2017夏、中国地方へ(24)いま一番新しい?? [鉄分の濃い旅行記録]
<変態鉄>は、いまのゲーノーカイというところで、どんな方が活躍しているか...
そのあたり非常に疎いのである。
でも、この駅名の発表を聞いたときには...
さて、山間部の過疎化や学校の統廃合で、ローカル線の“最後の乗客”だった
沿線の高校生が消え、マイカーの普及と道路整備、そもそもの人口減少と高齢化。
中国地方の山間部をゆくJR西日本の路線にも“限界”に達していると思われる
路線は複数ある。
来春で三次(広島県)と江津(島根県)を結ぶ三江線が廃線になることが発表され
JR北海道でも“維持困難な路線”として、多くの区間が...
そのあたり、赤字ローカル線の維持をめぐる問題に関する議論や考察は、
もうちょっとマジメでちゃんとした<鉄>に譲ることにして、ここは<変態鉄>
として、もう少し気楽に行くのである。
【2017年9月2日8時50分】 可部線・あき亀山駅前
9月3日は「日本一の日」に決めている<変態鉄>(→ こちら)。
(拙ブログでは、引き続き、「過去記事に『nice!』、コメント歓迎キャンペーンを実施中です!!!)
今年は3日は無理だったので、1日に「日本一短い鉄道トンネル」、
2日には「(JRグループで)一番新しい区間」の真新しい終着駅を訪ねたのだった。
…… ……
2017年9月2日(土)晴れ
5泊分の着替えやパソコン、それから三脚。<変態鉄>の旅行バッグは特大サイズ。
土曜の朝とはいえ、通勤・通学客が居ないわけでは無く、そう考えればピーク時は
避けたいわけで、ちょっと早めにチェックアウト。
呉駅から乗ったのは、6:45発の広島ゆき普通。227系の車内は予想に反して閑散。
小屋浦駅で8分など、まとまった停車時間のある駅もあってノンビリした感じ。
でも、海田市駅で満員に。8時前の広島駅へ。
広島駅のホーム端にはカメラの砲列ができており...
「何なんだ!?」
聞けば、EF65電気機関車が12系客車を牽く臨時列車が通るのだったのだとか。
<鉄>でありながら、そういうJRの臨時列車の話題には疎い<変態鉄>である。
【2017年9月2日7時49分】 山陽本線・広島駅
コインロッカーに荷物を入れて(← 500円の大型ロッカーしか使えなくて...)、
可部線のホームへ。入ってきたのは113系末期色の4連。
その側面方向幕に表示された行き先が「あき...」!?
そう、やはりこの方を思い浮かべずには居られないのである。
ちなみに、調べてみたら、彼女の出身地は山形県なのだそうだ。
でも、この「あき」が「安芸」でなく平仮名書きというのにも深い訳が...
【2017年9月2日7時50分】 山陽本線・広島駅
さて、広島駅 8:01発の第757M列車、最後部のクハ111-2117は結構な乗車率。
前の日、広電を撮りに来た横川駅で山陽本線から別れると急カーブで進路を
北にかえ、太田川の流れに沿って北上していくのである。
…… ……
この「可部線」、1909年(明治42年)に当初は軌道として敷設、数年で可部まで
延伸される。昭和に入ってから改軌、電化され地方鉄道に姿を変え、
1931年(昭和6年)に広浜鉄道となる。
【2012年2月5日14時15分】 熊本電鉄菊地線・北熊本駅構内
ちなみに、この広浜鉄道の電車がいまも熊本電鉄に残されている(車籍は無し)。
拙ブログ初期に、その姿を紹介していた(→ こちら)。
(重要なので、もう一度言います!! 拙ブログでは、引き続き、「過去記事に『nice!』、コメント歓迎キャンペーンを実施中です!!!)
その後、戦時中に買収され国鉄に編入された。
先日、ご紹介した小湊鐵道キハ5800と同様、こちらも“買収国電”なのである。
でも、ただの買収国電区間では無いのが、この可部線の話の難しさ!?
