車内放送は懐かしの、♪ 会津磐梯山チャイムで [車内放送]
こういう趣味をしていると、やはり、天気というのは気になるもの。
出撃予定先の気象情報を手に入れるため、いくつかの民間気象会社のサイトを
ブックマークしている。
そういう情報を総合すると、実は昨晩の時点で、今日の東京の天気は基本的に
「雨」で、時間帯別に詳細に見れば、何箇所かに「みぞれ」あるいは「雪」という
表示だった。その時点で、「雪は多少は降っても大したことにはならない」と。
自分はそんな予想の下で行動していた。
そう、大当たり!! ラッキー!!
もはや、最近の天気予報というのは、まさに「降る降る詐欺」ではないか!!
そう思っている。各個人の予定の変更や各企業・商店の対応などを総合すれば、
「オレオレ詐欺」よりも社会全体としての損失は大きいのでは!?
そんなことを思いながら、会社から帰ってきたのである。傘すらいらなかった帰り道。
さてさて、不穏な出だし(?)で始まったが、何よりネタ切れ気味の拙ブログ。
3日の「小湊鐵道撮影記」の準備ができるまでの小ネタを探していて...
【撮影日不詳】 磐越西線・郡山駅
磐越西線に残る国鉄特急型電車485系「あいづ」号が来たる3月改正で引退、
(臨時列車として暫定的に夏ごろまで残るそうだが...)
雪景色の磐梯山をバックに走る485系の姿を多くの方が記録しているみたい...
ソネブロの正統派<鉄>系の皆さんの、その撮影記をいくつか拝見して...
…… ……
では、自分も...
とは、もちろんならなかった。そう、そんな皆さんのお写真を見てしまえば、
もはや白旗状態。鼻で笑われそうなショボイ写真しか撮れるはずがなく...
という訳で、今夜も超変化球で。話は大学生だった2000年7月まで遡る。
この当時は、なぜだか旅行メモというのをちゃんと書いていた。
だから、この日付もわかったし、当時、大学生だった自分が何を考えて
会津の旅に出かけたのかもわかった。
【2013年3月28日11時25分】 東京都国立市・国立駅付近
ちなみに、いわゆる大学3年生だった当時(正式には「3年生」ではなく「後期課程仮進学学生」)。
そろそろ「企業説明会を申し込んだ」とか「リクルーターの人が...」とか、
キャンパスで交わす会話が就職活動一色になりつつあった時期。そんな期末試験前。
急に旅に出たくなって...、2泊3日の慌ただしいスケジュールで、
会津から仙台を巡ったみたい。そう、つまり、現実逃避の旅であった。
2000年7月6日 晴れ
早朝、東京を発って上越新幹線で浦佐へ。ここから只見線のディーゼル動車に揺られ、
やって来たのは会津若松。大急ぎで喜多方と会津若松の街を駆け巡った。
喜多方では有名なお店でラーメンを食し、会津若松では...
【2000年7月6日】 福島県会津若松市
白虎隊自刃の地などを見学。自分が行った時間に観光バスのツアーの方々が居て、
声が聞こえる程度、ちょっとだけ距離をとってガイドさんの後を付けて、
説明を聞いてしまうという図々しいことをしていたらしい。
【2000年7月6日】 福島県会津若松市
続いて会津鶴ヶ城に行ってみたら、確か、年間にたった数日しかない休館日で
中に入ることは叶わず...、運が悪いなぁ、と会津若松駅に帰り着いたのは
16時過ぎのことだった。
当時、郡山-会津若松(一部期日のみ喜多方まで)には特急列車が走っていた。
郡山で東北新幹線と接続するショートリリーフ的な役割、その名も「ビバあいづ」。
【2000年7月6日】 磐越西線・会津若松駅
“会津をイメージした”という、何とも不似合いなハデハデな塗色にされた
485系1000番台車6両編成。
1046M列車「ビバあいづ6号」 会津若松 16:50 → 郡山 17:48
という短距離特急である。
1~3号車が自由席、4~6号車が指定席で一大観光地を抱えていたからか、6号車は
半室グリーン車となっていた。
調べてみると、この編成、もとは勝田電車区にあって常磐線特急「ひたち」で
活躍したとのこと。3号車には会津の観光情報や名産品を紹介する
「インビテーションコーナー」があったそうなのだが...
まるで記憶に残っていないのだ。
16:30頃、改札が始まってもわずかな乗客しか...
もちろん自由席利用の自分。モハ484-1006車内に荷物を置いて車内を偵察!!
発車直前になって、6号車の半室グリーン車と普通車指定席の4号車には数名の
お客さんが乗っていたが、5号車と6号車の半室普通車は無人の状態!!
車掌さんにお願いして、そんな無人の車内で録音させてもらったのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
特急列車用の真っ白の制服、白手袋の格好ながら、まだ若い感じの車掌さんだった。
一般に車内放送マニアの間では、各駅の到着時刻を24時間制で読み上げているのが、
「好放送」の条件の1つとされる。でも、この車掌さんは、12時間制...
