赤いパンツが撮りたくて(2003年 島原キハ撮影記)(2)干拓地のキハ [アナログ写真保管庫]
忙しかった上に体調を崩してしまって...、例年にもまして大変だった夏休み期間も
自分の仕事も今日で一段落。24日まで連勤は続くものの、自分の忙しさのは終了。
来週の今頃は西日本のあの街で<鉄>活動に...
【2002年2月22日】 島原鉄道線・愛野駅
さて、青春18きっぷでの日帰り旅の模様も書き終え、再びのこのシリーズ。
2003年春、当時、学生だった<変態鉄>がこの年の春だけで2回も訪れたのは
島原鉄道。当時は諫早から島原を経て加津佐までのびる風光明媚なローカル私鉄
だった。確かに九州は遠かったが、なぜもっと訪問しておかなかったのか、
今となってはもったいないと思うばかり。
…… ……
2003年2月21日(金)晴れ
島原城址と武家屋敷を散策した(→ こちら)後は、やはり、島鉄キハを撮らないと。
島原鉄道といえば、有明海の干拓地をバックにした雄大な景色の中を走るキハを
撮る撮影地が当時、いくつも紹介されていた。
その中で、本などでもよく見かけたのが、それは南島原駅の諫早方、駅構内外れの
踏切付近から狙う構図。やはり、その「干拓地のキハ」は島原に来たなら
撮っておかないと。
と言うわけで...
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
ボートや小型漁船が係留された、駅至近とは思えないような長閑な景色を走る
2500形単行。この当時、加津佐方面への直通列車の大半は、この黄色い新型車の
ワンマン運転だった。
この列車を撮ったのは14時過ぎ頃。撮り始めて間もなく、やってきた地元の爺さんに
話しかけられたことを、15年経った今でも、そこだけ鮮明に覚えている。
訛りの強い話し方で、ほとんど意味は分からなかったが、なぜか<鉄>活動を
していることを非常に叱られたような...、何というか、遠くの街を訪れて
そこの史跡や名所も見学もせずに汽車の写真ばかり撮って...というような趣旨の
ことをいわれて、説教されていたような、そんな記憶が残っている。
ちなみに、前話で書いたように(今とは違って)この日は島原城や武家屋敷を
巡ってきたのだったが、それを話しても信じてもらえなかったというか、
聞く耳持たず...話が通じなかった。それで結構、難儀した記憶がある。
結局、その爺さん、カメラを構える<変態鉄>のすぐヨコで段ボール箱やら
いろいろなゴミを集めて燃やし始めたのだった。
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
南島原駅 15:10発の諫早ゆきがキハ20形の2連。国鉄色に塗り戻された車輌も
含めて多様な塗色が楽しめた当時の島鉄キハ20。
そういう車輌の登場を期待したのだが、一番、一般的な当時の標準色だった。
そう、この塗色が15年後に「赤パンツ」として島鉄から商品化されることに
なろうとは、当時、全く思わなかったのである。
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
次の諫早ゆきが、16:02発。こちらは黄色いキハ2500での運転だった。
黄色い新型車はワンマン対応、キハ20は車掌が乗務する列車に充当されていた。
南島原駅の改札口掲示の時刻表で、16:02発も2両・車掌乗務と知っていたので
こちらもキハ20形だと期待して待っていたのに...嗚呼。
でも、上の写真と見比べていただきたい。係留されている船を見ればわかる通り、
15時と16時、わずか1時間の間隔で撮影した同じ地点の写真だが、海の水が。
どうやら15時頃が満潮だったのだろうか、海の水は激しい勢いで引いていった
ということが、当時のメモにも書かれていた。
南島原駅の窓口で尋ねてみると、次にキハ20形が入る運用は18:35発の諫早ゆき。
ということで、16:31発の諫早ゆき。黄色い新型車2両編成だった。
諫早駅に到着すると、運転士さんにお願いしてきっぷをもらったのだった。
そう、当時、諫早駅はJRとの“共同使用駅”のような感じになっていて、
確か、こちらは島鉄の駅職員は配置されていなかった。
島鉄にとっては1つ隣の「本諫早」駅の方が“主要駅”といった位置づけだった。
この日は、特急「白いかもめ」で長崎のホテルに戻ったのだった。
…… ……
2003年2月22日(土)雨
当時、島鉄では標準色、いわゆる「赤パンツ」だけでは無く、
髭付きの「島鉄急行色」といった自社の過去のカラーリングの他、
国鉄色に塗り戻されたキハもあって。そのうち、一番人気(?)だった
旧国鉄一般型気動車色、朱色とクリーム色のツートンカラーに塗られたキハは
一部、土休日の固定運用が設定されており、その1つに
第107列車 諫早 7:36 → 島原外港
という列車があった。これに乗りたくて、朝7時のキハ67系快速で。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
そんな雨のホームに入ってきたのがキハ2016号車だった。
それにしても、生憎の空模様。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・キハ2016号車内
でも、だからだろうか、同業者さんを見かけることも少なく。
キハ20形は当初から半室運転台構造、助士席側はパイプ上の仕切りがあるだけで
前面展望可能。その最前列の座席を確保した<変態鉄>だった。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
空模様は残念だが、でも、長い“キハ旅”が始まるのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
自分の仕事も今日で一段落。24日まで連勤は続くものの、自分の忙しさのは終了。
来週の今頃は西日本のあの街で<鉄>活動に...
