「☆になったトラム」たち。 [アナログ写真保管庫]
昨日に続いて、スキャナーで取りこんだネガの話題。
本当は「出撃予告」を記事にする予定だったのだが、いろいろと事情があって...
でも、出発を1日遅らせる形で、あのヒコーキ会社のサイトでポチッポチッと。
8月と9月なら、9月の方が航空運賃は安いと思っていたら...
「特割」は正反対。片道4,000円アップ。嗚呼。
グダグダしていたせいで1日の遅れ...何だかもの凄く損したような気がする。
「どこへ向かうか?」、それは明日の記事で発表したい。
ちなみに、“早朝の月岡に...”という撮影記は予定していないことは断言できる。
普段、<変態鉄>があまり行かない方向へ。
【1993年10月頃】 京阪京津線・東山三条-蹴上(当時)
さて、今日の話題。
<変態鉄>が両親から小遣いを前借りして、全国の路面電車を撮り回ったのは
その“最盛期”は、高校生だった1992~93年頃のこと。
現役の電車を撮るのと同時にすでに引退した旧型車両や、すでに過去帳入りしていた
路線を走った電車たちの姿を撮ることも、その大きな目的だった。
…… ……
いまなら、「保存車」などというキーワードで検索したら、さまざまなサイトが瞬時に。
でも、パソコンもインターネットなんて限られた一部の人のものだった当時。
鉄道雑誌やさまざまな本を調べ、そこで知った情報、図書館で地図を見て場所を調べ、
そして、苦労してその「保存地点」にたどり着いたのに...
“ガセネタ”(というか、参考にした資料での誤記の類だろうが...)だったり、
すでに解体・撤去の後だったり、実は非公開だったり...、たどり着けなかった
なんて経験も数知れない。
そんな、1993年夏の「路面電車の保存車・廃車体探しの旅」のネガが見つかった。
【1993年8月頃】 東京都府中市・郷土の森交通公園
こちらは現存する。府中本町駅から徒歩20分ほどのところの交通公園に保存された
都電6000形。白地に朱色の帯という姿で保存されていた。
この後、荒廃が進んだそうだが、保存団体の方々の尽力により、整備と再塗装が
行われ、都電末期の黄色+赤帯の姿を取り戻していた。
【2007年9月25日12時10分】 東京都府中市・郷土の森交通公園
実は、はじめてデジカメを手にした2007年9月、その「試運転」として、
訪れたのがこの公園。西武多摩川線を撮った後(→ こちら)是政駅から歩いて行った。
…… ……
いつも、地方私鉄の古き佳き時代の貴重なお写真に、とにかく圧倒されているのだが、
ソネブロの大先輩であるCedarさんのブログ(→ こちら)、先日、紹介されていた都電8000形。
でも、自分は、黄色に赤帯の都電8000形を見たのは後にも先にもこの1回だけ。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
東武伊勢崎線の新越谷駅だったような気がするが、いまでは、その記憶も曖昧。
住宅街の路地の奥に、児童図書館に転用されていた8000形電車の姿。
これまた、都電とは縁の薄い地での保存例。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
いわゆる“ダルマさん”、台車や機器などの足回りはなく、単に車体だけの利用。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
建物に埋め込まれるような感じになっていたが、それでも、かろうじて
その前面を見ることができた。都電末期のシンボル的存在の電車であっても、
路線撤去を見越してコストを抑えた設計、それだけに劣化も酷かったようで、
保存車も多くない。(他には千葉県佐倉市内に1例だけ??)
越谷のこの8000形も、この後、撤去されたと聞いている(移転? 解体?)。
…… ……
同じ図書館でも市立図書館であれば、郷土の歴史資料として大事に保存される??
と、思っていたら、いつしか解体されていて、再訪してガッカリしたのがこちら。
【1993年8月頃】 山口県下関市・下関市立図書館前
下関市立図書館の敷地内に保存されていたのは、山陽電軌601号車。
「神戸の電車が、なぜここに??」...ではない。
山陽は山陽でも、こちらは下関の街を走っていた路面電車、1971年に全廃。
ちなみに下関エリアを中心に路線バスを運行している「サンデン交通」はこの流れ。
でも、小心者の高校生<変態ガキ鉄>、こんな写真を撮って諦めようかと。なぜ??
