2つの“まさか”が重なって!? [その他の鉄話]
今日、クラウドファンディングのメッセージ機能で、いすみ鉄道の前社長さんの
メッセージが出ていた。

【2011年4月8日12時33分】 いすみ鉄道・大多喜駅
やはり、以前、言われていたように5月の連休あけ、12日(日)の運転が
キハ52 125号車の“首都圏色”の見納めということになるのだそうだ。
5月中旬から6月にかけて塗装変更作業が行われるということで。
6月中旬頃に運用復帰と言うことで、アジサイのシーズンには辛うじて
間に合う...といった感じか。
ただ、これは「まさか」ではない。「聞いていたとおり」ということ。
そうではない。
まず、1つ目は...
…… ……
<変態鉄>のケータイに1件のショートメッセージ。ぬぁんと...
あの、Canon の修理センターから。日付変わって今日、27日の到着予定で
<変態鉄>のレンズを発送したという連絡。(クロネコの“代引”)

修理を依頼した時点では「5月10日頃完成予定」ということで...
それで慌てて覚悟を決めて、新しいズームレンズ、
EF100-400 f4.5-5.6L IS II USM を購入したのだった。先日、EOS RP とのコンビで
小湊鐵道線に“試し撮り”に出かけたことは、ご紹介した通り。
そのときに、“EOS 5D Mark Ⅲ”も同時に“試運転”したのだった。その結果、
5D Mk3 本体の動作にも問題は無かったようで。ということで、いまのところ
5月の“ことでん”には“28-300”の方を“帯同”させる予定で計画中。
いや、でも、超望遠400 mmは捨てられないわけで...
どちらのレンズを持っていくのか、ミラーレスか、一眼レフか...
出発の直前まで悩みに悩んでいそうなのである。
2つ目は...
これは<鉄>な話題。およぞ80年越しの願いが叶うということになるのだろうか!?

【2016年7月30日10時44分】 富山ライトレール線・富山駅北-インテック前
まだ公式発表はないものの、地元紙の報道によれば(→ 例えば、こちら)
JRから富山港線を引き継いだ、富山ライトレールが富山地鉄に吸収合併される
ことが決まったのだとか。
直接的な“引き金”は...

【2016年8月27日10時53分】 富山ライトレール線・富山駅北電停
いよいよ2020年3月に迫った、富山を走る路面電車の「南北接続工事」。
現在、駅北に発着している富山ライトレール線。「あいの風とやま鉄道」の富山駅
高架工事が先日完了し、地上にあった駅設備が急ピッチで撤去された。

【2016年3月19日6時19分】 富山地鉄市内軌道線・富山駅電停
そして、新幹線の開業に合わせて、新幹線の線路の真下まで延伸されている
富山地鉄市内軌道線を接続する工事が、まもなく。
そう、いまは「富山駅」電停はスイッチバック式の配線になっていて。

【2015年5月24日17時44分】 富山地鉄市内軌道線・富山駅電停
この工事用のフェンスが来春までに撤去されると言うこと。
それにより、駅を挟んで南北に分かれていた2つの路面電車が相互に乗り入れる形に
なるということ。この際に、「別会社の路線」という立場のままでは運賃も別計算
になってしまうなど割高感を与えることや、乗務員を含めた職員、あるいは車輌の
管理と二重になることのロスが大きいと判断するのは自然な流れ。
資本の上でも、あるいは現業でも開業以来、地鉄が深く関わっていたライトレール、
両線の接続を機に合併と言うことは何ら不思議なことでも無く。
でも、やはり、<変態鉄>としては...

【1991年8月15日】 富山港線(当時)・岩瀬浜駅
「富山地方鉄道」というのは戦時中に発足した会社。富山電鐵などいくつかの
私鉄の統合によってできたものである。一方、ライトレールの前身、JR富山港線は
いわゆる買収国電区間。1943年(昭和18年)に国有化されている。
富山から岩瀬浜までは8 kmほどの短い路線ではあるが、沿線には多くの大規模工場が
あって、戦時中、その工員輸送、貨物輸送のために重要な路線だったのである。
それまでは富岩鉄道という私鉄だった。とはいえ、国に買収される数年前には
すでに富山電鐵と強い結びつきにあり。

【2018年12月9日10時05分】 富山地鉄上滝不二越線・稲荷町駅
本当は「富山地鉄富岩線」としてダイコン電車が走っていたかも知れない訳で。
(戦中、戦後を通して地鉄は国に何度も払い下げを求めていたのだとか...)
現在の地鉄本線は富山駅からまっすぐ東に向かって、上市駅でスイッチバック。
針路を北に変えて滑川に入る手前で日本海沿いに出るルート。
それに対して、あいの風とやま鉄道...というか、北陸本線はちょうど稲荷公園の
あたりで針路を北に変え、地鉄と分かれて海岸の方へと向かい、水橋を経由して
滑川へと至る。

