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赤い“にちりん”に乗り通してみた。 [車内放送]

この時期になっても「撮り初め」を済ませてないのは異常事態...
近々出撃する方向で手配を始めているが、仕事のメドが立つかどうかだ。
懐古ネタが続いているが、それも富山ネタに偏っている...
ということで、今日は録り貯めておいた車内放送から九州編。

……  ……

2004年2月27日(金) 晴れ

地獄めぐりを楽しんだ翌日、当時、主役の座からはすでに降りていたが
まだまだ健在だった“Red Express”に宮崎空港まで乗り通してみた。
そのときの旅行メモから、拾ってみると

別府1132 にちりん7号 クロハ481-205

11時25分頃、②ホームに入線した“にちりん7号”
1号車(クロハ)には普通車側に数名の乗客。
接続の“ソニック”が到着すると3割程度の乗車率になって発車。

この日の編成は、次の通り。

↑ 宮崎空港

1 クロハ481-205  グ・指 【禁煙】
2 モハ484-271   指定 【禁煙】
3 モハ485-169   指定 【禁煙】
4 モハ484-215   自由 【禁煙】
5 クモハ485-9   自・指

大分では多少乗車がある。
別府・大分とも簡素な放送だけでオルゴールも流れない。
心地のよい天気の中、時折、海が見え隠れする車窓。
列車がカーブを通過するたびに日差しが眩しくなったり、なくなったり。
暖かい車内でうとうとしているうちに宮崎県内に入った。
北川では国鉄色に塗り戻された3連の“にちりん”と行き違い。
延岡では5分停車。ビジネス客と思わしき人々が自由席に列をつくっていた。

2004_nega_01_04_b.jpg
【2004年2月27日】 日豊本線・延岡駅
高千穂鉄道も、懐かしの光景。

延岡で、車掌も交代したようで(写真撮影に夢中で見ていなかった)
宮崎到着時の放送にはオルゴールが流れる。
しかも、宮崎で1号車の乗客は全員が下車してしまったので、
慌ててマイクを構えた。南宮崎から車内清掃の作業員が乗り込むものの
作業は開始しなかったので、録音は成功。宮崎空港到着を告げる放送にも
“鉄道唱歌”のオルゴールが流れた。



車窓に航空機が見えると、ほどなく宮崎空港。

2004_nega_01_03_b.jpg
【2004年2月27日】 宮崎空港線・宮崎空港駅

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早朝の終着駅へ。~ ムーンライト信州81号 白馬到着 ~ [車内放送]

中央東線には、山々へ向かう人たちのために古くから夜行列車が運転されていた。
自分が<乗り鉄>するようになった90年代にも、
新宿23時台の急行「アルプス」に始まり、0時に新宿を発つ「普通・上諏訪ゆき」まで
シーズンには何本もの夜行列車が雁行していた。

……  ……

この流れを汲む形で、いまも多客期には臨時快速「ムーンライト信州81号」が走る。
日付が変わる直前に新宿を発つと、朝5時過ぎには白馬に着く。
これだと、大糸北線のキハ52を始発から撮れる。
重装備の登山客に混ざって、カメラバッグを背負った<撮り鉄>の姿もチラホラ。

200708_etumi_ooito_1_14.jpeg

(写真は新宿駅で発車を待つ「ムーンライト信州81号」 ※ 録音した日の列車ではない)

いまは、モノクラス6連の運行になったが、当初は特急「あずさ」から降板して、
幕張に転じたグリーン車組込の9連“中央ライナー車”が運用された。

車掌は全区間通じて松本の担当だっただろうか。
特急型車両でも快速に充当されると、放送は簡素なものになることが通例だが、
松本所の車掌さんは、新宿駅のホームを離れると同時に「あずさ」時代からの
“ちょっとだけストレンジャー”のメロディを流して車内放送を行うのだった。

新宿始発時点では、9連(全席指定)でもかなりの乗客数になる日が多かったが、
登山客は深夜帯の停車駅で少しずつ下車していき、松本から大糸線に入ると
だんだん車内は閑散としてくるものだった。

この日、信濃大町付近で偶然2号車(だったと思う)が無人であることに気付いた。
すかさず、サロの車掌室に向かう。
車掌氏に無人の車内での録音許可をいただき、荷物をもって移動。

