武蔵野に赤ツートンを追って(7)府中市立交通公園の保存車たち <前編> [保存車・廃線跡]
まだまだ続く1月31日の撮影記。でも、その前に...
相変わらずソネブロには、ちょっと困りもの。昨日の退社は零時を回った。
その帰り道、先日書いた通り「SIMのないタブレット」という不思議なヤツと
モバイルルーター、電車に乗ったら、そのヘンな組合せで拙ブログの管理ページに
アクセスするのが日課になっているのだが...。
ダメ。いつも拝見しているいくつかのブログはアクセスできたのだが、自分の
管理ページは何回やっても「ページが見つかりません」になってしまって。
昨晩は諦めて、帰宅後、早々に床に就いたのだった。
朝起きれば、やっぱり!!
http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2018-02-06?niced=1&time=1517880385
影響範囲の「一部の方」のひとりが自分だったと言うことで。
ソネブロの一部で、アクセス障害が起こっていたことが報告されていて。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
西武線の“赤電色”を撮り終えた後は、こちらも10年ぶり。
府中市の多摩川沿いにある市立交通公園へとやってきたのである。
…… ……
2018年1月31日(水)晴れ
交通公園の子ども向けのカート乗り場、その道路の真ん中に黄色い古い電車が。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
都電6000形6191号車である。やはり、府中まで来たのなら、この電車を見て帰らない
訳にはいかないと思ったのだった。約10年ぶりの訪問である。
終戦後すぐの時代、増大する輸送需要を支えたのが6000形。木造車からの
車体載せ替えでも、ほぼ同じ車体が採用されたので昭和40年台までの都電の写真を
見てみるとこのタイプの車体に溢れているのである。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
傍らにあった説明看板などで、この6191号車の車歴を振り返ると、
新製は日本車輌、1950年(昭和25年)11月15日のこと。
新製配置は翌11月16日付南千住車庫だったという。
その後、1970年(昭和45年)8月1日付で荒川車庫に転属になっている。
折しも都電の路線撤去が最終段階を迎えていた時期、現在の荒川線の区間に転じて
最後の活躍をして...、1978年(昭和53年)「荒川線近代化」でステップレス化された
ワンマン電車に統一されると、旧来のタイプの6000形電車は現役を退いた訳で。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
廃車後も荒川車庫で留置されていたところ、府中市に引き取られ...
(なぜか都電の廃車体は車庫に長期留置される例が少なくない
1981年(昭和56年)にこの公園にやって来たとのこと。
製造から廃車まで28年間、その後、保存車としてこの公園で既に36年目。
同型車の保存例としては、飛鳥山公園、南大塚公園、それより何より荒川車庫の
6086号車など、もともと両数の多かった形式だけあって保存例は少なくないのだが
とはいえ、都電の“路線撤去”も半世紀前のことになり、現存しているものでも
荒廃が進んでいる個体も見られ、高校生の時以来、<変態鉄>が撮ってきた中にも
すでに解体・撤去されたものもある。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
この府中市の6191号を初めて見たのも、高校生だった<変態ガキ鉄>が全国の
路面電車を撮り歩いていた1993年のこと。
当時、この6191号車も荒廃していた。救急車のような白地に赤帯の姿になっていて、
白い部分は腐食やカビだろうか濃緑色のものがたくさん張り付いていて。
その姿も撮っているのだが、当時のネガが見つからない...。
でも、その後、2006年からボランティアの手で継続的に修復作業が行われており、
2007年の訪問時には都電末期の黄色に赤帯の姿、本来の「6191」という車号も
入れられ...
それから10年だったのだが...
この間に再び荒廃したようで、再度、ボランティアによる修復作業が現在進行形...
の模様。自分もこういう保存車整備のボランティア活動には興味があるのだが
日時やアクセスの関係で、なかなか参加できることが無いのである。
【2018年1月31日13時17分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
その整備途上だから、だろうか、裏側(?)の車体側面には車番の標記が無く。
これから標記類の整備が行われるのだろうか!?
ということで再訪する必要がありそうな予感。
…… ……
さて、この府中市立交通公園、10年ぶりの訪問で、保存車が増えており...
【2018年1月31日13時17分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
発車待ちをしているのかと思ったら「展示車両」のプレート。
「ちゅうバス」というのは府中市のコミューター路線。これと同型のバスが
わが地元(?)、武蔵野市のコミューターバス「ムーバス」でも運転されていたはず。
この朝、吉祥寺駅まで乗ったのも、その「ムーバス」だったのである。
やはり、子どもたちにとっては身近な存在だからだろうか、車内外には多くの
親子連れが集まっていて、写真を撮るのもなかなか大変だったくらい。
それから、これは他の交通公園でも意外と見かけるのだが...
【2018年1月31日13時22分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
地元消防団で使われていたものだろうか、小型の消防車。
そして...
