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ただいま、熊本。<速報版>

高校生の通学時間帯に合わせてあるようで...
数年前の豪雨で、人吉温泉 〜 肥後西村間が長期運休となっているが、その代行バスと肥後西村からの列車、平日は日中がすっぽり抜けていて。
これが今回の「鉄印帳」の旅のプランづくりにおいて最大のネックになっていた。

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そこを何とかクリアして、10日は、くま川鉄道に乗ってきたわけで。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(5)“のだっぽり”と月崎駅

ショックである。この記事を書くのに使っている Chromebook の調子が昨日辺りから悪くて。直そうとして、弄っているうちに、ほぼ書き上げていた記事を消してしまうというミス。何度もやっているのだが、ついつい...
同じような記事を書き直すときの、この憂鬱。う〜ん。自分が悪いのは分かっていても、本当にイヤになるときである。

さて、<変態鉄>はこの記事が公開されて間もなく、寒さに耐えながらモゾモゾと起き出してきて羽田空港に向かう予定。
昨年秋に北東北・北海道を巡り(→ こちら)、「鉄印帳」の空白もあとは九州の3社分だけになっており。その最後の仕上げ、九州へと向かうのである。

ということで、明日から再び拙ブログは<速報版>の記事が続くことになるので、ご了承いただきたい。

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【2023年12月30日15時22分】 小湊鉄道線・五井駅

さて、12月30日の小湊鐵道の話題。

久留里からの県道32号線、歩き続けること1時間半、月崎の集落に入るところで鬱蒼とした木々に陽射しを遮られる地点に丁字路。
まっすぐ行くと県道172号線に変わり、数百メートルで月崎駅に至る。一方、県道32号線は南へと進路を変え、小湊鐵道の線路と寄り添いながら、上総大久保を経て養老渓谷方面へと続いている。

その薄暗い丁字路で、どちらに進むべきか悩んだ<変態鉄>だった。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(4)乗るのか、撮るのか

年始からいろいろな事がありすぎて...
それでも、世の中は徐々に正月休みから“通常モード”に戻ってきており。

こういう時期であるからこそ、冒頭のココのところに何を書くべきか、アイデアがまとまらないのである。
ということで、こういうときはHDDを漁って古い写真を見つけて...というのが、拙ブログの毎度のパターンになってきている。

今日も2014年1月、いまからちょうど10年前の1月の写真をご紹介したい。

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【2014年1月1日9時49分】 烏山線・大金駅

10年前は、まだ関東地方のJR東日本の区間でも国鉄型キハを毎日、見ることができた。置き換え迫る、烏山線キハ40形を撮りに行ったのが、10年前の元日のことだった。ネットで事前チェックしていった撮影地、記事に書かれていた道順で向かったのに、全然たどり着けなくてイライラしたのをハッキリと覚えている。

このキハ40形、ワンマン化、ロングシート化改造などを受けて車内の様子は、だいぶ変わっていたが、それでも国鉄型キハとして...
このうちの1両が山口県の錦川清流線でイベント用に残されている。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(3)歩いて久留里駅から月崎駅へ

小湊鐵道の歴史は意外と古く。意図した部分とやむを得ない部分が混在している...という感じではあるが、大正時代の開業当時からの施設、設備が現役で残っているのも、この路線の魅力になっており。

社名の「小湊」、自分も最初は謎だった。ちなみに、小湊というのは鴨川市内にあって。それにしても安房鴨川なら鴨川シーワールドなど観光名所もあるのに、わざわざ隣の安房小湊を社名に...、しかも、外房の地名を社名にとりながら、内房の市原市内が“勢力圏”。圏央道開業によるアクアライン高速バスの再編で、安房小湊ゆきの高速バスを担当するようになり、創立から100年ほど経って、ようやく社名の由来になった地へ乗り入れを果たし...

拙ブログでも何度か書いた通り、その「安房小湊」という地には、小湊山誕生寺、近くに千光山清澄寺というお寺があって。日蓮宗を開いた日蓮聖人が生まれた所が「誕生寺」、そして、題目を...、それが「清澄寺」だったかと。
だから、大正時代の房総では「小湊」の知名度は抜群だったようで。戦後まで千葉県内、特に房総地区の小学校では修学旅行のような感じだろうか、一人前になった証として、清澄山まで歩いていって参拝する...という伝統があったところもあるという。

だから、約120年前、そんな地名を社名に抱いたのは、自然な流れだったのかも知れない。実際には、現在の市原市域の地域輸送が主な目的だったのだろうか。上総中野で国鉄木原線と接続した後は、安房小湊へ向けての延伸工事が本格的に行われていたような形跡は...

