「永遠の憧れ」と言える車両のこと(20系寝台客車) [アナログ写真保管庫]
この記事は予約投稿で。ちょうど、この記事がアップされる(はずの)、
まさにその時刻、<変態鉄>は“唯一”となってしまった寝台列車に
乗っているはず。
その<速報版>は後ほど。今日はちょっと古い話。
こんなオッサンでも、昔はピュアな時代があったもの(!?)
意味不明な書き出しだが、「憧れのお姉さん」といった感じか。
ずっと秘めた思い、でも、...
何とか話でもして親しくなるチャンスはないだろうか...と、思っているうちに
卒業であったり、引越であったり、お別れの日が近づいてきた。
最後の最後に話しかける機会があったのに、思ったような会話も出来ずに...
う~ん、書いている自分が恥ずかしくなってきた。この歳のオッサンが書く文章か?
【2013年8月14日7時57分】 浜松市天竜区・天竜二俣駅付近
だけど、そんな感じだろうか。
<鉄>を趣味にして生きてきた自分、ピッタリそんな存在の車両があった。
…… ……
「20系固定編成客車」
【2013年8月14日7時56分】 浜松市天竜区・天竜二俣駅付近
と、高校生だった頃に一度だけ乗ったし、同じ頃、品川駅で撮ることも叶った。
さらに、拙ブログでもご紹介した通り、静岡県の天竜二俣駅に残るナハネ20を
訪れることもできた。
でも、自分の中で20系を撮った気にはなれないのである。
優雅な丸い断面をもつ20系寝台客車、「固定編成客車」の名が示す通り、
編成の両端に来る車両は他車との通り抜けを考える必要が無かったので、
車端部も曲線的なつくり...、これが何とも言えないのである。
【1993年頃】 鹿児島本線・博多駅
いや、それにしても急行「雲仙」の写真も、丸っこい後ろ姿が、
しっかりと写し止められているではないか...
否、違うのである。
20系寝台客車が華々しくデビューした昭和30年代前半、
「もはや戦後ではない」の時代。
とはいえ、大型曲面ガラスというのは当時の技術では容易ではなく、その採用は
コストに跳ね返ったという。だから、東海道線の下り列車の最後部(東京側先頭)
にあたる位置に連結される客車(ナハネフ22形式、当初はナハフ20形式)だけ、
車端部に2枚の大型曲面ガラスを配し、展望室を思わせる優雅な姿でデビュー。
でも、下り列車で機関車次位となる電源荷物車は3枚窓の姿となった。
【1993年頃】 東海道本線・新大阪駅
自分が撮ったのは、いずれも「カニ21電源荷物車」の側からの姿。
しかし、同じブルートレインとして世代交代したからだろうか、
20系寝台客車というのは、国鉄車両史上に残る名車だったにもかかわらず、
廃車後の保存例というのが極めて少ない形式。もうちょっと廃車が遅ければ、
もしかしたら、国鉄末期の財政下、解体作業の予算が取れなくなって
車両基地の隅に大量に残ってくれていたかも知れない。でも...
「SLホテル」などに転用されたものの中にも荒廃して解体されるものが増え、
ほとんど残っていないのが現実。天竜二俣駅構内で美しい姿を保っている
ナハネ20形も、保存団体が修繕を行うまでは荒廃していて、
解体撤去は必至と言われるほどだった。何とも貴重な保存例なのである。
20系客車自体の保存が少ない中、ナハネフ22形式の保存車は...。
大宮の鉄道博物館に1両と福岡市営地下鉄の貝塚駅近くの公園に残っている位か。
拙ブログの初期の頃、南九州を訪れた“ついで”に福岡市の貝塚公園まで
行ってみたのだった。
【2012年2月7日9時56分】 福岡県福岡市東区・貝塚公園
でも...
あいにく、再塗装作業の最中だったのである。
聞くところでは、やはり公園での保存だけに荒れ果てていて、
それを気にしたファンの方の尽力で修復作業まで漕ぎ着けたとか...
