葛西臨海公園駅で<ガキ鉄>は一日中楽しんでいた(1994年頃の休日=後編) [アナログ写真保管庫]
日常風景というのはなかなかカメラを向けないもの。
だからこそ、それがなくなってしまった後になると、その分、懐かしさが増すのか。
普段からそういうものにもカメラを向けておけば良いのだが...
分かっていても、それをしないのは自分の性格かも知れない。
それで、「なくなる」と聞いて、慌てふためく...のである。まぁ学習能力のなさかも
知れないのだが、<鉄>活動でも、それは同じ。
【2009年4月16日15時17分】 中央線・東京駅
あと10年、20年経ったときには、単なる“試し撮り”のこんなカットを
「貴重な記録」とか曰うのだろうか。
昨日からご紹介している1994年4月の葛西臨海公園駅の話題も同じ。
このときは国鉄世代の急行型電車を狙っていたのだが、ついでに撮った通勤電車、
こちらも「貴重な記録」となった。
…… ……
今ならデジカメだから、試し撮りのカットは撮った後に液晶画面で構図を確認、
そしてヒストグラムで露出を確認した後は画像を削除してしまったり...
でも、フィルム時代。そんな画像も残っていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
この頃の京葉線の主力車は205系。赤い帯の205系電車。
当時は山手線をはじめ東京の大半の路線で主力だった通勤型電車である。
国鉄最末期に103系に変わる新型電車として登場、分割民営化後も引き続き製造された。
特にこの京葉線用は“顔”の部分のデザインを変更したタイプ。
どうやら「メルヘン顔」と呼ぶそうだ...と知ったのは最近のこと。
いまでは京葉線を去り、宇都宮地区のローカルで余生を過ごしている。
同じ顔のオレンジ色の帯の電車も走っていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
東京駅を出て、そこから東京湾に沿って西船橋に向かい、新松戸、武蔵浦和、東所沢を
経て府中本町まで、反時計回りに東京都心を遠巻きに一周するような経路。
そんな武蔵野線直通の快速電車だった。
…… ……
そして、この日のお目当ての列車はこちらだった。
長野支社管内には松本と長野の車両基地に多数の165・169系急行型電車が在籍。
そもそもは中央東線や信越本線の急行列車に使われていたが、当時は急行はなく
中央本線のローカル列車の他、長野県内の快速電車、団体列車に使われていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
前3両がローカル用の165系、後ろ3両は新幹線の廃車発生品のシートに交換された
快速電車用の編成。国鉄時代に急行「かもしか」用にグレードアップ、その際に
塗色変更したので「かもしか色」と呼ぶ人が多かったが、白地に緑の「N」、
長野の「N」をデザインした塗色から自分などは「Nストライプ」と呼んでいた。
【2013年4月4日11時08分】 しなの鉄道・戸倉-坂城
この塗色の編成の一部が、長野新幹線開業に伴って、しなの鉄道に譲渡された。
<変態鉄>は、2013年の引退までこれを何度も撮りに出かけたのである。
特に「Nストライプ」色を撮りたい...と、この日は、長野県内から2本の団体列車が
来る予定があり、出撃してきたのだったと記憶している。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
もう1本は、その塗色だけの3両編成。まずは団体客を下ろして、折返しのため
東京駅まで回送される様子を後追いで。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、東京駅から新習志野の車庫へ回送される様子をもう1回。
この撮り方で3両という短い編成だと、何ともバランスの悪い写真になるのである。
もうちょっと後ろに下がって、側面がちに撮った方が良かった。
そして、自分が憧れの「Nストライプ」を撮ったのはこれが最後だった。
長野オリンピックの開催が近づき、JR長野支社管内の列車のイメージアップのため、
白地に青のパステル調の「新長野色」への変更が急速に進められたのだった。
…… ……
成田エクスプレスの運行開始に伴って、それまで総武線・千葉経由だった房総特急も
すでに京葉線経由に移されていた。当時は全く注目されていなかった183系の特急。
しばらく前、この電車の引退時には「国鉄型特急電車」として大注目だったが...