【2014年4月9日13時31分】 富山地鉄本線・中滑川駅
かつて地鉄にも、その海岸に近いルートの新線の構想があったという。
「地鉄海岸線」と呼ばれた路線。実は、その“名残”が数年前まで残っていた。
そう、取り壊された旧中滑川駅である。

【2013年1月11日12時43分】 富山地鉄本線・中滑川駅
旧駅時代、ホームは島式1面2線だったのだが...
改札を入ってすぐのところに薄暗くて、倉庫代わりのようになっていた
使われない階段と、その上に簡素な扉があった。

【2012年10月7日16時43分】 富山地鉄本線・中滑川駅
そう、幻の3番ホームがあったのである。駅構内だけは線路も敷かれていたが
本線とは結ばれておらず、たぶん電車が入線することは一度も無かったと思われる。
そして、リニューアル工事前の中滑川駅、その富山寄りには線路1本分の空き地が
続いていたのである。そう、地鉄海岸線の敷設にあたり用地買収まで済ませていた
のである。
ただし、この地鉄海岸線、国鉄富山港線になっていた富岩線の払い下げが叶った
としても、常願寺川に架橋しないといけないこと、富山駅の南側に位置する
電鉄富山駅と結ぶためには、富山駅の上に線路を敷いて国鉄北陸本線を乗り越える
必要があって、実現は相当困難だったとも思われるのである。

【2011年3月3日11時44分】 高山本線・婦中鵜坂-西富山(後追い)
その後、国鉄富山港線はJR西日本に承継され、末期には1~2時間間隔で
高山本線の間合い運用で、キハ120形単行が走るだけの閑散路線になって。
そんな“お荷物”となっていた路線がJRから富山市に譲られるような形で
ライトレールになって。
新幹線開業に合わせて富山駅が高架化されると、南北のレールが結ばれることに。
1943年の国有化以来、あの路線が地鉄の手に戻る...というのは<富山鉄>としては
「撮りに行かないわけにはいかない!!」と強く思うのである。
どうやら、駅北以北のライトレール線の区間には来年以降も、吊り掛け電車
デ7000形は入線しないというのがもっぱらの噂なのだが...
近々、「最後のポートラムを撮る」を敢行しようと思っている<変態鉄>
なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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【2011年4月8日12時33分】 いすみ鉄道・大多喜駅
やはり、以前、言われていたように5月の連休あけ、12日(日)の運転が
キハ52 125号車の“首都圏色”の見納めということになるのだそうだ。
5月中旬から6月にかけて塗装変更作業が行われるということで。
6月中旬頃に運用復帰と言うことで、アジサイのシーズンには辛うじて
間に合う...といった感じか。
ただ、これは「まさか」ではない。「聞いていたとおり」ということ。
そうではない。
まず、1つ目は...
…… ……
<変態鉄>のケータイに1件のショートメッセージ。ぬぁんと...
あの、Canon の修理センターから。日付変わって今日、27日の到着予定で
<変態鉄>のレンズを発送したという連絡。(クロネコの“代引”)
修理を依頼した時点では「5月10日頃完成予定」ということで...
それで慌てて覚悟を決めて、新しいズームレンズ、
EF100-400 f4.5-5.6L IS II USM を購入したのだった。先日、EOS RP とのコンビで
小湊鐵道線に“試し撮り”に出かけたことは、ご紹介した通り。
そのときに、“EOS 5D Mark Ⅲ”も同時に“試運転”したのだった。その結果、
5D Mk3 本体の動作にも問題は無かったようで。ということで、いまのところ
5月の“ことでん”には“28-300”の方を“帯同”させる予定で計画中。
いや、でも、超望遠400 mmは捨てられないわけで...
どちらのレンズを持っていくのか、ミラーレスか、一眼レフか...
出発の直前まで悩みに悩んでいそうなのである。
2つ目は...
これは<鉄>な話題。およぞ80年越しの願いが叶うということになるのだろうか!?
【2016年7月30日10時44分】 富山ライトレール線・富山駅北-インテック前
まだ公式発表はないものの、地元紙の報道によれば(→ 例えば、こちら)
JRから富山港線を引き継いだ、富山ライトレールが富山地鉄に吸収合併される
ことが決まったのだとか。
直接的な“引き金”は...
【2016年8月27日10時53分】 富山ライトレール線・富山駅北電停
いよいよ2020年3月に迫った、富山を走る路面電車の「南北接続工事」。
現在、駅北に発着している富山ライトレール線。「あいの風とやま鉄道」の富山駅
高架工事が先日完了し、地上にあった駅設備が急ピッチで撤去された。
【2016年3月19日6時19分】 富山地鉄市内軌道線・富山駅電停
そして、新幹線の開業に合わせて、新幹線の線路の真下まで延伸されている
富山地鉄市内軌道線を接続する工事が、まもなく。
そう、いまは「富山駅」電停はスイッチバック式の配線になっていて。
【2015年5月24日17時44分】 富山地鉄市内軌道線・富山駅電停
この工事用のフェンスが来春までに撤去されると言うこと。
それにより、駅を挟んで南北に分かれていた2つの路面電車が相互に乗り入れる形に
なるということ。この際に、「別会社の路線」という立場のままでは運賃も別計算
になってしまうなど割高感を与えることや、乗務員を含めた職員、あるいは車輌の
管理と二重になることのロスが大きいと判断するのは自然な流れ。
資本の上でも、あるいは現業でも開業以来、地鉄が深く関わっていたライトレール、
両線の接続を機に合併と言うことは何ら不思議なことでも無く。
でも、やはり、<変態鉄>としては...