(乗客へのわかりやすさの面から、12時間制でアナウンスする車掌さんが増えている)
ちょっと残念!! と、そのときは思ったが、2分近いアナウンス、よく聴くと、
最後に「ただいま、SLの運転を記念して車内でSLのオレンジカードを...」。
“オレンジカード”というのも懐かしい限り。SLというのは、いま磐越西線を
走っているC57 180ではなく、上越線のD51 498のこと。このオレンジカード、
もちろん、車掌さんから買い求めた。自室を探せば、出てくるはずだが...
【2000年7月6日】 磐越西線・郡山駅
さて、この「ビバあいづ」編成、実は1編成しか改造されなかった。
検査と重なった日は運休、同時刻の快速電車(列車名なし)が走っていたはず。
本来の485系の車内放送装置に付いているのは「鉄道唱歌」のオルゴール。
でも、この編成、そのオルゴールも独特のものに交換されていたのだった。
誰が呼んだか、車内放送マニアの間で「会津磐梯山チャイム」と称されるもの。
もちろん、このときの車内放送でも放送の前後にそのオルゴールが演奏されている。
同じ485系であっても、初期車が多かった「ビバあいづ」編成、
まもなく車齢の若い485系で置き換えられてしまい、快速格下げ、名称も伝統の
「あいづ」号に戻されてしまった。
【撮影日不詳】 磐越西線・郡山駅
それ以来、乗ったことは一度もないのだが、過去の所属基地などから考えても、
たぶん、いま大人気の485系国鉄特急色編成も、故障が多い485系東武特急色編成も、
どちらの編成も、車内放送チャイムは電子音の「クラシック名曲選」だと思う。
そんな訳で、車内放送マニアとしては、あの派手派手な485系の方が...。
たった1編成にしか使われなかった「会津磐梯山チャイム」を録れたのは、
いまでも貴重なコレクションなのだ。
…… ……
オマケ。自分にしては珍しく、この旅では、いろいろな車両たちにカメラを向けていた。
これ、確か、苦竹駅ホームで撮ったような...
【2000年7月7日】 仙石線・苦竹駅(?)
「あおば通」ゆきを掲出して最後の活躍をしていた103系にもカメラを向けていた。
このときは、石巻-仙台間を乗り通した。
そして、仙台からは満席の651系特急「スーパーひたち」で常磐線を一気に駆け抜けた。
仙石線は今春に全線復旧だそうだが、常磐線を再び走破できる日は...
そう言えば、只見線もいつになったら...
そんなことを思っているのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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出撃予定先の気象情報を手に入れるため、いくつかの民間気象会社のサイトを
ブックマークしている。
そういう情報を総合すると、実は昨晩の時点で、今日の東京の天気は基本的に
「雨」で、時間帯別に詳細に見れば、何箇所かに「みぞれ」あるいは「雪」という
表示だった。その時点で、「雪は多少は降っても大したことにはならない」と。
自分はそんな予想の下で行動していた。
そう、大当たり!! ラッキー!!
もはや、最近の天気予報というのは、まさに「降る降る詐欺」ではないか!!
そう思っている。各個人の予定の変更や各企業・商店の対応などを総合すれば、
「オレオレ詐欺」よりも社会全体としての損失は大きいのでは!?
そんなことを思いながら、会社から帰ってきたのである。傘すらいらなかった帰り道。
さてさて、不穏な出だし(?)で始まったが、何よりネタ切れ気味の拙ブログ。
3日の「小湊鐵道撮影記」の準備ができるまでの小ネタを探していて...
【撮影日不詳】 磐越西線・郡山駅
磐越西線に残る国鉄特急型電車485系「あいづ」号が来たる3月改正で引退、
(臨時列車として暫定的に夏ごろまで残るそうだが...)
雪景色の磐梯山をバックに走る485系の姿を多くの方が記録しているみたい...
ソネブロの正統派<鉄>系の皆さんの、その撮影記をいくつか拝見して...
…… ……
では、自分も...
とは、もちろんならなかった。そう、そんな皆さんのお写真を見てしまえば、
もはや白旗状態。鼻で笑われそうなショボイ写真しか撮れるはずがなく...
という訳で、今夜も超変化球で。話は大学生だった2000年7月まで遡る。
この当時は、なぜだか旅行メモというのをちゃんと書いていた。
だから、この日付もわかったし、当時、大学生だった自分が何を考えて
会津の旅に出かけたのかもわかった。
【2013年3月28日11時25分】 東京都国立市・国立駅付近
ちなみに、いわゆる大学3年生だった当時(正式には「3年生」ではなく「後期課程仮進学学生」)。
そろそろ「企業説明会を申し込んだ」とか「リクルーターの人が...」とか、
キャンパスで交わす会話が就職活動一色になりつつあった時期。そんな期末試験前。
急に旅に出たくなって...、2泊3日の慌ただしいスケジュールで、
会津から仙台を巡ったみたい。そう、つまり、現実逃避の旅であった。
2000年7月6日 晴れ
早朝、東京を発って上越新幹線で浦佐へ。ここから只見線のディーゼル動車に揺られ、
やって来たのは会津若松。大急ぎで喜多方と会津若松の街を駆け巡った。
喜多方では有名なお店でラーメンを食し、会津若松では...