実際には複雑な経緯があるのだが、広島市内の横川-可部間の約15 kmが買収区間、
そこからさらに北へ、“陰陽連絡鉄道”の1つとして山陰本線の浜田駅まで
繋がることになり、国有化後、その建設工事が進められた。
【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅
広島と島根の県境に近い、太田川上流の景勝地・三段峡駅まで開業したのは
1969年(昭和44年)のこと。延伸区間は太田川に沿って走る典型的なローカル線。
キハが1日に数往復するだけの閑散区間だった。
早くも1968年(昭和43年)には、すでに開業していた可部-加計間が、
「赤字83路線」として“廃止勧告”まで受けていた。
【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅
1998年“乗りつぶし”の一環として、三段峡まで単純往復した<変態鉄>、
当時のメモには、「単調な車窓で詰まらなかった」という趣旨の記述。
あまり印象にも残らなかったのである。
買収区間は広島市街地に近い15 km、住宅密集地を電車は日中20分間隔の
パターンダイヤ。新線区間は1日数往復のローカル線45 kmあまり。
何度か廃線が話題になったのだが、2003年(平成15年)、とうとう
延伸区間の可部-三段峡間が廃線となったのである。
ただし、地元自治体などからは鉄道存続を求める声もあり、それらに配慮して
「惜別イベント」のようなものも、かなり控えめな内容になった。
廃止直後には「太田川流域鉄道」として“復活”させようなどとする取り組みも
行われ、その会社も設立されるに至ったが、やはり、事業の採算性を考えると
実現可能性は無く...
【2012年6月3日14時54分】 広島県安芸太田町・旧加計駅構内
かなりの紆余曲折の末、地域の交流施設や道路拡幅用地に転用される形で
廃線の数年後には鉄道施設の撤去が行われた。
…… ……
ただし、可部駅は広島市安佐北区の住宅密集地。
広島市というのは太田川河口付近のわずかな平地にできた街でもあり、中心部を
離れるとすぐに山間部になる。その山の斜面にへばりつくように住宅がビッシリと
密集しているのが、広島市郊外で見られる風景。それが災いして、数年前には
大規模な土砂災害も起こっている。その現場も、この可部線の沿線だった。
太田川に沿った非常に狭い範囲に集中しているので、可部駅周辺の人口は多く、
ここから路線バスかJR可部線で広島市中心部に通う人も多く。廃線直後から
可部駅から2 kmほどの区間については具体的に“復活”が論じられていた。
【2017年9月2日8時57分】 広島市安佐北区亀山南付近
国鉄・JRを通じて、全国で初めて、いったん廃線となった区間が“復活”したのが
可部-あき亀山間の1.6 kmあまり。旧区間に「安芸亀山駅」があったのが、
今回の“復活”区間の新駅が「あき亀山」になった理由だと思われる。
…… ……
8:01に広島駅を離れた、あき亀山ゆきは太田川に沿って走るのだが...
さすが私鉄買収区間、というのは駅間の短さ。加速するまでも無く次の駅に
到着する。でも、市街地ということもあってか“私鉄らしさ”を感じられるような
施設などは見つけられなかった。あえていえば、梅林駅の駅舎がちょっと
私鉄風の感じだっただろうか。
だんだん、乗客が少なくなっていくのは“想定の範囲内”。残っていた乗客も
ほとんどが可部駅まで。
【2017年9月2日8時48分】 可部線・あき亀山駅
開業区間に入ると最後部クハの車内は自分ともう1人だけ。その彼も雰囲気からして
“同業者さん”。車内はちょっと心配になるくらい閑散となって。
終点のあき亀山駅で降りたのは、自分を含めても手の指を折って数えられる位。
その真新しい終着駅は、ICカード乗車券の簡易改札機が置かれただけの無人駅。
留置線は保線用モーターカーが居る程度。
ホントに何も無いのである。
でも、この駅からちょっと離れたところに...
事前にソネブロ<鉄>系の皆さんの訪問記や、その他、ネットで“予習”して
おいたのが、ここで役立つ訳で...
【2017年9月2日8時48分】 可部線・あき亀山駅
駅前の道を進めば、折返し待ちをしている113系を車止め越しに撮ることができて。
その先である。
【2017年9月2日8時57分】 広島市安佐北区亀山南付近
川沿いの丘陵地にある訳で、どちらに行くにせよ急な上り坂。
振り返って1枚。架線柱が見えているのが分かる。
さぁ、向かった先は... (つづく)
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そのあたり非常に疎いのである。
でも、この駅名の発表を聞いたときには...