当時の自分はそんな事情はつゆ知らず、「ツいてねぇ~なぁ!!」と
イライラしながら福岡空港に向かう地下鉄に乗り込んだのだった。
福岡空港から地下鉄で行ける場所とはいえ、保存車のためだけに九州まで
往復できるほど、<変態鉄>に時間もおカネもないのである。
実は...
この博多からは遠いのだが、福岡県内にどうしても撮りに行きたいキハが居て...
その“ついで”に訪れようと画策しているのだが、時間的に。
…… ……
そんな<変態鉄>が<変態ガキ鉄>だった頃。いまなら、「※※が走る!!」と
なれば、ちょっと早起きしてヒコーキで駆けつけるのだが、高校生の頃...
毎月、鉄道誌を買っては「団体臨時列車運転時刻表」を眺めては、都心の駅撮りで
撮れる“珍しいモノ”を物色していたのだが...
JR西日本広島支社管内に「ホリデーパル」という編成があった。
そう、懐かしい響き。“ジョイフルトレイン”というヤツである。
【1994年9月頃】 JR東日本・新宿駅
若い<鉄>の方には、ピンと来ないのかも知れないが、国鉄末期からJR初期にかけて
80年台から90年代初頭にかけては、カラオケ付きのお座敷車両やソファー付きの
サロンカーなど、各地で独創的かつ豪華絢爛な車両がつくられた。
国鉄末期、余剰車を活用した増収策として、まさに“雨後の筍”のような感じで。
通常の列車に充当されるのは稀で、大口団体臨時列車として、つまり、貸切専用
として使われた車両群である。改造タネ車が国鉄型の余剰車のため老朽化が進み、
また、旅行のスタイルが変わって、職場単位などの大口団体の団体貸切というのが
少なくなったこともあって、いまでは“風前の灯火”。
20系寝台客車で唯一、その“ジョイフルトレイン”化されたのが「ホリデーパル」。
当初は「青15号の車体+クリーム1号の帯」という標準塗装で通常の20系と
同じカラーリングだったらしいが、当時は...
それが休みの日の朝、品川駅までやってくる...となれば、行かない手は無い。
というわけで、EOS1000QD-Pという廉価版...というか入門版の一眼レフに
量販店でまとめ買いしたISO400のネガカラーを詰めて、いっぱしのカメラマン気取りで
品川駅にやってきた、ただのガキ。当時、16歳の<変態鉄>だったのである。
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
待つこと暫し。それにしても、やはり。ものすごい数の“同業者さん”。
入線するホームはすでに混乱気味。
そんな中、EF65形電気機関車に牽引されて、憧れの20系客車が...
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
でも、東海道本線の上り場面では、優雅な曲面ガラス2枚窓の「ナハネフ22」は
機関車次位。最後部は3枚窓の電源荷物車なのである。
とはいえ、当時の<変態ガキ鉄>。もう夢中だった。
電源車側からの撮影とはいえ、この丸っこさが堪らなかった。
たぶん、大急ぎで。若気の至り、ということで。たぶん、階段を駆け上り
全速力で反対側のホームへと...
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
車庫に引き上げられる前に、この1枚。客車列車を最も客車列車らしく。
機関車側斜め前からの“正しい編成写真”を撮ったのだった。
つかの間の対面。すぐに車庫へと引き上げられていった。
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅(後追い)
あっという間の出会いだったのである。
もう二度と見ることができない、この編成。あと10年はやく生まれていれば
何度も撮る機会に恵まれていたはず。
年はとりたくないのだが(笑)、<鉄>としては「もうちょっと早く生まれたかった」
と思うことが多い<変態鉄>なのである。
…… ……
【2016年1月17日12時39分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル
水島臨海鉄道で、今春、引退したキハ205号車も、もともと国鉄キハ20形。
それから...
【2013年3月6日7時15分】 富山地鉄上滝不二越線・月岡駅
富山地鉄の「20形」は、<変態鉄>が追い続ける“2枚窓ちてつ顔”の電車。
形式「20」には、なぜか<変態鉄>が愛して止まない車両が多い気がする。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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まさにその時刻、<変態鉄>は“唯一”となってしまった寝台列車に
乗っているはず。
その<速報版>は後ほど。今日はちょっと古い話。
こんなオッサンでも、昔はピュアな時代があったもの(!?)