そう、写真の左隅。ボロボロの電車の前で、若い男女が仲良くお弁当タイム。
何だか近づきにくくて...、近くの歩道橋から盗撮(笑)。
電車の前面を入れつつ、その男女の姿をカットしようと頑張った結果。
【1993年8月頃】 山口県下関市・下関市立図書館前
でも、しばらく待つと、2人はどこかへ。
ホッとして、その2人が座っていた付近から形式写真。
すでに錆が浮いてボロボロの車体、上の写真の方が鮮明だが、屋根上の
ビューゲルも破損してしまっていた。
ちなみに、この山陽電軌の一部は高知に移籍して“いまなお現役”。
…… ……
下関から関門海峡を越えれば北九州。門司から折尾まで日本一の路線長を誇った
西鉄北九州線、<変態鉄>は、実質的にはこの路線の“現役時代”に間に合わなかった。
“燃えカス”(失礼!!)のように残った最後の黒崎-折尾間を一度だけ撮れただけ。
その小倉からモノレールの終点・企救丘。この駅前にあった市立交通科学館に
西鉄北九州線の路面電車が保存されていた。
【1993年8月頃】 福岡県北九州市・北九州市立交通科学館(当時)
1940年(昭和15年)製の流線型、100形148号車。立派な説明看板まであって、
【1993年8月頃】 福岡県北九州市・北九州市立交通科学館(当時)
住友金属の工場で働いていたディーゼル機関車とともに保存されていた。
このトラムは、さすがに安泰かと思っていたら、何と科学館が閉館の憂き目。嗚呼。
どうなることかと思ったが、門司港レトロ地区に移設、西鉄の路面電車の
保存を手がけるボランティア団体の手でメンテナンスされ、公開されているとのこと。
…… ……
同じネガには、こんなカットも。
【1993年8月頃】 福井鉄道福武線・武生新(当時)駅付近
まだ、名鉄の連接車が入る前、高床の旧型電車ばかりだった当時の福鉄福武線。
武生新(当時)駅の構内裏には、事実上、運用を退いていた電車たち。
手前は北鉄金沢市内線(全廃)→ 名鉄岐阜市内線(一部廃止、のちに全廃)→
福井鉄道と流転の“車生”を送ってきた562号車の姿。そして、背後の小型電車は、
福井地震の復旧で連接車に改造された貴重な電車。
【2013年1月9日11時17分】 福井県福井市・下馬中央公園
後者は、福武線の花堂駅から歩いて20分ほどの公園で保存されている。
小雨の降る寒い冬の日、道に迷いつつ撮りに行った話題は拙ブログでも
ご紹介した(→ こちら)。
…… ……
1本のネガから膨らんでしまった、高校時代の自分の<鉄>活動の想い出話。
勉学以外のことには、とにかく情熱的に、のめり込んでいく、そういうガキだった。
当時は当時で、辛いことも多かったのは間違いないが、会社員になって、
30台半ばを過ぎて、「20年前のこと」として当時を振り返るようになると、
何だか、夢中になってトラムを追っていた自分が、何だか輝いていたようにすら
感じてしまうのだった。
さぁ、明日はいよいよ、出撃予告編。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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本当は「出撃予告」を記事にする予定だったのだが、いろいろと事情があって...
でも、出発を1日遅らせる形で、あのヒコーキ会社のサイトでポチッポチッと。
8月と9月なら、9月の方が航空運賃は安いと思っていたら...
