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「若気の至り」ということで...(1994年頃の札幌駅)<前編> [アナログ写真保管庫]

さてさて、水曜日は公休日。という訳で、再び大多喜へ...ではない。
仕事が終わらない、というか、どうせ雨の予報なので会社でも行って
貯まっている仕事を片付けてやろうか...という、何とも不マジメな理由で
出社予定を変更したのだ。ちなみに、代休はない。

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【2014年10月12日11時05分】 水島臨海鉄道水島本線・西富井駅

水曜は雨で出撃断念だが、今週末は如何に!? 倉敷への出撃が決まっているのに。

でも、撮影に行かないとブログに書くネタがない。
という訳で、古いネガを漁ってみたといういつものパターン。

なお、この記事の写真、いずれも1993年から96年頃の撮影だが、
当時の<変態ガキ鉄>、ホーム上での撮影にストロボを使用していた。
列車に向かってのストロボを発光しての撮影はマナー違反であるだけでなく
安全上も問題の多い行為である。もちろん、現在の<変態鉄>は鉄道写真には
ストロボを使用していないことを予めお断りしておきたい。

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高尾にスカが溢れていた頃。 [アナログ写真保管庫]

実は、今夜は他の記事をアップしようと使いたい写真の準備をしていた。
でも、不都合があって...ではない。単なる気まぐれ。

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【2010年6月20日8時20分】 中央本線・撮影地不詳(大月駅??)

いま巷の<鉄>の間で話題の「山スカ」こと中央本線の115系直流近郊形電車。
今日は、この話題を。

さて、誰だって、遠い土地に出かけるとなればワクワクするもの。
それは、何かしらの「非日常性」を感じられるから...だと思う。
そういう意味では<鉄>も同じではないかと思う。

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「飛越国境」を駆け抜けたローカル線の話。 [アナログ写真保管庫]

今日の話題に入る前に。先週末から<変態鉄>を悩ませてきた全身の痒み、
お医者さんで処方してもらったクスリの効果だろうか、ようやく落ち着きを。
となれば、どこかへ行きたくなるが、休みもなければ天気も悪そう...

さて、24日の「いすみ鉄道」撮影記は、アップまであと少しかかりそう。

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【2015年6月24日14時28分】 いすみ鉄道・小谷松-東総元(後追い)

という訳で、今日はちょっと強引に。
いま、いすみ鉄道で走っているキハ、キハ52 125は分割民営化前後には富山に
配置されており、富山-越中八尾などのローカル列車に運用されていた。
このあと、福井を経て糸魚川に配置され、大糸線で大活躍した。
そして、写真のキハ28 2346は、いわずと知れた「飛越ゴハチ」のメンバー。

時代は多少前後するが、両車とも富山に配置され、高山本線の富山県側の区間を
走っていた時期があったのだ。その高山本線の富山と岐阜の県境にある駅が猪谷。
いまでは富山県富山市最南端の駅になっている。

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北陸本線には、いつも「雷鳥」がいた(4)「懐かしの雷鳥」<後編> [アナログ写真保管庫]

今日の話題に入る前に。

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【2011年4月8日14時35分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川

<変態鉄>が大多喜を初めて訪れたのは2011年4月のこと。
もちろん、その狙いはキハ。キハ52 125の試運転を城見ヶ丘近くの森宮踏切で。
そんなとき、常に“名脇役”としてキハとともに居たのが、いすみ200形。
木原線が第3セクター・いすみ鉄道に転換されて以来活躍してきた、この小さな
ディーゼル動車が房総での活躍に終止符をうつときが迫っている模様。

それにしても...

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北陸本線には、いつも「雷鳥」がいた(3)「懐かしの雷鳥」<中編> [アナログ写真保管庫]

今日の話題に入る前に。
いま自分は“決断”を迫られている。マジメな話だ。でも、自分は、どう考えても
「決断力」のないタイプ。ちなみに「ケツ弾力」のあるお姉さんは大好きだ。

この“決断”というコトバ、「決」は良いのだが、では「断」なのは??

決断とは1つのことを選ぶのと同時に、それ以外の可能性をすべて断ち切ることを
意味しているから...と聞いたことがある。

そう、昼をラーメンと決めたら、会社近くの「てんや」で天丼を食べるのは無理。
会社員たる自分、毎日のように“決断”を迫られる。仕事の合間に何を食べるかは
日々の業務において非常に意思決定を迫られる重大な問題なのである。

まぁ、とはいえ「実態は...!?」と言えば、選択の余地もなく、
コンビニで菓子パンとコーヒーを買ってきて、それを頬張りながらパソコンと格闘...
というのが、最近の“基本パターン”となっている。

さて、いま、“決断”を迫られているのは...

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【2013年10月29日8時36分】 福鉄福武線・田原町-仁愛女子高校

こちらである。

来月、そんな仕事が1週間くらい休めそう。ここまで5月の大型連休も事実上返上、
久々のまとまったお休みになりそうな雰囲気。

という訳で、小松空港から福井入りして中部地方を巡ろうかと画策中。
久々に、この福鉄200形の姿も撮っておきたい。

でも...

