北陸のディープ<鉄>を巡る旅(18)敦賀鉄道資料館 <後編>
やはり、いくつになっても“出撃”となるとコーフンするもの。
木曜日は朝一番で「みどりの窓口」へと向かう予定。といっても“時報打ち”
なんてお願いするような列車では無いはずだが、意外な人気列車である。
そう、10月13日の晩に東京駅を発つ特急寝台「サンライズ出雲」号である。
【2014年10月12日11時05分】 水島臨海鉄道水島本線・西富井駅
この2014年「鉄道の日」のイベント、台風が接近してくる中での“出撃”だった。
すぐ前の台風で東海道線が不通、急遽、スケジュールを変更して品川始発の
「のぞみ」号で駆けつけたのだった。
それ以来、毎年のように10月の「鉄道の日」は水島臨海鉄道を訪れている。
というわけで、今年も...
8月の旅行記を引っ張りながらも、10月の出撃を考えているのである。
そんな<変態鉄>、8月12日の午後は敦賀に居た。
…… ……
2018年8月12日(日)晴れのち曇り
【2018年8月12日14時55分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
国鉄時代、名古屋鉄道局の出先機関が置かれていたのも、敦賀という街が
鉄道の要衝だったことの証。
日露戦争を契機に、日本海に面した港町としてウラジオストクを結ぶ航路が
開設されて以来、
東京(鉄道)敦賀港(航路)ウラジオストク(シベリア鉄道)ヨーロッパ各地
というルートが確立されることになる。1912年(明治45年)のダイヤ改正で、
新橋-敦賀間に1・2等寝台車を連結した急行列車が新設された。中断も挟んで
第二次世界大戦が始まるまで約30年にわたって続けられたという。
ちなみに、東京-パリ間は17日前後だったとのこと。
【2018年8月12日15時00分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
それが「欧亜連絡列車」のスタートである。
「欧亜連絡」、名前は聞いたことがあったが、こうしていろいろな資料が展示
されていると、やはり、<鉄>として勉強になるのである。
【2018年8月12日15時00分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
中央に見える黄色い紙片は昭和初期の、その「欧亜連絡列車」のチケット。
券面には 東京 - ベルリン の文字。
「2等」のスタンプが押されている。この券片は第1枚目として、東京-敦賀間の
ものである。その横に置かれているのは、「欧亜連絡」最初期の時刻表。
【2018年8月12日14時59分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
そして、明治の頃、大魚連絡開設の少し前の時期ののパスポートである。
持ち主だろうか!? 滋賀県内の住所が書かれている。
この時代、敦賀の住民たちにとってはウラジオストクというのが、かなり身近...、
「下駄を履いて訪れる先」という認識だったようで。
ロシアから様々なものが敦賀へともたらされたという。
もちろん、敦賀が「鉄道の街」だったのは、そんな明治から戦前のことばかり
ではない。いまも北陸本線と小浜線が乗り入れる“要衝”。特に、北陸本線が
直流電化に変更されて以来、京阪神の“アーバンネットワーク”の北限ともなり。
【2018年8月12日15時02分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
小浜線の資料も展示されていて。ここからすぐのところに展示されているキハ28形
も、小浜線を走った急行「わかさ」号の姿を再現している。
北陸本線で「敦賀」といえば、ループ線あり、長大トンネルあり...
それは日本海に張り出すように聳える急峻な山々を克服していく歴史だった訳で。
【2018年8月12日15時04分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
曖昧にしか知らなかった“柳ヶ瀬越え”の歴史などもパネル展示を読みながら
“勉強”したのだった。
【2018年8月12日15時06分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
「三八豪雪」や「北陸本線列車火災」など災害や事故の歴史なども。
そして...
だんだん自分もよく知っている時代の展示へ。
【2018年8月12日15時07分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
パネルも鮮明なカラー写真が増えてきて。やはり、90年台、JR化直後、485系特急が
雁行していた時代が一番楽しかった。「スーパー雷鳥(サンダーバード)」という
のが、最初の頃は正式な列車名だった。
小さな資料館だったがアレコレと展示物を眺めるうち、予定の時間をオーバー
していた。敦賀駅へと戻る“周遊バス”は行ってしまった。
さぁ、あとは敦賀駅に戻るだけ...
だったが、外に出てみると...
キハを撮った14時半の時点でそうだった。空には大きな雲が湧き始めていた。
それがどんどん分厚くなってきて、15時を回ると外は急速に薄暗くなってきて、
風も吹き始めて。「これは、絶対に来る!!」と直感したのだった。
そう、ゲリラ雷雨。もういつ降り出してもおかしくない空模様。
…… ……
資料館に戻って、そのエントランスからケータイで周囲のタクシー会社へ。
1社目で断られたあと、2つ目に電話した会社で空車が。数分で迎えに来てくれた。
走るタクシーの車内から見ると敦賀というのも狭い街のようで。あっという間に
駅前に戻ったのだった。でも、不思議なもので...
降りそうだからタクシーにしたら、結局、雨は落ちてこないで。
【2018年8月12日15時52分】 北陸本線・敦賀駅
「JR西日本管内では最後」なのだそうだが、福井駅や敦賀駅にも自動改札機の
設置が始まるそうで。ちょうど改札口付近で工事中だった。
電子版で読んだ地元紙では「念願の~」のような書き方だったようだが、
<変態鉄>としては自動改札機というのは、何とも味気なくて、改札ラッチに
駅員さんがいる方が好きなのだが...
