SSブログ

葛西臨海公園駅で<ガキ鉄>は一日中楽しんでいた(1994年頃の休日=前編) [アナログ写真保管庫]

実は...と、勿体ぶって始める話題でもないのだが、
つい最近、外付けHDDを新しくした。容量2TBというのは自分には初めて。
でも、これまでのHDDがズシリと重さを感じ、場所をとり、ブーーンとファンが五月蠅い、
何よりデータの転送が遅くてホントに困りものだったのだが...

皆さんからは「何を今さら!?」だろうが、USB 3.0の速さを実感、
ちょっと大きめのカードケースくらいのサイズ。パワーバスというのだろうか、
USBケーブルさえ挿せば、これまでのようにACコードは要らない。

IMG_3615.JPG

そして、ようやく、旧HDDから写真や書きかけのブログ記事のデータを転送完了。
以前、アップしようと準備していたものの、気が変わったのか、何だろうか!?
そのまま2年以上放置状態だった記事を書き上げてみた。(← 要はネタ切れ

1994年4月、まだ<変態鉄>が高校入学当初である。EOS1000QD-Pという廉価版の
一眼レフにディスカウント店で買い貯めたフジのISO400のネガカラー、
そんな貧弱な装備。おカネも知識も撮影技術もなかったあの頃。
でも、いまより、「撮りたい!!」という欲求だけは強かった。
食事も摂らず、早朝から駅のホーム端に陣取って、やって来る列車たちを
片っ端から撮っていた。そんな<変態ガキ鉄>の青春時代のお話。

……  ……

多くの<鉄>、とりわけ年少ファンにとって興味をもつ車両というのは
その時代の最新の車両であったり、地元の路線の看板列車だったりすることが多い。
だが、(いつも書いているように)<変態ガキ鉄>が興味を持ったのは、その当時、
かろうじて最後の輝きを保っていた、高度経済成長期までの国鉄在来線輸送全盛期に
製造された車両たち。

0Y6C2164.JPG
【2013年4月29日11時04分】 しなの鉄道線・御代田-平原

長野や新潟、盛岡、そういった地方支社では一部の特急・急行運用を受け持つとともに
新型車両の投入で第一線を退いても、操配用として大口団体列車や臨時列車に
充当されていた。それらの車両を撮りたくて...、でも都心ではなかなか。

0Y6C0504.JPG
【2012年12月8日8時58分】 武蔵野線・東川口-東浦和

そんな中、自分が撮りたい列車が集結する路線が東京都内あった。
休日の京葉線である。舞浜駅は、言わずと知れたあのレジャー施設の玄関駅。
土休日ともなるとJR東日本管内のあちこちから大口団体列車がやってくる。

その運転情報を鉄道雑誌から必死に拾い集めて、やって来たのは葛西臨海公園駅。

さぁ、ここから失敗写真を14連発で!!!
「フィルム代のムダ!!」と母親から罵られつつも撮りに撮った当時の京葉線の電車。
これらも、いまやこの路線で見ることは叶わない車両たちなのである。

……  ……

写真を貼る前に一言。これから貼る写真は、鉄道撮影初心者の典型的な失敗例。
ファインダーを覗きながら、列車が思った位置に来る瞬間にシャッターを切る。
でも...、初心者が陥りがちなのは、列車の速さに焦ってしまって、かなり手前で
シャッターを切ってしまうこと。迫力がなく余白ばかりのダメダメな写真が撮れる。

それから、編成写真ならば前面と側面の比を考えながら、構図決めするのだが鉄則。
でも、できるだけ線路に近づこう...と考えるのも、初心者の典型的失敗パターン。
300ミリ、いやそれ以上のクラスの望遠レンズで“正面ドカン”を狙うなら良いが、
ガキの装備でそんなことは無理。結局、中途半端、余白ばかりの無様な写真になる。

そんな「初心者的失敗写真」を15枚近く貼ってしまおうという...、何とも酷い記事である。
冒頭に貼った、それから20年後の写真を見ていただければ、<変態ガキ鉄>も
少しは写真の腕が上がったと理解してもらえるだろうか。(← 今も初心者レベルだろ!!