神城を出ると、“信濃の国”のメロディに続いて白馬到着を告げる放送が入った。
丁寧な放送の後、あらためて、両先頭車のドアが開かないこと旨、アナウンス。



録音しながら眺めた車窓が明るかったのは覚えているので、たぶん夏の時期。
密かに期待した“雪山賛歌”のメロディではなかったが、満足のいく録音となった。

……  ……

何度も乗って、真夏に乗った時の1回だけだが
「今日も長野県地方、よく晴れて暑い一日になると予報されています。
熱中症には気をつけて、楽しい1日をお過ごし下さい」
という感じのフレーズを付け加えて、
白馬到着を告げる放送を締めくくる車掌さんに当たった記憶がある。(録音データはないけど...)

車内放送って、鉄道旅行の印象を決める大切な要素だと思うんだけど...

……  ……

何か、偉そうに語っているが、
趣味でも仕事でも何でも、メモをとるって、大切なことだと思う。
公開するに当たって、調べてみたが2005年から2007年頃の“いつか”なのだが、
これがいつの録音かわかるメモが残っていない。う~ん、相変わらずダメ人間。

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あの頃の、快速「南三陸」 [車内放送]

さて、久しぶりに車内放送をお聴きいただきたい。

……  ……

2000年8月15日 晴れ

何年も乗り歩いていると
そのとき、気にとめるものでなくても
今となっては貴重なものになっていたりする。

写真の気仙沼線、真夏の暑い日に“乗り鉄”した時のもの
キハ48とキハ28の混結編成で運転された臨時快速「南三陸81号」
9941D 南三陸81号 仙台 1212 → 気仙沼 1448
これが目当てで乗りに来たのだが...

2000_nega1_02b.jpg
【2000年8月15日】 気仙沼線・どこの駅か覚えていない...(>_<)
  (ご存知の方、いらっしゃいましたら是非ご教示下さい。)

メモによると、当日の編成は

↑ 気仙沼
(4) キハ28 2174 指定(録音)
(3) キハ58 641
(増) キハ40 2021
(2) キハ28 2318 指定
(1) キハ48 545

指定②は10名、非冷の(増)は発車後の車内改札で
車掌氏が冷房車に移るように勧めていたため数名、
先頭の指定④は無人、ほかの自由席車で乗車率3~4割程度。
この日の晩、TVのニュースでは
「宮城県地方、記録的大雨。陸羽東線不通」と報じた旨、記録している。

指定席になっていたキハ28の車内で、小牛田到着前の様子を録音していた。
冷房の風の音が煩わしいが。


当日は、スッキリと晴れ渡り、
前谷地からの気仙沼線、海沿いに走る区間もあり再訪したかったのだが...

……  ……

海沿いを走っていたから、先の震災では甚大な被害を受け、
復旧の予定すら聞いていない。
また、乗りに行ける日が早く来て欲しい...

と、思っていたところに帰宅中、携帯で朝日新聞ニュースを見ていると
 「気仙沼線のバス専用道化を正式提示=JR東が地元に」
なる記事を見つけてしまった。
気仙沼-柳津間について「バス高速輸送(BRT)」を取り入れての“仮復旧”を
地元に提示したという。詳細はわからないが、記事の書き方からみると、

とりあえず“仮”復旧としてバス専用道化して、そのままということか?
何か、JR東と国交省の思惑が背後にあるような、ないような...う~ん。

「注意深く、今後の動向を見守っていきたい」
と、どこかの大臣のような一言で締めくくっておく。

(線路の無くなった町って、絶対ジリ貧になるだけだと思うけど...)


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急行「東海」号 静岡到着放送 [車内放送]

JRグループの3月改正がプレス発表された。
毎年「恒例」になってしまった、寝台特急「日本海」勇退もあるが、
ショックだったのは、

「きたぐに」よ。お前もか...

急行「きたぐに」も定期運行を終えるとのこと。
車両老朽化と利用者減という、これまた“恒例”の理由。

急行という種別自体が絶滅危惧種のいま、ショック...
(ってことは、「はまなす」だけ?)