いつの間にか、その市原市域でも内陸部での人口減少が進んでおり。外房までの延伸よりも、上総牛久以降の山間部の区間の存廃が話題になり始め...

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【2023年12月30日12時35分】 小湊鉄道線・月崎-上総大久保

でも、そんな“房総横断鉄道”の“夢のあと”、本来、木原線(現・いすみ鉄道)と結ばれる予定だったのは久留里線だった。代わりに、大正時代に五井から小湊鐵道が上総中野に至って、木原線と結ばれている。この日は小湊キハを撮りに行って五井に戻ったが、久留里 → 月崎 → 上総中野という経路は、ある意味、旧木原線を実現することにもなるわけで。

そんな意義を勝手に妄想しながら、山の中の寂しい県道を歩き続けたのである。

久留里(君津市)から月崎(市原市)まで7 km、1時間半のウォーキング、今日の記事は<鉄>分が少ない記事になるのをご了承いただきたい。

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いすみ鉄道で「きぼう」のキハを <速報版>

2日連続の<速報版>、しかも、2日連続の房総のキハだが...

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【2024年1月6日10時05分】 いすみ鉄道線・大多喜駅

昨年9月の台風による大雨被害で長らく運転を見合わせていた大多喜〜上総中野間が復旧したのが昨年の暮れ。そして、年明けの6日から土曜日にキハ52 125号車の運転も再開され。

土曜日は仕事の関係で訪問が難しい<変態鉄>であっても、この時期は仕事がお休みなので...
いまの勤めを続けている限り、年間に何度かチャンスのない土曜日、そして、快晴の天気予報、2日連続で早起きするのはキツかったが、それでも大多喜まででかけてみたのだった。

撮影待ちの間、コートを脱ぎたくなるような暖かさ。
やはり、キハが走る風景というのは良いものである。

でも、一番の驚きだったのは、帰りの高速バスがそれほど遅れなかったことだろうか。普段は1時間遅れの17時すぎに東京八重洲に着くところ、アクアラインでの事故渋滞に巻き込まれながらも、バスターミナル東京八重洲に15分遅れの16:24着。

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“撮り初め”は小湊キハで。<速報版>

今年も“迎春”のマークを掲出して運転している...とのことだったが。

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【2024年1月5日15時22分】 小湊鉄道線・上総三又-上総山田

結論から言えば、“迎春”マークのキハを見ることも撮ることも叶わなかった。昨年も断念。まだ、あのマークを掲出して走る姿、自分では撮っていないのである。

ただ、そうはいっても“収穫”はあったわけで。

年末に小湊鐵道を訪れた話題を紹介しつつ、その間に小湊鐵道を撮りに行った<速報版>とあっては、もう何が何だかわからない拙ブログだが...

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2023年撮り納めは小湊鐵道(2)久留里線

千葉県は明治期以来、道路整備が遅れており。鉄道連隊を上手に活用して...という実に虫の良い話で県営軽便鉄道を各地に整備することになって。その1つとして開業したのが県営軽便鉄道久留里線(木更津〜久留里)である。1912年(大正元年)の年末に開業している。
しかし、762 mm軌間だったこともあって、開業後も木更津線(現在の内房線)とは分断されており、現在の久留里街道などの並行道路が整備されるとバスや馬車輸送にシェアを奪われ、当初から、経営は非常に厳しかったとか。

この直後、改正鉄道敷設法に木更津から大原までの木原線が盛り込まれると、渡りに船とばかりに軽便鉄道を国に無償譲渡することを県会で満場一致で議決、1923年(大正12年)9月1日に国に移管された。これが、ぬぁんと関東大震災の当日だったのである。

改軌され“木原東線”として上総亀山までは延伸されるが、現在の君津市と大多喜町、内房と外房の境界にあたる区間は、結局、敷設工事らしい工事もされないまま、小湊鉄道の上総中野延伸を以て、“房総横断鉄道”は完成したと見做され、いまに至るのだった。

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【2010年5月1日14時19分】 久留里線・久留里-平山

房総半島の中央部には標高200 m級でも山があって、そこが分水嶺となって、人、モノの流れを見ても現在も房総半島の東と西では分断されている感もあって。

それにしても、その山間部、城下町として栄えた大多喜などがある位で、それほど大きな街も無かったのにもかかわらず、鉄道路線が、東(外房)側からは国鉄木原線(いすみ鉄道)、西(内房)側からは小湊鉄道と久留里線と3路線もあったというのが、スゴいとも思える。車両のこともあって、最近はなかなか訪れる機会が無かったのが久留里線である。ちゃんと撮りに来たのは、2010年5月の大型連休、キハ30形の3連運行が行われたときだった。

