2017夏、中国地方へ(31)お昼休みに... [保存車・廃線跡]
いよいよ今週末に迫ってきた、水島臨海鉄道のイベント。
特急寝台「サンライズ出雲」号で現地入り、事実上の日帰りという強行軍だが
キハ205と再会してきたい...と思っている。
でも、心配なのは天気。
雨の中の撮影というのは、やはり辛いのである。
しかも、こういうイベントの場合。人が多く集まる訳で...。あぁ、憂鬱。
【2016年1月17日11時54分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル
ドン曇りでも、雨さえ落ちてこなければ撮影は大丈夫なのだが、こればかりは。
とはいえ、拙ブログ。いまだ9月アタマの撮影記が続いている。
9月3日、岡山県美咲町の柵原ふれあい鉱山公園での旧同和鉱業片上鉄道の保存運転。
前回のキハ702、今回はキハ303と2両撮ることができて。
ただ、この朝のキハ303、青空が広がると逆光になってしまって、なかなか上手く
撮ることができず、消化不良の感じのまま、午前中の運転が終わろうとしていた。
…… ……
2017年9月3日(日)曇りのち晴れ
【2017年9月3日11時50分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園
この日の午前中の展示運転に使われていたのは、キハ303号車。
1934年(昭和9年)川崎車輌で製造された国鉄キハ41071号車である。
「どうせ、カメラを構えても上手く撮れないんだし...」という
全くもってネガティブな理由で正午前、お昼休み前、最後の1本は<乗り鉄>に。
黄福柵原駅から戻ってくる姿を吉ヶ原駅構内はずれの踏切で後追い。
そのまま、吉ヶ原駅へ。
【2017年9月3日11時57分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
でも、このタイミングで空には雲が広がってきて。
これなら、場内信号機付近で走行写真を撮れば、スッキリ撮れたかも知れず。
何だかモヤモヤした気持ちで、キハの車内へ。
動き出せばすぐに黄福棚原駅。さぁ、車内撮影!!
お昼前の最後の“列車”は、黄福棚原止まり、吉ヶ原への折返しは昼休み後の13時。
皆さん、昼食だったり見学に行ったり...、車内は無人になる。
そう、車内撮影の最大のチャンスなのである。
【2017年9月3日12時02分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
全長15メートル、ちょっと短めに見える車体は黎明期の内燃動車らしい感じ。
国鉄時代はセミクロスシートの座席配置だったそうだが、現在はロングシート車。
紺色のシートモケットは、一部、破れて中のスポンジが飛び出している箇所もあり。
さすがに古さは隠せないが、でも、板張りの車内、(見えにくいが)白熱灯照明、
狭窓が並んで、いい感じである。
【2017年9月3日12時03分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
運転室は半室構造、乗務員室扉はなく、運転士さんも客ドアから出入りする構造。
その客ドアは(この写真ではわかりにくいが)明かりとりの小窓が付いた
プレスものになっている。これは、戦後に整備されたときのものだろうか。
【2017年9月3日12時03分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
その運転台は非常にプリミティブ...いや、シンプルなつくり。
小さなコントローラ、ブレーキハンドルが抜かれているのは昼休みのため。
【2017年9月3日12時04分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
反対側(柵原側)の運転第背面の仕切りには岡山駅前のデパートの広告が
残っていた。吉ヶ原は津山へと路線バスで結ばれており、岡山からは遠い印象、
でも、片鉄に乗れば、周匝や和気で乗り換えて岡山へ出ることができた訳で、
この付近も、岡山駅前のデパートの“集客圏”だったのだろうか。
さて、このキハ303号車。
【2017年9月3日11時59分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
吉ヶ原の保存車は各車、車内に現役時代の写真とともに簡単な車歴が掲示されている。
その記載や、手元の資料をもとにこのキハ303号車について...。
冒頭にも書いたとおり、この車輌は1934年(昭和9年)川崎車輌で製造された国鉄の
ガソリン動車キハ41071号車である。この時代の内燃動車、車体が小型であるのも
徹底的な軽量化が“絶対条件”だったから。
重量がちょうど20 tというのも、この時代の車輌としては異例の軽さ。
連結運転時などの、レールに平行な方向に加わる負荷に対する強度を一切考慮せず
(一応、簡易連結器を取り付け)、徹底的な軽量化を図ったという。
【2017年9月3日12時58分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