この府中市周辺の路線バスと言えば、何と言っても京王系の各社のバス。
【2018年1月31日13時21分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
でも、前に来たときは白い塗装のバス、それも前中後の3扉車が保存されていた
ように記憶しているのだが、いつの間にか、濃青色の現行塗装の車両に“世代交代”。
電車よりも車両更新が早いバスの場合、屋外での長期間の保存には向かないの
だろうか。
この公園、<鉄>として見ておかねばならない保存車が他にもあるのである。
明日の記事では、それらをご紹介したい。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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相変わらずソネブロには、ちょっと困りもの。昨日の退社は零時を回った。
その帰り道、先日書いた通り「SIMのないタブレット」という不思議なヤツと
モバイルルーター、電車に乗ったら、そのヘンな組合せで拙ブログの管理ページに
アクセスするのが日課になっているのだが...。
ダメ。いつも拝見しているいくつかのブログはアクセスできたのだが、自分の
管理ページは何回やっても「ページが見つかりません」になってしまって。
昨晩は諦めて、帰宅後、早々に床に就いたのだった。
朝起きれば、やっぱり!!
http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2018-02-06?niced=1&time=1517880385
影響範囲の「一部の方」のひとりが自分だったと言うことで。
ソネブロの一部で、アクセス障害が起こっていたことが報告されていて。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
西武線の“赤電色”を撮り終えた後は、こちらも10年ぶり。
府中市の多摩川沿いにある市立交通公園へとやってきたのである。
…… ……
2018年1月31日(水)晴れ
交通公園の子ども向けのカート乗り場、その道路の真ん中に黄色い古い電車が。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
都電6000形6191号車である。やはり、府中まで来たのなら、この電車を見て帰らない
訳にはいかないと思ったのだった。約10年ぶりの訪問である。
終戦後すぐの時代、増大する輸送需要を支えたのが6000形。木造車からの
車体載せ替えでも、ほぼ同じ車体が採用されたので昭和40年台までの都電の写真を
見てみるとこのタイプの車体に溢れているのである。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
傍らにあった説明看板などで、この6191号車の車歴を振り返ると、
新製は日本車輌、1950年(昭和25年)11月15日のこと。
新製配置は翌11月16日付南千住車庫だったという。
その後、1970年(昭和45年)8月1日付で荒川車庫に転属になっている。
折しも都電の路線撤去が最終段階を迎えていた時期、現在の荒川線の区間に転じて
最後の活躍をして...、1978年(昭和53年)「荒川線近代化」でステップレス化された
ワンマン電車に統一されると、旧来のタイプの6000形電車は現役を退いた訳で。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
廃車後も荒川車庫で留置されていたところ、府中市に引き取られ...
(なぜか都電の廃車体は車庫に長期留置される例が少なくない
1981年(昭和56年)にこの公園にやって来たとのこと。
製造から廃車まで28年間、その後、保存車としてこの公園で既に36年目。
同型車の保存例としては、飛鳥山公園、南大塚公園、それより何より荒川車庫の
6086号車など、もともと両数の多かった形式だけあって保存例は少なくないのだが
とはいえ、都電の“路線撤去”も半世紀前のことになり、現存しているものでも
荒廃が進んでいる個体も見られ、高校生の時以来、<変態鉄>が撮ってきた中にも
すでに解体・撤去されたものもある。
【2018年1月31日13時18分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
この府中市の6191号を初めて見たのも、高校生だった<変態ガキ鉄>が全国の
路面電車を撮り歩いていた1993年のこと。
当時、この6191号車も荒廃していた。救急車のような白地に赤帯の姿になっていて、
白い部分は腐食やカビだろうか濃緑色のものがたくさん張り付いていて。
その姿も撮っているのだが、当時のネガが見つからない...。
でも、その後、2006年からボランティアの手で継続的に修復作業が行われており、
2007年の訪問時には都電末期の黄色に赤帯の姿、本来の「6191」という車号も
入れられ...
それから10年だったのだが...
この間に再び荒廃したようで、再度、ボランティアによる修復作業が現在進行形...
の模様。自分もこういう保存車整備のボランティア活動には興味があるのだが
日時やアクセスの関係で、なかなか参加できることが無いのである。
【2018年1月31日13時17分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
その整備途上だから、だろうか、裏側(?)の車体側面には車番の標記が無く。
これから標記類の整備が行われるのだろうか!?
ということで再訪する必要がありそうな予感。
…… ……
さて、この府中市立交通公園、10年ぶりの訪問で、保存車が増えており...
【2018年1月31日13時17分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
発車待ちをしているのかと思ったら「展示車両」のプレート。
「ちゅうバス」というのは府中市のコミューター路線。これと同型のバスが
わが地元(?)、武蔵野市のコミューターバス「ムーバス」でも運転されていたはず。
この朝、吉祥寺駅まで乗ったのも、その「ムーバス」だったのである。
やはり、子どもたちにとっては身近な存在だからだろうか、車内外には多くの
親子連れが集まっていて、写真を撮るのもなかなか大変だったくらい。
それから、これは他の交通公園でも意外と見かけるのだが...
【2018年1月31日13時22分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
地元消防団で使われていたものだろうか、小型の消防車。
そして...
この府中市周辺の路線バスと言えば、何と言っても京王系の各社のバス。
【2018年1月31日13時21分】 東京都府中市矢崎町・府中市立交通公園
でも、前に来たときは白い塗装のバス、それも前中後の3扉車が保存されていた
ように記憶しているのだが、いつの間にか、濃青色の現行塗装の車両に“世代交代”。
電車よりも車両更新が早いバスの場合、屋外での長期間の保存には向かないの
だろうか。
この公園、<鉄>として見ておかねばならない保存車が他にもあるのである。
明日の記事では、それらをご紹介したい。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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