朽ちゆくナメクジと「キハ」(流山市総合運動公園の保存車)<後編> [保存車・廃線跡]
公園の保存車の話題で2日にわたって記事を書くと言うことは...
「ネタ切れ」、ここに極まれり...の感が強く。とはいえ、この日、カメラをもって
出歩いていたことを悔いるしか無くなっているのである。
それは趣味活動で無くて、仕事の方。やはり、休日返上で臨時出社しておけば
少しは進んでいたのだろうか。でも、よく晴れた休みの日に、
<鉄>活動を我慢して会社に行くのも、なかなか辛いものなのである。
ということであっても、ブログの方は引き続き、流山市総合運動公園の保存車。
【2018年11月29日13時03分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
まずは、ナメクジ...D51 14号機から。
…… ……
2018年11月29日(木)晴れ
昨日の記事で「ナメクジ」への思い入れをちょっと語ったわけだが...
ちょっと埃っぽくて、しかも高い柵で囲まれており。<鉄>としては寂しい気持ち
になるのだが、その理由というのが...
【2018年11月29日13時03分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
アスベスト問題である。そう、戦前製の車両だから...
それにしても「飛散の心配はない」、でも、「見学はフェンスの外から」という
対応が何とも言えない。<変態鉄>が今年で40歳、でも、国鉄で蒸気機関車の
(旅客列車での)定期運用が終了したのは、その少し前。最後は室蘭本線だった。
(百恵ちゃんが乗車したとか...そういう時代の話。)
ということは、公園に蒸気機関車が飾ってあっても、それを見て、現役時代を
知っているのは自分より上の世代、つまり、明確に「現役時代」の思い出を
もっているのは、たぶん、50代以上の皆さん。つまり、子どもも、その両親に
とっても蒸気機関車は“歴史の中の存在”であって、身近なものではないはず。
今の子どもから見れば、せいぜい「祖父、祖母の頃の乗り物」である。
このままでは、だんだん荒廃していって、関心も持たれなくなり、そのまま
朽ち果てていくだけ...という最悪のシナリオも考えられるような気がして。
貴重な初期型、「ナメクジ」機である。何とか、整備してピカピカになって
再公開して欲しいと願う次第。
【2018年11月29日12時59分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ちなみに、この個体は北海道での活躍が長く、最終配置は名寄機関区だった。
当然、当時はスノープローを装備していたはずで、なぜか取り外されて
展示されているのである。
柵の内部には、かつて自由に立ち入れた頃には多くの人に見られていたはず...
何枚かの説明看板が設置されているのがわかった。
【2018年11月29日13時00分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ただ、ありがたいことに機関車の略歴を示した説明板だけは、コピーが柵に。
1936年(昭和11年)に大阪の汽車会社で製造され、1973年(昭和48年)に名寄で
廃車になった、その経歴が簡潔にまとめられていた。1976年(昭和51年)に
この公園にやって来たのだとか。そうだとすると、現役が37年、静態保存車として
42年間、すでに現役より長くなっているのである。
【2018年11月29日13時15分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
さて、その隣には...
「キハ」が居るのである。
【2018年11月29日13時04分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ぬぁんと...
車体長 9 m、路面電車より小型の車両であり、4輪単車である。
フォードB型ガソリンエンジン、4気筒、たぶん20馬力程度の出力だったのでは!?
「キハ」...内燃動力車の黎明期の車両である。鉄道車両の床下に、クルマの
エンジンを付けた...という程度の車両だったものと思われる。
柵越しに見た説明看板によれば、昭和8年製造とのこと。
国鉄でも、ちょうど同じ頃にガソリン動車の開発が進められていたはず。
そんな中での導入だった。こちらは、地元の「流鉄」の前身、流山鉄道の車両。
でも、「キハ」とはいっても...
【2018年11月29日13時05分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
床下はスッキリしすぎなのである。戦後間もなく、1949年(昭和24年)流鉄の
電化に伴い、エンジンを下ろし、以降は電車に牽引される形で付随客車として活躍。
といっても、3年後の1952年には除籍されていると言うことだから、客車化して
からは、あまり活躍の場も無かったのかも知れない。
この「キハ」が製造された、1933年(昭和8年)と言えば、満州でのアレコレから
中国との戦争に進んでいく時期、まもなく内燃動力車は石油の不足のため
運転を見合わせるか、“代燃”改造が行われる。この車両も、まもなく
木炭や薪エンジンに換装されたらしいのだが、
やはり、出力がなくて苦労したのだとか...