ヨコ方向の衝撃を考慮せずに設計されたのは、この頃のキハが“機械式”だったから。
当時の国鉄ではトルコン、液体変速機の開発ができていなかった。
クラッチを使うのが機械式、これでは連結運転(総括制御)ができないという
弱点があった。どうしても、2両以上で連結して走らせるには、中間・後部の
各車の運転台にも運転士を乗せて、汽笛の合図でみんなで息を合わせて運転操作、
だから、戦前の内燃動車(ガソリン動車)は1両で輸送需要を賄える閑散線区での
運用が前提だった。
新製から10年、早くも1944年(昭和19年)には廃車となる。
たぶん、戦争による燃料事情の悪化で運用できなくなったため。その後、大阪の
宮原機関区内で“ダルマさん”(足回りの無い車体だけの状態)で労働組合事務所に
転用されていたのを、戦後の混乱が落ち着いてきた1953年(昭和28年)に復元整備。
【2017年9月3日10時42分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
国鉄名古屋工場で整備の上、片上キハ3003号車になった。
その直後、1956年(昭和31年)新潟鐵工所でディーゼル動車化改造。
1968年(昭和43年)には液体変速機への交換、さらに扇風機設置やヘッドライトの
2灯化改造なども行われた。
ちなみに、車体は小ぶりだがロングシート車だったこともあり、定員は最大。
1991年の同線の最終日まで活躍した。
…… ……
でも、午前中最後の便に乗ったのはラッキーだったとしか言いようがなかった。
【2017年9月3日12時28分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
昼休みの吉ヶ原駅ホームではオカリナの演奏会が開かれ、その向かい側、1番ホームの
駅舎ヨコでは、地元の皆さんによる飲食の露店。2回連続の「黄福うどん」を
食べながら、そんな様子を眺めていたら...
【2017年9月3日12時39分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
突然、踏切機が鳴り出して。キハ702号車の出庫である。
大急ぎでカメラを取り出して。
先ほどまで昼食を食べていた、その1番ホームをゆっくりと通過して黄福棚原方へと
向かっていった。
【2017年9月3日12時39分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
すぐに折り返してきて試運転完了。近くにいたスタッフの方に訊いてみれば、
やはり、午後の展示運転からはキハ702号車に交代するみたい。
午後、最初の展示運転は13時ちょうどに黄福棚原駅から戻ってくるキハ303号車、
このまま303号車は“入庫”のような形になるようで...
午前の運転時も“爆煙”だった。やはり、車輌の調子が芳しくないのか...
(この日は、タイフォンの不調だったそうで。午後は整備が行われていた)
ということは13時の展示運転、その撮影に全てを賭けるしかない。(つづく)
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特急寝台「サンライズ出雲」号で現地入り、事実上の日帰りという強行軍だが
キハ205と再会してきたい...と思っている。
でも、心配なのは天気。
雨の中の撮影というのは、やはり辛いのである。
しかも、こういうイベントの場合。人が多く集まる訳で...。あぁ、憂鬱。
【2016年1月17日11時54分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル
ドン曇りでも、雨さえ落ちてこなければ撮影は大丈夫なのだが、こればかりは。
とはいえ、拙ブログ。いまだ9月アタマの撮影記が続いている。
9月3日、岡山県美咲町の柵原ふれあい鉱山公園での旧同和鉱業片上鉄道の保存運転。
前回のキハ702、今回はキハ303と2両撮ることができて。
ただ、この朝のキハ303、青空が広がると逆光になってしまって、なかなか上手く
撮ることができず、消化不良の感じのまま、午前中の運転が終わろうとしていた。
…… ……
2017年9月3日(日)曇りのち晴れ
【2017年9月3日11時50分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園
この日の午前中の展示運転に使われていたのは、キハ303号車。
1934年(昭和9年)川崎車輌で製造された国鉄キハ41071号車である。
「どうせ、カメラを構えても上手く撮れないんだし...」という
全くもってネガティブな理由で正午前、お昼休み前、最後の1本は<乗り鉄>に。
黄福柵原駅から戻ってくる姿を吉ヶ原駅構内はずれの踏切で後追い。
そのまま、吉ヶ原駅へ。
【2017年9月3日11時57分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
でも、このタイミングで空には雲が広がってきて。
これなら、場内信号機付近で走行写真を撮れば、スッキリ撮れたかも知れず。
何だかモヤモヤした気持ちで、キハの車内へ。
動き出せばすぐに黄福棚原駅。さぁ、車内撮影!!
