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何だか急に懐かしい駅名を聞きたくなった(「北越1号」金沢駅発車後) [車内放送]

「富山へは、上野から特急で6時間ほどかかっていたんだ」というと、
自分より若い世代の人々からは、「へぇ~、すげー、大変だったでしょう!?」と。

当時から“北陸新幹線”は話題になることはあったが、そんな話題になれば誰もが
「まさか~ぁ、そんなの、できるはずないし。ハハハ」といった感じだった。

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【2015年2月25日11時01分】 北陸本線・富山駅

でも、その富山までの道のりも、とうとう東京から新幹線で2時間少々。
ただ、そのかげで「北陸本線」が第3セクター化され、特急列車が雁行する幹線から
2両編成のワンマン電車が行き来するだけのローカル線に。

とはいえ、そんな並行在来線問題などといった難しいテーマは正統派<鉄>ブログに
譲ることにして、<変態鉄>としては...

……  ……

北陸本線、その懐かしい姿を思い出せるものを探してみたのだった。

自分が幼稚園の頃に、新潟までの上越新幹線が開業した。当初は大宮始発の暫定開業。
しばらくして上野まで延伸されると、富山に行くのも長岡で乗り換えるのが
メジャーな経路になった。
(それでも、金沢ゆき「白山」は長野新幹線開業まで残っていた)

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【1992年2月頃】 東北本線・上野駅

その「白山」、長野県内の停車駅を小まめに拾いながら時間をかけて進んで...
車内に疲労が見え始めてきた頃、列車は直江津駅に到着する。
ここから列車は、進行方向を変えて北陸本線へ。
糸魚川を過ぎれば間もなく富山県内へ、黒部、魚津...、徐々に富山に近づくのだった。

そんな時代を感じられるものを探してみたのだった。
<変態鉄>でないと見付けられないものを。

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【2015年2月24日11時24分】 北陸本線・東滑川駅

という訳で、2月末の富山撮影記でもたびたび登場したこの列車。
485系特急「北越」号である。

「北越」というのは旧国名の越前(福井)、越中(富山)、越後(新潟)のうち、
北半分に当たる越中、越後の呼称に由来している。
北陸本線の特急と言えば、何と言っても「雷鳥」があって、目立たない存在だったが、

でも歴史は長く、485系特急型電車が登場した直後、1969年(昭和44年)に不定期特急として
設定され、1970年(昭和45年)に定期列車になった。
その後、485系としては最後の定期特急として2015年3月13日にその使命を終えるまで
ずっと活躍し続けたのだった。

当初は大阪-新潟間の列車だったが、大阪発着で湖西・北陸本線経由の特急は
すべて「雷鳥」に統合されたため、長らく金沢-新潟間の列車となっていた。

<変態鉄>の記憶に、はじめて「北越」の名が刻まれたのは、小学生の時。
上野発の新幹線を長岡で降りて、乗り換えた特急列車が「北越」だった。
長岡発着の新幹線接続便も設定され、この頃までが「北越」が輝いていた時期か!?

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【2015年2月24日11時01分】 北陸本線・東滑川駅

越後湯沢からの短絡ルート「ほくほく線」が開業して東京-北陸のルートの
主役の座を「はくたか」に譲った後は、北陸本線・信越本線の主要駅を小まめに
拾っていくローカル特急としての活躍だった。

「特急街道」と呼ばれた北陸本線で他の特急列車がグリーン車組込の9両編成が主流、
2000年台に入れば、車両もJR西日本になってから製造された681・683系に統一されていく中、
「北越」だけは半室グリーン車組込の6両編成、車両も高度経済成長期に製造された
485系だけが一貫して使われたのだった。

どちらかと言えば“脇役”的な存在。
でも、だからこそ、日本海に沿って多くの駅にも小まめに停車していくのだった。
本当は「特別急行」ではなく「急行」にしておくべきかと思うほど...

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【1999年10月頃】 北陸本線・富山駅

とはいえ、朝の富山駅で列車を待っていて、不意にこんなのが入ってきたら...
大興奮で撮り続けたのだった。(何らかの理由で突発的な運用変更があったみたい)

……  ……

尤も、最近は富山に行っても地鉄電車ばかりを撮っているわけで、
「北越」と言えば、こんな写真なのだが...

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【2013年11月17日14時26分】 富山地鉄本線・西魚津駅

この写真の「北越」、白地に下半に青と緑色の塗り分け。通称・上沼垂色と呼ばれた。
分割民営化後、上沼垂(新潟県)に配置されていた485系特急型電車は
リニューアル改造され、この塗色になった。

そんな、北越号に乗って車内放送を録ってきたのは、2000年9月27日の朝。
金沢駅を朝6:38に発つ新潟ゆきの「北越1号」、上沼垂色の485系だった。

この色の編成、リニューアル後も一部を除いてオリジナルの「鉄道唱歌」が、
アナログのオルゴールのまま残っていたのである。



オルゴールに続いて停車駅の案内。

「津幡、高岡、小杉、富山の順に停まります。...魚津、黒部、泊、糸魚川...」

終点・新潟には10:24着。約4時間の間に停車する駅名が案内されるのも懐かしい。
とはいえ、録音から15年が経過すると、いろいろな変化にも気づく。

「おタバコの吸える自由席は5号車です」というのも、
「ワゴン販売サービスは途中、富山から...」というのも、最近の「北越」では
聴くことのできないアナウンスだった。

かつては、近郊形車両でも手摺りの所に灰皿が設置されているのが普通だった。
それから、車内販売も“あって当然”だったが、駅ナカの充実などで
新幹線でも車内販売を中止する列車が増えつつある。

15年前には、これがごく普通の北陸本線の日常だった。

……  ……

と、この上沼垂色「北越」、もう少し良い写真を撮っていないかとネガを漁ると...

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【2005年8月頃】 北陸本線・呉羽-富山

こんな写真が出てきたのだった。<変態鉄>も、いくら<変態鉄>でも、
こういう写真を撮ることもあるのである。

まぁ、<鉄>の中でも車内放送マニアというのは少数派の中の少数派なのだが、
とはいえ、古い録音データをイヤホンを通して聴いてみると、いろいろなことが
思い出されてくるのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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