臨鉄キハに会いに_20160403(4)特殊狭軌のディーゼル動車 [保存車・廃線跡]
「忙しくて記事の更新が遅れた」ではなくて、単に予約投稿に失敗しました。
という訳で、すっかり遅くなってしまいましたが...
しばらくの間、お休みしてしまったこのシリーズ。正午の笠岡の街から再開。
ちょっと間隔が空いてしまって、拙ブログ、いつもにも増して、
訳の分からない話になっている。
昨日までの<速報版>から一転、話は4月3日に遡る。
この日の臨鉄キハの運転は午前中だけだった。午後から広島との県境に近い
笠岡の街。ちょうどサクラまつりの真っ直中。路線バスも迂回運転だった。
そんな午後、半世紀近く前に姿を消した1本のローカル私鉄の痕跡を探しに。
…… ……
列車が走る二条の線路、その左右のレールの間の幅のことを軌間、ゲージという。
日本国内の鉄道各線は基本的に1,067 mm軌間。これを“標準軌”と呼ぶ。
新幹線や関西の私鉄電車、東京では京急などが1,435 mm軌間、これが“広軌”、
さらに、黒部峡谷鉄道などは762 mm軌間、これを“狭軌”と呼ぶ。
でも、これがそう簡単な話ではない。この呼び方は日本国内でのもの。
国際的には1,435 mm軌間が“標準軌”、日本で一般的な1,067 mm軌間は“狭軌”。
明治時代、英国から招いた技術者の考えがもとになったとされているのだが...
【2016年4月3日11時58分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
だから、762 mm軌間を「特殊狭軌」と呼ぶことがある。
明治時代、日露戦争後に主要な鉄道が国有化されると私鉄はローカル輸送を目的とする
路線が中心となった。それに合わせて大正初期には「軽便鉄道法」が施行され、
国鉄駅から離れたところにある街を結ぶ路線が建設された。多くは昭和30~40年台、
道路整備が進むと廃止されていった。
笠岡を訪れたのは、すでに半世紀前に廃線になった、そんな軽便鉄道を辿るため。
…… ……
2016年4月3日(日)曇りのち雨
山陽本線の笠岡駅は、国鉄時代の地方都市の駅のつくりをそのままに残す構造。
平屋建ての駅舎があって、改札のすぐ前が上りホームになっている。
【2016年4月3日12時00分】 岡山県笠岡市・笠岡駅付近
駅前交番の付近上屋がコチラ向きについていたり、ホーム幅がちょっと広かったり...
廃止から40年近く、保線用機器の置き場や駐車場などに転用されているが、
ここに井笠鉄道のホームがあったのだとか。
【2016年4月3日11時57分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
さて、笠岡駅は入江に面したところにある。裏手には大通りを挟んで漁港の佇まいが。
線路をオーバークロスする道路橋、そのまさに直下にある小さな児童遊園。
【2016年4月3日11時57分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
そこに黄色と緑色の塗り分けのディーゼル動車が置かれている。
762 mm軌間の細いレールに合わせた小ぶりな車体、バケット(鮮魚台)を設けた
前部とリベット止めの車体。
1971年(昭和46年)の廃線まで、この笠岡と内陸部にある旧山陽道の宿場町・井原とを
結んでいた井笠鉄道ホジ9号車である。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
車体長10メートル余りというのは、臨鉄キハのちょうど半分くらい。
1932年(昭和7年)に大阪の梅鉢鉄工で製造されたガソリンカーの1両で、
戦時中には燃料統制の関係もあってエンジンを下ろして客車化されたものの
戦後にディーゼルエンジンを搭載、新型車両の投入とともに支線区(矢掛、神辺方面)に
活躍の場を移し、1967年(昭和42年)の支線区廃止まで主力車として走り続けた。
と、「保存会」の方たちが作成した説明文も掲出されてはいたが、残念ながら
車体内外の状況については良好とは言い難かった。
ガラスはすべて失われており、木枠だったはずの1枚下降窓の窓枠もほとんど
残っておらず客扉も見当たらず...といった有様。
ちょうど入江にある漁港のような場所、上屋のかわりに道路の高架で雨風は凌げるものの
潮風の影響もあるはずで、貴重な「特殊狭軌のディーゼル動車」の生き残りだけに
整備されるのを願うのだが...