さぁ、あとは新大阪経由で東京に戻るだけ。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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木曜日は朝一番で「みどりの窓口」へと向かう予定。といっても“時報打ち”
なんてお願いするような列車では無いはずだが、意外な人気列車である。
そう、10月13日の晩に東京駅を発つ特急寝台「サンライズ出雲」号である。
【2014年10月12日11時05分】 水島臨海鉄道水島本線・西富井駅
この2014年「鉄道の日」のイベント、台風が接近してくる中での“出撃”だった。
すぐ前の台風で東海道線が不通、急遽、スケジュールを変更して品川始発の
「のぞみ」号で駆けつけたのだった。
それ以来、毎年のように10月の「鉄道の日」は水島臨海鉄道を訪れている。
というわけで、今年も...
8月の旅行記を引っ張りながらも、10月の出撃を考えているのである。
そんな<変態鉄>、8月12日の午後は敦賀に居た。
…… ……
2018年8月12日(日)晴れのち曇り
【2018年8月12日14時55分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
国鉄時代、名古屋鉄道局の出先機関が置かれていたのも、敦賀という街が
鉄道の要衝だったことの証。
日露戦争を契機に、日本海に面した港町としてウラジオストクを結ぶ航路が
開設されて以来、
東京(鉄道)敦賀港(航路)ウラジオストク(シベリア鉄道)ヨーロッパ各地
というルートが確立されることになる。1912年(明治45年)のダイヤ改正で、
新橋-敦賀間に1・2等寝台車を連結した急行列車が新設された。中断も挟んで
第二次世界大戦が始まるまで約30年にわたって続けられたという。
ちなみに、東京-パリ間は17日前後だったとのこと。
【2018年8月12日15時00分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
それが「欧亜連絡列車」のスタートである。
「欧亜連絡」、名前は聞いたことがあったが、こうしていろいろな資料が展示
されていると、やはり、<鉄>として勉強になるのである。
【2018年8月12日15時00分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
中央に見える黄色い紙片は昭和初期の、その「欧亜連絡列車」のチケット。
券面には 東京 - ベルリン の文字。
「2等」のスタンプが押されている。この券片は第1枚目として、東京-敦賀間の
ものである。その横に置かれているのは、「欧亜連絡」最初期の時刻表。
【2018年8月12日14時59分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
そして、明治の頃、大魚連絡開設の少し前の時期ののパスポートである。
持ち主だろうか!? 滋賀県内の住所が書かれている。
この時代、敦賀の住民たちにとってはウラジオストクというのが、かなり身近...、
「下駄を履いて訪れる先」という認識だったようで。
ロシアから様々なものが敦賀へともたらされたという。
もちろん、敦賀が「鉄道の街」だったのは、そんな明治から戦前のことばかり
ではない。いまも北陸本線と小浜線が乗り入れる“要衝”。特に、北陸本線が
直流電化に変更されて以来、京阪神の“アーバンネットワーク”の北限ともなり。
【2018年8月12日15時02分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
小浜線の資料も展示されていて。ここからすぐのところに展示されているキハ28形
も、小浜線を走った急行「わかさ」号の姿を再現している。
北陸本線で「敦賀」といえば、ループ線あり、長大トンネルあり...
それは日本海に張り出すように聳える急峻な山々を克服していく歴史だった訳で。
【2018年8月12日15時04分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
曖昧にしか知らなかった“柳ヶ瀬越え”の歴史などもパネル展示を読みながら
“勉強”したのだった。
【2018年8月12日15時06分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
「三八豪雪」や「北陸本線列車火災」など災害や事故の歴史なども。
そして...
だんだん自分もよく知っている時代の展示へ。
【2018年8月12日15時07分】 福井県敦賀市港町・敦賀鉄道資料館
パネルも鮮明なカラー写真が増えてきて。やはり、90年台、JR化直後、485系特急が
雁行していた時代が一番楽しかった。「スーパー雷鳥(サンダーバード)」という
のが、最初の頃は正式な列車名だった。
小さな資料館だったがアレコレと展示物を眺めるうち、予定の時間をオーバー
していた。敦賀駅へと戻る“周遊バス”は行ってしまった。
さぁ、あとは敦賀駅に戻るだけ...
だったが、外に出てみると...
キハを撮った14時半の時点でそうだった。空には大きな雲が湧き始めていた。
それがどんどん分厚くなってきて、15時を回ると外は急速に薄暗くなってきて、
風も吹き始めて。「これは、絶対に来る!!」と直感したのだった。
そう、ゲリラ雷雨。もういつ降り出してもおかしくない空模様。
…… ……
資料館に戻って、そのエントランスからケータイで周囲のタクシー会社へ。
1社目で断られたあと、2つ目に電話した会社で空車が。数分で迎えに来てくれた。
走るタクシーの車内から見ると敦賀というのも狭い街のようで。あっという間に
駅前に戻ったのだった。でも、不思議なもので...
降りそうだからタクシーにしたら、結局、雨は落ちてこないで。
【2018年8月12日15時52分】 北陸本線・敦賀駅
「JR西日本管内では最後」なのだそうだが、福井駅や敦賀駅にも自動改札機の
設置が始まるそうで。ちょうど改札口付近で工事中だった。
電子版で読んだ地元紙では「念願の~」のような書き方だったようだが、
<変態鉄>としては自動改札機というのは、何とも味気なくて、改札ラッチに
駅員さんがいる方が好きなのだが...
さぁ、あとは新大阪経由で東京に戻るだけ。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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