意味不明な書き出しだが、「憧れのお姉さん」といった感じか。
ずっと秘めた思い、でも、...
何とか話でもして親しくなるチャンスはないだろうか...と、思っているうちに
卒業であったり、引越であったり、お別れの日が近づいてきた。
最後の最後に話しかける機会があったのに、思ったような会話も出来ずに...
う~ん、書いている自分が恥ずかしくなってきた。この歳のオッサンが書く文章か?
【2013年8月14日7時57分】 浜松市天竜区・天竜二俣駅付近
だけど、そんな感じだろうか。
<鉄>を趣味にして生きてきた自分、ピッタリそんな存在の車両があった。
…… ……
「20系固定編成客車」
【2013年8月14日7時56分】 浜松市天竜区・天竜二俣駅付近
と、高校生だった頃に一度だけ乗ったし、同じ頃、品川駅で撮ることも叶った。
さらに、拙ブログでもご紹介した通り、静岡県の天竜二俣駅に残るナハネ20を
訪れることもできた。
でも、自分の中で20系を撮った気にはなれないのである。
優雅な丸い断面をもつ20系寝台客車、「固定編成客車」の名が示す通り、
編成の両端に来る車両は他車との通り抜けを考える必要が無かったので、
車端部も曲線的なつくり...、これが何とも言えないのである。
【1993年頃】 鹿児島本線・博多駅
いや、それにしても急行「雲仙」の写真も、丸っこい後ろ姿が、
しっかりと写し止められているではないか...
否、違うのである。
20系寝台客車が華々しくデビューした昭和30年代前半、
「もはや戦後ではない」の時代。
とはいえ、大型曲面ガラスというのは当時の技術では容易ではなく、その採用は
コストに跳ね返ったという。だから、東海道線の下り列車の最後部(東京側先頭)
にあたる位置に連結される客車(ナハネフ22形式、当初はナハフ20形式)だけ、
車端部に2枚の大型曲面ガラスを配し、展望室を思わせる優雅な姿でデビュー。
でも、下り列車で機関車次位となる電源荷物車は3枚窓の姿となった。
【1993年頃】 東海道本線・新大阪駅
自分が撮ったのは、いずれも「カニ21電源荷物車」の側からの姿。
しかし、同じブルートレインとして世代交代したからだろうか、
20系寝台客車というのは、国鉄車両史上に残る名車だったにもかかわらず、
廃車後の保存例というのが極めて少ない形式。もうちょっと廃車が遅ければ、
もしかしたら、国鉄末期の財政下、解体作業の予算が取れなくなって
車両基地の隅に大量に残ってくれていたかも知れない。でも...
「SLホテル」などに転用されたものの中にも荒廃して解体されるものが増え、
ほとんど残っていないのが現実。天竜二俣駅構内で美しい姿を保っている
ナハネ20形も、保存団体が修繕を行うまでは荒廃していて、
解体撤去は必至と言われるほどだった。何とも貴重な保存例なのである。
20系客車自体の保存が少ない中、ナハネフ22形式の保存車は...。
大宮の鉄道博物館に1両と福岡市営地下鉄の貝塚駅近くの公園に残っている位か。
拙ブログの初期の頃、南九州を訪れた“ついで”に福岡市の貝塚公園まで
行ってみたのだった。
【2012年2月7日9時56分】 福岡県福岡市東区・貝塚公園
でも...
あいにく、再塗装作業の最中だったのである。
聞くところでは、やはり公園での保存だけに荒れ果てていて、
それを気にしたファンの方の尽力で修復作業まで漕ぎ着けたとか...
当時の自分はそんな事情はつゆ知らず、「ツいてねぇ~なぁ!!」と
イライラしながら福岡空港に向かう地下鉄に乗り込んだのだった。
福岡空港から地下鉄で行ける場所とはいえ、保存車のためだけに九州まで
往復できるほど、<変態鉄>に時間もおカネもないのである。
実は...
この博多からは遠いのだが、福岡県内にどうしても撮りに行きたいキハが居て...