【1991年8月15日】 富山港線(当時)・岩瀬浜駅
「富山地方鉄道」というのは戦時中に発足した会社。富山電鐵などいくつかの
私鉄の統合によってできたものである。一方、ライトレールの前身、JR富山港線は
いわゆる買収国電区間。1943年(昭和18年)に国有化されている。
富山から岩瀬浜までは8 kmほどの短い路線ではあるが、沿線には多くの大規模工場が
あって、戦時中、その工員輸送、貨物輸送のために重要な路線だったのである。
それまでは富岩鉄道という私鉄だった。とはいえ、国に買収される数年前には
すでに富山電鐵と強い結びつきにあり。
【2018年12月9日10時05分】 富山地鉄上滝不二越線・稲荷町駅
本当は「富山地鉄富岩線」としてダイコン電車が走っていたかも知れない訳で。
(戦中、戦後を通して地鉄は国に何度も払い下げを求めていたのだとか...)
現在の地鉄本線は富山駅からまっすぐ東に向かって、上市駅でスイッチバック。
針路を北に変えて滑川に入る手前で日本海沿いに出るルート。
それに対して、あいの風とやま鉄道...というか、北陸本線はちょうど稲荷公園の
あたりで針路を北に変え、地鉄と分かれて海岸の方へと向かい、水橋を経由して
滑川へと至る。
【2014年4月9日13時31分】 富山地鉄本線・中滑川駅
かつて地鉄にも、その海岸に近いルートの新線の構想があったという。
「地鉄海岸線」と呼ばれた路線。実は、その“名残”が数年前まで残っていた。
そう、取り壊された旧中滑川駅である。
【2013年1月11日12時43分】 富山地鉄本線・中滑川駅
旧駅時代、ホームは島式1面2線だったのだが...
改札を入ってすぐのところに薄暗くて、倉庫代わりのようになっていた
使われない階段と、その上に簡素な扉があった。
【2012年10月7日16時43分】 富山地鉄本線・中滑川駅
そう、幻の3番ホームがあったのである。駅構内だけは線路も敷かれていたが
本線とは結ばれておらず、たぶん電車が入線することは一度も無かったと思われる。
そして、リニューアル工事前の中滑川駅、その富山寄りには線路1本分の空き地が
続いていたのである。そう、地鉄海岸線の敷設にあたり用地買収まで済ませていた
のである。
ただし、この地鉄海岸線、国鉄富山港線になっていた富岩線の払い下げが叶った
としても、常願寺川に架橋しないといけないこと、富山駅の南側に位置する
電鉄富山駅と結ぶためには、富山駅の上に線路を敷いて国鉄北陸本線を乗り越える
必要があって、実現は相当困難だったとも思われるのである。
【2011年3月3日11時44分】 高山本線・婦中鵜坂-西富山(後追い)
その後、国鉄富山港線はJR西日本に承継され、末期には1~2時間間隔で
高山本線の間合い運用で、キハ120形単行が走るだけの閑散路線になって。
そんな“お荷物”となっていた路線がJRから富山市に譲られるような形で
ライトレールになって。
新幹線開業に合わせて富山駅が高架化されると、南北のレールが結ばれることに。
1943年の国有化以来、あの路線が地鉄の手に戻る...というのは<富山鉄>としては
「撮りに行かないわけにはいかない!!」と強く思うのである。
どうやら、駅北以北のライトレール線の区間には来年以降も、吊り掛け電車
デ7000形は入線しないというのがもっぱらの噂なのだが...
近々、「最後のポートラムを撮る」を敢行しようと思っている<変態鉄>
なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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