ちなみに、この編成の3両すべてが現存しているというのもスゴいところ。この3連、先頭はキハ30 100号車である。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(1)木更津へ

12月30日の記事で、今年、よく読まれていた記事について取り上げたが、その次の...
この小湊鉄道撮影記の<速報版>が、わずか1日で、それを凌駕する勢いで...、もしかしたら、2023年最後の記事が2023年に一番注目された記事だったのかも知れない。

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【2023年12月30日15時23分】 小湊鉄道線・五井駅

いつもなら、朝7時に自宅を出て総武快速線、内房線経由で五井に向かうのだが...

以前、月崎駅近くで撮ったとき県道の案内標識に「久留里」の文字を見つけて以来、気になっていた。調べてみれば、月崎駅と久留里駅の間は約7 km、徒歩1時間半とのこと。真夏の猛暑なら辛いが、今の時期なら無理なく歩けそう。地図を印刷してバッグに入れ、「撮影」と言っても標準ズームレンズ1本だけ、三脚も持たない超軽装で早朝の井の頭線に乗り込んだのは、12月30日の朝。

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2002.03.15 キハ58系急行「つやま」号にて <後編>

新年早々、酷いことになっており。数年前にも能登半島は大きな地震があって、その後も群発地震のような感じで...
それにしても今回は酷いようで。特に能登半島の北の方は...、お見舞い申し上げると、ともに1日も早い復旧、復興を願っている次第。

父方の郷里が富山なので直後は心配になったものだが、幸い、親戚の家には何らの被害は無かったようで。ただ、石川県能登地方は地震が多くても、富山というのは意外なほど大きな災害が少なくて。地震が来たことへ、驚きも大きかったようで。



さて、昨日に引き続いて、今から20年前の車内放送のコレクションから。
2002年3月15日の上り急行「つやま」号、津山駅到着前の放送である。

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【2014年1月11日15時24分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-大多喜

ということで、今日のトップ写真は「急行列車つながり」で、いすみ鉄道の観光急行列車を。大多喜駅へ向けてラストスパートをかけるキハ52+キハ28編成、いまから、ちょうど10年前、2014年1月の姿である。城見ヶ丘駅を出て夷隅川鉄橋に差し掛かるまでのこの築堤も、木々の生長で同じ構図での撮影はできなくなっており。“十年一昔”、10年でも確実に様子は変わっていく。

齢をとったのか、最近は20年前も“つい、この前”のような気がしてしまうが、岡山、広島へ行けば毎日、キハ58系が急行列車として走っていた...のも、もう20年前の話なのである。

今日は昨日に引き続き、2002年3月15日の第602D列車、岡山駅始発後の車内放送は録音のマイクレベルの設定がうまく行かなくて...
岡山から津山まで60 kmを、ちょうど1時間で走破する短距離急行、終着、津山駅の直前、再びデッキに立って録音することにしたのだった。

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2002.03.15 キハ58系急行「つやま」号にて <前編>

新春最初の記事は、車内放送のコレクションから。
なぜか、<変態鉄>は特急列車とか新幹線とかではなく、「急行列車」というのが好きだった。

でも、<変態鉄>が大学生になる頃には、大半の急行列車は快速に格下げされるか特急に格上げされるかで姿を消しており。
その中で、比較的運行距離が短い夜行便だけは、特急にしては遅すぎる...という理由などで生き残っていた。それでも、4人ボックスシートがズラリと並んだ「急行型」は徐々に姿を消していた時期で、昼行特急の間合い使用などの列車が多くなっていた時期だったかも知れない。

そんな中、JRグループ最後の昼行急行は津山線の急行「つやま」号。津山から岡山まで58 kmという短距離ランナー、ビジネス客向けだろうか、朝9時に岡山を出て、夕方に津山から岡山に戻る...という運用になっていた。

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【2002年3月15日】 津山線・岡山駅

キハ58形の中間に、半室グリーン車キロハ28形を繋いだ編成は“急行列車”の風格をちゃんと残していてくれたが、この録音の1年半後にキハ47系2連に置き換えられ、もはや、「急行料金が必要な快速列車」というだけの存在になって。2009年改正で快速「ことぶき」号に統合される形でなくなってしまう。



何度か車内放送を録音しているのだが、そのうち、日付が確認できた2002年3月15日の上り「つやま」号の車内放送をご紹介したい。

さて、そもそも、急行「つやま」号が急行列車、急行料金を必要とする列車だったというのも...

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