……  ……

東海道本線に最後まで残った急行「東海」、
自分がこれに出会ったときには、東京-静岡間2往復、
オフシーズンは8連、混雑期は11連の165系が「大垣夜行」と
朝晩の東京-静岡間の普通電車と共通運用で走っていた。

165系使用の急行列車は、「富士川」とか「赤倉」とか定期でも
いくつか残っていたが、「東海」だけは別格だった。
最短8連という編成長だけではない。4・5号車にサロ165が入り、
臙脂色のシート、純白のシートカバーと“憧れのグリーン車”だった。

199603_01_09.jpg

【1996年3月】 東京駅にて、乗車したサロ165

当時から“録り鉄”だった立場からは、運転台ではなく、
サロの専務車掌室から放送をする、急行「東海」号だけは、
車内放送の前に「鉄道唱歌」のオルゴールが流れる...のを知って、
本当に“憧れ”の存在になった。
(特急型と違って、急行型電車はサロの車掌室にしかオルゴールが付いていない)

でも、乗ったことはたった一度だけ。
大学入試がようやく済んで、富山に遊びに行くとき。
1996年3月、特急格上げ直前の頃だった。
1編成にはグリーン車の緑帯が復元され、全編成に大型ヘッドマークが付く
など、比較的地味だった列車にも最後の時が近づいて装飾されていた時期。

……  ……

199603_01_01.jpg

【1996年3月】 東京駅の乗車位置案内札はイラスト入り

朝、7時過ぎに東京を発つ「東海1号」は、結構な乗車率。
自分と同じ惜別乗車のファンも見られたが、用務客やレジャー客も少なくなかったと
記憶している。

清水を出た後、座席の上に小型カセットレコーダーを置いて「鉄道唱歌」のチャイムで
はじまる静岡到着を告げる放送を録音。
“録り鉄”にMDを導入するのは、この数ヶ月後。
カセットテープで、しかも、量販店で買った廉価版のレコーダの内蔵マイクでの録音だった。

(音源に起因するノイズ等があるため、音質はかなり低いですが...)

急行「東海1号」静岡到着前の放送

199603_01_17.jpg

【1996年3月】 静岡駅にて急行「東海2号」

……  ……

このあと、静岡駅前で時間を潰して、折返しの「東海2号」をホームで撮影し、
 静岡からは100系こだま → 名古屋からボンネットしらさぎ
今にして思えば“超豪華リレー”で富山に行ったが、写真は残していない。

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はじめて聴いた「アルプスの牧場」 [車内放送]

写真の話題が続いてしまったので、今日は久しぶりに車内放送ネタで。
まずは、米沢で発車を待つ、米坂線のキハ48のデッキで録音した、この放送から。

このチャイムのシンプルな音色にはまってしまったキッカケを語ってみたい。

……  ……

1993年の春の改正が発表され、
EF62が14系客車を牽くという、いま思えば夢のような編成で上野-金沢を結んだ、
急行「能登」が電車化されると聞き、お別れ乗車にいったのは、高校入試が済んだ頃だった。

EOS君も同行したが、フィルム交換の際に、慌ててシャッターを壊してしまい
(↑ どうやったら、そんなことできるのだろう...と自分でも思う)
動揺して、上野駅のホームに三脚を置き忘れ...
かなり落ち込みながら、富山に行った。

祖母の家で数日を過ごして東京に戻ったが、
そのとき、はじめて大糸線経由というルートを選択した。
そもそも糸魚川からの大糸線が非電化ということは知っていたが、
東京でしか暮らしたことのなかった自分にとって、
「気動車」というのは全く未知の世界。
真冬の北陸らしい雪の糸魚川駅で出会った単行のキハ52に驚かされた。

車内はすでにワンマン仕様だったが、車掌乗務で運転されており、
(この乗車のしばらく後に、各駅の設備工事が終わりワンマン化されたみたい)
スキー客や登山客で、つり革も塞がる程度の乗車率で発車。
自分は運転台後部の座席を撤去した付近に立って、
南小谷までの1時間ほどを過ごした。