残念ながら、そんな黎明期のエンジンも失われてしまっており、キハとしては...
写真をよく見れば、一部、客窓のガラスが欠損しているような感じで。
柵越しに見ても車体の傷みが目立っており、気がかりなところ。
こちらは、何と言っても郷土の車両なのだから、再整備を望みたいところ。
そんな保存車探訪だったのである。
…… ……
流山セントラルパーク駅に戻って、乗り込んだのは、もちろん秋葉原ゆき。
これで北千住まで戻れば...となるところだが、<変態鉄>が降り立ったのは...
【2018年11月29日13時47分】 東京都足立区六町付近
ぬぁんと...
その2つ前の六町駅。埼玉県を経て、東京都足立区に入ったところ。
なぜっ!?
【2018年11月29日14時07分】 東京都足立区一ツ家付近
その話題は後日、ご紹介するとして、六町駅から住宅街を10分ほど歩いて行けば
環七、環状七号線に出る。隣の靑井駅との中間付近に当たるのだが。
ここを左折、東へと進んでいけば、まもなく首都高の加平ICを通過する。
そのすぐ先には、東京メトロの北綾瀬駅。
千代田線などの電車が属する綾瀬検車区、常磐線と地下鉄千代田線の結節点となる
綾瀬駅からは2 kmほど北側に位置している。その引き込み線を旅客化したのが、
俗にいう「北綾瀬支線」。
“本線”である千代田線とは運転上は完全に分離され、3両編成の電車が往復
しており...。そう、かなり個性的な車両が配置され、ちょっとした注目路線だった。
【2018年11月29日15時01分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
5000系電車に続いて、東西線を追われた(?)、05系初期車がここで余生を送っており。
でも、とうとう、北綾瀬駅も「10両編成化工事」が始まっており。
ホーム端での写真撮影も難しい状況になっていた。
わざわざ、この駅から新宿へと向かうのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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「ネタ切れ」、ここに極まれり...の感が強く。とはいえ、この日、カメラをもって
出歩いていたことを悔いるしか無くなっているのである。
それは趣味活動で無くて、仕事の方。やはり、休日返上で臨時出社しておけば
少しは進んでいたのだろうか。でも、よく晴れた休みの日に、
<鉄>活動を我慢して会社に行くのも、なかなか辛いものなのである。
ということであっても、ブログの方は引き続き、流山市総合運動公園の保存車。
【2018年11月29日13時03分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
まずは、ナメクジ...D51 14号機から。
…… ……
2018年11月29日(木)晴れ
昨日の記事で「ナメクジ」への思い入れをちょっと語ったわけだが...
ちょっと埃っぽくて、しかも高い柵で囲まれており。<鉄>としては寂しい気持ち
になるのだが、その理由というのが...
【2018年11月29日13時03分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
アスベスト問題である。そう、戦前製の車両だから...
それにしても「飛散の心配はない」、でも、「見学はフェンスの外から」という
対応が何とも言えない。<変態鉄>が今年で40歳、でも、国鉄で蒸気機関車の
(旅客列車での)定期運用が終了したのは、その少し前。最後は室蘭本線だった。
(百恵ちゃんが乗車したとか...そういう時代の話。)
ということは、公園に蒸気機関車が飾ってあっても、それを見て、現役時代を
知っているのは自分より上の世代、つまり、明確に「現役時代」の思い出を
もっているのは、たぶん、50代以上の皆さん。つまり、子どもも、その両親に
とっても蒸気機関車は“歴史の中の存在”であって、身近なものではないはず。
今の子どもから見れば、せいぜい「祖父、祖母の頃の乗り物」である。
このままでは、だんだん荒廃していって、関心も持たれなくなり、そのまま
朽ち果てていくだけ...という最悪のシナリオも考えられるような気がして。
貴重な初期型、「ナメクジ」機である。何とか、整備してピカピカになって
再公開して欲しいと願う次第。
【2018年11月29日12時59分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ちなみに、この個体は北海道での活躍が長く、最終配置は名寄機関区だった。
当然、当時はスノープローを装備していたはずで、なぜか取り外されて
展示されているのである。
柵の内部には、かつて自由に立ち入れた頃には多くの人に見られていたはず...