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
「さざなみ」は内房線経由。<変態鉄>はこの3年ほど前、中学の臨海学校が
内房線の岩井だった。まだ、総武地下ホームに発着していた「さざなみ」に乗った。
君津までに短縮、グリーン車なしの5両編成に短縮された今となっては懐かしいが、
当時は9両編成が基本で、本数ももっと多かった。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、「わかしお」は外房線経由である。こちらも当時は9両編成。
引きつける前に“早撃ち”してしまったので、編成の長さがわかる写真になったのは
“ケガの功名”といったところか...
…… ……
午前中にはこんな列車もあった。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
急行「ワンダーランド」、日立始発だっただろうか、茨城県内の常磐線各駅を朝発って
ディズニーリゾートを目指す臨時急行列車。こちらは昨日の記事で紹介した
583系「わくわくドリーム」とは違い多客臨時の位置付けで、時刻表にも掲載された。
車両は勝田電車区の485系「ひたち」編成。この塗色は“似合わない”と思って
殆ど撮っていなかったのが、当時の<変態鉄>である。
その485系はE653系「フレッシュひたち」に置き換えられ、そして、そのE653系も
後継のE657系に置き換えられてしまった。ちなみに、E653系は新潟に転じて、
日本海沿いの特急列車に転用された。
…… ……
でも、いろいろ言っても、この日撮った車両の中で自分が一番「お世話になった」のは
この103系に違いない。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
当時、京葉線の鋼製電車(103系)は京浜東北線と同じ青色と決まっていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、武蔵野線直通はオレンジ色。低運転台103系、好きな車両で模型でも持っていたが、
それでもカメラを向けたことは手の指を折って数えられるくらいだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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だからこそ、それがなくなってしまった後になると、その分、懐かしさが増すのか。
普段からそういうものにもカメラを向けておけば良いのだが...
分かっていても、それをしないのは自分の性格かも知れない。
それで、「なくなる」と聞いて、慌てふためく...のである。まぁ学習能力のなさかも
知れないのだが、<鉄>活動でも、それは同じ。
【2009年4月16日15時17分】 中央線・東京駅
あと10年、20年経ったときには、単なる“試し撮り”のこんなカットを
「貴重な記録」とか曰うのだろうか。
昨日からご紹介している1994年4月の葛西臨海公園駅の話題も同じ。
このときは国鉄世代の急行型電車を狙っていたのだが、ついでに撮った通勤電車、
こちらも「貴重な記録」となった。
…… ……
今ならデジカメだから、試し撮りのカットは撮った後に液晶画面で構図を確認、
そしてヒストグラムで露出を確認した後は画像を削除してしまったり...
でも、フィルム時代。そんな画像も残っていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
この頃の京葉線の主力車は205系。赤い帯の205系電車。
当時は山手線をはじめ東京の大半の路線で主力だった通勤型電車である。
国鉄最末期に103系に変わる新型電車として登場、分割民営化後も引き続き製造された。
特にこの京葉線用は“顔”の部分のデザインを変更したタイプ。
どうやら「メルヘン顔」と呼ぶそうだ...と知ったのは最近のこと。
いまでは京葉線を去り、宇都宮地区のローカルで余生を過ごしている。
同じ顔のオレンジ色の帯の電車も走っていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
東京駅を出て、そこから東京湾に沿って西船橋に向かい、新松戸、武蔵浦和、東所沢を
経て府中本町まで、反時計回りに東京都心を遠巻きに一周するような経路。
そんな武蔵野線直通の快速電車だった。
…… ……
そして、この日のお目当ての列車はこちらだった。
長野支社管内には松本と長野の車両基地に多数の165・169系急行型電車が在籍。
そもそもは中央東線や信越本線の急行列車に使われていたが、当時は急行はなく
中央本線のローカル列車の他、長野県内の快速電車、団体列車に使われていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
前3両がローカル用の165系、後ろ3両は新幹線の廃車発生品のシートに交換された
快速電車用の編成。国鉄時代に急行「かもしか」用にグレードアップ、その際に
塗色変更したので「かもしか色」と呼ぶ人が多かったが、白地に緑の「N」、
長野の「N」をデザインした塗色から自分などは「Nストライプ」と呼んでいた。
