カメラを構えるのである。
だんだん、太陽の光も弱くなってきて。そろそろ限界が近づいてきただろうか。
そんなことを思いつつ、もうちょっとだけ...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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