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南部縦貫鉄道「レールバス 夕暮れ撮影会」(7)レールバスの車内

「キハ」の“キ”は気動車のキ、“ハ”はイロハ、旧等級の3等車のハ。
「気動車」「内燃動車」「ディーゼル動車」...、その呼び方はいろいろあるが、昭和初期に実用に向けた研究が行われ、戦争による中断を経て戦後の復興期から高度成長期にかけての時期に本格的に花開くことになる。ただ、最近では大手を中心に、これまでのディーゼルエンジンに替わる動力が求められ...。ハイブリッドとか蓄電池とか燃料電池とか、いろいろな種類が登場しており。

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【2023年10月8日14時16分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅

そんな「キハ」の歴史、バスやトラックなどの自動車の技術を鉄道車両に応用することからスタートしたとされ。日本の鉄道における最初はガソリン動車、戦前にはディーゼルエンジンへと進化を遂げていたのだが...

最初の頃は小型車両での単行運転。ローカル線と言うよりも超閑散路線などに充てられるものだった。(都市部でも使われたが...)

液体式変速機(トルクコンバーター)が実用化されるまでは、先頭車両の運転台から2両目以降の機器を操作すること(総括制御)ができないことも大きかった。つまり、2両以上で編成を組めば、各車の運転士に乗務して、汽笛の合図に合わせて息をピッタリ合わせて同時に操作しないといけない。
そんな中で、“気動車四重連”で行楽客輸送にあたった江若鉄道は...まさに“神業”のレベル。

戦争を挟んでトルコンが実用レベルに達して、「液体式気動車」として量産化された“第1期生”がDMH17系エンジンを積んだキハ17系。
昭和20年代後半から大量に投入される。その1両が、南部縦貫鉄道に残るキハ104号車。

そして、生まれは後でも、南部縦貫鉄道は開業にあたって機械式ディーゼル動車のレールバスを用意した。バス部品を多用して車体も小さく簡単なつくりになっており、そして、動力も機構が単純なことを重視したのか...。

でも、そんな話題に入る前に。

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