【2013年4月4日11時08分】 しなの鉄道・戸倉-坂城
この塗色の編成の一部が、長野新幹線開業に伴って、しなの鉄道に譲渡された。
<変態鉄>は、2013年の引退までこれを何度も撮りに出かけたのである。
特に「Nストライプ」色を撮りたい...と、この日は、長野県内から2本の団体列車が
来る予定があり、出撃してきたのだったと記憶している。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
もう1本は、その塗色だけの3両編成。まずは団体客を下ろして、折返しのため
東京駅まで回送される様子を後追いで。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、東京駅から新習志野の車庫へ回送される様子をもう1回。
この撮り方で3両という短い編成だと、何ともバランスの悪い写真になるのである。
もうちょっと後ろに下がって、側面がちに撮った方が良かった。
そして、自分が憧れの「Nストライプ」を撮ったのはこれが最後だった。
長野オリンピックの開催が近づき、JR長野支社管内の列車のイメージアップのため、
白地に青のパステル調の「新長野色」への変更が急速に進められたのだった。
…… ……
成田エクスプレスの運行開始に伴って、それまで総武線・千葉経由だった房総特急も
すでに京葉線経由に移されていた。当時は全く注目されていなかった183系の特急。
しばらく前、この電車の引退時には「国鉄型特急電車」として大注目だったが...
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
「さざなみ」は内房線経由。<変態鉄>はこの3年ほど前、中学の臨海学校が
内房線の岩井だった。まだ、総武地下ホームに発着していた「さざなみ」に乗った。
君津までに短縮、グリーン車なしの5両編成に短縮された今となっては懐かしいが、
当時は9両編成が基本で、本数ももっと多かった。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、「わかしお」は外房線経由である。こちらも当時は9両編成。
引きつける前に“早撃ち”してしまったので、編成の長さがわかる写真になったのは
“ケガの功名”といったところか...
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急行「ワンダーランド」、日立始発だっただろうか、茨城県内の常磐線各駅を朝発って
ディズニーリゾートを目指す臨時急行列車。こちらは昨日の記事で紹介した
583系「わくわくドリーム」とは違い多客臨時の位置付けで、時刻表にも掲載された。
車両は勝田電車区の485系「ひたち」編成。この塗色は“似合わない”と思って
殆ど撮っていなかったのが、当時の<変態鉄>である。
その485系はE653系「フレッシュひたち」に置き換えられ、そして、そのE653系も
後継のE657系に置き換えられてしまった。ちなみに、E653系は新潟に転じて、
日本海沿いの特急列車に転用された。
…… ……
でも、いろいろ言っても、この日撮った車両の中で自分が一番「お世話になった」のは
この103系に違いない。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
当時、京葉線の鋼製電車(103系)は京浜東北線と同じ青色と決まっていた。
【1994年4月頃】 京葉線・葛西臨海公園駅
そして、武蔵野線直通はオレンジ色。低運転台103系、好きな車両で模型でも持っていたが、
それでもカメラを向けたことは手の指を折って数えられるくらいだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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青色の車両は昔の仙石線を思い出します。
by johncomeback (2015-03-23 07:57)
johncomebackさん
コメントありがとうございます。
仙石線は東日本で103系が最後まで活躍した線区の1つですね。
自分は、その時代以来、乗る機会に恵まれていません。
by あるまーき (2015-03-23 09:53)
懐かしいです。まだ待避線の無い時代の葛西臨海公園駅。当時の京葉線は待避線があるのは千葉みなと、新習志野、新浦安・・・?
葛西臨海公園に待避線が工事中は一時期現在の線形で分岐器も入れられてはいましたが通過線は施工されておらず快速がゆっくりと分岐を渡りホーム側を通過していました
by 京葉通勤族 (2015-03-23 10:51)
京葉通勤族さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
なるほど、調べてみると1995年頃に葛西臨海公園駅の待避線工事が行われたのですね。ということは、この写真はその工事が始まる直前だったと言うことなのですね。
走る列車も、駅の様子も変わってしまったようですが、コメントを拝見して、20年ぶりの“定点比較”に行ってみたくなりました。
ありがとうございました。
by あるまーき (2015-03-23 20:39)