このとき、糸魚川発車後と南小谷到着前の放送に、オルゴールが流れた。
オルゴールって、特急列車の車内放送だけに限られるのかと思っていた自分は、
これに大変驚かされた。
しかも、特急電車で聴いたそれとは違うメロディーなのはまだしも、
シンプルな音色で、曲の途中から始まり途中で終わる...
この音にすっかりはまってしまうのであった。
その曲が「アルプスの牧場」というチロル民謡だと知るのは、さらに後である。

1993_minamiotari_2_b.jpeg
【1993年冬】 大糸線・南小谷駅

予備機のコンパクトカメラで、かろうじて写した1枚。

……  ……

ずっと後になって、そのキハ52を大糸線に追い続けた。
しかも、いまでは千葉県で走っているというのは...本当に嬉しい限りだ。

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「ゆったりやくも」でゆったり録音 [車内放送]

日曜日、広島へ行っている間に総閲覧数が2,000を突破していた...
帰ってきて、気がついたときには2,200近くになっていましたので、
記念画像は省略させていただきます。
ちなみに、営団2000系を準備していました。

こんな拙いブログをご覧いただいている方には、本当に感謝、感謝です。

これからも、自分の気の向くままに写真と音をアップし続けたいと思いますので、
どうか、よろしくお願いいたします。

さて、今日は1年半前に録音してきた車内放送の話題。

……  ……

2010年6月26日 雨

名古屋周辺を巡った後に、ANAのプロペラ機(DHC8-400)で米子入り。
米子空港駅から、混雑するキハ40単行で米子へ。
ここから「ゆったりやくも」に初乗車。

IMG_1918_bb.jpg
【2011年11月15日】 倉敷駅を出る、特急“ゆったりやくも”
(写真は、乗車列車とは無関係です...)

米子から乗車したのは モハ380-66(自由席)
予想通り、ガラガラの車内は
松江時点で指定席は各車1~2名、グリーン車は無人。
車掌氏の許可を得て、宍道到着前から録音開始。

宍道到着の放送でも、なぜか最後にだけ“ショート・バージョン”のチャイム。


松江発車直後から折り返し準備の清掃作業がはじまっていた。

この日は出雲市駅近くのホテルに宿泊。
翌日は映画化されて話題となった一畑電車を乗り歩いた。

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0系「こだま」に最後に乗ったとき [車内放送]

2008年11月10日(月)

前日は秋の「みまさかスローライフ」を撮りに因美線へ。
夕方、岡山に戻るが、そのまま東京に帰らず新幹線で福山、駅近くのホテルへ。

翌朝、6:20発、始発にあたる「こだま620号」は、
すでに、引退までカウントダウンがはじまっていた0系車両での運行。
時間帯から考えて岡山までは空席が目立ち、録音しやすいだろうと予想して、まだ暗い中を福山駅へ。

ホームにはすでに6両編成の「こだま620号」が入線しているが、予想通り人影はまばら。
1両貸切状態で、福山始発時の車内放送を録音。
チャイムはだいぶ前から「いい日旅立ち 西へ」に変わっていたはずだが、
0系引退に合わせたJR西日本の計らいで、昔のチャイムに戻されていた。


新倉敷、岡山とまとまった数の乗車があり、兵庫県内に入るあたりではほとんどの席が埋まった。
ビジネス客と通勤客が大半を占めていたが、マスコミにもこの引退は取り上げられていたせいか、
途中駅のホームでも携帯のカメラなどでスナップしている人も多かった。
メモをとっていなかったので、記憶が定かでないが、途中、西明石駅の停車中に自分も撮影。

IMG_0148b.jpg
【2008年11月10日】 山陽新幹線・西明石駅

終着の新大阪では、予想はしていたが両先頭部に人だかりができる有様で、撮影は断念。
東京ゆきの「のぞみ」に乗り換えた。

……  ……

あれから、ピッタリ今日で丸3年。
最近、時の経過がはやく感じられて仕方ない。う~ん...

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新兵器を試してみたが…  ICレコーダを初使用 [車内放送]

2011年10月23日(日) くもり

朝のANA便で関空へ、日根野で乗り換えた紀州路快速は新車225系。
衝突時の安全性、とは言っても、あの不細工な顔(失礼!!)は全く興味の対象外。
思ったより“増殖”のペースが速いのか、走っているところを何度か見かけた。

和歌山では、跨線橋を渡って10:16発 御坊ゆき(339M)に乗り換え。
予想に反して、白地に青帯の“阪和色”の113系4連。モハ112-5333に乗車。

IMG_1300b1.jpg
【2011年10月23日】 紀勢本線・藤並駅
これも、すでに“絶滅危惧種”?