「特割」は正反対。片道4,000円アップ。嗚呼。
グダグダしていたせいで1日の遅れ...何だかもの凄く損したような気がする。
「どこへ向かうか?」、それは明日の記事で発表したい。
ちなみに、“早朝の月岡に...”という撮影記は予定していないことは断言できる。
普段、<変態鉄>があまり行かない方向へ。
【1993年10月頃】 京阪京津線・東山三条-蹴上(当時)
さて、今日の話題。
<変態鉄>が両親から小遣いを前借りして、全国の路面電車を撮り回ったのは
その“最盛期”は、高校生だった1992~93年頃のこと。
現役の電車を撮るのと同時にすでに引退した旧型車両や、すでに過去帳入りしていた
路線を走った電車たちの姿を撮ることも、その大きな目的だった。
…… ……
いまなら、「保存車」などというキーワードで検索したら、さまざまなサイトが瞬時に。
でも、パソコンもインターネットなんて限られた一部の人のものだった当時。
鉄道雑誌やさまざまな本を調べ、そこで知った情報、図書館で地図を見て場所を調べ、
そして、苦労してその「保存地点」にたどり着いたのに...
“ガセネタ”(というか、参考にした資料での誤記の類だろうが...)だったり、
すでに解体・撤去の後だったり、実は非公開だったり...、たどり着けなかった
なんて経験も数知れない。
そんな、1993年夏の「路面電車の保存車・廃車体探しの旅」のネガが見つかった。
【1993年8月頃】 東京都府中市・郷土の森交通公園
こちらは現存する。府中本町駅から徒歩20分ほどのところの交通公園に保存された
都電6000形。白地に朱色の帯という姿で保存されていた。
この後、荒廃が進んだそうだが、保存団体の方々の尽力により、整備と再塗装が
行われ、都電末期の黄色+赤帯の姿を取り戻していた。
【2007年9月25日12時10分】 東京都府中市・郷土の森交通公園
実は、はじめてデジカメを手にした2007年9月、その「試運転」として、
訪れたのがこの公園。西武多摩川線を撮った後(→ こちら)是政駅から歩いて行った。
…… ……
いつも、地方私鉄の古き佳き時代の貴重なお写真に、とにかく圧倒されているのだが、
ソネブロの大先輩であるCedarさんのブログ(→ こちら)、先日、紹介されていた都電8000形。
でも、自分は、黄色に赤帯の都電8000形を見たのは後にも先にもこの1回だけ。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
東武伊勢崎線の新越谷駅だったような気がするが、いまでは、その記憶も曖昧。
住宅街の路地の奥に、児童図書館に転用されていた8000形電車の姿。
これまた、都電とは縁の薄い地での保存例。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
いわゆる“ダルマさん”、台車や機器などの足回りはなく、単に車体だけの利用。
【1993年8月頃】 埼玉県越谷市付近
建物に埋め込まれるような感じになっていたが、それでも、かろうじて
その前面を見ることができた。都電末期のシンボル的存在の電車であっても、
路線撤去を見越してコストを抑えた設計、それだけに劣化も酷かったようで、
保存車も多くない。(他には千葉県佐倉市内に1例だけ??)
越谷のこの8000形も、この後、撤去されたと聞いている(移転? 解体?)。
…… ……
同じ図書館でも市立図書館であれば、郷土の歴史資料として大事に保存される??
と、思っていたら、いつしか解体されていて、再訪してガッカリしたのがこちら。
【1993年8月頃】 山口県下関市・下関市立図書館前
下関市立図書館の敷地内に保存されていたのは、山陽電軌601号車。
「神戸の電車が、なぜここに??」...ではない。
山陽は山陽でも、こちらは下関の街を走っていた路面電車、1971年に全廃。
ちなみに下関エリアを中心に路線バスを運行している「サンデン交通」はこの流れ。
でも、小心者の高校生<変態ガキ鉄>、こんな写真を撮って諦めようかと。なぜ??