【2016年4月3日11時58分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
極めて単純な機構の運転台。レバーや計器類は失われているものの雰囲気だけは
確かに残っていることが確認できた。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
車内はちょっと背中を曲げないと歩きづらいほどの狭さ。
何でも、現役時代には『奥の方の座席から詰めて座る』が地元利用者の“暗黙のルール”
だったとか、ロングシートに座れば膝と膝があたりそうになるほどの狭さが
「特殊狭軌」の特徴でもある。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
<鉄>として注目せねばならないのが床板。もちろん木張りだが、向こうの方に
金属製の蓋のようなものが。これはエンジンの点検蓋かと思われる。
よく見れば、少し膨らんでいるのである。ただでさえ小さな車体、床下にエンジンを
搭載するのは設計上ギリギリだったのだろう。車内にはみ出している。
そう言えば、一昨年の秋に見学した頸城鉄道のホジはもっと思いっきり
エンジンスペースが車内に張りだしていた(→ こちら)。
【2016年4月3日12時01分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
車外から確認すれば確かにこの位置にエンジンが搭載されている。
床下機器に関しては、いまどき貴重なほどシンプルな機器類がよく残っていた。
【2016年4月3日12時02分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
この公園、すぐ後ろが山陽本線の線路である。この写真でも道路橋の歩道部分の階段、
そのすぐ後ろに架線柱が写り込んでいる。
右にある、何だか模型化したくなるような渋い佇まいの木造2階建てには
「笠岡渡船」の看板、反対側には「水上タクシー」の文字。
何だか時間が止まったような街を少し歩いてみた。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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という訳で、すっかり遅くなってしまいましたが...
しばらくの間、お休みしてしまったこのシリーズ。正午の笠岡の街から再開。
ちょっと間隔が空いてしまって、拙ブログ、いつもにも増して、
訳の分からない話になっている。
昨日までの<速報版>から一転、話は4月3日に遡る。
この日の臨鉄キハの運転は午前中だけだった。午後から広島との県境に近い
笠岡の街。ちょうどサクラまつりの真っ直中。路線バスも迂回運転だった。
そんな午後、半世紀近く前に姿を消した1本のローカル私鉄の痕跡を探しに。
…… ……
列車が走る二条の線路、その左右のレールの間の幅のことを軌間、ゲージという。
日本国内の鉄道各線は基本的に1,067 mm軌間。これを“標準軌”と呼ぶ。
新幹線や関西の私鉄電車、東京では京急などが1,435 mm軌間、これが“広軌”、
さらに、黒部峡谷鉄道などは762 mm軌間、これを“狭軌”と呼ぶ。
でも、これがそう簡単な話ではない。この呼び方は日本国内でのもの。
国際的には1,435 mm軌間が“標準軌”、日本で一般的な1,067 mm軌間は“狭軌”。
明治時代、英国から招いた技術者の考えがもとになったとされているのだが...
【2016年4月3日11時58分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
だから、762 mm軌間を「特殊狭軌」と呼ぶことがある。
明治時代、日露戦争後に主要な鉄道が国有化されると私鉄はローカル輸送を目的とする
路線が中心となった。それに合わせて大正初期には「軽便鉄道法」が施行され、
国鉄駅から離れたところにある街を結ぶ路線が建設された。多くは昭和30~40年台、
道路整備が進むと廃止されていった。
笠岡を訪れたのは、すでに半世紀前に廃線になった、そんな軽便鉄道を辿るため。
…… ……
2016年4月3日(日)曇りのち雨
山陽本線の笠岡駅は、国鉄時代の地方都市の駅のつくりをそのままに残す構造。
平屋建ての駅舎があって、改札のすぐ前が上りホームになっている。
【2016年4月3日12時00分】 岡山県笠岡市・笠岡駅付近
駅前交番の付近上屋がコチラ向きについていたり、ホーム幅がちょっと広かったり...