何枚かの説明看板が設置されているのがわかった。
【2018年11月29日13時00分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ただ、ありがたいことに機関車の略歴を示した説明板だけは、コピーが柵に。
1936年(昭和11年)に大阪の汽車会社で製造され、1973年(昭和48年)に名寄で
廃車になった、その経歴が簡潔にまとめられていた。1976年(昭和51年)に
この公園にやって来たのだとか。そうだとすると、現役が37年、静態保存車として
42年間、すでに現役より長くなっているのである。
【2018年11月29日13時15分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
さて、その隣には...
「キハ」が居るのである。
【2018年11月29日13時04分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
ぬぁんと...
車体長 9 m、路面電車より小型の車両であり、4輪単車である。
フォードB型ガソリンエンジン、4気筒、たぶん20馬力程度の出力だったのでは!?
「キハ」...内燃動力車の黎明期の車両である。鉄道車両の床下に、クルマの
エンジンを付けた...という程度の車両だったものと思われる。
柵越しに見た説明看板によれば、昭和8年製造とのこと。
国鉄でも、ちょうど同じ頃にガソリン動車の開発が進められていたはず。
そんな中での導入だった。こちらは、地元の「流鉄」の前身、流山鉄道の車両。
でも、「キハ」とはいっても...
【2018年11月29日13時05分】 千葉県流山市・流山市総合運動公園
床下はスッキリしすぎなのである。戦後間もなく、1949年(昭和24年)流鉄の
電化に伴い、エンジンを下ろし、以降は電車に牽引される形で付随客車として活躍。
といっても、3年後の1952年には除籍されていると言うことだから、客車化して
からは、あまり活躍の場も無かったのかも知れない。
この「キハ」が製造された、1933年(昭和8年)と言えば、満州でのアレコレから
中国との戦争に進んでいく時期、まもなく内燃動力車は石油の不足のため
運転を見合わせるか、“代燃”改造が行われる。この車両も、まもなく
木炭や薪エンジンに換装されたらしいのだが、
やはり、出力がなくて苦労したのだとか...
残念ながら、そんな黎明期のエンジンも失われてしまっており、キハとしては...
写真をよく見れば、一部、客窓のガラスが欠損しているような感じで。
柵越しに見ても車体の傷みが目立っており、気がかりなところ。
こちらは、何と言っても郷土の車両なのだから、再整備を望みたいところ。
そんな保存車探訪だったのである。
…… ……
流山セントラルパーク駅に戻って、乗り込んだのは、もちろん秋葉原ゆき。
これで北千住まで戻れば...となるところだが、<変態鉄>が降り立ったのは...
【2018年11月29日13時47分】 東京都足立区六町付近
ぬぁんと...
その2つ前の六町駅。埼玉県を経て、東京都足立区に入ったところ。
なぜっ!?
【2018年11月29日14時07分】 東京都足立区一ツ家付近
その話題は後日、ご紹介するとして、六町駅から住宅街を10分ほど歩いて行けば
環七、環状七号線に出る。隣の靑井駅との中間付近に当たるのだが。
ここを左折、東へと進んでいけば、まもなく首都高の加平ICを通過する。
そのすぐ先には、東京メトロの北綾瀬駅。
千代田線などの電車が属する綾瀬検車区、常磐線と地下鉄千代田線の結節点となる
綾瀬駅からは2 kmほど北側に位置している。その引き込み線を旅客化したのが、
俗にいう「北綾瀬支線」。
“本線”である千代田線とは運転上は完全に分離され、3両編成の電車が往復
しており...。そう、かなり個性的な車両が配置され、ちょっとした注目路線だった。
【2018年11月29日15時01分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
5000系電車に続いて、東西線を追われた(?)、05系初期車がここで余生を送っており。
でも、とうとう、北綾瀬駅も「10両編成化工事」が始まっており。
ホーム端での写真撮影も難しい状況になっていた。
わざわざ、この駅から新宿へと向かうのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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50台ですが、現役のSLは全く記憶になく、旧国も記憶の角にチョコっと言う感じです。
まぁ今の世の中、(直接的な)経済性利便性優先なんで、保存とか保全とかは後回しでしょうね。
by フジトモ (2018-12-01 17:30)
フジトモさん
コメントありがとうございます。
昭和50年台に入ると同時に終焉を迎えた国鉄の蒸気機関車ですが
、それらも北海道が最後だったかと。昭和40年台には本州の多くでSLは廃止されていたはずですから、そう考えると60代以上の方でないと...ということになってしまうのでしょうか。
保存車は、最近ではボランティアによる修復...というのもありますから、何とか良い展開になってくれると良いのですが。
by ferrum_queserasera (2018-12-01 23:53)