各車10名程度の車内で、今回が初使用となるICレコーダーの“試運転”。
新宿の量販店で、価格面だけで選んだSONY製のICD-UX512。

自分が車内録音にMDを導入したのが1997年だったと記憶している。
それからはや13年、自分としては使いやすさに不満はなかったが、
すでに世の中では、MDは“過去のもの”となりつつあるのか...
修理依頼やメディアの入手などに不都合が生じないうちに切り替えを、と考え、
試験的に導入してみたものである。

内蔵マイクを用いて、とりあえず録ってみた。
そのうち、初島→箕島間をMP3変換してみたが、ドア開閉時の音が歪んで聞こえる...
しばらく、MDとの併用とするか、う~ん。



このあと、藤並で下車、有田鉄道バスで金屋口の鉄道公園にキハ58003に会いに向かった。

……  ……

「録り鉄」される方、もし、拙ブログをご覧でしたら
おすすめのICレコーダーについて、コメントをちょうだいできたら幸いです。
(どなた様からのコメントも大歓迎です!! お気軽にどうぞ。気づき次第、返答したいと思います。) 

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雨の中の通学列車 ~ 越美北線 ~ [車内放送]

2007年5月1日(火) 雨のち曇り

2004年7月の福井豪雨以来、不通となった越美北線の福井側で、
通学時間帯の車両不足対策としてキハ28・58が運用されている...

という、ネットで知った情報をたよりに福井を訪れたのは、
復旧の日も近づいた2007年5月の連休期間。
禁じ手とはわかっていながら、前日、越前大野駅に電話して確認した。
「以前は車両の検査時に使っていましたが、いまは動かしていません」の返答。

“ダメ元”の気分で、小雨降る中、福井駅前のホテルを早朝5:15出発、
タクシーで一乗谷駅まで、約15分 3,110円。
田園風景の中、線路は続いているもホームの先に車止めが見える。

200705itijoudani.jpg
【2007年5月1日】 越美北線・一乗谷駅

予定通り、6:12に回送でキハ58、28が入線。

↑ 福井
 キハ58 1047
 キハ28 2466
↓ 一乗谷

停車中の車内で「運転士」の名札を付けた車掌氏から往復分の乗車券購入。

6:19にわずか2~3名の乗客で発車。発車直後の車内放送を録音。




結局、この日はゴハチニハチ編成で2往復、
数えるほどの乗客でゆったりした車内。
沿線では強まっていく雨の中、カメラを構える人がチラホラ。
最後の福井ゆきだけは、越前東郷から高校生で150%くらいの乗車率になった。

折返しの際には車掌氏から、
この日の、もと米トリ車は5月中旬までで、その後は、金沢車を使い、
復旧時の臨時運転がゴハチニハチの最後の運用になると教えていただいた。

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関門トンネルの気動車列車にて [車内放送]

※ 追記  2016.10.23
資料を確認したところ、この録音は、
2000年12月12日、第5672D列車 (門司発 9:27 → 9:35 下関着)であり、
掲載の写真に写っている車両は、キハ23 4号車だと確認できました。

2000年代の初め頃は、関門トンネルを通る普通列車はバラエティに富んでいた。
その中には、「門司発下関ゆき」のような1駅だけの短距離列車もあり、
山陰本線の気動車も運用の都合か、これに充当されていた。

XX01_simonoseki_2_b.jpeg

【2000年12月】 黄色いゴハチニハチ+キハ23

車内録音をするようになると、こういう珍しい列車に単に「録音目当て」で乗ることが増えた。
ゴハチニハチにキハ23をつないだ3両編成に乗車したのは2000年12月のこと。
筑豊線に残っていた朝の客レを撮った後、時間を潰してまで、これに乗ったと記憶している。


「では、リクエストに応えて...」
車掌氏のご厚意で“アルプスの牧場”のオルゴールを鳴らしていただけた。
関門トンネルに入るところまでをデッキで録音した。


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