さて、

01_199403_keiyo_yamanote_02.jpeg
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅

やって来たのは、葛西臨海公園駅のホーム先端だった。海に近い高架にある駅、
駅名の由来となった大きな公園...時折、楽しそうな声が聞こえてくる。
その中でカメラを構え続けた。

02_199403_keiyo_yamanote_03.jpeg
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅

まず、やって来たのはTDL臨の“ヌシ”、583系青森車「わくわくドリーム」号。
東北地方の日本海側各駅発着で運転される臨時団体寝台列車である。
日本海縦貫線 - 上越線 - 武蔵野線と経由し、遥か、舞浜までやって来る。
これを2012年に撮り直しに訪れたのが、上から2枚目。経年劣化もあって、
583系は6両だけを残すのみとなったのが、それも20年間での変化だった。

……  ……

ただ、583系「わくわくドリーム」号が一番手だったのは覚えているのだが、
そのあとの列車たちは...

ネガもちゃんと整理していなかったし、撮影メモもないから撮影順序すら分からないし...
「わくドリ」の時は順光、列車の顔に光が回っていて、他の写真では顔がまっ黒だったり。
東に向いてカメラを構える地点なので午前中順光ということか???

だとすると、列車の顔に光が回っているのは午前中、顔が黒いのは午後だろうけれど...

IMG_3616.JPG

撮影メモを書かないとダメだとは、いつも思うのだが...
カメラバッグにはメモ帳とボールペンが入っているのだが...

真っ白のまま帰宅することが殆どなのである。

ということで、このとき撮った列車たちを順不同にテキトーに。

……  ……

まずは、新潟支社の165系急行型電車。新潟地区で集客したTDLゆき団体だろうか。

03_199404_keiyo_yamanote_23.jpeg
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅

京葉線は東京駅に乗り入れているが、東京駅は地下ホーム。他線と線路はつながって
いない。新潟から来た列車は、浦和から武蔵野線をグルッと回って西船橋、
ここから京葉線を上ってくる。でも、折返しの都合上、舞浜で乗客を降ろしても
折返しのため、いったん東京駅まで回送されることになったいた。
後追いと普通に撮って、1本の列車を2度撮れるのだった。

04_199404_keiyo_yamanote_08.jpeg
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅

という訳で、新習志野の車庫に向かうために回送で折り返してきたところ。
すでに列車正面には光が回っていないが、<変態ガキ鉄>はお構いなし。

前3両、深緑色の窓回りは、長野-新潟を結んだ急行「赤倉」用の車両。
冒頭の写真の169系と同型(碓氷峠協調仕様の有無が違う)165系急行型電車。
当時の<変態ガキ鉄>が最も好きだった車両。後ろ3両は「ムーンライト」車。

165系「ムーンライト」色は、その最後の運用が新潟県内で運転された臨時快速「こころ」、
それを撮りに行った話題は以前ご紹介した(→ こちら)。

……  ……

いまなら、多分、シャッターを押さないような列車でも必死になって撮っていたのが
当時の<変態ガキ鉄>。当時の京葉線ではごく当たり前の存在の列車たちもしっかり
記録していた。そちらが、20年経つと“貴重な記録”になった。
でも、当時はそんなことを考えて居たわけではない。

05_199404_keiyo_yamanote_12.jpeg
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅

内房・外房特急のエース、255系「BOSOビューエクスプレス」
当時はまだアクアラインもなく房総半島の道路事情も悪く、近距離ではあったが
鉄道輸送がまだまだ強かった。バブル時代を感じさせる豪華仕様の特急電車は
分割民営化でサービス向上に努めていた頃のJR東日本の姿を感じさせる。
そして、この255系は、いまも千葉支社のエースの地位を保っている。

そんなわけで、明日も、20年前の春の1日、葛西臨海公園駅ホーム端で撮った写真たちを
ご紹介したい。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

[お知らせ]
<非鉄>ネタで気楽につくるサブブログ「金失いの道すがら」も
少しずつ再開していきます。こちらのリンクよりお越し下さい。
こちら → http://moha14722since1962.blog.so-net.ne.jp

nice!(39)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 39

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0