さて、山間部の過疎化や学校の統廃合で、ローカル線の“最後の乗客”だった
沿線の高校生が消え、マイカーの普及と道路整備、そもそもの人口減少と高齢化。
中国地方の山間部をゆくJR西日本の路線にも“限界”に達していると思われる
路線は複数ある。
来春で三次(広島県)と江津(島根県)を結ぶ三江線が廃線になることが発表され
JR北海道でも“維持困難な路線”として、多くの区間が...
そのあたり、赤字ローカル線の維持をめぐる問題に関する議論や考察は、
もうちょっとマジメでちゃんとした<鉄>に譲ることにして、ここは<変態鉄>
として、もう少し気楽に行くのである。
【2017年9月2日8時50分】 可部線・あき亀山駅前
9月3日は「日本一の日」に決めている<変態鉄>(→ こちら)。
(拙ブログでは、引き続き、「過去記事に『nice!』、コメント歓迎キャンペーンを実施中です!!!)
今年は3日は無理だったので、1日に「日本一短い鉄道トンネル」、
2日には「(JRグループで)一番新しい区間」の真新しい終着駅を訪ねたのだった。
…… ……
2017年9月2日(土)晴れ
5泊分の着替えやパソコン、それから三脚。<変態鉄>の旅行バッグは特大サイズ。
土曜の朝とはいえ、通勤・通学客が居ないわけでは無く、そう考えればピーク時は
避けたいわけで、ちょっと早めにチェックアウト。
呉駅から乗ったのは、6:45発の広島ゆき普通。227系の車内は予想に反して閑散。
小屋浦駅で8分など、まとまった停車時間のある駅もあってノンビリした感じ。
でも、海田市駅で満員に。8時前の広島駅へ。
広島駅のホーム端にはカメラの砲列ができており...
「何なんだ!?」
聞けば、EF65電気機関車が12系客車を牽く臨時列車が通るのだったのだとか。
<鉄>でありながら、そういうJRの臨時列車の話題には疎い<変態鉄>である。
【2017年9月2日7時49分】 山陽本線・広島駅
コインロッカーに荷物を入れて(← 500円の大型ロッカーしか使えなくて...)、
可部線のホームへ。入ってきたのは113系末期色の4連。
その側面方向幕に表示された行き先が「あき...」!?
そう、やはりこの方を思い浮かべずには居られないのである。
ちなみに、調べてみたら、彼女の出身地は山形県なのだそうだ。
でも、この「あき」が「安芸」でなく平仮名書きというのにも深い訳が...
【2017年9月2日7時50分】 山陽本線・広島駅
さて、広島駅 8:01発の第757M列車、最後部のクハ111-2117は結構な乗車率。
前の日、広電を撮りに来た横川駅で山陽本線から別れると急カーブで進路を
北にかえ、太田川の流れに沿って北上していくのである。
…… ……
この「可部線」、1909年(明治42年)に当初は軌道として敷設、数年で可部まで
延伸される。昭和に入ってから改軌、電化され地方鉄道に姿を変え、
1931年(昭和6年)に広浜鉄道となる。
【2012年2月5日14時15分】 熊本電鉄菊地線・北熊本駅構内
ちなみに、この広浜鉄道の電車がいまも熊本電鉄に残されている(車籍は無し)。
拙ブログ初期に、その姿を紹介していた(→ こちら)。
(重要なので、もう一度言います!! 拙ブログでは、引き続き、「過去記事に『nice!』、コメント歓迎キャンペーンを実施中です!!!)
その後、戦時中に買収され国鉄に編入された。
先日、ご紹介した小湊鐵道キハ5800と同様、こちらも“買収国電”なのである。
でも、ただの買収国電区間では無いのが、この可部線の話の難しさ!?