お昼前の最後の“列車”は、黄福棚原止まり、吉ヶ原への折返しは昼休み後の13時。
皆さん、昼食だったり見学に行ったり...、車内は無人になる。
そう、車内撮影の最大のチャンスなのである。
【2017年9月3日12時02分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
全長15メートル、ちょっと短めに見える車体は黎明期の内燃動車らしい感じ。
国鉄時代はセミクロスシートの座席配置だったそうだが、現在はロングシート車。
紺色のシートモケットは、一部、破れて中のスポンジが飛び出している箇所もあり。
さすがに古さは隠せないが、でも、板張りの車内、(見えにくいが)白熱灯照明、
狭窓が並んで、いい感じである。
【2017年9月3日12時03分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
運転室は半室構造、乗務員室扉はなく、運転士さんも客ドアから出入りする構造。
その客ドアは(この写真ではわかりにくいが)明かりとりの小窓が付いた
プレスものになっている。これは、戦後に整備されたときのものだろうか。
【2017年9月3日12時03分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
その運転台は非常にプリミティブ...いや、シンプルなつくり。
小さなコントローラ、ブレーキハンドルが抜かれているのは昼休みのため。
【2017年9月3日12時04分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
反対側(柵原側)の運転第背面の仕切りには岡山駅前のデパートの広告が
残っていた。吉ヶ原は津山へと路線バスで結ばれており、岡山からは遠い印象、
でも、片鉄に乗れば、周匝や和気で乗り換えて岡山へ出ることができた訳で、
この付近も、岡山駅前のデパートの“集客圏”だったのだろうか。
さて、このキハ303号車。
【2017年9月3日11時59分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
吉ヶ原の保存車は各車、車内に現役時代の写真とともに簡単な車歴が掲示されている。
その記載や、手元の資料をもとにこのキハ303号車について...。
冒頭にも書いたとおり、この車輌は1934年(昭和9年)川崎車輌で製造された国鉄の
ガソリン動車キハ41071号車である。この時代の内燃動車、車体が小型であるのも
徹底的な軽量化が“絶対条件”だったから。
重量がちょうど20 tというのも、この時代の車輌としては異例の軽さ。
連結運転時などの、レールに平行な方向に加わる負荷に対する強度を一切考慮せず
(一応、簡易連結器を取り付け)、徹底的な軽量化を図ったという。
【2017年9月3日12時58分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
ヨコ方向の衝撃を考慮せずに設計されたのは、この頃のキハが“機械式”だったから。
当時の国鉄ではトルコン、液体変速機の開発ができていなかった。
クラッチを使うのが機械式、これでは連結運転(総括制御)ができないという
弱点があった。どうしても、2両以上で連結して走らせるには、中間・後部の
各車の運転台にも運転士を乗せて、汽笛の合図でみんなで息を合わせて運転操作、
だから、戦前の内燃動車(ガソリン動車)は1両で輸送需要を賄える閑散線区での
運用が前提だった。
新製から10年、早くも1944年(昭和19年)には廃車となる。
たぶん、戦争による燃料事情の悪化で運用できなくなったため。その後、大阪の
宮原機関区内で“ダルマさん”(足回りの無い車体だけの状態)で労働組合事務所に
転用されていたのを、戦後の混乱が落ち着いてきた1953年(昭和28年)に復元整備。
【2017年9月3日10時42分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(黄福棚原駅)
国鉄名古屋工場で整備の上、片上キハ3003号車になった。
その直後、1956年(昭和31年)新潟鐵工所でディーゼル動車化改造。
1968年(昭和43年)には液体変速機への交換、さらに扇風機設置やヘッドライトの
2灯化改造なども行われた。
ちなみに、車体は小ぶりだがロングシート車だったこともあり、定員は最大。
1991年の同線の最終日まで活躍した。
…… ……
でも、午前中最後の便に乗ったのはラッキーだったとしか言いようがなかった。
【2017年9月3日12時28分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
昼休みの吉ヶ原駅ホームではオカリナの演奏会が開かれ、その向かい側、1番ホームの
駅舎ヨコでは、地元の皆さんによる飲食の露店。2回連続の「黄福うどん」を
食べながら、そんな様子を眺めていたら...
【2017年9月3日12時39分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
突然、踏切機が鳴り出して。キハ702号車の出庫である。
大急ぎでカメラを取り出して。
先ほどまで昼食を食べていた、その1番ホームをゆっくりと通過して黄福棚原方へと
向かっていった。
【2017年9月3日12時39分】 岡山県美咲町・柵原ふれあい鉱山公園(吉ヶ原駅)
すぐに折り返してきて試運転完了。近くにいたスタッフの方に訊いてみれば、
やはり、午後の展示運転からはキハ702号車に交代するみたい。
午後、最初の展示運転は13時ちょうどに黄福棚原駅から戻ってくるキハ303号車、
このまま303号車は“入庫”のような形になるようで...
午前の運転時も“爆煙”だった。やはり、車輌の調子が芳しくないのか...
(この日は、タイフォンの不調だったそうで。午後は整備が行われていた)
ということは13時の展示運転、その撮影に全てを賭けるしかない。(つづく)
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