その“ついで”に訪れようと画策しているのだが、時間的に。
…… ……
そんな<変態鉄>が<変態ガキ鉄>だった頃。いまなら、「※※が走る!!」と
なれば、ちょっと早起きしてヒコーキで駆けつけるのだが、高校生の頃...
毎月、鉄道誌を買っては「団体臨時列車運転時刻表」を眺めては、都心の駅撮りで
撮れる“珍しいモノ”を物色していたのだが...
JR西日本広島支社管内に「ホリデーパル」という編成があった。
そう、懐かしい響き。“ジョイフルトレイン”というヤツである。
【1994年9月頃】 JR東日本・新宿駅
若い<鉄>の方には、ピンと来ないのかも知れないが、国鉄末期からJR初期にかけて
80年台から90年代初頭にかけては、カラオケ付きのお座敷車両やソファー付きの
サロンカーなど、各地で独創的かつ豪華絢爛な車両がつくられた。
国鉄末期、余剰車を活用した増収策として、まさに“雨後の筍”のような感じで。
通常の列車に充当されるのは稀で、大口団体臨時列車として、つまり、貸切専用
として使われた車両群である。改造タネ車が国鉄型の余剰車のため老朽化が進み、
また、旅行のスタイルが変わって、職場単位などの大口団体の団体貸切というのが
少なくなったこともあって、いまでは“風前の灯火”。
20系寝台客車で唯一、その“ジョイフルトレイン”化されたのが「ホリデーパル」。
当初は「青15号の車体+クリーム1号の帯」という標準塗装で通常の20系と
同じカラーリングだったらしいが、当時は...
それが休みの日の朝、品川駅までやってくる...となれば、行かない手は無い。
というわけで、EOS1000QD-Pという廉価版...というか入門版の一眼レフに
量販店でまとめ買いしたISO400のネガカラーを詰めて、いっぱしのカメラマン気取りで
品川駅にやってきた、ただのガキ。当時、16歳の<変態鉄>だったのである。
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
待つこと暫し。それにしても、やはり。ものすごい数の“同業者さん”。
入線するホームはすでに混乱気味。
そんな中、EF65形電気機関車に牽引されて、憧れの20系客車が...
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
でも、東海道本線の上り場面では、優雅な曲面ガラス2枚窓の「ナハネフ22」は
機関車次位。最後部は3枚窓の電源荷物車なのである。
とはいえ、当時の<変態ガキ鉄>。もう夢中だった。
電源車側からの撮影とはいえ、この丸っこさが堪らなかった。
たぶん、大急ぎで。若気の至り、ということで。たぶん、階段を駆け上り
全速力で反対側のホームへと...
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅
車庫に引き上げられる前に、この1枚。客車列車を最も客車列車らしく。
機関車側斜め前からの“正しい編成写真”を撮ったのだった。
つかの間の対面。すぐに車庫へと引き上げられていった。
【1994年5月頃】 東海道本線・品川駅(後追い)
あっという間の出会いだったのである。
もう二度と見ることができない、この編成。あと10年はやく生まれていれば
何度も撮る機会に恵まれていたはず。
年はとりたくないのだが(笑)、<鉄>としては「もうちょっと早く生まれたかった」
と思うことが多い<変態鉄>なのである。
…… ……
【2016年1月17日12時39分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル
水島臨海鉄道で、今春、引退したキハ205号車も、もともと国鉄キハ20形。
それから...
【2013年3月6日7時15分】 富山地鉄上滝不二越線・月岡駅
富山地鉄の「20形」は、<変態鉄>が追い続ける“2枚窓ちてつ顔”の電車。
形式「20」には、なぜか<変態鉄>が愛して止まない車両が多い気がする。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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あのサロンカーで婚前旅行したのですがぁ・・・。
黒歴史にならなくて、ヨカッタぁ。
by hanamura (2017-07-02 08:02)
hanamuraさん
コメントありがとうございます。
「サロンエクスプレス東京」でおでかけされたのでしょうか??
羨ましい限りです。
「黒歴史」なんて...、hanamuraさんのブログで時折、読ませていただく静岡に戻られたときのお話、いつも楽しみにしております。
by あるまーき (2017-07-02 19:44)