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北陸本線には、いつも「雷鳥」がいた(2)「懐かしの雷鳥」<前編> [アナログ写真保管庫]

昨日に引き続き、北陸本線のスターだった特急「雷鳥」の話題。
1964年12月、富山までの電化開業と交直流特急型電車481系の投入に合わせて、
大阪-富山間に登場した特急列車が「雷鳥」だった。

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以来、大阪と北陸各都市を結ぶ列車としての地位を固め、ほぼ1時間に1本、
いつ駅に行っても乗れる特急列車になった。

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2001年頃の“コトデン”は、まだまだ旧型電車の宝庫だった。 [アナログ写真保管庫]

コシのある讃岐うどんが好き。新宿にある職場の近くでも“は※まる”があるが、
なぜかそこには入る気がしない。讃岐うどんを食べるときは、高松で食べたい。
そんな<変態鉄>。大学時代、1990年台後半から2000年台初頭まで高松に
嵌っていたことがあった。

その高松、海の近くに城跡の公園がある。玉藻公園である。
そしてその玉藻公園に隣接して小さな駅がある。それが高松築港駅である。

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【2012年4月5日12時21分】 高松琴平電鉄築港線・高松築港-片原町

その高松築港から琴平、長尾、志度の3路線、コトデンの線路が伸びている。
正しくは、2つ先の瓦町駅が各線の結節点。

<変態鉄>のコトデン詣でが始まった頃には、「憧れの瓦町駅」はすでになく、
「コトデンそごう」デパートになっていた。「憧れの瓦町駅」を見られなかったのが
残念でならないのだが...。

京王帝都、名古屋市交、京急...、大手私鉄の譲渡車で車両の世代交代を進めていた
当時のコトデン、でも、ラッシュ時を中心に旧型電車も多数運転されていた。
明るくてもハデハデな感じのないピンクとクリームのツートンカラーの
古くて小さな電車たち。<変態鉄>が魅せられるには十分だった。

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「吊り掛けサウンド」が録りたくて。(小野田線・クモハ42型) [アナログ写真保管庫]

今日の話題に入る前に。
昨日の記事の結びに「明日の記事でコトデンの写真を...」と書いたのに...
都合により、<変態ガキ鉄>(当時)が撮ったコトデンの写真は、明日の記事に
回しました。悪しからず、ご了承下さい。

さて、最近では鉄道現業の方も、旅客列車全般を指して“電車”と呼ぶのがフツー。
でも、「電車」というのは、そもそも自走できる「電動機付き客車」のことを指す用語。
そのシステムは様々だが、最も一般的なのは、架線を流れる電流を取りこんで、
それで床下にあるモーターを回し、その動力で走行する、というものになる。

<変態鉄>が撮る写真も、10人中9人は“全部、電車の写真だ!!”と言うが、
「ディーゼル動車」を撮っていることが多いので、半分くらいは
“電車の写真ではない”が正解なのだ。

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【2014年9月6日16時58分】 外房線・太東駅

日本の鉄道システムでは、長らく、旅客車両の分類は、電車、気動車、客車の
3種だった。最近ではハイブリッドとか蓄電池式とか、いままでの枠組みでは
分類が難しいのも増えてきているのは確か。

でも、<鉄>にとっては「電車」とは「電動機付き客車」を指す言葉というのが
当たり前の認識、いまでも、世間一般が言う「電車」には抵抗を感じるのである。
まぁ、こんなところがマニアのマニアたる所以だろうが。

そんな、ちゃんとした(?)、「電車」をざっくり2つに分類したとき「旧型電車」と
呼ばれるグループがある。写真の115系は古くても「新性能電車」。
ただ「新・旧」という言い方自体、相対的なもの。いまや「新性能電車」も旧型。

と、ややこしい前置きになったが、<変態鉄>はディーゼル動車や客車列車に加え
そんな「正しい旧型電車」も堪らなく好きなのである。

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葛西臨海公園駅で<ガキ鉄>は一日中楽しんでいた(1994年頃の休日=後編) [アナログ写真保管庫]

日常風景というのはなかなかカメラを向けないもの。
だからこそ、それがなくなってしまった後になると、その分、懐かしさが増すのか。
普段からそういうものにもカメラを向けておけば良いのだが...

分かっていても、それをしないのは自分の性格かも知れない。
それで、「なくなる」と聞いて、慌てふためく...のである。まぁ学習能力のなさかも
知れないのだが、<鉄>活動でも、それは同じ。

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【2009年4月16日15時17分】 中央線・東京駅

あと10年、20年経ったときには、単なる“試し撮り”のこんなカットを
「貴重な記録」とか曰うのだろうか。

昨日からご紹介している1994年4月の葛西臨海公園駅の話題も同じ。
このときは国鉄世代の急行型電車を狙っていたのだが、ついでに撮った通勤電車、
こちらも「貴重な記録」となった。

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葛西臨海公園駅で<ガキ鉄>は一日中楽しんでいた(1994年頃の休日=前編) [アナログ写真保管庫]

実は...と、勿体ぶって始める話題でもないのだが、
つい最近、外付けHDDを新しくした。容量2TBというのは自分には初めて。
でも、これまでのHDDがズシリと重さを感じ、場所をとり、ブーーンとファンが五月蠅い、
何よりデータの転送が遅くてホントに困りものだったのだが...

皆さんからは「何を今さら!?」だろうが、USB 3.0の速さを実感、
ちょっと大きめのカードケースくらいのサイズ。パワーバスというのだろうか、
USBケーブルさえ挿せば、これまでのようにACコードは要らない。

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そして、ようやく、旧HDDから写真や書きかけのブログ記事のデータを転送完了。
以前、アップしようと準備していたものの、気が変わったのか、何だろうか!?
そのまま2年以上放置状態だった記事を書き上げてみた。(← 要はネタ切れ

1994年4月、まだ<変態鉄>が高校入学当初である。EOS1000QD-Pという廉価版の
一眼レフにディスカウント店で買い貯めたフジのISO400のネガカラー、
そんな貧弱な装備。おカネも知識も撮影技術もなかったあの頃。
でも、いまより、「撮りたい!!」という欲求だけは強かった。
食事も摂らず、早朝から駅のホーム端に陣取って、やって来る列車たちを
片っ端から撮っていた。そんな<変態ガキ鉄>の青春時代のお話。

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