実際には複雑な経緯があるのだが、広島市内の横川-可部間の約15 kmが買収区間、
そこからさらに北へ、“陰陽連絡鉄道”の1つとして山陰本線の浜田駅まで
繋がることになり、国有化後、その建設工事が進められた。
【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅
広島と島根の県境に近い、太田川上流の景勝地・三段峡駅まで開業したのは
1969年(昭和44年)のこと。延伸区間は太田川に沿って走る典型的なローカル線。
キハが1日に数往復するだけの閑散区間だった。
早くも1968年(昭和43年)には、すでに開業していた可部-加計間が、
「赤字83路線」として“廃止勧告”まで受けていた。
【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅
1998年“乗りつぶし”の一環として、三段峡まで単純往復した<変態鉄>、
当時のメモには、「単調な車窓で詰まらなかった」という趣旨の記述。
あまり印象にも残らなかったのである。
買収区間は広島市街地に近い15 km、住宅密集地を電車は日中20分間隔の
パターンダイヤ。新線区間は1日数往復のローカル線45 kmあまり。
何度か廃線が話題になったのだが、2003年(平成15年)、とうとう
延伸区間の可部-三段峡間が廃線となったのである。
ただし、地元自治体などからは鉄道存続を求める声もあり、それらに配慮して
「惜別イベント」のようなものも、かなり控えめな内容になった。
廃止直後には「太田川流域鉄道」として“復活”させようなどとする取り組みも
行われ、その会社も設立されるに至ったが、やはり、事業の採算性を考えると
実現可能性は無く...
【2012年6月3日14時54分】 広島県安芸太田町・旧加計駅構内
かなりの紆余曲折の末、地域の交流施設や道路拡幅用地に転用される形で
廃線の数年後には鉄道施設の撤去が行われた。
…… ……
ただし、可部駅は広島市安佐北区の住宅密集地。
広島市というのは太田川河口付近のわずかな平地にできた街でもあり、中心部を
離れるとすぐに山間部になる。その山の斜面にへばりつくように住宅がビッシリと
密集しているのが、広島市郊外で見られる風景。それが災いして、数年前には
大規模な土砂災害も起こっている。その現場も、この可部線の沿線だった。
太田川に沿った非常に狭い範囲に集中しているので、可部駅周辺の人口は多く、
ここから路線バスかJR可部線で広島市中心部に通う人も多く。廃線直後から
可部駅から2 kmほどの区間については具体的に“復活”が論じられていた。
【2017年9月2日8時57分】 広島市安佐北区亀山南付近
国鉄・JRを通じて、全国で初めて、いったん廃線となった区間が“復活”したのが
可部-あき亀山間の1.6 kmあまり。旧区間に「安芸亀山駅」があったのが、
今回の“復活”区間の新駅が「あき亀山」になった理由だと思われる。
…… ……
8:01に広島駅を離れた、あき亀山ゆきは太田川に沿って走るのだが...
さすが私鉄買収区間、というのは駅間の短さ。加速するまでも無く次の駅に
到着する。でも、市街地ということもあってか“私鉄らしさ”を感じられるような
施設などは見つけられなかった。あえていえば、梅林駅の駅舎がちょっと
私鉄風の感じだっただろうか。
だんだん、乗客が少なくなっていくのは“想定の範囲内”。残っていた乗客も
ほとんどが可部駅まで。
【2017年9月2日8時48分】 可部線・あき亀山駅
開業区間に入ると最後部クハの車内は自分ともう1人だけ。その彼も雰囲気からして
“同業者さん”。車内はちょっと心配になるくらい閑散となって。
終点のあき亀山駅で降りたのは、自分を含めても手の指を折って数えられる位。
その真新しい終着駅は、ICカード乗車券の簡易改札機が置かれただけの無人駅。
留置線は保線用モーターカーが居る程度。
ホントに何も無いのである。
でも、この駅からちょっと離れたところに...
事前にソネブロ<鉄>系の皆さんの訪問記や、その他、ネットで“予習”して
おいたのが、ここで役立つ訳で...
【2017年9月2日8時48分】 可部線・あき亀山駅
駅前の道を進めば、折返し待ちをしている113系を車止め越しに撮ることができて。
その先である。
【2017年9月2日8時57分】 広島市安佐北区亀山南付近
川沿いの丘陵地にある訳で、どちらに行くにせよ急な上り坂。
振り返って1枚。架線柱が見えているのが分かる。
さぁ、向かった先は... (つづく)
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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