廃止から40年近く、保線用機器の置き場や駐車場などに転用されているが、
ここに井笠鉄道のホームがあったのだとか。
【2016年4月3日11時57分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
さて、笠岡駅は入江に面したところにある。裏手には大通りを挟んで漁港の佇まいが。
線路をオーバークロスする道路橋、そのまさに直下にある小さな児童遊園。
【2016年4月3日11時57分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
そこに黄色と緑色の塗り分けのディーゼル動車が置かれている。
762 mm軌間の細いレールに合わせた小ぶりな車体、バケット(鮮魚台)を設けた
前部とリベット止めの車体。
1971年(昭和46年)の廃線まで、この笠岡と内陸部にある旧山陽道の宿場町・井原とを
結んでいた井笠鉄道ホジ9号車である。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
車体長10メートル余りというのは、臨鉄キハのちょうど半分くらい。
1932年(昭和7年)に大阪の梅鉢鉄工で製造されたガソリンカーの1両で、
戦時中には燃料統制の関係もあってエンジンを下ろして客車化されたものの
戦後にディーゼルエンジンを搭載、新型車両の投入とともに支線区(矢掛、神辺方面)に
活躍の場を移し、1967年(昭和42年)の支線区廃止まで主力車として走り続けた。
と、「保存会」の方たちが作成した説明文も掲出されてはいたが、残念ながら
車体内外の状況については良好とは言い難かった。
ガラスはすべて失われており、木枠だったはずの1枚下降窓の窓枠もほとんど
残っておらず客扉も見当たらず...といった有様。
ちょうど入江にある漁港のような場所、上屋のかわりに道路の高架で雨風は凌げるものの
潮風の影響もあるはずで、貴重な「特殊狭軌のディーゼル動車」の生き残りだけに
整備されるのを願うのだが...
【2016年4月3日11時58分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
極めて単純な機構の運転台。レバーや計器類は失われているものの雰囲気だけは
確かに残っていることが確認できた。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
車内はちょっと背中を曲げないと歩きづらいほどの狭さ。
何でも、現役時代には『奥の方の座席から詰めて座る』が地元利用者の“暗黙のルール”
だったとか、ロングシートに座れば膝と膝があたりそうになるほどの狭さが
「特殊狭軌」の特徴でもある。
【2016年4月3日11時59分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地(ホジ9車内)
<鉄>として注目せねばならないのが床板。もちろん木張りだが、向こうの方に
金属製の蓋のようなものが。これはエンジンの点検蓋かと思われる。
よく見れば、少し膨らんでいるのである。ただでさえ小さな車体、床下にエンジンを
搭載するのは設計上ギリギリだったのだろう。車内にはみ出している。
そう言えば、一昨年の秋に見学した頸城鉄道のホジはもっと思いっきり
エンジンスペースが車内に張りだしていた(→ こちら)。
【2016年4月3日12時01分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
車外から確認すれば確かにこの位置にエンジンが搭載されている。
床下機器に関しては、いまどき貴重なほどシンプルな機器類がよく残っていた。
【2016年4月3日12時02分】 岡山県笠岡市・西ノ浜北児童遊園地
この公園、すぐ後ろが山陽本線の線路である。この写真でも道路橋の歩道部分の階段、
そのすぐ後ろに架線柱が写り込んでいる。
右にある、何だか模型化したくなるような渋い佇まいの木造2階建てには
「笠岡渡船」の看板、反対側には「水上タクシー」の文字。
何だか時間が止まったような街を少し歩いてみた。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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2016-05-10 08:23
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