そう、写真の左隅。ボロボロの電車の前で、若い男女が仲良くお弁当タイム。
何だか近づきにくくて...、近くの歩道橋から盗撮(笑)。
電車の前面を入れつつ、その男女の姿をカットしようと頑張った結果。
【1993年8月頃】 山口県下関市・下関市立図書館前
でも、しばらく待つと、2人はどこかへ。
ホッとして、その2人が座っていた付近から形式写真。
すでに錆が浮いてボロボロの車体、上の写真の方が鮮明だが、屋根上の
ビューゲルも破損してしまっていた。
ちなみに、この山陽電軌の一部は高知に移籍して“いまなお現役”。
…… ……
下関から関門海峡を越えれば北九州。門司から折尾まで日本一の路線長を誇った
西鉄北九州線、<変態鉄>は、実質的にはこの路線の“現役時代”に間に合わなかった。
“燃えカス”(失礼!!)のように残った最後の黒崎-折尾間を一度だけ撮れただけ。
その小倉からモノレールの終点・企救丘。この駅前にあった市立交通科学館に
西鉄北九州線の路面電車が保存されていた。
【1993年8月頃】 福岡県北九州市・北九州市立交通科学館(当時)
1940年(昭和15年)製の流線型、100形148号車。立派な説明看板まであって、
【1993年8月頃】 福岡県北九州市・北九州市立交通科学館(当時)
住友金属の工場で働いていたディーゼル機関車とともに保存されていた。
このトラムは、さすがに安泰かと思っていたら、何と科学館が閉館の憂き目。嗚呼。
どうなることかと思ったが、門司港レトロ地区に移設、西鉄の路面電車の
保存を手がけるボランティア団体の手でメンテナンスされ、公開されているとのこと。
…… ……
同じネガには、こんなカットも。
【1993年8月頃】 福井鉄道福武線・武生新(当時)駅付近
まだ、名鉄の連接車が入る前、高床の旧型電車ばかりだった当時の福鉄福武線。
武生新(当時)駅の構内裏には、事実上、運用を退いていた電車たち。
手前は北鉄金沢市内線(全廃)→ 名鉄岐阜市内線(一部廃止、のちに全廃)→
福井鉄道と流転の“車生”を送ってきた562号車の姿。そして、背後の小型電車は、
福井地震の復旧で連接車に改造された貴重な電車。
【2013年1月9日11時17分】 福井県福井市・下馬中央公園
後者は、福武線の花堂駅から歩いて20分ほどの公園で保存されている。
小雨の降る寒い冬の日、道に迷いつつ撮りに行った話題は拙ブログでも
ご紹介した(→ こちら)。
…… ……
1本のネガから膨らんでしまった、高校時代の自分の<鉄>活動の想い出話。
勉学以外のことには、とにかく情熱的に、のめり込んでいく、そういうガキだった。
当時は当時で、辛いことも多かったのは間違いないが、会社員になって、
30台半ばを過ぎて、「20年前のこと」として当時を振り返るようになると、
何だか、夢中になってトラムを追っていた自分が、何だか輝いていたようにすら
感じてしまうのだった。
さぁ、明日はいよいよ、出撃予告編。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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1枚目の写真が、ヒントでしょうか?
嵐電の北野白梅町駅も、行けるのであれば、今のうちだと思います。
by モボ (2014-08-31 07:08)
今またトラムが世界的に見直されてきましたので、日本でも増えて欲しいですね!
by ma2ma2 (2014-08-31 10:52)
コメントありがとうございます。
☆ モボさん
詳細は今日の記事で...なのですが、北野白梅町駅も建て替えなのでしょうか?? チャンスがあれば訪れてみたいと思います。
☆ ma2ma2さん
ma2ma2さんのオーストラリアの記事でも拝見しましたが、海外でも新規開業やいったん廃線となっていたものの復活など、いくつか事例があるようですね。日本でも、各地で導入に向けた検討はされているみたいですが、具体化したところは富山だけです。
何だかBRT(バス専用道を整備して路線バスを運行するシステム)に“ブーム”は移りつつあるような...。東京も五輪までに導入するらしいです。
by あるまーき (2014-08-31 11:55)
拙ブログへのコメントありがとうございます。
僕は来月法事で北海道に行くのですが、
フェリーの予約が遅れて夫婦で約15000円高。
それが正規の料金なんですが、スゴク損した気分です。
by johncomeback (2014-08-31 14:56)
johncomebackさん
コメントありがとうございます。自分の場合、「行くか行かないか」、煮え切らないまま、ヒコーキの早期予約運賃の期間が終わってしまう...というケースが多いですね。「どうせ行くのなら、昨日までに予約しておけば」ということは数知れません。確かに、あれは損した気分になりますね。
by あるまーき (2014-08-31 15:01)