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北陸本線には、いつも「雷鳥」がいた(1) [車内放送]

水曜は公休日。いすみ鉄道にキハを撮りに行こうかとも思っていたが、
天気は良くない(アジサイを撮るならその方が...)、仕事も溜まっている、
何より、睡眠不足には勝てない...11時過ぎまでベッドの中で過ごしていた。

そうして遅く起き出してきて、会社から持ち帰った仕事を...する気になるはずもなく、
スキャナーを起動して、古いネガを取りこんでブログネタ探しをしていたのだった。

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【2003年9月21日】 北陸本線・富山駅

その中に北陸本線の、<富山鉄>のシンボルとも言える特急列車、
特急「雷鳥」を撮った写真が出てきた。懐かしいメモも机の引き出しから...

という訳で、特急「雷鳥」から思い浮かんだことを。
……  ……

1964年10月1日、東海道新幹線開業と同じ日、北陸本線の金沢-富山間が電化開業した。
これに伴い、大阪-富山間に設定されることになった特急が「雷鳥」号だった。
(車両の落成が遅れたため、実際に運転を開始したのは同年12月)

雷鳥、ニホンライチョウは北アルプスの山々に生息するキジ目の鳥の名前、
富山の県鳥であり、国の特別天然記念物でもある。
だからこそ、大阪から富山を目指す北陸特急の名称としてピッタリだった。

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【2010年04月07日17時09分】 東海道本線・大阪駅

冬の出で立ち(冬と夏で羽が生え替わる)、白い羽のライチョウの姿...
スカイブルーに「雷鳥」の2文字を配したイラスト入りトレインマークは、
長らく、富山駅に行けばいつでも見ることができるマークだった。

一部、塗色を変更した車両が充当された時期もあったが、
<変態鉄>が乗って撮ってするようになった1990年台以降、
一貫して国鉄特急色の485系交直流特急型電車が充当されていた。

そんな特急「雷鳥」、たびたび富山を訪れていた<変態鉄>にとってもお馴染みの
特急列車だったのである。

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【2009年10月26日13時01分】 北陸本線・武生駅(後追い)

しかし、特急「雷鳥」も引退の時を迎えるのだった。

分割民営化直後、JR西日本も「雷鳥」のスピードアップのために485系の一部を
グレードアップして「スーパー雷鳥」を登場させたが、この頃が「雷鳥」が
輝いていた最後の時代だった。後継の681・683系が登場、当初は「ニュー雷鳥」、
それから「スーパー雷鳥(サンダーバード)」、さらに「サンダーバード」と改称。
国鉄型に比べて客室設備も走行機器も新しい681・683系「サンダーバード」、
こちらが主力になっていくのは必然だった。2000年代に入ると大阪-富山間を
結ぶ速達列車は専ら「サンダーバード」、その合間を縫って大阪-金沢を結ぶのが
485系「雷鳥」となった。

そして、伝統の特急「雷鳥」も2011年3月改正で引退。
ちょうど、その頃、<変態鉄>は「飛越ゴハチ」をおっていた時期だった。
関西方面で<撮り鉄>してから富山に“転戦”する場合が少なくなかったが、
そういうときには、わざわざ時間を合わせて485系「雷鳥」を選択、金沢で北陸線の
ローカル電車に乗り換えて、無意味に時間のかかる移動をしていたのだった。

その頃、たぶん2009年頃、何度も行っていた時期だったので、記録も記憶も
残っておらず確認の術がないのが残念なのだが、たぶん福井から富山への移動に
金沢ゆき「雷鳥」に乗車したときのこと。

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【2009年10月26日13時03分】 北陸本線・武生駅(後追い)

ビジネスユースの多かった平日昼間の「雷鳥」系統。
大阪を30分間隔で出発していても、金沢に着く頃には後ろから来た「サンダーバード」に
追い付かれ、ギリギリのところで「同格待避」を免れるようなダイヤ設定だったので、
普通車でも利用者はそれほど多くなかった。

小松あたりで車内を回ってみるのが“日課”だった<変態鉄>、
指定席車が無人であるのを見つければ、車掌さんの許可を得て車内録音を
敢行するのだった。



野々市、西金沢と市街地に入ってくると終着駅・金沢はもうすぐ。
♪ 汽笛一声...、鉄道唱歌のオルゴールに続いて
“あと4分のご乗車で終点の金沢...”のアナウンス。

この当時は当たり前だった“富山、直江津、十日町方面の特急「はくたか」”という
乗り換え案内もいまとなっては貴重な記録となった。

ちなみに、<鉄>の中でも超マイナーな<車内放送マニア>としての「こだわり」は、
この放送の最後に“本日は大阪からの特急「雷鳥」号を”のくだりがあること。
コレ、大阪車掌区の車掌さんがよく使う特有の言い回し。同区の車掌さんは
話題の「トワイライト」をはじめ長距離列車の乗務経験が豊富なベテランの方が
多いとされており、<車内放送マニア>の中には、関西方面で録音するときに
わざわざ調べて、同区の担当列車を選ぶ...なんてこともする方も。
もちろん、<変態鉄>がそこまで下調べするはずもなく、この日も行き当たりばったり。

だから、本当に大阪の車掌さんだったかどうかすら記録していないのだが、
それにしても、これは、かなりの「好放送」が録れた...と自分のコレクションの中でも
気に入っている1つなのである。

……  ……

2000年台はじめ、多くの<鉄>が追っていたのは京都総合運転所の485系「雷鳥」、
約半数の編成にボンネット型のクハ481形が入っており、これが最高の被写体だった。

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【2003年9月21日】 北陸本線・富山駅

これが「サンダーバード」への置き換えで引退することになったのは2003年のこと。
編成を組み替えて、運転開始当時の米原回り「雷鳥」を再現するイベントが行われたのが
2003年9月20・21日だった。

秋雨前線のせいで天気が悪かった富山...
仕事の休みに重なった21日は急遽、富山に遠征したのだった。
次は、その話題をご紹介したい。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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suzuran6

雷鳥、スーパー雷鳥は出張でお世話になりました。たまにクハ485 1500㈹が来ると「久しぶり」と声をかけていた、へんなおじさんでした(^_^;)
by suzuran6 (2015-06-18 19:07) 

旧大阪はりあ

この日私は妻と子供と一緒に富山から米原まで懐かしの雷鳥に乗り込みました。
最後のボン雷鳥良い思い出です。
富山駅での最後のボン雷鳥だったのでは?

by 旧大阪はりあ (2015-06-18 21:44) 

あるまーき

コメントありがとうございます。

☆ suzuran6さん
少数派でありながら、1500番台クハは、最後まで日本海沿いを駆け抜けていましたね。北陸特急でも東北特急でも大活躍だった485系でも歯が立たなかった北海道の冬の厳しさ...、見ているだけなら素敵なのですが。そういえば、その485系1500番台に変わって北海道に投入された781系も好きな車両の1つでした。

☆ 旧大阪はりあさん
ご無沙汰しております。おっと、富山駅ではホームを挟んでニアミスだったのですね。復路・大阪ゆきは、石川県内で迎え撃つつもりが、悪天候にヤル気をそがれ、富山駅で駅撮りをしていました。
明日以降、そのときの模様もアップしたいと思います。また、ご感想など寄せていただければ幸いです。

by あるまーき (2015-06-19 01:04) 

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