【2000年7月6日】 福島県会津若松市
白虎隊自刃の地などを見学。自分が行った時間に観光バスのツアーの方々が居て、
声が聞こえる程度、ちょっとだけ距離をとってガイドさんの後を付けて、
説明を聞いてしまうという図々しいことをしていたらしい。
【2000年7月6日】 福島県会津若松市
続いて会津鶴ヶ城に行ってみたら、確か、年間にたった数日しかない休館日で
中に入ることは叶わず...、運が悪いなぁ、と会津若松駅に帰り着いたのは
16時過ぎのことだった。
当時、郡山-会津若松(一部期日のみ喜多方まで)には特急列車が走っていた。
郡山で東北新幹線と接続するショートリリーフ的な役割、その名も「ビバあいづ」。
【2000年7月6日】 磐越西線・会津若松駅
“会津をイメージした”という、何とも不似合いなハデハデな塗色にされた
485系1000番台車6両編成。
1046M列車「ビバあいづ6号」 会津若松 16:50 → 郡山 17:48
という短距離特急である。
1~3号車が自由席、4~6号車が指定席で一大観光地を抱えていたからか、6号車は
半室グリーン車となっていた。
調べてみると、この編成、もとは勝田電車区にあって常磐線特急「ひたち」で
活躍したとのこと。3号車には会津の観光情報や名産品を紹介する
「インビテーションコーナー」があったそうなのだが...
まるで記憶に残っていないのだ。
16:30頃、改札が始まってもわずかな乗客しか...
もちろん自由席利用の自分。モハ484-1006車内に荷物を置いて車内を偵察!!
発車直前になって、6号車の半室グリーン車と普通車指定席の4号車には数名の
お客さんが乗っていたが、5号車と6号車の半室普通車は無人の状態!!
車掌さんにお願いして、そんな無人の車内で録音させてもらったのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
特急列車用の真っ白の制服、白手袋の格好ながら、まだ若い感じの車掌さんだった。
一般に車内放送マニアの間では、各駅の到着時刻を24時間制で読み上げているのが、
「好放送」の条件の1つとされる。でも、この車掌さんは、12時間制...
(乗客へのわかりやすさの面から、12時間制でアナウンスする車掌さんが増えている)
ちょっと残念!! と、そのときは思ったが、2分近いアナウンス、よく聴くと、
最後に「ただいま、SLの運転を記念して車内でSLのオレンジカードを...」。
“オレンジカード”というのも懐かしい限り。SLというのは、いま磐越西線を
走っているC57 180ではなく、上越線のD51 498のこと。このオレンジカード、
もちろん、車掌さんから買い求めた。自室を探せば、出てくるはずだが...
【2000年7月6日】 磐越西線・郡山駅
さて、この「ビバあいづ」編成、実は1編成しか改造されなかった。
検査と重なった日は運休、同時刻の快速電車(列車名なし)が走っていたはず。
本来の485系の車内放送装置に付いているのは「鉄道唱歌」のオルゴール。
でも、この編成、そのオルゴールも独特のものに交換されていたのだった。
誰が呼んだか、車内放送マニアの間で「会津磐梯山チャイム」と称されるもの。
もちろん、このときの車内放送でも放送の前後にそのオルゴールが演奏されている。
同じ485系であっても、初期車が多かった「ビバあいづ」編成、
まもなく車齢の若い485系で置き換えられてしまい、快速格下げ、名称も伝統の
「あいづ」号に戻されてしまった。
【撮影日不詳】 磐越西線・郡山駅
それ以来、乗ったことは一度もないのだが、過去の所属基地などから考えても、
たぶん、いま大人気の485系国鉄特急色編成も、故障が多い485系東武特急色編成も、
どちらの編成も、車内放送チャイムは電子音の「クラシック名曲選」だと思う。
そんな訳で、車内放送マニアとしては、あの派手派手な485系の方が...。
たった1編成にしか使われなかった「会津磐梯山チャイム」を録れたのは、
いまでも貴重なコレクションなのだ。
…… ……
オマケ。自分にしては珍しく、この旅では、いろいろな車両たちにカメラを向けていた。
これ、確か、苦竹駅ホームで撮ったような...
【2000年7月7日】 仙石線・苦竹駅(?)
「あおば通」ゆきを掲出して最後の活躍をしていた103系にもカメラを向けていた。
このときは、石巻-仙台間を乗り通した。
そして、仙台からは満席の651系特急「スーパーひたち」で常磐線を一気に駆け抜けた。
仙石線は今春に全線復旧だそうだが、常磐線を再び走破できる日は...
そう言えば、只見線もいつになったら...
そんなことを思っているのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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苦竹駅はお写真当時と殆ど変わっていませんね(笑)
by johncomeback (2015-02-06 07:30)
johncomebackさん
コメントありがとうございます。
このときは、とにかく乗り通しただけでしたので、こんど全線復旧したら松島などを巡ってみたいな、と思っています。
by あるまーき (2015-02-06 15:57)