【2002年2月22日】 島原鉄道線・愛野駅
さて、青春18きっぷでの日帰り旅の模様も書き終え、再びのこのシリーズ。
2003年春、当時、学生だった<変態鉄>がこの年の春だけで2回も訪れたのは
島原鉄道。当時は諫早から島原を経て加津佐までのびる風光明媚なローカル私鉄
だった。確かに九州は遠かったが、なぜもっと訪問しておかなかったのか、
今となってはもったいないと思うばかり。
…… ……
2003年2月21日(金)晴れ
島原城址と武家屋敷を散策した(→ こちら)後は、やはり、島鉄キハを撮らないと。
島原鉄道といえば、有明海の干拓地をバックにした雄大な景色の中を走るキハを
撮る撮影地が当時、いくつも紹介されていた。
その中で、本などでもよく見かけたのが、それは南島原駅の諫早方、駅構内外れの
踏切付近から狙う構図。やはり、その「干拓地のキハ」は島原に来たなら
撮っておかないと。
と言うわけで...
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
ボートや小型漁船が係留された、駅至近とは思えないような長閑な景色を走る
2500形単行。この当時、加津佐方面への直通列車の大半は、この黄色い新型車の
ワンマン運転だった。
この列車を撮ったのは14時過ぎ頃。撮り始めて間もなく、やってきた地元の爺さんに
話しかけられたことを、15年経った今でも、そこだけ鮮明に覚えている。
訛りの強い話し方で、ほとんど意味は分からなかったが、なぜか<鉄>活動を
していることを非常に叱られたような...、何というか、遠くの街を訪れて
そこの史跡や名所も見学もせずに汽車の写真ばかり撮って...というような趣旨の
ことをいわれて、説教されていたような、そんな記憶が残っている。
ちなみに、前話で書いたように(今とは違って)この日は島原城や武家屋敷を
巡ってきたのだったが、それを話しても信じてもらえなかったというか、
聞く耳持たず...話が通じなかった。それで結構、難儀した記憶がある。
結局、その爺さん、カメラを構える<変態鉄>のすぐヨコで段ボール箱やら
いろいろなゴミを集めて燃やし始めたのだった。
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
南島原駅 15:10発の諫早ゆきがキハ20形の2連。国鉄色に塗り戻された車輌も
含めて多様な塗色が楽しめた当時の島鉄キハ20。
そういう車輌の登場を期待したのだが、一番、一般的な当時の標準色だった。
そう、この塗色が15年後に「赤パンツ」として島鉄から商品化されることに
なろうとは、当時、全く思わなかったのである。
【2002年2月21日】 島原鉄道線・島鉄本社前-南島原
次の諫早ゆきが、16:02発。こちらは黄色いキハ2500での運転だった。
黄色い新型車はワンマン対応、キハ20は車掌が乗務する列車に充当されていた。
南島原駅の改札口掲示の時刻表で、16:02発も2両・車掌乗務と知っていたので
こちらもキハ20形だと期待して待っていたのに...嗚呼。
でも、上の写真と見比べていただきたい。係留されている船を見ればわかる通り、
15時と16時、わずか1時間の間隔で撮影した同じ地点の写真だが、海の水が。
どうやら15時頃が満潮だったのだろうか、海の水は激しい勢いで引いていった
ということが、当時のメモにも書かれていた。
南島原駅の窓口で尋ねてみると、次にキハ20形が入る運用は18:35発の諫早ゆき。
ということで、16:31発の諫早ゆき。黄色い新型車2両編成だった。
諫早駅に到着すると、運転士さんにお願いしてきっぷをもらったのだった。
そう、当時、諫早駅はJRとの“共同使用駅”のような感じになっていて、
確か、こちらは島鉄の駅職員は配置されていなかった。
島鉄にとっては1つ隣の「本諫早」駅の方が“主要駅”といった位置づけだった。
この日は、特急「白いかもめ」で長崎のホテルに戻ったのだった。
…… ……
2003年2月22日(土)雨
当時、島鉄では標準色、いわゆる「赤パンツ」だけでは無く、
髭付きの「島鉄急行色」といった自社の過去のカラーリングの他、
国鉄色に塗り戻されたキハもあって。そのうち、一番人気(?)だった
旧国鉄一般型気動車色、朱色とクリーム色のツートンカラーに塗られたキハは
一部、土休日の固定運用が設定されており、その1つに
第107列車 諫早 7:36 → 島原外港
という列車があった。これに乗りたくて、朝7時のキハ67系快速で。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
そんな雨のホームに入ってきたのがキハ2016号車だった。
それにしても、生憎の空模様。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・キハ2016号車内
でも、だからだろうか、同業者さんを見かけることも少なく。
キハ20形は当初から半室運転台構造、助士席側はパイプ上の仕切りがあるだけで
前面展望可能。その最前列の座席を確保した<変態鉄>だった。
【2002年2月22日】 島原鉄道線・諫早駅
空模様は残念だが、でも、長い“キハ旅”が始まるのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
コメント 0